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草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
※2015年10月より竹の会公式HP内にブログ移転

習慣、小手先の思考、中1の壁、・・

2013年12月20日 10時13分05秒 | 
 お早うございます。昨日は何度かブログを書こうとしたのですが、途中で止めてしまいました。疲れて頭が回らなかったのです。
 昨日、今日とかなりの低温です。子どもたちは大丈夫でしょうか。
 もう12月の20日です。12月の通常指導日はあと2回です。試験本番が刻々と近づいているようです。ただ年を越す前と越した後では受検・験生の意識は全く違います。この時期というのは、意識のもっていきようというか、持ち方というものが大きく結果を左右するように思われます。かつて22年に両国に合格した男子は、なんと12月の26日から過去問の解き直し7回をめざしたのです。その時点ではまだ1回目も半ばしか終わっていなかった。10月、11月と竹の会の指導を放棄して大原の土日講座に行った結果が12月になっての不振でした。親が泣きついてきて竹の会の過去問指導の再開です。そのときわたしが命じたのが夏休みで中断していた過去問の解き直しでしたが、実は解き直しどころか1回目も途中という始末でした。それからの彼の集中力はすさまじく無我夢中で30日に1回目を終わらせたのです。年末年始もずっと解き直しをやり、冬期指導が明けても変わらず解き直しに没頭し、1月15日あたりになんと7回解き直しを達成したのです。1月30日頃でしたか、挨拶にきた母親にわたしは言ったものです。「受かっても落ちてもおかしくない。しかし、受かる可能性はあります」と。彼のように1月を何の迷いもなくひたすら解き直しに没頭するというのもひとつのもっていきかたかたなと思います。魔の1月といわれる時期を迷いなく過ごすことができたのですから。
 さてそういう目で今年の小6を見ますとあの当時の状況と比べてはるかに恵まれているのではないかと思います。まずなによりも当時とは比較にならないレジュメの充実があげられます。このレジュメ指導が合格の証明をしたのが本年の受検でした。本年小石川と白鴎に合格した女子はまさにこのレジュメだけで合格をしたのです。22年合格者たちがやっていた過去問をひたすら解き直すという方法は24年指導までで終わっています。23年、24年はレジュメと過去問解き直しの両建てでした。純粋にレジュメ指導だけで合格したのは25年が初めてのことでした。実は今年桜修館に合格した子も竹の会にいたぎりぎりまでレジュメ指導で鍛えてきた子だったのです。
 25年受検して合格した子たちにわたしは、「合格します」ないし「合格する可能性が強い」というようなことを言ったと思います。それは彼女たちの目がわたしにそう言わしめたのかもしれません。不安、いや畏れであったかもしれません、そう目に畏れをたたえていたのです。そして強い目をしていました。立ち向かう強い目です。落ちる子というのは、まず畏れがないのです。そして強い目がまるでないのです。それは意識のもちかたであり、こしかたのレジュメを自分の頭で、しかも短時間に、解いてきたことがもたらすほのかな自信の表れのみが醸し出す目です。今年の受検の小6を見ていると、はっきりとマイナス思考の女子というのがいますけど、つまり思うように解けないからといってひきずる子がいますけどこれなんかはせっかくの力をつけるチャンスを無にしているようでなりません。日々の指導が「楽しい」くらいがちょうどいい気持ちのありようなんです。本年合格した子たちはわたしの作るレジュメを解くのを楽しみにしていました。今年の子にはレジュメをもらうのがなにか辛そうな顔をした子がいますけどこれでは合格はないでしょう。
 常に前を見て歩くということです。できないというのでくよくよしていると解ける問題も解けないでしょ。そういう心のもちかたをしているとどうしても小手先の思考しかできない、それで問題がまるで読みとれていないということになる。
 今、レジュメをやっているのは、読み取り、深い思考の体験、訓練なんです。プラス思考で臨まなければだめでしょ。試験というのは強い意思を貫き通した子のみが受かるのです。弱気、マイナスにしか考えないのなら受検なんか止めてしまった方がいい。
 問題を読んで、「難しいからわからない、解き方がわからない、解けない」では、ただの小手先思考しかしてこなかったということでしょ。普段に「考える」ということを、あきらめないで考えるという解き方にこだわってきたのなら、それだけの訓練をしてきた自分に解けない問題なのかと逆に問い直してみればいいのです。出題者は決して無理難題を押しつけているわけではない。実は簡単に解けるなにかがあるのです。気がつけばだれでも簡単に解ける何かです。そういうところに頭が回らずにただ「難しい」と思い込んで自分は頭が悪いから解けないのだとマイナス思考で結論づけてしまう、頭を使うということを、真に頭を使うということを学んでこなかったのか、と叱りたくなります。普段からマイナス思考の習慣をつけていると解ける問題も解けないことになる。マイナス思考というのは、思考停止ということなんです。「むつかしい、わからない」でマイナス思考してしまったのではそれこそ小手先の思考で終わりでしょ。「むつかしい」ということは、出題者がなにか簡単に解ける解き方を隠しているというふうに考えないのでしょうか。出題者は高々小6程度の子たちにそんな難問を出すものでしょうか。そんなバカな出題者はいないでしょ。必ずだれもが知っている方法で解けるように作られているのです。そうであればなんとかその解き方を見つけてやろうと思うでしょ。これがプラス思考ということです。だからくよくよしている子は受からないと言っているのです。
 中1の壁というのがあるのだそうです。いやこの前朝日新聞に「中1の壁」というのが載っていました。そういう言葉は知りませんでしたが、わたしにはすぐにわかりました。中1の夏休みが明けると突然成績が落ちる子たちがたくさんいるということは昔から周知の常識でした。そして中1の1学期はまだ中学生になったばかりというので緊張感もありなにもかも新しく未知の世界であったのが、次第に慣れてきて、なんだ中学とはこんなものかと見切りもつけて、精神も緩んでくるのです。定期試験も最初は勉強勉強と頑張っていたけれどしだいに点が取れなくても慣れてきて勉強もしなくなる、そして勉強しなくても中学の生活は単調に平穏に、永遠に続くと錯覚してしまい、いつしか無気力になっていくわけです。「なんで勉強しなくてはいけないの?」とは、こうした中学生の常套句です。別に哲学的に人生について悩んでいるわけではない。勉強しないという生活を逆に正当化するかのような開き直りにすぎない。よく受検の小6が突然「受検止めた」というときに、「なんでぼくだけこんなに勉強しなければいけないの」と母親に言うあれと同じです。真の隠された心はべつのところにあります。母親というのは子どもの意図に気がつかないで、右往左往して子どものうそにとってつけたような正当化の補強をしてやるものです。これも母親の盲目的愛情なのでしょう。
 それまで高いモチベーションを維持してきたのに突然勉強への意思が落ちるというのは、勉強するほどに成績が上がらないという事実をつきつけられてのことであろう。
 中1の壁は頭のいい子にも起こるのである。小6でも自分は能力があると思い、周りからも思われてきたという子が突然陥る、成績不振をきっかけとした勉強忌避というのがある。
 この壁に突き当たるのは、頭のいい子の場合、自信家の子が陥る傾向がある。なにごとにも自信を持つ子というのはうまくいかないと一気にモチベーションが下がる傾向がある。これに対して、「自分は努力しなければとてもついて行けない」とか、「自分はそれほどできない、がんばらなければ」とか、「勉強というか学問というのは難しくて自分のずっと上にある」とか、畏れを知る子というのはそういう壁には突き当たらない。謙虚な子には壁はないのである。
 中学になってまず絶対にやらなければならないこと、それは勉強の習慣化である。成績不振に喘ぐ中学生というのは、十中八九この勉強の習慣化に失敗した子たちである。定期試験前だけ勉強してうまくいくわけがない。中1のときからこつこつと英語の勉強を習慣としてやってこなかった子たちが英語が苦手だなどと言っても何を言っているのかと思う。英語を習慣としてやってこなかったことのつけはもはや取り返しのつかないほどに大きい。中3になって知能は高いのに、したがって数学はよくできる、英語が40点(都立入試)がやっとという生徒は例外なく中1からの英語の取り組みでこけている。かつて筑波大附属駒場の中2を指導したことがあったが、数学は中3顔負けであったが英語は中1レベルというひどいものでした。これだけ頭がよくても英語を習慣化してこなかったらだめということなのです。
 自信家に見られがちのこと、俺は頭がいいからやればできる、と言って適当にしかやらない、習慣化しない、ということです。そして自信家は自分なりにやったのに思いの外点が取れなかったりすると、突然自信喪失したり、勉強の意欲を失ったりするのです。自信というものは突然喪失されるほどにあやふやだったのです。人間にとって大切なのは、学問の深遠さを悟り、自分がいかに未熟かを悟り、常に学問と謙虚に接することなのです。根拠のない自信は化けの皮がはげれば終わりです。
 もうすぐ竹の会の冬期指導です。竹の会の子どもたちは、7時間×10回をこの冬にこなすことになります。年末年始は実家帰省という家庭もあるでしょうからみっちり70時間勉強するという子は全員ではないかもしれません。
 ただ小6や中3の年末年始の過ごし方については一言あります。年末年始も普段と変わらず勉強することです。親は「1年がんばってきたのだから大晦日ぐらい、お正月ぐらい」と子どもを誘惑するかもしれませんが、試験直前に「気を抜く」、つまりは緊張感をぶちこわすことは1月すべてを棒に振ることになります。どんなときにも習慣が優先です。わたしはそう思います。
 
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