ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

日本Sライト級TM 湯場忠志vs佐々木基樹

2003年02月15日 | 国内試合(日本・東洋タイトル)
世界を狙える逸材との評価を固めつつあった湯場が、佐々木に
まさかのTKO負けを喫し王座を失った試合は、この年の最も
大きなサプライズの一つだったと言っても過言ではない。

この試合、僕にとっては二つの意味で痛快なものだった。
まず一つは、湯場はどうも線が細いような気がして、ちょっと
過大評価気味なんじゃないかと思っていたこと。これはもちろん、
湯場本人には何の責任もないことだが。そしてもう一つは完全に
個人的な理由で、佐々木に対してはちょっと思い入れがあったのだ。

僕がインターネットを始めた頃、まだ自身のホームページを持っている
選手などほとんどいなかったのだが、偶然佐々木のHPを見つけて
感激した記憶があるのだ。掲示板に書き込み、わざわざメールで返事を
もらったこともある。それ以降に特に交流があったわけでもなく、
佐々木のHPに頻繁に顔を出すようになったわけでもないが、
常に何となく気になるボクサーであったのは確かだ。

とはいえ、国内レベルの試合はほとんど放送されない地方において、
「動く佐々木」を始めて見たのはそれからかなりの年月が経ってからだった。
それは2001年の10月に行われた日本ウェルター級タイトルマッチ、
王者の永瀬輝男に佐々木が挑んだ一戦だった。この試合、僕の目には
冴えたアウトボクシングを展開した佐々木の勝利は間違いないように見えた
のだが、結果は永瀬の判定勝ち。大いに憤慨したものだ。この件で更に
佐々木への肩入れが増し、そういう流れを経ての湯場戦であったわけだ。

敗れはしたものの、実力は示した佐々木。にもかかわらず、湯場への
挑戦が決まった時、勝てるという声はほぼ皆無だった。これこそが、
当時の湯場がいかに過大評価されていたかということの証明だろう。

また佐々木自身の弱気な発言も、圧倒的不利の下馬評を高めた原因の一つだ。
湯場とはレベルが違い過ぎる、勝てる可能性なんてないに等しい、と
いったようなことを試合前のインタビューで語っていたのだ。ただし、この
度を越した弱気発言を、湯場自身は真に受けていなかったと思われる。
元々、佐々木が試合に際して色々と考えて臨むタイプの選手だということは
ある程度知られていたからだ。策士なのだ。

周りの楽勝ムードを遮るように、湯場は「油断は禁物だ」と自分に言い
聞かせていたに違いない。しかし、そう言い聞かせなければならないと
いう時点で、どこかに隙が生じているものなのだ。


試合が始まった。佐々木は序盤からラフに攻め込む。どちらかと言うと
クリーンで繊細なタイプである湯場の、リズムをまず崩そうというわけだ。
その試みは、ものの見事に成功する。ボクサーとしては恵まれた素質を持つ
湯場の、数少ない、そして致命的とも言える欠点。それは精神の脆さだ。
いやむしろ、恵まれた素質があるからこそ、悪い意味での「余裕」が
出来てしまっているのかもしれない。とにかく、まずは佐々木のペースだ。

佐々木がいきなり放つ大振りの右パンチが、なぜか湯場に再三ヒットする。
そして3ラウンドには、その大きな右をきっかけに湯場を滅多打ちにし、
プッシュ気味ではあったがダウンを奪う。4ラウンド、湯場も何とか手を出して
凌ごうとするが、佐々木の気迫と手数に完全に圧倒されている。

それ以降、もちろん湯場も反撃し、佐々木がピンチに陥る場面もあった。
しかし僕は、この日の佐々木に負ける感じをほとんど抱かなかった。
というより、序盤でペースがガタガタになった湯場が、それを立て直すことは
ほぼ不可能ではないかと思えたのだ。

事実、ピンチに陥った7ラウンドにも佐々木は知恵を働かせ、熱くなりやすい
湯場の性格を利用した挑発行為に出る。わざとアゴを突き出し、打てるもんなら
打ってみろと言わんばかりの雄叫びを上げたのだ。怒りに燃え、悲しいほど
力み返った湯場のパンチは、ことごとくブロックされてしまった。もしこの時
湯場が冷静に詰めていたなら、逆転KOで勝利することも可能だったと思う。
しかしペースをかき乱され、ダメージを追い、疲れきった湯場に、もうそんな
冷静さを期待するのは無理な話だった。

そして第9ラウンド、劇的な幕切れが訪れた。ダメージと疲労で足が言うことを
聞かないのか、ここまでスリップを繰り返してきた湯場だが、本能にも似た
「負けたくない」という気持ちが、まだ反撃の手を出させている。しかし、
もはや終焉は近いだろうと、恐らく誰もが思っていたはずだ。2分30秒過ぎ、
佐々木の強打が湯場を捕らえる。殺意でも込もっているかのような無慈悲な連打に、
湯場がたまらず崩れ落ち、その瞬間、ついに試合は終わった。

咆哮を上げる佐々木。勝利者インタビューでも饒舌だ。早稲田大学教育学部卒という
ボクサーとしては異色の経歴を持つこの男は、別にそのせいではないのだろうが、
己を語る言葉を数多く持っている。ましてや絶対不利の予想を覆してのタイトル奪取を
果たしたのだから、舌が滑らかになるのも当然だろう。しっかりと戦略を練り、
勝機を高めて試合に臨んだ佐々木にとっては不本意かもしれないが、この一戦は
偉大なる「番狂わせ」として、多くのボクシングファンに語り継がれていくに違いない。

この試合における佐々木の集中力や、勝利に対する執着心は恐ろしいほどだった。
「ハングリー」そんな使い古された言葉が脳裏をよぎる。恐らく佐々木は、特に
不幸な生い立ちを持った人間というわけではないだろう。しかし彼の顔つきには、
勝つこと、あるいはトップに立つことに対する飢餓感がありありと表れている。
精神的な「飢え」が、時には肉体的、経済的なハングリーさを凌駕することも
あるのだ。ボクシングを見ていると、そんなことをつくづくと思い知らされる。


ところで、今になって(2005年)調べてみると、この試合が2003年に
行われていたことに少し驚いた。僕の中の印象では、永瀬に惜敗した後すぐに
2度目のチャンスが巡ってきたように思っていたからだ。永瀬戦と湯場戦の
間には、実に1年4ヶ月もの歳月が流れていたのだ。この間、佐々木が持ち前の
ハングリー精神を更に高めていたとしても不思議ではない。

その後、意外にも初防衛戦で王座陥落をしてしまった佐々木だが、やはりそれで
終わる男ではなかった。2005年11月、世界ランカーのダウディ・バハリを
判定に下し、一足飛びで世界ランク入りを果たしてしまうのだ。数々の挫折を
むしろ力に変え、知力を振り絞って戦うその姿は、かの偉大な元世界王者・
輪島功一氏にも似ている。何度もここで書いているように、現在の世界のスーパー・
ライト級は恐ろしく層が厚いが、佐々木の奮闘に今後も期待したい。