はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

私が語りはじめた彼は

2007-12-06 18:56:40 | 小説
私が語りはじめた彼は (新潮文庫 み 34-5)
三浦 しをん
新潮社

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「村川の魅力は、ある種の女にはたまらないものです。どこを掴まれたかのかは自分でももうわからない。けれど、彼によってふいにもたらされた痛みと驚きだけは、いつまでも新鮮に残る。外見や性格とはかかわりのない、そんな種類の魅力です」

「私が語りはじめた彼は」三浦しをん

「風が強く吹いている」の三浦しをんの手による恋愛(?)小説。
 大学教授・村川融は女にもてる。酒も飲めないくせに肝臓を悪くした狸のような風貌をしていて、研究テーマだって万人受けするような類のものではない。だけど不思議と女を惹きつけるものがある。それをフェロモンというかどうかはわからない。冒頭に参照したある女のセリフがもっとも彼をよく表している。つまりは、「なんだか知らないがよくもてる」。それは常識も貞操観念も越えて、多くの者に影響を及ぼす。
 これは村川融を廻る物語だ。だが一度たりとも村川融の視点は映らない。妻・実の息子・不倫相手・その娘・部下……村川融によって人生に甚大な被害を受けた人たちの生活を群像劇のように次々と描くことで、逆に彼を描いている。
 だからというか、彼らの村川融への思いは激しい。村川融によってもたらされた痛みと驚きが延々と続いていくことを、程度の差こそあれ呪い続ける。あるいは慕い続ける。その感情を、存在を独占し続けようとする。それはついに、村川融の死の瞬間まで続くのだ……。

 生暖かい汗のようなぬめりが、作品全体を覆っている。一人の男によって翻弄される多くの運命が、かすかに揮発して立ち上っていく。揮発する瞬間に奪っていくのはなんなのか。それを考えるのがとても怖く、とても楽しく、どこか悲しい。
 隠微さを漂わせるそれぞれのエピソードももちろんだが、なんといっても印象深いのは三浦しをん独特の表現。
「予言。椿の言葉は予言のようだった。世界が滅ぶとか、みんな死ぬとか、そんな不吉なもんじゃない。雨が降る前には雨のにおいがするように、朝の光より早く鳥が囀るように、だれのことも脅かさない予言」
「激しい感情は書物と同じだ。どれだけ厚くても、いつか終わりがやってくる。僕はもう、激しさをすべて使いきってしまったから、あとはただ、はじまりも終わりもなく続いていくだけなのだ。すごく長い時間をかけて、死んではまた星を生み出す銀河のように」
 やさしく静かな、心に染み入るようなフレーズの流れ。最後までそれは途切れることなく、感動の海へと繋がる。
 寒風吹きすさぶ屋外の気配を感じながら、じっくりと読みたい一冊。おすすめ。 

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