ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

いつかは誰でも通る道

2021-06-28 14:35:15 | 身の回り
東京の実家へ。
相変わらず高速道路の休日割引が無いので愛知県三好インターへ3:55に。深夜割引ギリギリ。
のんびりとアイサイトのクルーズコントロールで。

6月の満月は“ストロベリームーン”というそうで、丁度満月の翌朝。

産まれて初めて自撮り棒なるものを使ってみました。富士山は残念ながら雲の中。実は、東名高速道路の由比PAはミカン畑の山と東海道線、東海道、東名高速、そして駿河湾と並んでいて絶景地。そして上りのPAには屋上からの見晴らしの良い建物があり、小さな、何もないPAですが、必ず寄っていました。しかし、この建物も老朽化で取り壊し中。せっかくの見晴らしを愉しむことが出来なくなってしまいました。時の流れを感じ、歳をとる、ということは寂しさも増えること、と思うように。
節約のために足柄SAにあるスマートインターで出てあとはひたすら246号線。

インターを降りてすぐに富士山が顔を出しました。あとはいつも通り神奈川県登戸へ父の墓参りをして今回の目的を。
今回は、独り暮らしの母親が急に膝の痛みを訴えて動けなくなり、ヘルパーさん、ケアマネジャーさんと相談してショートステイへ。
思えば父が4年前に急に亡くなり、母親独り暮らし。でも、すぐにデイサービスへ行き、しかも週に4回、また別の日には整体へ、と出歩いていました。ケアマネジャーさんと話をしていて、デイサービス自体へ行くことに抵抗するお年寄りは多く、中には2年近く説得してようやく通う人もいるそうです。その事を考えるとなんの抵抗もなくデイサービスへ出かけて愉しんでいた母には非常に恵まれていました。
でも、膝に水が溜まりその水を抜いても痛みが取れない、ということで今回のショートステイへ。
でも、このままでは厳しいので区の新設の施設へ。同居も考えましたがこちらも還暦を越えており母親一人を持ち上げるのも体に応えます。
東京の区では当然、増加する高齢者の施設の建設は難しく、勢い、近場の地方へ。ただ、ケアマネジャーさんと話をしていると、地方の雇用形態確保、地域活性化の動きと連携して良い施設がリーズナブルな水準で対応出来る、とのこと。後でホームページをみたらちょっとしたホテルよりも立派(我が家よりも良いな!とも)、しかも場所がら温泉付きと。
なんでこんなに増えていくのか、というと、これから5年後には、いわゆる団塊世代が施設を利用する時期に。となると、その時に圧倒的に施設数が足りたくなる、というのも一因のようです。どうしても、我々世代だと、親を施設へ、というとなにか後ろめたさを感じます。でも、自分たちのことも考えて行くとやむを得ない選択肢。ケアマネジャーさんとも話をしながら、何もかも背負い込むと大変なことになるのでそのところは色々と、と。
特に、これから東京などの大都市への人の集中を避けるため、また、地方での雇用確保、活性化のためには都会と連携した動きは新しい社会の流れかもしれません。リモートワーク、あるいは高速鉄道(リニアはどこかでじゃまされていますが)の利用で色々と大きく社会が変わる時期に。
我々世代の”物を作って海外に輸出してお金を稼ぐ“という時代はもう、終わりと。そうではない、新しい流れにこれから変わると思います。
今でも多い社会保障関係費、これからも増えると思います。ただ増えるだけでは財政は逼迫しますが(今、既に逼迫していると)、そこであらたな雇用が形成されれば有効な税金として価値を生み出すかもしれません。
日曜日には母親をショートステイから第二日目のワクチン接種会場へ。

一月前の第一回目のときには介添えは必要でしたが自分で歩いていた母親、今回はまったく歩けず車椅子に。車から車椅子へ移動させるのも区の職員の方に手伝って貰って。こんなに大変とは。そして、一気に状態が悪くなったと。
嫁さんが付き添っている間、周りを。
実は目の前が出身高校。45年前には運動部と言えば野球部でたまに甲子園に出ていました。野球部の監督さんは昔の阪急ブレーブスの今西錬太郎さんでした。野球部の練習の無いときには図書館にいらっしゃいました。話がとても面白くて友人達と本を読む訳ではないのに図書館へ遊びに行きました。懐かしい思い出

隣には“普門館”
名だたる音響効果で有名で、高校在学中にヘルベルトフォンカラヤンがここでベートーベンの交響曲全曲を1週間以上講演、録音していました。当時は生徒には安くチケットを販売、とのことでしたが、高くて手が出ませんでした。数年前にこの時のCDが出たので懐かしくて購入。

実はNHKが内幸町の本拠地から渋谷へ移転したときに年末の紅白歌合戦の会場としてこの普門館が検討されました。でも、宗教団体の施設なので良くないのでは、ということでNHKホールが建設された、と当時、聞きました
この世界的にも有名な場所で生徒総会をしていました、なんとも贅沢な!
この普門館も老朽化で数年前に取り壊し、今は公園に。でも、円形の普門館の跡に芝生広場が普門館の形で出来ています

新宿副都心の都庁も見ることが出来ます。
因みに自分は信者ではありませんでした。当時の東京の私立高校では格段に安かったこと、家からも自転車で通えた距離(いつもはバス、たまに自転車)でした。また、入学申込書に宗教の欄が無かったです。当時の宗教系の私立高校では宗派を記入することが求められていました。まぁ、我が家は日蓮宗なので問題は無いと思いましたが。
母親をショートステイ施設へ送り届けてから名古屋へ。



新東名高速の長篠設楽原PAは昔の合戦場跡、強者どもの夢の跡、そんなもの悲しさを感じるのはこの週末のいろいろなら出来事のせいかもしれません。
これからは本当に色々と考えていかないと。
そんな、重い梅雨時の週末










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする