ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

名古屋と東京を往復しながら感じたこと

2017-07-03 14:28:14 | 身の回り
父親が亡くなり、名古屋と東京を車で往復しながら感じたこと、色々と
①東名、新東名の夜のトラックの凄まじさ
危篤の連絡を受けて夜0800に名古屋を車で出ると、新東名の異常な光景を。なんと、東京へ向かうトラックの車列が走行車線のみならず追い越し車線にも。それも走行車線を時速70Kmで、それを追い抜く追い越し車線で80Kmの走行。これでは最高速度を上げても全く役に立たないです。そして東京近くの出口では夜間割引を待つトラックの列(路肩)。パトカーが来てもアナウンスするだけ。
②実家は杉並区。駅から歩いて7~8分の閑静な昔ながらの住宅街。確かに健康なときには住環境素晴らしいですが、高齢になると大変。杉並区でも商店街が少なくなり、駅近くだけ賑やか。大きな道路も、少なくタクシーを探しに行くのも大変。確かに帰ると高齢者の方達がゆっくりと、休みながら歩いています。
③移動の時間が大変。若い人ならば、電車に乗っての移動、便利ですが、高齢者になると、電車よりもバス。というのもバスを選べば乗り換え少なくなります。でも、バス(車)の移動にも時間が。実家から都立広尾病院まで距離にして12Km。それに1時間以上、車ではかかります(名古屋ならば都心部でも30分)。東京は、情報のスピードは、速いですが物理的な移動にはもの凄く時間が。
④そして何よりも病院に入れない。救急車を呼んでも、受け入れを容認する病院を見つけるまでが大変。父親の場合、都立広尾病院へかかりつけであったのですぐに受け入れてもらえましたが、そう出ないと大変(父親も、最初は心臓発作で1時間たらい回し)。
⑤結局、若いうちはよいが、高齢になると、都会の駅近くにしか住めない、でも、そのようなところは高額。

色々と、考えさせられます。
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怒濤の1週間

2017-07-03 12:11:00 | 身の回り

個人的なことですが先週、突然父危篤、そのまま亡くなりました。
買い物へ行き、戻るときに倒れて救急車、そして行きつけの都立広尾病院へ、昏睡状態で静に亡くなりました。
元々、17年前に心臓発作で倒れて、なんと東京中を約1時間たらい回しになり、都立広尾病院へ搬送。

当時、広尾病院は色々とあり大変でしたが、入院などしたことのない父、母親も、気が動転していました。ところが、広尾病院の救急課の婦長さん、今で言う士長さんは、なんと、髙谷池ヒュッテの常連客、よく存じ上げていたNさんでした。当時”婦長さん“の愛称で皆さん、呼んでいました。
母親に、この婦長さん、訪ねてみたら?、と言ったところ、”あ~いつも夫婦で登っているお二人のお父さんなんだ。大丈夫ダヨ!“と言われて安心したのか、母親は一人で旅行に出かけました(入院している父親をそのままにして)。というのも婦長のNさん曰く”こんなときじゃないとゆっくりできないから思い切って旅行に行ったら?父親の面倒はちゃんと看ておくから“
そして無事に帰宅してから17年間、何かあれば広尾病院に通っていました。
この時のN婦長さんは、早めに退職されていますが、父親の最後を看取ってくれた今の士長さん、そして看護師さんは、皆さんN婦長さんのことをご存じ、そして看護師さんに至っては17年前にに父親が入院したときの担当看護師さんでした。
最後、病院の霊安室から出るときには士長さん他、なじみの先生達も見送りに来てくれました。
色々とありましたが、色々とやることがあり、大変。でも、人として生きている限り、必ず、経験することですからなんとか。
昔とは異なり、また、地方とは異なり東京のど真ん中、物事は非常にシステマチックに進み、人の心が追いついていかない、そんな現代的な状況。

どんどん、無機的に、事務処理的に。

コメント (2)
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