個人的なことですが先週、突然父危篤、そのまま亡くなりました。
買い物へ行き、戻るときに倒れて救急車、そして行きつけの都立広尾病院へ、昏睡状態で静に亡くなりました。
元々、17年前に心臓発作で倒れて、なんと東京中を約1時間たらい回しになり、都立広尾病院へ搬送。
当時、広尾病院は色々とあり大変でしたが、入院などしたことのない父、母親も、気が動転していました。ところが、広尾病院の救急課の婦長さん、今で言う士長さんは、なんと、髙谷池ヒュッテの常連客、よく存じ上げていたNさんでした。当時”婦長さん“の愛称で皆さん、呼んでいました。
母親に、この婦長さん、訪ねてみたら?、と言ったところ、”あ~いつも夫婦で登っているお二人のお父さんなんだ。大丈夫ダヨ!“と言われて安心したのか、母親は一人で旅行に出かけました(入院している父親をそのままにして)。というのも婦長のNさん曰く”こんなときじゃないとゆっくりできないから思い切って旅行に行ったら?父親の面倒はちゃんと看ておくから“
そして無事に帰宅してから17年間、何かあれば広尾病院に通っていました。
この時のN婦長さんは、早めに退職されていますが、父親の最後を看取ってくれた今の士長さん、そして看護師さんは、皆さんN婦長さんのことをご存じ、そして看護師さんに至っては17年前にに父親が入院したときの担当看護師さんでした。
最後、病院の霊安室から出るときには士長さん他、なじみの先生達も見送りに来てくれました。
色々とありましたが、色々とやることがあり、大変。でも、人として生きている限り、必ず、経験することですからなんとか。
昔とは異なり、また、地方とは異なり東京のど真ん中、物事は非常にシステマチックに進み、人の心が追いついていかない、そんな現代的な状況。
どんどん、無機的に、事務処理的に。
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心よりお悔やみ申し上げます。
私は両親を失って感じたことは「愛する人は心の中で共に生き続ける」です。きっと御尊父様も貴方の心の中で生き続けると思います。
人として生きている限り必ず通らなければならない関門のようなものです。本人は認識しているかは不明ですが、色々な人たちとの関係の中で最後を迎えられたのは幸せと思っています。
自分がそうなるのか、つくづく考えさせられます