ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

カブトビール

2015-07-26 22:20:22 | 食・レシピ

近場の知多半島へ

一時期、世間では有名?になった”戸塚ヨットスクール”を見ながら

豊浜の魚市場へ

いつものおじさんに魚をさばいてもらって。

今日は、豊浜産のタイと

タコ!

知多半島のタコは海流が激しいためか、足が太く、美味しい、とのことで有名

知多半島の中心、半田へ

”半田”といえば、世界的な企業”ミツカン酢”の本拠地

運河沿いには昔ながらの倉庫街。黒壁におもむきがあります。

そして、最近、長年の復元作業から復元されたレンガ造りの建物

昔、ビールを作っていた工場跡

”カブトビール”

ジブリの映画”風立ちぬ”で名古屋駅の前に、この”カブトビール”の看板が描かれていました

明治時代にミツカン酢の4代目社長と敷島製パンの創業者が作ったビール醸造会社“丸三ビール”が前身

当時の大手のビール会社に対抗して、本場ドイツから職人を、そして帝国大学の優秀な大学生を採用して、当時の日本で最高のビールを作ろうとした会社

建物も、当時の日本では考えられないくらいの技術と贅沢をつくした建物

レンガとレンガの間にはコルクを埋め込んだり床にはコルク、おがくずをまいて外界との温度を守る、各種な工夫

そして、なんといっても積極的な宣伝活動

戦争中には連合国の激しい爆弾攻撃

というのも、この知多半島には

”中島製作所”と”日本油脂”が

”中島製作所”は有名な零戦を、”日本油脂”は火薬を、製造。そのために連合国の攻撃は激しいものでした。今でも、土地の開発をおこなうと不発弾がよく見つかります。そして、毎年数回、名鉄、もしくはJRが爆弾処理のために運休になります

”カブトビール”は戦後、”大日本麦酒”に吸収されます。そう、今のアサヒビール、サッポロビールの前身の会社です

建物の復活に合わせて当時のビールも復活。

お土産に

そして、この地は別のものの発祥の地

 

朝早く家を出て昼前には戻って、昼から、復刻ビール!

 

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