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弘南 ツバメバス?

2022-04-11 20:43:35 | 津軽のいろいろ
弘南バスで、昔の車体塗装を復活(復刻)した路線バス車両が登場し、4月2日に出発式が行われたというニュースを知った。
ここ20~10年くらいだろうか、かつての塗装を復刻させて走らせるバス会社(あるいは鉄道会社)は珍しくなくなった。ほんとうに車体塗装するものもあるようだが、車体広告と同じく手軽なラッピングシールを貼るものもあるのだろう。

弘南バスの復刻塗装は1台で、中型ノンステップバス・日野レインボー、弘前営業所「52904-2」号車(2017年導入、ナンバープレートは「1088」で当初は青森、後に弘前に交換=東奥日報の報道ではなぜかボカシを入れている)。


今回の復刻。多くの他社がそうであるように、創業何十周年記念とかで、弘南バス側が発案して実行したのかと思った。
実際はそうではなく、ひろさき糖尿病・内科クリニック院長など4人のバス愛好家が「弘南バス昭和ラッピングプロジェクト」を作って、弘南バスとの調整、弘前市内企業からの資金集めを行って実現したとのこと。


さて、今回の復刻塗装について。
(1984年に日帰りしたことはあるが記憶はほぼなく)1995年に初めて弘南バスの路線バスを見て、以降見続けてきた僕にとって、復刻塗装には見覚えがある。
現在は1台もなくなったと思われるが、わりと最近までわずかに残っていたので、「懐かしい」というよりも、旧塗装をまとったことがなかった現行車種のエルガミオ/レインボーがこの姿なのが、「おもしろい」。今回に限らず、復活塗装を見る楽しみは、新車に古い塗装というミスマッチかもしれない。
ただ、ネットの写真で見る限り復刻塗装は、見覚えのある塗装よりは、少し薄く感じる。面積の多いベースの色は、復刻車はクリーム色なのに対し、記憶にあるのは薄いオレンジ色~いわゆる肌色だった。復刻車はタイヤホイールも赤にしている。
ただし、1971年の寅さんシリーズ第5作「男はつらいよ 奮闘篇」に登場した、1965年製のバス(関連記事)とほぼ同じ色合いにも見える。塗装は同じながら途中で色味が変わり、より古い塗装を再現したのかもしれない。


上記を受けて、復元された塗装について、知らなかったことと、ツッコミ。
本件を伝える地元紙サイトの見出しは、東奥日報(Yahoo!ニュース)が「弘南バス レトロ塗装 昭和のデザイン 「ツバメバス」復活」、陸奥新報が「昭和の「つばめバス」復活/弘南バス」。
「昭和の」と「ツバメバス/つばめバス」である。

まずはツバメ。
ツバメのバスといえば、国鉄バス→JRバス。弘南バスにツバメとは初耳であった。
東奥日報では「車体横にツバメマークを配したバス」、陸奥新報では「通称「つばめバス」」「車両側面のシンボル「つばめマーク」」と、こともなげに当然のごとく伝えている。
もしかして…
これ??
ブーメランみたいなデザインで、単なる柄だと思っていた。昔のサランラップやクリネックスの箱でも見られたような。言われれば、ツバメを単純化したように見えなくもないが、長いし、赤いし。
(再掲)JRバス東北
Googleで、2022年4月1日以前を期間指定して、「弘南バス 塗装 ツバメ」「弘南バス つばめバス」で検索しても、それらしき情報は見当たらず。
昭和の弘前や津軽を知る人は知っていることなのだろうか。あるいは、弘南バス社内や、地元愛好家の中だけで通用する話、「通称」どころか「隠語」に近いという可能性もある。


そして、「昭和の」。要は旧塗装が見られた期間のこと。【12日補足・プロジェクト名に「昭和」が入っているので、そのまま見出しにしたということもあるだろう。】
陸奥新報では「昭和時代に運行されていた通称「つばめバス」が約30年ぶりに復活」、「「つばめバス」は40年以上前から1991年ごろまで運行されていた。」。

一方、東奥日報では、「1970~90年ごろに青森県弘前市や周辺地域を走った弘南バスの当時のデザインを再現した車両」「1991年から企業イメージ刷新のため弘南の「K」の字が入った現行デザインに段階的に切り替わり、十数年前には全ての車両が現行デザインとなり、ツバメバスは姿を消した」。

2紙で、旧塗装が見られた期間が異なる。
1991年ごろまでとする陸奥新報。だから、「昭和の」で間違いないし、31年ぶりの復刻である。
東奥日報では、十数年前=2000年代後半頃? までは残っていたことになる。見出しは「昭和にデザインされた塗装」と解釈すればいいのか。【12日追記・東奥日報は、最初の引用部と次の引用部でも、期間が違うように読める。前者は陸奥新報と同じ解釈ができる。】

どちらが正解かは、上記、僕の記憶の通りで東奥日報【12日追記・東奥日報の後者の引用部が正解。前者は間違いと解釈できよう。】。
陸奥新報の取材が足りなかったか、発表した側の説明の下手さや不足もあるかもしれない。

ちなみに弘前市長も出発式に出席しており、「昭和40年代後半の車両のデザインを再現したもので、年配の皆様には懐かしく、若い皆様には昭和レトロを肌で感じることができる、大変貴重なバス」とツイート。これだと、50年ぶりの復活のようにも読めてしまう。

何も知らない人が、これらを読んで、勘違いして後世に伝えてしまうかもしれない。
例えば、実は2000年代に撮影されたものの記録がなくて撮影年不明の、旧塗装のバスが写りこむ写真が発掘されたとする。今回の記事やツイートを根拠として、「1990年以前の撮影と考えられる」などと、誤った結論を導き出させ、そのまま永久に記録されてしまうおそれだってある。もう少し、気を遣って、リリースするなり報道・ツイートするなりしてほしい。



復刻塗装車は、岳温泉~岩木山八合目をピストン輸送する「スカイラインシャトルバス」に優先的に充当され、シーズンオフ(シャトル運休時)には弘前市内で運行するとのこと。スカイラインシャトルは例年、ゴールデンウイークから10月末まで運行されるので、夏の弘前市街地で見かけるのは、難しいかもしれない。
【29日追記】4月28日にスカイラインが開通し、一番バスが走ったことが東奥日報サイトで報道されており、予定通り、この車が運用に入っていた。掲載写真は上から撮影したもので、屋根にも、濃淡2色で三角形などがデザイン(ツバメとは言い難いが)されているのが分かった。


最後に、21世紀以降、2000年代も旧塗装バスが走っていた証拠写真。
2002年4月撮影。1990年導入 三菱エアロミディ 30201-6
復刻よりは色が濃い。エアロミディは他車種より特に濃い? ドア側は、新ロゴのシール、行き先表示板、広告があり、ツバメの一部が隠れる車が多かった。ホイールが微妙な色なのは、時期的にまだスタッドレスタイヤを履いているためかも。

2002年4月撮影。1990年導入 いすゞLR+富士重工6Eボディ 10201-2
弘南バスとしては、いすゞ路線車も、富士重工ボディも少数派。しかもそれが旧塗装なので、珍しくて撮影した記憶がある。鰺ヶ沢まで中型車が行っていたのも、今は昔(今はマイクロでしょう)。【12日補足・運転士が立ち上がっているから、方向幕を回している途中(手動停止式)の可能性がある。たまたま鰺ヶ沢のコマがいい具合に撮影できただけかもしれない。】

2008年4月撮影。1987年導入 日野レインボーCITY RR 56202-2
ホイールは赤ではなく、地色と同じ肌色。
昭和末に、斬新なデザインで全国各地に広まった1つ目(2灯)のレインボーが、弘南バスでは2010年前後まで複数残っていた。このタイプで新塗装はいなかったと思う【12日補足・中古車で転入時に新塗装にされたものはいたが、少数だったと思う。】。土手町循環100円バスの運用に入ることも多かった。
その後部。ドア側側面には東奥日報の広告
さて、土手町循環100円バスは1998年運行開始(当初は小型車)、上の写真に写っている百貨店中三の独特な建物は1995年にできた、撮影場所の中土手町商店街のアーケードは2007年頃に撤去された。
以上を踏まえれば、「1991年まで運行」されたはずの塗装のバスが、いっしょに写っているのはおかしい。あと、土手町循環バスには、市役所の前にも「陸奥新報前(支社などでなく本社)」にもバス停があるのにね。【12日補足・弘前市長は元弘前市職員。陸奥新報の10年以上勤務している社員も含めて、自分の勤め先の前を、旧塗装バスが走っているのが目には入っているはず。】

最後に旧塗装バスを撮影したのは、2009年4月。日本バス協会「「バス」がんばってます!」の緑のバスマスクが付いている。
1990年導入 日野レインボー 50201-2
前面方向幕の周囲が、先代レインボー、エアロミディ、富士重工では黒、新塗装各メーカーでは緑なのに対し、これは青い。
1988年にモデルチェンジされたので、短期間の組み合わせだが、台数は多かったかもしれない。

1989年導入 三菱エアロミディ 30101-9


最後の最後に番外編。
(再掲)2008年撮影。1986年製 日野レインボー 56122-10
路線用でなく自家用・観光タイプのレインボーなので、顔が異なる。中古車か?
この塗装は、色遣いは同じだが、ツバメはいなそう。
これは、弘南バスの子会社「弘南サービス」の塗装ということらしい。

弘南サービスは、貸し切りと、郊外部で路線バスを運行していた企業。路線事業は1988年から2006年までの間のみ(現在は貸し切り専業で存続するようだ)。
写真の車は、路線撤退後、塗装はそのままに弘南バス桜ヶ丘案内所(当時)へ移管されて、弘前市内で運用されていた姿。

【11日追記・ミニバスや貸し切り格下げ車の旧塗装について】
現在のように全路線で小型・マイクロバスが運用される以前(1990年代後半)は、ごく一部の「ミニバス」路線にのみ、マイクロバスが充当されていた。
ミニバスは1980年から導入されたようで、塗装はここで取り上げた旧塗装(復刻された薄いのではなく、写真の濃いほう)の、濃淡を反転させたもの。ツバメ部分が肌色だった。時期によるのか、鹿のイラストを貼り付け「バンビ号」とされたこともあった。

1990年代中頃は、古い貸切車両を路線用に転用することも行われており、小栗山線などでよく見かけ、何度か乗った。車内は貸し切り時代のまま(補助椅子や灰皿は撤去されていたかも)で、塗装はここで取り上げた路線車と同一の旧塗装。
昔は貸し切りも路線と同じ塗装だったのか、格下げ時に塗り替えたのかは不明【下の追記参照】。

【11日さらに追記・貸し切り塗装について】
現在の貸切車は、旧塗装にどことなく通ずるような線と色(白い部分が多いが)に「KONAN BUS」と表記される塗装。1991年に中学校の修学旅行で乗車(青森駅→フェリーターミナル)した時、すでにこの塗装だったと思う。そして、2000年代には、この塗装のまま貸し切りに格下げされた車両があった。
ということは、かつては貸し切りもツバメ塗装で、そのまま格下げしていたということか?
【12日さらに追記】ネットの写真では、1981年製の貸切格下げ車(35618-5)が、2000年時点で現行路線塗装にされているものがあった。塗り替えも行われていたことになる。
【2023年5月31日追記】貸切車のKONAN BUS塗装は、1984年の車から採用との情報がネット上にあった。

【11月28日追記・復刻塗装2台目登場
ネットの情報によれば、2台目が登場。中古(京都市交通局)の三菱エアロミディ・31604-2号車で、絵入りではない緑色のナンバープレート。→同型の京都市営中古について

【2023年1月25日追記・1台目の冬季の充当路線】土手町循環100円バスに入ることがあるらしい。



我らが秋田中央交通は、今年で開業100周年。※会社創業でなく、鉄道路線が開業して100年。
同社らしく、復刻塗装どころか記念イベント等の話も聞こえてこない。別にこの会社の旧塗装なんて、見たくもないし。→と思ったら、2023年に復刻塗装車が出現
あと、秋田市営バスの塗装の復刻を! と願う人もいそうだが、この会社のバスでは復刻してほしくないようにも思う。
中央交通さんは、そんなことに金をかけずに、乗客への案内や接客の充実・向上に回すべきだ。

【21日追記・中央交通100周年事業について】開業日である4月21日付 秋田魁新報 社会面下部に中央交通100周年の広告「100年の歩みは、皆さまとの歩みでした。」が出た。我々市営バスのみの沿線住民・利用者にとっては、20年弱の歩みでしたけれどね… 公の場に姿を見せない代表取締役社長名の文章も掲載(ホームページには文章のみ掲載)。
主催:中央交通、企画実施:秋田魁新報社(連絡先は営業局)で「バスって、いいな」プロジェクトが組織され、「秋田中央交通のバスに乗車した際の、あなたの思い出話」をテーマにした、400文字以内の作文を募集。入選者には「記念品が贈られます」。
バス車内や秋田駅西口乗り場には、100周年関連の掲示などは特になし。いつも利用する乗客に対して「おかげさまで100周年」くらいあってもいいのに。
【28日追記】21日時点ではサイトには作文募集の件は未掲載だったが、28日になって「「バスって、いいな」作文募集中です‼」と掲載。



【23日追記・ちなみに弘南バス】
1931年に弘南鉄道が直営で、バス運行を開始したのが弘南バスの発祥。※現在は弘南鉄道と弘南バスは別会社で、関係性は薄い。
1941年には、戦時統制により、弘南鉄道からバス部門を独立させた上で、現在の弘南バスに相当するバス会社が設立され、今に続いている。
したがって、昨2021年が、弘南バス会社設立80周年、バス運行開始90周年に当たったはずだが、何も実施されなかったことになる。

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