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広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

前か入口か

2014-09-10 23:50:11 | 秋田の地理
「○○前」というバス停に続いて、「○○入口」というバス停について。
施設だけでなく集落名など地名の「入口」であることもあるが、「○○入口」バス停には、[1.○○前と○○入口が揃って存在する][2.○○前は存在せず、○○入口だけがある]の2つに大別できる。秋田市の場合、2のほうが多い。
1のケースでは、路線によっては入口と前のどちらか片方しか通らないもの(新国道経由土崎線の自衛隊入口、寺内経由土崎線の中央高校入口)、入口と前で通る路線が異なるもの(卸センター前は卸町経由新屋線、卸センター入口は柳原経由御野場団地線)があり、不慣れな乗客が「前」のつもり「入口」で降りてしまって、苦労させられることもあるだろう。某週間紙記者さんが、中央高校前を通ると思って中央高校入口しか通らない路線に乗ってしまったように。【2016年4月13日追記】この後、2016年4月に「中央高校入口」は名称が変更された。

神田線に「卸売市場入口」がある。
かつては、卸売市場の中に入る系統があったので、「卸売市場前」というバス停もあったのだが、廃止(旭野団地に振り替え)されて「入口」だけが残っていることになる。


「○○入口」バス停から「○○」までの距離は、「○○前」よりも自由度が高いわけだから、まちまち。
秋田市内で距離が長いのは、「自衛隊入口」。バス停から自衛隊の門までは1.5キロはある。
ただし、自衛隊入口の場合、バス停所在地の交差点の名称が「自衛隊入口」。バス停と交差点どちらが先か知らないが、ここは少し特殊かもしれない。

反対に、かなり近いのに「入口」になってしまったものもある。
秋田運輸支局入口:150メートル、大住小学校入口:100メートル強、秋田高校入口:門のすぐ前、など。
「秋田高専前」は高専まで300メートルもあるのに「前」だし、「築山小学校前」は学校の敷地側面の出入り口がない側にあるのに「前」。それらを踏まえれば、これらだって「前」でいいのではないだろうか。
秋田高校入口は校門の真ん前にあるけれど、校舎はそこから坂を登った上にあるので、心理的には「入口」にしたくなったのは分からないでもない。


距離うんぬんよりも、位置関係が果たして「入口」と呼べるのか疑問なものもある。
青森に飛んでしまうけれど「弘前大学入口」。
弘前大学文京町キャンパスの北西角にあるバス停。正門前にある「弘前大学前」は富田大通り経由の各路線が多数通るが、こちらはミニバス路線の城南線(バカヤローカーブ経由)がわずかに通るだけ。
バス停からすぐが弘大の敷地で、特に今は通用門もできた。感覚としては「裏口」。
「弘前大学裏」というバス停だとあんまりだから、「弘前大学北口」とか、もしくは次のバス停の名称「文京町」をこちらに使って、文京町を「寒沢町入口」にするとか…

秋田に戻って、土崎の旧国道の「港入口」。

風情のある名称ではあるが、抽象的。たしかにこの経路上では「港」というか海に近いバス停ではある。
だけど、「港」とは具体的にどこを指すのか分からないし、別にここじゃなくても隣の「港中央一丁目」でも海までの距離はそんなに違わない。この経路では、ここが秋田市ポートタワー・セリオンにいちばん近いはずだから、「セリオン入口」のほうが分かりやすいかも。


将軍野線の終点「市民生協入口」も苦しい立地。

距離にして200メートル離れた「コープあきた土崎店の入口」という意味なんだろうけれど、カーブした道の先を曲がらないとたどり着けない。
左がバス停(回転地)。奥に進んで右に生協がある
しかも、バス停の表示は
「市民生協“前”」
「市民生協前」はかなり不適切。
このバス停の表示は、市営バス時代に設置されたもので、文字の部分に赤色LEDが埋め込まれて、夜は点滅していた(今は機能していないかも)。
おそらく1994年度頃に設置されたと思われるが、このように市営バス時代は「市民生協前」と呼ぶことがあった。
生協にこだわらず、「港北小学校前」でいいのではないだろうか。【2021年1月28日追記】でも「前」というより「裏」か…
【2021年1月28日追記・改めて整理】
ここに生協ができたのは、1971年12月。秋田市民生協の1号店だったそうで、他の生協がないこともあって、「市民生協前」というバス停名になったのかもしれない。将軍野線はそれ以前からあったはずだから、その前は違う名称だった可能性あり。
コープあきたへの改称は、中央交通移管後の2008年
ちなみに、1971年当時の店舗は、現店舗の向かい。今はコープあきた本部として使う建物。1987年に現在の建物に移転。(以上追記)


ほかにはホーマックの裏にある「広面小学校入口」も少々分かりにくい。
これは新しく大きな道路(横金線)ができてしまって、昔からの道路が分断され、小学校へのルートが分かりにくくなったことが原因。


ところで、秋田市内のバス停で、バス停の位置はほとんど変わらないのに、その名称が「○○入口」から「○○前」へ、あるいは「○○前」から「○○入口」へ変わったものがあるのを、ご存じですか?
知る限りでは3つある。
まずは「千秋公園入口」。
(再掲)
1997年9月末までは「公園前」という名称だった。
まず、「千秋公園」ではなく単に「公園」だったこと。市営バスの末期には、それまで「踏切前」「市営住宅前」など大雑把なバス停名に地名を付けて分かりやすくしていたので、その一環だろう。(中央交通の昔からの路線では、今も「学校前」「貯木場前」などがある。)
本題に戻って、このバス停はお堀の向かい側にあるから、「(千秋)公園“前”」でも差し支えがないようにも思われるが、厳密にはそこはまだ公園の外。県民会館や図書館のそばの山のふもとから先が千秋公園だから、そこまでは340メートルほどある。
それで、「入口」に変えたのだろう。


次は、先日のこころ旅で判明した、謎の改称。
市営バス時代(1988年の時刻表で確認)は「金照寺山公園」だったバス停が、いつの間にか「金照寺山公園東入口」に変わり、さらにいつの間にか現地の表示が「金照寺山公園前」に変わっていた。
しかも、公式サイト等では「金照寺山公園東入口」のまま。おまけに、ここは金照寺山の西側であって、断じて「東」ではない。そもそも、「金照寺山公園」なる公園も存在するのか?
現在の現地の「金照寺山公園前」は妥当だと思うが、サイトなども修正するべきだ。※その後、2024年の記事


最後は、新屋。
昨春開学した秋田公立美術大学の最寄りバス停は「美術大学前」。それ以前の短大時代は「美術工芸短大入口」というバス停だった。
 (いずれも再掲)
4年制化に際して、大学名だけでなく「前」が「入口」【12日訂正】「入口」が「前」に変更された。バス停と大学の位置関係は動いていない。

バス停のそばの交差点を曲がって50メートルほどで、大学の正面(「メインアプローチ」と呼ぶようだ)に至る。
バスを降りて左折すれば

すぐに大学の正面入口(写真突き当り)
こんなに近いのに「美術工芸短大“入口”」は適切ではないと、前から思っていた。
そこで、4年制化でどうせバス停名を変えないといけないのだから、これを機に「前」にしたらどうかと、秋田市へ提案させてもらったのだ。(バス会社に言ってもらちが明かなさそうだし、4年制化は秋田市側の都合だし、しかも元は市営バスのバス停だったのだから)
それに応えてくれたのかは分からないが、結果としては思った通りになった。


ところで、どうして「美術工芸短大“入口”」というバス停名になってしまったのか、考察(憶測)してみる。
さかのぼって美短が開学したのは1995年。それ以前は「美工専」こと秋田市立美術工芸専門学校があった。
形としては、 市立美工専→公立美短→公立美大と、直前の学校を発展的に解消して現在に至っていることになっているようだが、専門学校は美短附属高等学院→美大附属高等学院と、名前が変わって現在も存続している。
1995年以前のバス停の名称は「美術工芸専門学校入口」だったはず。
現在の美大周辺。星印が大学正面
おそらく、当時の美工専の校舎は、現在の附属高等学院と同じ位置(上の地図「学院」)【末尾の18日付追記参照】。その正面は雄物川の堤防側を向いていて、バス通りからは裏に当たり、やや遠い。だから、「美工専入口」という名称は適当だったと思われる。
美短ができた時、バス停の名称は単純に「美工専」を「美短」に変えただけで、「入口」は美工専時代のまま残ってしまい、「美短入口」というバス停ができてしまったのではないだろうか。当時の秋田市交通局の考えが浅かったのかもしれない。

さらに、美工専より前にさかのぼってみる。
「美工専」という学校名になったのは1975年からで、それ以前は2年制の「秋田市立工芸学校」で、バス停名は「工芸学校前」だったそうだ。
1975年9月1日付広報あきた642号によれば、1975年9月からバス停名が変更されている(半年遅れということになるか)。その時は「美術工芸専門学校“前”」に変わったことになっている。その後、いつの間にか「入口」にさらに変わったのだろうか。

さらにさかのぼって、工芸学校が現在地に移転してきたのは1962年。それ以前のバス停名は「国立倉庫前」だったようだ。(改称年等詳細は不明)【15日追記】国立倉庫前→工芸学校前の改称時期が1968年10月20日と判明。同時に、茨島→経済大学前(現・ハローワーク前。羽後交通は今も「茨島」を使用)と、住居表示が実施された土崎地区の停留所も改称されている。(以上追記)
「国立倉庫」とは、今は大学や市立新屋図書館の一部として活用されている、旧・国立米倉庫【2025年1月28日訂正】旧・国立農業倉庫のこと。(米倉庫として現役だったのは1935年から1990年)
したがって、ここは、国立倉庫前→工芸学校前→美術工芸専門学校前→美術工芸専門学校入口→美術工芸短大入口→美術大学前と、施設名だけでなく前か入口かも変遷している停留所になる。

補足。
・バス停の設置位置は、少なくとも秋田大橋の架け替え・取付道路の変更に伴って上下とも若干移動しており、現在は交差点の手前(北)にある下り側は、以前は交差点の先(南)にあった。いずれにしても「前」で差し支えない距離・位置だったと思う。
・羽後交通でも、同時に美術工芸短大入口→美術大学前と改称しているが、ここに羽後交通のバス停が設置されたのはわりと最近(2000年前後?)なので、美工専以前はバス停自体がなかった。
・市営バスの末期は、車内放送で「新屋図書館入口でございます」というフレーズが流れていた。これは「前」よりは「入口」が適当だろう。図書館へは次の「西中学校前」でもいいような気がするが、秋田駅方面からでは運賃が高くなる。
・美大開学前後とも、印刷物などでは混同・誤解されて「美術工芸短大“前”」「美術大学“入口”」と記載されてしまった/しまうことがあるのは残念。
【18日追記】国土地理院の昔の航空写真で確認してみた。
1970年代の写真では、美工専らしき建物は、現在の附属高等学院と同じ位置に建っていた。しかし、現在正面である校舎東側の道路自体がなく、校舎北側(現在は駐車場がある側。上の地図で「学院」の「学」付近)から出入りしていたと考えられる。
また、米倉庫と現在の美大正面を結ぶ通路があった。米倉庫当時の正面=美短・美大正面のようだ。(以上追記)


以上、バス会社にもよるのだろうけれど、バス停の命名ってけっこういい加減な部分もある。
利用する人が分かればそれでもいいけれど、初めて乗車する人などを混乱させることもあるから、実情に即して分かりやすくしてほしい。

【10月5日】新国道経由各路線の「高野(こうや)二区」停留所では、車内放送では「次は、高野二区、高野二区。聖霊短大前でございます。」とアナウンスされる。
以前取り上げたのと同じケースではあるが、バス停から短大の門まででも400メートルほどあり、知らない人はたどり着きづらそう。「聖霊短大入口」が妥当かもしれない。
コメント (3)
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