広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

秋田ニューシティ外観ぐるり

2021-06-05 23:57:16 | 昔のこと
40年前にできて、約10年前になくなった「秋田ニューシティ」の続き
今回は、外観を改めて記録しておく。
前回の冒頭の再掲写真もそうだが、ネット上に残るニューシティの写真は、北東側から撮影したものがほとんど。こちらが「正面」ととらえられるデザインだったこともあるだろう。
※外壁が白くなる前、当初の肌色(ペールオレンジ)だった頃の写真は見当たらない。あれば貴重だ。

東辺が大町通りに面し、秋田駅方向でもあるため、出入りする客は多いのは間違いないが、北東角としたのは小さいながら信号機付き交差点(2000年代に入ってからスクランブル化)があって、比較的開けていて目立つからだろうか。
大町通りを少し北・通町方向へ進んで、旧・秋田魁新報社跡地、サンパティオ付近から。
東辺と北辺が見渡せる
外が見えるガラス張りのエレベーターが、この角に設置されていて特徴的。ガラス張りエレベーターは当時流行りで、秋田駅前のジャスコとヨーカドーもそうだが、いずれも角ではない位置。
エレベーターの上の壁にも、辻兵マークと、その左右にNEWCITYマーク。

ここから見ても、前回の通り屋上の辻兵の箱看板が鉄骨に載っているのが分かる。
今初めて気付いたが、写真右・北辺の外壁は、4階から上は少し引っこんだ構造になっていて、ちょっと格好悪い。東辺は5階まで平らなのに、何か理由があるのか。日照権ってほどでもなさそうだし。

さらに北、通町との丁字路手前、ねぶり流し館前から。
右に「辻兵」の頭が見える
往時は、通町の商店街やバス停(神田線や将軍野線利用者)とニューシティを行き来する人でにぎわったはず。

大町通りの1本東側、星辻神社のある川反通り、今、旧大島商会が移築された付近からは、こう見えた。
あくらやサンパティオに隠れて、てっぺんだけ
右に屋上の辻兵も見えた。オープン当初は魁の建物があったので、すべて隠れて見えなかったはず。


北辺の道路は、大町二丁目と一丁目との境、東・一丁目橋から西・新国道方向への一方通行。その通りの少し一丁目橋寄りから。

オープン時は、百貨店「本金(ほんきん。駅前に移転し、現・西武秋田店)」があったので、また違う風景だったはずだけど記憶にない。秋田ワシントンホテル(現・イーホテル秋田)が建つと、狭苦しい雰囲気で、近づくまでニューシティは見えない。

大町通りの1本西側、茶町通り~上肴町。北側は通町の鮮魚店寄りの地元スーパー(?)「せきや」の横と言うか裏。
辻兵看板と建物裏側が見える
裏側ではあるが、せきやと掛け持ちで買い物する人もいたはずで、行き来する人は少なくなかったはず。

上の位置から南へ進むと、ニューシティ北西角、一方通行路との小さな交差点。ここに、
(再掲)2002年8月
「ミスタードーナツ秋田大町ショップ」があった。ショップNo.0360。
ニューシティ本体とは別の平屋。鎌田会館運営で秋田県内では2店舗目か?
1983年頃オープンらしく【下の追記も参照】、2007年8月末で閉店。ニューシティの最初と最後には存在しなかった。
ニューシティより遅れてミスドができたのは記憶している。できる以前はこの部分がどうなっていたか記憶にない。あと店舗前のタイルが滑りやすい材質【6日追記・若干の傾斜もあった】で、冬は怖かった。
閉店後は、
2010年。先に解体されて空き地に
当初はどうしてここをこう空けて建てたのか。2年後にミスドを作る計画があったのか。
【6日補足】ここも土地所有者はニューシティと同じだったのだと思うが、建物と歩行者通路で、敷地のほぼめいっぱいを使っている中、ここだけが何もないスペースだったことになる。
【7日追記】いただいたコメントによれば、ここは所有者が違う建物があり、ニューシティオープン時点では土地を購入できなかったらしいとのこと。
【7日追記】ミスド閉店時の張り紙に24年目で閉店と記載されていたとの情報から、1983年オープンと推測した。
一方、店番号360とミスタードーナツ公式サイトの「ミスタードーナツの歴史」を照らし合わせると、1981年に337、1982年に400がオープンしている。番号と開店順が完全に一致しない可能性もあるが、それだと360番目は1981~1982年の開店の可能性もある。

茶町通りを南・竿燈大通り方向へ進むと、ニューシティ西辺。こちらは裏面の趣。
2010年。左端の車のいる位置がミスド跡
搬入口や従業員出入口。搬入口らしきシャッターは2つ。左・北側がやや広く白いシャッター。

右は「NEW CITY」ロゴ入り、「専門店街搬入口」と表示もある。白いほうはダイエー用だったのかも【7日補足・いただいたコメントによれば、白いほうがダイエー搬入口で内部も分かれていたとのこと】。

搬入口の南隣、日本銀行秋田支店裏との間は、
2010年。第1駐車場
本体屋上駐車場へもここから出入りするが、そのほかの立体駐車場部分は別棟のようだ。こちらは肌色なので、白く塗り替えられなかったらしい。

南西角・日銀裏から竿燈大通りに背を向けて、駐車場の西面と南面。
2002年8月。ダイエーの箱看板が見える

ここで正面側・大町通りに飛んで、日本銀行秋田支店前から、南東角。
2010年9月。日銀前では音楽イベント
本体塗替え後は色が違って分かりやすい。この面は本体と立体駐車場が入り組んだ構造のようだ。
車で行くことがなかったので、意識しなかったが、真四角な箱の建物ではなかったのか。
【7日補足】日本銀行の敷地は長方形ではなく、裏・茶町通り側では少し狭くなっている。その分、ニューシティの土地が飛び出している。そんなこともあって、こちら面が複雑な作りなのかもしれない。

大町三丁目以降や交通公社前(現・川反入口)でバスを降りて来店する人には、こちらが最初に見える。向かいの名店街(AD)と向かい合う横断歩道もこちら寄り(上の写真で白い車のいる位置)なのだが、こっちを正面にしてもよかったようにも思う。


では、東・秋田駅方向から広小路を通ってきた場合。秋田ワシントンホテル・ADが建った後は、それに隠れてニューシティは一切見えなかったはず。若干低かったであろう本金・名店街時代は、どうだったろう。
少し南へずれて、二丁目橋交差点・旧協働社横の土手長町横断歩道橋からは、ダイエー看板が見えた。
2002年8月
↑今と比べると、周りの店の入れ替わり、建物の建て替えもある。スカイホテルも見える。
夕暮れのダイエーから飛び立つカラス

外観だけで1回使ってしまいました。さらに続く
コメント (5)
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