広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

歩道橋物語

2009-12-18 19:42:07 | その他もろもろ
最近、架け替え中の秋田市の旭北横断歩道橋を取り上げているが、今回は名古屋で見た、貴重な歩道橋のお話。
名古屋市の西隣の清須市、JR東海道本線で名古屋駅から1駅5分の「枇杷島(びわじま)駅」で下車。
きれいな駅前
2008年末にできたばかりの真新しい橋上駅舎。後ろを東海道新幹線がびゅんびゅん通過し、駅前広場のすぐ前を県道(旧国道22号線)が通っている。スーパーが1件あるほか、チューインガムなどの工場が点在し、地方の町の駅みたいな雰囲気。三大都市圏の中心駅・名古屋から1駅来ただけで、こんなのどかな風景に変わる、名古屋のおおらかさが好きだ。

のどかとはいえ、駅前の県道は車の通行量が多い。秋田の新国道に似ている。名古屋寄りに300メートルほど進むと、その歩道橋がある。
 
旭北歩道橋と同じく、一直線で幹線道路を横断するタイプだが、重厚なたたずまい。駅側から歩道橋を渡った向かいには、小学校がある。
この「西枇杷島歩道橋」は、日本初(つまり最古)の歩道橋とされている。初の歩道橋ができたのには、次のような逸話がある。

旧西枇杷島町だった50年ほど前、通学途中の小学生が交通事故にあった。それを受けて、保護者や地域住民が道路を安全に横断できるように町へ要望し、(信号や地下道は不向きな場所のため)町が鉄道の跨線橋などを参考に考え出し、国などを説得して設置に踏み切ったのが、道路をまたぐ橋だった。1959(昭和34)年6月に開通したが、当時は「歩道橋」という呼び名がなく、「学童専用陸橋」という名だったそうだ(学童以外は渡れなかったのか??)。

なお、一部サイトでは、設置のきっかけとなった事故を「死亡事故」としているが、それは間違いと思われる。
「読売オンライン・始まりへの旅」や「朝日.com愛知・『いま』をみつめる」等によれば、事故にあった女子児童は全治3か月の重傷を負ったものの、現在もお元気なようで、朝日の記事ではインタビューに答えている。
伝言ゲームのように話が大げさになり、都市伝説化したのだろうか。青森県弘前市にも「ゆみちゃん道路」という似たような話がある(いつか機会があれば記事にします)。

そして、この歩道橋は、道路拡張に伴い、来年2月に撤去されるそうだ。(拡張後は新しい歩道橋が設置されるとのこと)
以上のような情報を得て、わざわざ枇杷島へ来たのであった。我ながら物好き。

鉄でなくコンクリート製なのは古いためだろうが、それ以外にも温暖地であることもあってか、秋田で見慣れた歩道橋とは少し違う。
高さ5メートル、全長46.8メートル、幅2.5メートル。幅が少し広い気もするがサイズとしてはあまり違和感はないけれど。
 階段1段ごとの高さは低い
秋田のように融雪装置が要らないからコンクリートむき出しだが、滑り止めすらない。
手すりは若干低い感じがし、網目のフェンスが張られている。秋田の歩道橋にある側面の板(「手摺側板」と呼ぶらしい)はない。風除けは必要ないということか。
 
何となく開放感がある。
手すりには錆が浮く
秋田では、ステンレスの握りやすい細い手すりが後付けで内側に増設されている。たまに再塗装もしているし、秋田県の歩道橋管理は(道路管理よりは)けっこうまともなのかも?
底面。かなり頑丈そうだが重そう
名古屋造船という、現在のIHIの前身企業の製造だが、初めての製品で苦労したのかもしれない。

設置された50年前は高度経済成長期で車最優先の社会だった。そんな中、歩行者を安全に渡らせる最善策が歩道橋だったのだろう。各地から視察が相次ぎ、歩道橋が全国に広まったようだ。
でも、歩道橋は階段の昇降を伴うので歩行者にやさしいとは言えず、街の美観や人の流れにも影響を及ぼすなどしたため、20~10年ほど前に歩道橋を撤去して横断歩道を新設する動きが広まった。秋田市でも駅近くの千秋久保田町歩道橋などが姿を消した。
そんな時代を経て現在も残る歩道橋は、それなりの存在意義を認められているものなのだろう。足腰の健康な者にとっては運動になるし、上から眺める景色も新鮮。何よりも車にひかれることは絶対にないから安全なのは間違いない。
西枇杷島の日本初の歩道橋が今も残っており、道路拡張後も再建されるということは、ここが歩道橋にふさわしい場所だったということではないだろうか。西枇杷島の人たちに先見の明があったのだろう。
最古の歩道橋が姿を消すのは残念だが、こんな物語があったことは語り継いでほしいし、その当時の気持ちも受け継いでほしい。

ちなみに、秋田県の歩道橋についてはよく知らないが、秋田市の二丁目橋そばの「土手長町横断歩道橋」には銘板が付いており、昭和42(1967)年に設置されたようだ。
左が旭川、かつては右に協働社。中央分離帯付近は電車の停留所の跡
路面電車(秋田市電)廃止(1965年末)の翌年にできたわけだが、昔は協働社というデパートに面しており(歩道橋から直接入店できたっけ?)、多くの人が渡ったんだろう。
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5 コメント

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産業会館前歩道橋 (mugi-shochu)
2009-12-18 22:39:53
この歩道橋の前の、今は広場になっている場所が産業会館だった頃の暑い夏の日、同会館で河島英五のコンサートがありました。
全て歌い終わった後、河島英五が「暑いから表の歩道橋の上で歌おう」と言いだし、観客は大興奮。
歩道橋の上にぎっしりと並び、生ギター1本の河島英五の即席野外コンサートが始まったのでした。
いまだに忘れられない最高の夜でした。
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歩道橋のアンコールですね (taic02)
2009-12-18 23:01:42
(他の皆さんのために補足しますと、土手長町歩道橋の協働社の隣に、「秋田県産業会館」という建物がかつてありました)
かつての賑わいを象徴するような出来事があったんですね。歩道橋でのアンコールですか…まさに歩道橋の物語です。
産業会館でコンサートができる会場があったこと自体知らなかったです。
現在は、竿燈の時くらいしか混み合いませんが、2001年の兵庫の歩道橋事故を受けて、警備員が立ち止まらないように呼びかけて(最近は分かりませんが)いましたから、今となってはできない事でしょう。いいお話を伺いました。
僕の思い出といえば、上でぴょんぴょん飛び跳ねると、ふわふわ揺れておもしろかったという、他の方には迷惑な話くらいです。
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ハヤシライス (fatherwoo)
2023-05-07 19:08:36
そのコンサート私も参加してました。
秋田産業会館のハヤシライスが大好きで検索していたらヒット‼️
明日の昼食はハヤシライスかな🍚
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情報が少なく恐縮です (taic02)
2023-05-07 22:38:41
産業会館には、皆さんそれぞれ、ネットには遺っていない、思い出と思い入れがあるのですね。
今の現地からは想像できないのが、寂しい限りです。

ぜひ、ハヤシライスをお召し上がりください。
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都市伝説で良かった (FMEN)
2024-08-10 23:45:39
生きていてネタになるから良かったと思います。
本当にそうな場所あるのか…と調べたら1970〜1981までかけられていた飯島がそれでした。(新規記事)
あまり広まらないのは本当すぎて不謹慎だったからか。
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