広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

大寒とカレーと給食

2012-01-22 18:50:50 | 秋田のいろいろ
昨日1月21日は、二十四節気の「大寒」。
関東地方では雪模様のようだが、逆に日本海側は寒さが緩み、秋田市では寒さも一段落。(明日以降また冷え込んで雪の予報)
実際の季節と二十四節気は一致しないこともあるが、大寒がいちばん寒い時期である点は一致している。


最近、とあるテレビCMがよく流れている。
まずは、お笑い芸人コンビの「くりぃむしちゅー」が吹雪の中に立ち、「大寒だシチューを食べよう」と歌う、ハウス食品のシチュールウのCM、「大寒はシチューの唄」篇。
【23日追記】いかにも雪国の大寒らしいセットのCMで、南国の方々にはこのような大寒の厳しい寒さは理解してもらえるだろうかと思ったけど、公式サイトに放送地域限定とは記載されていないので、全国で放映されたのだろう。
ハウス食品のサイトより
ちなみに「くりぃむしちゅー」のコンビ名は、メンバーの有田さんがクリームシチューが好きであることが由来とのこと。

大寒にシチューとは初めて聞いたが、たぶんハウス食品が単独で今年からやっているキャンペーン(?)なのだろう。
土用にウナギ、節分に恵方巻き、バレンタインデーにチョコなどと同じような、業界の戦略の1つなのだろうけど、まあ、寒い時期に温かいシチューはいいものだ。


と思っていたら、もう1つ、くりぃむしちゅーが出演するハウスのCMが流れている。
こちらはカレールウのCM「冬も元気に」篇。
「1月22日はカレーの日」で「1982年に全国の小中学校でカレー給食が出された日」だと言っている。
直接的に言っていないが、暗に「1月22日はカレーを食え」と言っているようにも受け取れる。
ということは、ハウスのCMに従えば、1月21日はシチューで、翌日はカレーと2日連続で似たようなモノを食べなきゃならないのか…

【2013年1月20日追記】翌年2013年の展開。
「大寒にシチュー」は、2012年ほど大々的ではなくなったが継続。田中麗奈の「北海道シチュー」、ベッキーの「コクの贅沢シチュー」の通常と同じような内容のCMの最初や最後に「大寒はシチューを食べよう!」と流れる程度。
「カレーの日」は、まったく取り上げられていない模様。(以上追記)



そういえば、子どもの頃、何かの本で、全国一斉に学校給食のメニュー(献立)がカレーだった日があったという話を読んだことはあった。でも、それが1月22日であり、「カレーの日」であるとは知らなかった。
1982年当時、僕はまだ小学校入学前だったので知らないが、全国一斉に同じメニューというのは、大変だったのではないだろうか。現在はいくつかの学校分をまとめて給食センターで調理する所も増えているが、当時は各学校ごとに調理していた所が多かっただろうから、材料の調達や業者の配送が大変そうだ。


ちなみに、秋田市立の小中学校では、今も給食センター方式ではなく各学校ごとに調理しているようだ。
※旧雄和町・河辺町地域では、センター方式の模様。
また、旧校舎当時の山王中学校は(隣の旭北小学校ではなく1つ隣の学区である)川尻小学校で調理したものを輸送していた。【23日追記】おそらく、山王中で自前の給食室を整備するのが難しく、隣の旭北小の校舎も古くて余裕がなかったと思われ、1982年の川尻小の新校舎建設時に、山王の給食も調理できるよう余裕のある給食室を整備したのだと考えられる。【23日追記】山王と川尻のような例は、他の秋田市立学校においても、現在も存在することが分かりました。後で別記事にします。

僕が子どもの頃は、秋田市立の小中学校には一部にしか栄養士が配置されておらず、各学校間で共通の献立だった。ただし、各学校ごとに順序を入れ替えて、同じ日に同じ献立が重ならないようにして、材料調達などに配慮していたはずだ。


ということで、秋田市広報紙「広報あきた」と僕の記憶に基づいて、学校給食の歴史と思い出を少々。
全国的には、1889(明治22)年に山形県鶴岡のお寺の私立小学校で出されたのが学校給食の最初だという。
秋田市では、
1932(昭和7)年 土崎小学校と旭北小学校で経済的に恵まれない子どもたちにごはんとみそ汁などが出された
1944(昭和19)年 すべての小学校で栄養不良の児童におかずだけの給食【下の2019年3月7日付追記も参照】
戦後は全員に出されるようになり、1951年以降はおかずに加えてパンやミルクも出る「完全給食」となり、昭和30年代には一部中学校でも給食開始。
1966(昭和41)年 すべての小学校で完全給食実施
1977(昭和52)年 一部(小学校8校、中学校1校)で米飯給食開始
1979(昭和54)年 給食を実施するすべての学校(小学校36校、中学校5校)へ米飯給食を拡大(週1回、その後1983年頃までには週2回に)
 その一方、山王、秋田東、秋田南、秋田北、秋田西、城南、高清水(※)、太平、上新城の各中学校ではまだ牛乳だけの支給で、完全給食は未実施
 ※高清水中学校は、後に将軍野・泉両中学校に再編
1989(平成1)年 米飯給食が週2回から週3回に(当時全国的には週2回実施校が42%、3回以上が43%)
 小・中学校57校のうち、完全給食実施は55校。
1994(平成6)年 すべての中学校で完全給食化(おそらく最後に給食が始まったのは城南中学校【23日追記】秋田北中学校も?)

米飯給食といえば、僕たちの頃は、「秋田米飯給食事業協同組合(たけや製パンの社長が理事長)」で製造された、暗赤色のフタ付きの弁当箱型容器にごはんが入っていた。(容器は厚手の樹脂製。使い捨てではなく、返却・洗浄して何度も使う)
フタの内側に水滴が付いたり、独特のニオイがしたものだ。
しかし、秋田市立の学校では2001年から順次「弁当方式から茶碗盛りつけによる温かい米飯給食」に移行しているらしい。
本来のごはんの食べ方なわけだが、茶碗の洗浄や盛り付けは大変そう。

【2017年9月21日追記】全国的には特に中学校において給食未実施の学校が少なくない(県による偏りあり)らしい。2010年代中頃には全員に同じ弁当を配る形式で給食を始めた地域が複数見られた。その1つ、神奈川県大磯町では、弁当給食がマズく、異物混入も複数発生し、問題になっている。(地域性の違いもあるだろうが、30年前の秋田市と比べても、あちらはだいぶ遅れていると言わざるを得ない。)
報道を見ると、おかずだけが1つの弁当箱、米飯は別の箱で配られるようで、いずれも赤くて硬い再利用できそうな箱、つまりかつての秋田米飯給食のものと同じだった。特に米飯の箱はそっくり。なお、フタは米飯用にはイラストが描かれ、おかず用は色が薄くて柔らかそうなシリコン製っぽいのものだった。(以上追記)

米飯給食に使われる米の品種は、昭和末期までは2品種のブレンド米だったはず(たしかキヨニシキと何か?)だが、あきたこまちが作出され流通するようになって間もなく(1987年頃?)、あきたこまち100%になったはず。
ちなみに、パンはたけや製パン製の学校給食用のコッペパンまたは角型食パン(学年によって2または3枚)に、マーガリンやジャムなど。特に食パンは食べづらくて大嫌いだった。
牛乳は、当時秋田市内に工場があった、雪印乳業の200mlの角型紙パック入り(学校給食用パッケージ)だった。※他社製だったり別容器だったりした学校もあった模様。
※学校給食のパンに関する話題は、この記事末尾

【2019年3月7日追記・ごく初期の給食について】2019年3月6日付秋田魁新報社会面の連載「シリーズ時代を語る」において、弁護士の内藤 徹氏(1934年生まれ)が、戦中の秋田市の給食について触れていた。
1943年10月に満州から、秋田市の旭南国民学校(現・旭南小)3年生に編入。一時期新潟市へ移ったものの、また旭南へ戻って、1945年6月までいた。
満州では水洗だったトイレが、旭南では「レンガが敷いてあり、その上に立って樋に向かってする」もので、びっくりしたとのこと。そこから「学校農園まで肥やしを運ぶ班の班長をさせられた」こともあった。
一方、「給食がありました。ホッケやニシンに野菜を加えた「しょっつる鍋」や豆乳が出たのを覚えています。」。新潟では食糧事情が良くなかったようで「学校でも給食なんか出ませんでした」。上記年表では「栄養不良の児童」限定だったことになるが、旭南では全員に出たのだろうか。



さて、我ながら物持ちが良くて、手元に1989(平成1)年度の「給食だより」がすべてある。
いわゆる献立予定表で、B4横使いでワープロ打ち。「箸」という欄があり、箸を持参すべき(=先割れスプーンが出ない)日に印が付いているのが親切。
なお、翌1990年度はB4縦の手書きで「箸」欄がない、昔ながらのスタイルに戻っている。栄養士(または給食を担当する教諭)の異動があったようだ。

したがって、平成元年度のすべての献立が把握できることになるので、せっかくなので少し紹介します。
※当時の給食だよりの表記をそのまま転記したので、表記の揺れがあります。
※献立予定表の誤字脱字や発行後の内容変更があった可能性もあります。また、見落としもあるかもしれません。
※全国的には、学校給食の思い出として「揚げパン」「ミルメーク」「ソフト麺をカレーやミートソースに入れた」というのがよく挙げられますが、時代の差か地域の差か、僕はいずれも食べた記憶がありません。(ソフト麺は出たけれど、醤油仕立ての汁でした)【ソフト麺の詳細、ミルメークのその後については、末尾の2021年の記事参照】

まずは、ハウスさんとくりいむしちゅーのお2人に敬意を表して、カレーとシチューが出た日をすべて挙げてみたい。
カレー(カッコがないものは「カレー」または「カレーライス」表記)
4月11日、5月19日(ビーフカレー)、6月21日、7月19日、8月29日、10月11日(ポークカレー)、11月22日、12月12日(シーフードカレー)、2月14日(ポークカレー)
ほぼ毎月1回。さすが人気メニューだけある。
いずれも主食はごはん。無印のカレーにも豚肉くらいは入っていたような気がするけど、別に「ポークカレー」があるのは、なぜだろう? 単なる表記揺れか。
なお、別に「ハヤシライス」もまれにあった。

カレーの付け合せには、福神漬が出ていた。(ラッキョウが出た記憶はない)
福神漬は、他のおかずと同じように全員分がボウルに入って届き、クラスで配膳する形式の場合と、1人分ずつパックされた製品が配られる場合とがあった。
パック製品は株式会社新進の「しんしん」ブランドのものだった。(以前は青森市に工場があったはず)
献立表では、「福神漬」表記の時と「しんしん漬け」という表記が混在している。現在は、「しんしん」ブランドの「福神漬」は存在するが、ズバリ「しんしん漬け」という製品はないようだ。当時は、どうだったのだろう。
【24日追記】年1回、全校集会形式の「青少年赤十字(JRC)登録式」があり、そこで「誓いの言葉」を唱和した。
その一節に「心身を強健にし」というフレーズがあるのだが、そこで「しんしん漬け」を連想して笑いが漏れるのが定番だった。それだけ「しんしん漬け」の認知度が高かったのだろう。この記事参照
カレーの時のごはんとの関係、食べ方についての記事

シチュー
4月24日(ホタテのクリームシチュー)、10月16日(クリームシチュー)、12月4日(ビーフシチュー)、1月29日(ビーフシチュー)
カレーほど頻度は多くないと記憶していたが、年4回と思ったより少なく、やっぱり夏より下半期に多い。
寒中にも1度出ているがクリームシチューではなく、残念ながらブラウンソースのビーフシチューだったようだ。


カレーの次によく出ていたのが、スパゲティ。思ったよりも頻繁で1~2か月に1度は出ていた。
ミートソースがよく出ており、おいしかった記憶はある。あとはたまに、白いソースのが出たような記憶もあるが、献立を見ると、記憶以上にバリエーションが豊富だった。
他の副食との組み合わせとともに、いくつか。
コッペパン、スパゲティミートソース、イタリアンサラダ
これが定番。年に数度あった。
それにしてもパンとパスタというのが、炭水化物過多のような気もする。
パンは普通の給食パンだったが、たまに割れ目が入った「背割れコッペ」のこともあり、パンにパスタを挟んで食べるように配慮されていた時もあったはず。

蒸しパン、スパゲティホワイトソース、コンビネーションサラダ
これも記憶にあるような。蒸しパンって「マーラーカオ」みたいなのだっただろうか。
「コンビネーションサラダ」は? レタスに7ミリ角くらいのチーズが混ざったやつだろうか?

市販のバターロール、スパゲティナポリタン、グリーンサラダ、メロン
ナポリタンは出てもおかしくない。「“市販の”バターロール」は原文ママだが、たけやのバターロールということだろう。メロンもついて、ちょっと豪華。

豆入りパン、きのこスパゲティ、フレンチサラダ、ヨーグルト
きのこ入りパスタとは、しゃれている。豆入りパンって、最近は流行っているみたいだけど、当時からあったのか。

バターロール、スパゲティペスカトーレ、フルーツの生クリーム添え
ペスカトーレって、イカとかエビとかアサリとか入ったトマトソースのでしょ。そんなもんが20年前の秋田市の給食に出ていたのか…
(アサリやホタテを使った他のメニューはたまに出ていた。殻から外した状態だったはず)
僕はこの手のパスタは苦手なので、以後、20年以上食べていないことになる。

他に麺類といえば、やきそばがわりとよく出ていた。これも場合によっては背割れコッペパンと組み合わせていた。【2016年6月19日追記】今はあんかけとか塩やきそばとかもあるが、当時はもちろんソース味。
この年はなかったようだが、まれに「ジャージャー麺」も出ていた。今は盛岡市の名物として認知されているが、当時はそれほどでもなかったと思う。ジャージャー麺の存在を初めて知ったのが学校給食だった。【2016年6月19日追記】本場のジャージャー麺は辛味があり、うどんのような白くて太い麺を使う店もあるようだ。秋田市の給食では、辛味は少なく(まったくなく?)、焼きそばと同じような麺で、焼きそばとほとんど区別がつかなかった。味付けが違う焼きそばみたいな感じか。


回数は少なかった(それぞれ年に1~3回)が、人気があったと思われるのが、「自分で作る」系メニュー。
背割れコッペ、セルフサンド、卵スープ、デザート
これは昭和50年代から出ていたと思われるもの。スープがポタージュだったことも多い。
割れ目の入ったコッペパンと具材(具体的に思い浮かばないけど野菜、チーズ、ハムとか?)が出され、各自で具材を挟んで食べるもの。
食パンではなく、必ずコッペパンだったと思う。
【6月30日追記】それ以前の小学校の頃に「スライスチーズ」が出たのを思い出した、その時は食パンに挟んで食べたような気がする。でも、中学校では食パンが3枚切りであったため、サンドにすると半端になる恐れがある。どうだったんだろう。

ハンバーガー、セルフバーガー、コンソメスープ、洋梨フレッシュゼリー
これはたまにしかなかった。
最初の「ハンバーガー」はハンバーガー用のパンのこと。学校給食用パンの袋に入ってはいたが、クリームパンみたいな形でがま口状に開くタイプだったはず。
ハンバーグや野菜がついて、それを挟んで食べる。

すしごはん、手巻き寿司、ツナサラダ、豚汁、デザート
1986~1987年頃(1986年度だと思う)に突然、初登場し、「ごはんが酸っぱい!」「どうやって食べるんだ!」「具がはみ出るじゃないか!」「ごはんが余る/海苔が足りない」と教室が騒然となった記憶がある。
いつもと同じ、赤いお弁当箱に酢飯が入り、コンビニの海苔巻き寿司用と同じ海苔が1人に3枚くらい配られ、おかずの皿にはスティック状のキュウリ、卵焼き、チーズなどが配られ、それを巻いて食べるもの。(上のメニューのツナサラダも具になり得るが、量や食べ方を誤ると、反対側からこぼれて大変だった)

とんねるずが「土曜日は手巻ぁーきの日ぃ」とミツカン酢のCMをしていたのが、1989年だそうだから、それ以前の当時はまだ「手巻き寿司」という言葉すら、秋田では定着どころか認知もされていなかったはずで、我々当時の子どもたちは戸惑った。【2023年5月11日追記・当時秋田市内にも店舗があった小僧寿しの手巻き寿司は、1986年時点ですでに発売されていたはず。そのおかげで、初めて接した海苔のフィルムに戸惑わなかった記憶があるので。】
しかも、ごはんが多く(通常の白飯並み)、相対的に具材や海苔が少ないため、両者の配分が難しいという問題も抱えており、余った酢飯をやむを得ず弁当箱から直接口へ放り込むという、ちょっと情けない行為もしなければならなかった。(この点は、僕が中学校卒業時まで改善されなかった。)
ただ、このメニューは、比較的学期末間近などに出される傾向があり(気のせいかも?)、なんとなくうれしいメニューではあった。


ざっと見て、個人的に、「あれがおいしかったな」と思い浮かぶものをリストアップすると、ほとんどがごはんの日のメニュー。当時から、あっさり系が好きだったようだ。
とり肉のピーナツからめ
甘辛い鶏の唐揚げみたいなのに、砕いたピーナッツがまぶしてあるもの。もっと前から出ていたかもしれないが、1986年に突然「これはうまい」と感動した記憶がある。【22日23時45分補足】鶏肉の「唐揚げ」ではなかった(衣がなかった)かもしれない。
【2018年11月16日追記】市立浜田小学校のホームページに、2015年作成と思われる給食のレシピが紹介されていて、それに「鶏肉のピーナッツがらめ」があった。写真を見る限り、記憶にあるのと同じ。今なお出ているようだ。ひと口大の鶏もも肉に下味と片栗粉を付けて揚げ、ピーナツと醤油やみりんで作ったタレをからめるもの。

ホキの天ぷら
白身魚の天ぷらで皿からはみ出すくらい大きかった気がする(気がしただけかも)。小学校入学当初、こんなでっかいもの食えるかと思ったが、淡白な味で食べやすくて好きになった。
おそらくベチャベチャしないよう何らかの対策が取られていたと思われ、衣の表面が妙にボコボコしていた気がするが、当時の秋田市の学校給食で出た、唯一の天ぷらではないだろうか。
パックの醤油が付いていて、醤油もけっこうおいしいじゃんと感じたのと、午後は指に醤油の香りが残っていたのも思い出。

平成元年では派生メニューらしき「ホキ天の野菜あんかけ」も1度出ている。
「ホキ」はフィレオフィッシュなどの材料としても世界的に好まれる魚で、乱獲気味らしい。今の給食では出ているのだろうか。

うの花のいり煮
これも気に入った。今もスーパーの惣菜で見かけると食べたくなる。
ほかにひじきの煮物(平成元年は「いそ煮」という名称)のおいしさを知ったのも、給食だった。

さんまあられ
輪切り(筒切り?)にしたサンマの佃煮というか甘露煮。
福神漬と同様、クラスで配膳する場合と、1人ずつの真空パックが配られる場合があり、パックには「さんまあられ」と表示されていた記憶があるので、そういう商品名だったのかもしれない。(ネットで検索すると同名商品があるが、それとは同一ではない)
当然、骨まで柔らかく、ごはんとの相性が抜群だった。

ちくわのドレッシングあえ
ちくわのサラダ。フレンチドレッシング系の味でまずくはなかったと思う。
肉じゃがの日にも出ているし、クリームシチューの日にも出ているので、和洋両方に対応できるようだ。
平成元年度には見当たらないが、「そばサラダ」というのもあった。蕎麦の麺が入ったサラダだった。これもまずくはなかった。

【6月30日追記】ほかに、ホウレンソウなどの「ピーナッツあえ」や「ごまあえ」もおいしかった。それらのおいしさを給食で知った。
現在は「~の元」が発売されていて、家庭でも簡単に作れるが、それとほぼ同じ味だったと思う。

ゆかりごはん」「わかめごはん
通常の弁当箱のごはんに、ゆかりやワカメが混ぜられたもの。
赤シソのふりかけである「ゆかり」は株式会社三島食品の登録商標だが、同社の製品を使っていたということだろうか。
年に数回出て、僕はそんなに好きではなかったが、中学生の頃、一部男子生徒が異様に好んでいた。

甘夏かん」「伊予柑」【2月7日追記】「ハッサク」も出ていたような気がするのを思い出した。
デザートの果物としては、上記メロンやイチゴ、ミカン(冷凍含む)なども出ていたが、アマナツやイヨカン(1人当たり8等分程度に切ったもの※こんな感じ)が多かった印象。当時はオレンジの輸入自由化前だったからだろうか。
我が家ではあまり食べない柑橘類だったので、珍しかったのと、種と皮で食べにくかったのと、(子どもにしては)酸っぱかった記憶がある。

給食でも国際化が進んでいた。
ごはん、青椒牛肉糸(椒は手書き)、中華汁、納豆
「チンジャオロウスー」は「青椒肉絲」と漢字表記する。本来は豚肉で、牛肉を使ったものを特に青椒牛肉糸などと表記することがあるようだ。
「椒」は「山椒」の椒だから当時のワープロでも対応していた文字のはずだが、給食だよりでは変換の仕方が分からなかったのか、そこだけ手書き。今のパソコンでは「ちんじゃおろーす」で変換できる。
これも当時としては先進的な料理だったかもしれない。

よく分からないけど「中華汁」はいいにしても、「納豆」だけ妙に和風。
納豆もちろん、秋田のメーカー「ヤマダフーズ」の「おはよう納豆」ブランド。「粒(全国的な普通の納豆)」タイプと秋田独特の豆を砕いた「ひきわり」タイプが半々くらいの頻度で出ていたかもしれない。(献立に明示されていた年もあったはず)

ごはん、マーボ豆腐、伴三糸、シューマイ」「ごはん、マーボ豆腐、中華サラダ、パオミート
麻婆豆腐は当時からポピュラーだっただけに、給食でもよく出た。
でも、付け合せについて。まず「伴三糸」って何?
調べると「パンサンスー」、「春雨の和え物」とのこと。それなら覚えている。もう1つの「中華サラダ」にも春雨が入っていそうで、違いが分からないけど。(キュウリ、ハムなどが入って中華風ドレッシングで和えたやつか。赤いトウガラシの破片が入っていることもあったか)
で、「パオミート」って何だろう? これはまったく分からなかった。

たら汁、豚肉と野菜の韓国煮
どちらも記憶にはない。たら汁というからには「鱈」のみそ汁だろうか。
韓流ブーム以前だったし、まだキムチも一般的ではなかった頃なので、韓国風料理はこれとたまにナムルが出ていたかな。
今なら、ビビンバとかキムチとかいろいろ出ているのかもしれない。

外国風料理といえば、「ボルシチ」が定番で、平成元年は2度出ている。
正直、ブラウンシチューとの違いがあまりなかったような…


国内各地の料理も。
石狩汁」この年は2度出ている。
北海道の「石狩鍋」のことだが、鍋で出すわけでないので、「汁」にしたのだろうか。
のっぺい汁
記憶なし。長野県など各地に伝わる郷土料理らしいが、秋田にはないと思う。
焼魚、長いものおひたし、きゃのこ汁
まず「長いものおひたし」。全国的には短冊切りにするようだが、秋田ではより細かい千切り状にしたナガイモに醤油をかける。秋田特産のホウキグサの実「トンブリ」を散らすこともあったかもしれない。これは調理が大変そうだけど、時々出ていた。
もう1つの「きゃのこ汁」は記憶にないし、知らなかった。
調べると、秋田で小正月に食べられる郷土料理だそう。
いろんな野菜や豆類が入った味噌仕立ての汁物だそうで、コンセプトとしては青森県津軽地方の「けの汁(粥の汁)」と同じようだ。(けの汁の方が具の刻み方が細かい)
弘前で1度だけ、けの汁を食べたことがあったが、その秋田版を前に食べていたのか…
【2023年1月16日追記・きゃのこ汁は、秋田県の中央~北方面の食文化のようだ。津軽と異なる点として、大豆ともち米の粉を丸めて焼いた「焼きずんだ」が入るのが特徴。五城目町では、食育推進の一環として、朝市やイベントで食べられることもあるとのこと。
また、けの汁は弘前市や青森市のホテルでは、朝食バイキングのメニューの1つになっていることも珍しくない。材料を刻んで水煮にしたものや缶詰も売られているとのこと。】

白玉汁
白玉(白玉だんご)といえば、ぜんざいなど甘いものと相性がいい米粉製品で、秋田県内に製造メーカーがいくつかある。
その製品の1つに、粉ではなく、餅の状態にした長いソーセージ状の製品がある。切って茹でるだけで、手軽に白玉だんごが食べられるというシロモノ。
これは、そのソーセージ形白玉を、醤油仕立ての汁で煮込んだもの。

きりたんぽ鍋やだまこ鍋を意識したメニューのように思えたが、全国的に「白玉汁」というメニューが学校給食に出ているようだ。
ただし、他県のものは野菜が多かったりして、秋田のとは違う印象。やはり多少はきりたんぽを意識していたのだろうか。
【2017年11月19日追記】秋田市では、平成元年度でない別の年では、場合によって「だまこ汁(鍋?)」という献立名だった時もあったはず。献立表を見て「あのだまこが出るのか!」と期待したら、カット白玉が入っていて拍子抜けした記憶あり。※カット白玉=即席白玉についてはこちら

コッペパン、マーガリン、稲庭うどん、和風サラダ、いがぐりむし
また炭水化物過多気味だが、きりたんぽと並ぶ秋田の郷土料理「稲庭(いなにわ)うどん」も給食に出ていた。(稲庭うどんが全国区になったのは比較的最近だが、秋田では当時から有名)
ソフト麺とは違い、最初から汁と麺が一緒に食缶に入っていたが、麺が伸びなかったのだろうか?(稲庭は乾麺なので、技術的にソフト麺式にはできないだろう)
また、稲庭うどんはうどんにしては高級品。コスト的に「本物」を使っていたのかも、気になる。
ただ、見かけや食感は、本物と同じくらいだったと記憶している。
「いがぐりむし」というのは、肉団子の周りに米粒を付けて蒸したもの。外見が栗に似ているから「いが栗蒸し」というわけで、台湾の料理らしい。※いがぐり蒸しについて詳しくはこちら

以上、大寒のシチューから、カレー経由で学校給食の思い出になってしまいました。

現在、秋田市立の一部の学校では、ホームページで給食の献立を紹介している。
少し見てみると、「麦ごはん」「ゴーヤチャンプルー」「ABCスープ(単にアルファベット形マカロニ入り洋風スープ?)」など、目新しいメニューばかりで、懐かしさは感じなかった。
20年が経っているわけだが、時代が変わっていることを感じずにはいられなかった。

【2016年12月21日追記】
コメント欄でも少し触れている、おかずや汁物の食器について。
僕は小中学校9年間、銀色の金属製のものだった。しかし、小学校の入学当初は、上の学年の人たちは黄色というかクリーム色の樹脂製を使っていて、混在していたような記憶がある。
秋田魁新報の「内外の歴史」欄によれば、1998年12月21日に「秋田市は市内小中学校の給食用ポリカーボネート製食器の使用中止を決め以前のステンレス製に戻すことにした」そうだ。当時は、環境ホルモンが問題視されており、その影響だろう。
その時点で、市内すべてでポリカーボネートが使われていたのではなく、ステンレスと混在していた可能性もあるが、遅くとも1980年代中頃からステンレスとポリカーボネートが混在し、1990年代末にすべてステンレス製になった(戻った)ということのようだ。
【2019年2月14日補足】ステンレス食器と、記憶にある樹脂製の食器では形状が異なった。お椀が顕著で、ステンレス製は背が低くて開口部~底面が広い、つまり浅いのに対し、樹脂製はそれより深い形状。お盆上での専有面積の関係か、持ち方・食べ方・姿勢といった作法上の効果を狙ったのか、製造上の都合なのか、理由は不明。

【2017年12月27日追記】
豚肉や野菜が入ったみそ汁を、秋田では「豚汁(とんじる)」と称するのが一般的。
当時の秋田市の学校給食でも「豚汁」表記が多かったが、まれに「さつま汁」と表記されて同じもの(豚肉が入らずサツマイモだけってこともあったかも?)が出ることもあった。
「さつま汁」の「さつま」とは、サツマイモのことではなく、鹿児島の薩摩であり、薩摩の郷土料理なのだそう。本来は、鶏肉や豚肉が入ったみそ汁のことで、薩摩汁の1形態が豚汁に当たる。

当時の秋田市の給食では、焼きそばとジャージャー麺、ビーフシチューとボルシチの区別があいまいであったと本文中に書いたが、同様に単に豚汁の同義か、あるいはサツマイモの汁という意味で使っていたのではないだろうか。

2021年の記事。新たな思い出、その後の状況、そしてミルメークがついに!
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする