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給食カレー かけるか入れるか?

2019-02-13 00:33:42 | 昔のこと
2012年の記事で、昭和末~平成初期にかけての、秋田市立学校(※)の学校給食の思い出を取り上げたところ、わりと反響をいただいた。
※当時の河辺町・雄和町は合併前なので違うはず。秋田市内でも、秋田大学附属学校や県立特別支援学校は別。
当時の秋田市立学校では、小学校はすべて、中学校も大部分の学校で、完全給食(主食、おかず、牛乳)を実施していた。基本的には各学校ごとに調理場(給食室)があったが、一部学校では他校で調理したものを輸送。献立そのものは各学校で共通であったようだが、材料調達に配慮したのか、学校間で日にちをずらしていた。


主食の「ごはん」について。
1989(平成元)年に、ごはんの回数が週に2回から3回に増えた。現在(2001年から順次)は、教室で茶碗に盛りつけているようだが、当時は、1人に1個ずつ、弁当箱に入ったごはんが配られた。以前の記事では、
「秋田米飯給食事業協同組合(たけや製パンの社長が理事長)」で製造された、暗赤色のフタ付きの弁当箱型容器にごはんが入っていた。(容器は厚手の樹脂製。使い捨てではなく、返却・洗浄して何度も使う)
フタの内側に水滴が付いたり、独特のニオイがしたものだ。
とした。

通常の白いごはんも、たまに出て熱狂的ファンがいた「ゆかりごはん」「わかめごはん」も、海苔が少なくて余ってしまう「手巻き寿司」の酢飯も、同じ方式だった。
ここまで以前の繰り返し。


最近、給食のごはんに関して、ふとよみがえった思い出が本題。
カレーの時のごはんについて。

以前紹介したように、ポークを中心にビーフ、シーフードといったカレーが月に1回は出ていた。
今のようにナンなんてしゃれたものは出ず、毎回、主食はごはん。

カレーの時も、弁当箱入りごはん。
カレーのルウは、給食室で作られたもので、食缶で教室に運ばれ、ステンレスのお椀(※)に盛りつけて出された。
※秋田市の食器は、当初はステンレス製だったようだが、後にポリカーボネート製も登場。1980年代中頃には両者が混在し、環境ホルモンが問題視された1990年代末にすべてステンレス製になった(戻った)ようだ。(現在は陶器?)学校や学年によって違いがあったみたいだが、僕は小中9年間ずっとステンレスだった。アルマイトではなくステンレス。


問題は、そのごはんとカレーをどう組み合わせて食べるかということ。
普通、カレーライスはごはんの上にルウをかける。レストランでは、ごはんが平皿、ルウが魔法のランプみたいなので出るように。
同じことを学校給食でやったら…

物理的な問題がある。
先割れスプーン(と各自の箸)しか道具がない児童が、お椀からごはんにルウをかけようとすれば、飛び散ったりこぼしたりしてしまうおそれがある。
それに弁当箱には、ほぼスレスレにごはんが入っているから、そこへルウをかけたら、あふれる(先にごはんを少し食べてすき間を作ればいいけど)。

僕は、上記の方法で食べたことはない。
小学校1・2年生の時の担任の先生の影響。ベテランの女性だったが、入学して最初のカレーの日だろうか「カレーのお椀に、ごはんを入れて食べなさい」と、指導というか指定されたのを、なんとなく覚えている。
上記の物理的問題でお盆や机を汚されると面倒なこともあるだろうが、たしか理由として「ごはんの入れ物(弁当箱)がカレーで汚れるから」と説明されたような気もする。

すなわち、弁当箱は、学校では洗わずに秋田米飯給食へ返却されるはず。つまり汚れた状態で、ある程度の時間放置される。しかも、米飯給食では普段ごはんの汚れしか処理していないはず。
そこにごはん以外のカレーが付着していたら、におうし、米飯給食での洗浄作業に迷惑をかけてしまうかもしれない。
子どもながらになんとなく納得したし、今考えても理屈としてはおかしくない。


3年生になり、初めてのクラス替え。担任も変わり、1・2年の時、同じ学年の別のクラスの担任だった、中堅の女性。
新クラスで初めてカレーが出た日、我々1・2年の時に同じクラスだった児童たち(3クラスあったので、新クラスの3分の1相当)は、なんのためらいもなく、お椀にごはんを投入。
すると、それを見た1・2年で違うクラスだった子が「カレーにごはんを入れるなんておかしい!」と言い出し、その当人は弁当箱にカレーをかけている。「カレーライスって、ごはんにカレーをかけるもんでしょ」的な理由を述べながら。
前の先生の教えではいけないことをしているのを目の当たりにしながら、それが当たり前のやり方だと言われれば、そうである。
新しい担任の先生は、別段、いいとも悪いとも、どうしろともおっしゃらなかった

その後、5年生のクラス替えでも、中学校でも、カレーの食べ方を指定された記憶はない。
飲んだ後の牛乳パックのストローをどうするかなんかは、給食委員が注意していたのに。
「カレーにごはんを入れる」のは、1・2年生の時の担任の先生の個人的な考えに基づく指導だったようだ。低学年児童では、こぼして汚す危険が高いという判断なのは分かる。

さらに中学校の時に1度、たしか中体連の関係で簡易給食的な扱いになった日、「カツ丼(カツ弁当)」が出た。
カツと卵とじの部分も、給食室でなく、秋田米飯給食で作ったもの。いつもの赤い弁当箱に入って出されて、驚いた。(米飯給食では、コンビニ・スーパー向けのカツ丼も作っていて、それと同じものを容器だけ変えた形)
ということは、別にごはん以外のカツ丼の残りが容器に付着しても、米飯給食での洗浄には問題はなさそう。

結局、弁当箱のごはんにカレーをかけて食べても良かったようだ。
でも僕は、カレーにごはんを入れて食べ続けた。
今でも、タッパー【13日補足・正しくは「電子レンジ対応食品保存容器」】に入れた残り物カレーを温めて食べる時、ごはんをそのタッパーに入れて食べる。洗うのが楽だもの。
あと、「ごはんをカレーに浸して食べる」ってのも、ちょっと食感が違って、また乙なものですよ。

給食カレー、ごはんにかけるか? ごはんを入れるか?

コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

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懐かしい (FMEN)
2019-02-13 20:50:39
赤弁当、懐かしいです。
カレーはかけてました。
仁井田は火水金が米飯でした。
海自や海保みたいに金曜がカレーとは決まってませんでしたが。
個人的に最近金曜はソバを食べてます。
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 (taic02)
2019-02-14 00:14:56
我々の時は…途中で回数が増えたせいか、曜日は忘れました。
米飯の日を各校でずらすことで、配送や弁当箱を効率的に回せるというメリットもありますね。

カレーは別として、米飯の日は先割れスプーンが提供されず、各自箸を持参。
箸を忘れた人への割り箸をどうするか、担任によって方針が違った気がします。気前よくくれたり、後で返しなさいと言われたり。

日曜日はラーメンかな。
学校給食って、昼食にしてはメニューのバリエーションが豊富だったんだなと、今にして思います。
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Unknown (りお)
2019-02-18 20:02:50
私には、カレーの食べ方を指導された記憶はないですね。
私は先にスプーンにご飯をすくってから、カレーにスプーンを浸して食べていました。こうするときれいには食べられたのですが、いつもルゥが余ってしまっていた記憶があります。時折ドライカレーとナンが出ることもありましたが、ナンが冷凍食品で、配膳までに解凍が間に合わず、冷えきったナンを食べたこともあります。
旭川小では確か火、金曜日がパン食で、月、水、木曜日が米食だったかと思います。
給食といえば、小学1年生の時に「がっこうたんけん」というものがありました。校舎内のいろいろな施設を見て回る授業だったのですが、私が1年生の時は給食室の中まで入って見学できたものが、その年にO-157が流行したため、次の年からは外から中を覗くだけになりました。調理実習も、必ず食材に火を通さなければならなくなったはずです。
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ごはんのバランス (taic02)
2019-02-18 22:43:59
「ごはんにひたす」派というのもありましたか。「ごはんに入れる」の派生形としていいでしょうかね(?)。
手巻き寿司が顕著でしたが、カレーでもごはんとの配分は難しいです。かけるにしても入れるにしても、一度に全量をそうするとあふれてしまうでしょうから、実際には各自加減して何度かに分けていたはずです。
カップ入りゼリーや冷凍みかん・りんごは、まだ凍っているところがおいしいものでしたが、解凍不十分のナンってのはイヤですね。

がっこうたんけん、言われて思い出しました。我々の時は、土曜日にちょっとだけ調理場に入ったはずです。「去年までは廊下から見るだけだったけど、今年のみなさんは給食がない土曜だから入れてもらえるんですよ」と言われた記憶がありました。
給食センターや他校からの輸送では、そもそも見学は難しいし、校内に漂うにおいで献立が分かったりということはありません。自校調理ならではの経験でしたね。
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