田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

さらけださなくても

2018年07月05日 | 日記
 昨晩の風呂上がり、扇風機の風を受けながらのテレビ、二人の男性が「LGBTです」と隠すこともなく、聞かれるがままに語っていた。私はそのような人を差別することはしません。ですが、たぶん友人にはならないし「是が非でも顧客に」とは考えません。人にはそれぞれ好みがあって当然、好みは時として性癖として現れるでしょうし、法に反しない限り、それを誰も責めることはできないと思う私です。
 
 諸外国の例を知ることはできませんが、我が国のテレビ界は、そのような方々がとても多く、隠すようなことをしません。正しいかどうかはわかりませんが、アメリカの場合、そのような番組は有料テレビに追いやられ、一般のテレビは規制がとても厳しいと聞きました。
 
 性癖をとやかく言えませんが、世界共通で厳罰に値するペドフィリア『幼児・小児(一般に10歳以下)を対象とした性愛・性的嗜好のこと』も性癖の一つとすれば、LGBTとどこで線を引けば良いのか迷います。こんな記事を見かけました
 
 人にはそれぞれ癖があります。辛党、甘党、酒好きも癖に含めれば、隠さなくても良い癖です。それが『女好き・男好き』の単なる欲望は、あえて口に出す人は多くはありません。すました顔で過ごすのが普通です。そんなに自分をさらけ出す必要はないと思うのです。
 
 「さらけ出したって良いじゃないか」という人もいるでしょうが、ただなんとなく、希少さを誇っているだけのような気がします。仕事柄、顧客が多かった私ですが、そのような癖を持っている人は、たった二人でした。一人は指輪やブレスレットで着飾る、昔風のピーコックな人でした。その人は高齢の独身で、酒場の経営者でした。自らは「決してオカマではない」と言ってました。

 他の一人は教育関係者、既婚でしたが子供はいませんでした。豪放磊落な人でしたが、癖を見抜かれない防御だったかもしれません。私は、気づいていることは、おくびにも出さないように気をつけていました。
 
 近頃のテレビ、そんなにカミングアウトすることはないでしょう。またこのためにだけ『カミングアウト』の言い回しが、テレビ界で使われ始めたと思う私です。