田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

アルバム 『組曲(Suite)』11月11日発売だってさ

2015年10月26日 | 日記
 中島みゆきさんのアルバム発売、3240円。欲しい、聞きたい、買います。来月注文します。ところでSuiteって?。おそろいってことか・・・・ホテルのスウィートルームのことだって、オイラ恥ずかしい勘違いしてたぜ。甘い(sweet)で新婚旅行用の部屋と思ってた。恥ずかPPPPP~だぜ。
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すべては心のありかた

2015年10月25日 | 日記
 心のあり方の表現はあやふやで、どのようにも捉えられます。今日の私はとても軽やかです。昨日は風邪気味で、一日中頭痛に悩まされたのに、晩は熟睡出来ました。市販薬を飲んだおかげか、ぐっすり眠れました。
 
 一昨日の金曜日、メタボ検診の結果を聞きました。血圧はいつものこととスルー。毎朝測っていますので、ドクターもナースも「ま、家庭血圧が重要ですから・・・」と言われてオイラも安心。
 
 マークがあった中性脂肪値は下がりましたが、悪玉コレステロール値が上がりマーク。オイラん家ほど健康的な食事は無いけどねぇ。これも「大したことない」ってスルーされました。ドクター、ナースに言われると、なぜか安心してしまうオイラです。尿酸値は下がらないまま、ドクターの「体質だと思う」で、これまた安心。
 
 金曜日は孫の○っちゃんの二度目の手術でした。妻と心配してましたが、夕刻息子から電話で「終わりました。二度目だからなのか、○○もそんなに泣かず、俺が帰る頃笑顔だった」と聞いて、とても安心しました。明日は見舞いに行く予定です。嫁子ちゃんから「食欲もあります」とメールがきました。
 
 このような安心材料が心のあり方を変化させるのですね。いつだったかの夕焼けが、いつになく美しく見えたのも、心のあり方なんですね。いつもこんな心でいられたら幸せだろうな、と思う六兎グッチが書きました。おしまい。
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“パクリ”問題、タレントさんから擁護の声

2015年10月24日 | 仕事
 古い話を蒸し返すが、オリンピックエンブレムの問題について、テレビのタレントさん達には擁護派が多いと感ずる。
 
 擁護の意見は「創作の基本は模倣」「流行を取り入れることをパクリだって言ったら、映画なんて絶対パクリになってしまう 」「人の真似をすることに芸術の出発点があるのかもしれない」「オマージュやリスペクトなどと呼べば、各ジャンルでも許される風潮がある」等など。

※オマージュ;フランス語、芸術や文学においては、尊敬する作家や
 作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事。
※リスペクト;尊敬、敬意と日本語にできる。


 このようなことを言ったり、弁解したり、説明するときに、なぜオマージュやリスペクトのような言葉を使わねば、言いたいことが言えぬかを考えるべきだと思うのはオイラだけかな。「尊敬してやまないので、強く感化されました」なんて言えるから、わざわざカタカナで表現しなくてもいいのに。「尊敬してやまないので、強く感化されてしまいました」などと言えば、更に意味が深くなる。
 
 話が脱線したが、なぜこんなことをいまさら言い出したのは、彼は景品のトートバッグのデザインを依頼され、言い逃れの出来無い盗作をした。オイラは彼とよく似た仕事だけど、オイラ達の仁義では、どんなちっぽけな盗作でも、やっちまったら二度と仕事はできないぜ。だから自殺しちゃう奴だっているんだよ。さらに、賞が決まってからの変更は、己の自尊心の切り売りだぜ。
 
 つくづく思う、薬物に手を出しても、再び人前に出られる仕事ってそんなに無いよ。オイラは『職人芸は全身に職、全身で芸を売ることに徹して欲しい。子供も見ているテレビで喋るのだから』と思う今日この頃なのだ。おしまい。

下戸は肩身が狭い、トホホな思い出

2015年10月23日 | 日記
 Jcastニュースを読みました。昔の思い出を愚痴ります。
 
 昔々、街のメインストリートと交差する大通りに、市民センターがありました。今で言う多目的ホールで、建物は隣の市にあった米軍の格納庫を移築転用したそうです。かまぼこ型で窓が多い建物でした。
 
 市民センターの前の歩道まで芝生空地が広がり、私が知った頃には、すでに赤ちょうちんを下げた屋台が歩道に列をなしていました。屋台用の電源や水道も用意されていたように思います。夜の市民センターは、催しがあれば明るいのですが、平常は暗く、赤ちょうちんが暖かく光っていました。赤ちょうちんの明かりは、屋台と歩道を照らすだけで、市民センターの軒下までは届きませんでした。軒下に娼婦が立つのも珍しくありませんでした。
 
 残業を終えて歩く私は空腹で、屋台のおでんを食べたかったのですが、屋台で酒を頼まぬ無礼を聞きかじっていましたので、屋台でおでんを食べる勇気がありませんでした。いつか屋台のおでんを食べるのが、気弱な私の望みでした。
 
 ある年の春、新入社員の女の子の中に、市民センター前で生まれ育った子がいました。それとなく赤ちょうちんの話を振ると、しょっちゅう食べに行っているそうでした。彼女の父上が娘とお酒を飲むことを喜び、迷惑なくらい誘うと、微笑みながら話しました。「お、一度行きたかった。一回付き合って」と声をかけると「ご馳走してください」との返事でした。「喜んで!!」
 
 赤ちょうちんのおでんは美味かったです。もちろんお酒は飲む真似だけ。女子はけっこういけそうで、「美味しい、美味しい」とお酒を飲んでました。
 
 おあいそで「酒が弱くって申し訳ない」と言うと「旦那さん飲めないんだろ、可愛い子が飲んでくれた。うちは酒なしでも良いよ、また来なよ」と言われたけど、一人ではどうしても行けなかった赤ちょうちんの思い出。おしまい。

ゆとりの世代

2015年10月22日 | 仕事
 現在進行中の仕事の話です。ワタクシこの歳ですから、自ら営業しての受注は無理です。体が無理に耐えられません。万が一調査に遠出しなければならなくなったら、運転が下手で、おまけに老体ですから、調査もおぼつきません。
 
 ですから、今は、昔々勤めていた会社の手伝いです。下請けですが、先輩として扱っていただけるのでとても働きやすいです。しかし、向田邦子さんの小説(題名忘れてしまいました)にあったように、煙たがれる先輩であらぬよう、気をつけています。
 
 今回の仕事は、途中入社の若者の教育を併せて頼まれました。本来なら新人教育は大切な仕事ですが、忙しいのか、それともヤンチャな子で手に余っているのか少し心配です。
 
 月曜日に会ってきました。背の高い体格のいい子、薬指の指輪が気になりました。身上調査は次回にすることで、彼が作ったデータを見せてもらいました。
 
 私の「平成の生まれだよね?」の問に『ハイ!ゆとり世代と言われてます』だってサ。学生時代に習得したソフトが、会社のソフトと異なり「苦労した」と言ってました。その痕跡が見え、教える糸口が見つかりました。
 
 元社長のご子息のS君は専務になりました。グループの一つを統括しています。S君が席に着きました。新人君、若干緊張気味でした。彼の作ったデータは、元々メーカーからのデータだそうで、変換プログラムの誤作動が多かったと言ってました。実はS君、ITに強くないのです。ま、管理職はほとんど、パソコンには無縁ですからね。
 
S君『読めないから、変換ソフトで違う拡張子にして読もうとしたらこんな
   ふうになってしまった。彼に随分直してもらったんだけどねぇ』
六兎「ずいぶん前に話した、Dサイトを使うべきだよ。フリーだからさ」
S君『・・・・・・・・・・・沈黙・・・・・・・』

 今まで管理職の人達に、何度も、私が使ったフリーソフトを紹介してきたのですが、フリーソフトは怪しげな何かが、くっついてくるなんてことを、どこかで聞きかじっているらしく、なかなか使おうとはしてくれませんでした。

新人「Dサイトってこれですか?」早ッ!!スマホをオイラに見せる。
六兎「そうそう、これ。オーソライズは捨てメアドが良いよ。
   メアドが漏れるらしく、英文CMが嫌になるほど来るから」
新人「やってみます」受け答えはテキパキ。

 夕刻メールが来ました。
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教えていただきましたDサイトは活用させていただいております。
良いものを教えていただき、ありがとうございました。
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 全然ゆとりじゃ無いと思った。実行力がある。じゃなぜ、前会社を早く退職したのかなぁ。ジックリ聴こうと思うけど、期限には間に合わせなくっちゃ。頑張るぜ。
 
 ゆとり世代とはWikiによれば、
広義では、小中学校において2002(平14)年度以降、高等学校において
2003(平15)年度入学生以降に施行された学習指導要領で育った世代
1987(昭62)年4月から2004(平16)年3月生まれ。
 狭義では、ゆとり教育を受けた世代のうち、一定の共通した特徴をもつ
とされる世代1987(昭62)年4月から1996(平8)年3月生まれ。だそうだ。