田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

下戸は肩身が狭い、トホホな思い出

2015年10月23日 | 日記
 Jcastニュースを読みました。昔の思い出を愚痴ります。
 
 昔々、街のメインストリートと交差する大通りに、市民センターがありました。今で言う多目的ホールで、建物は隣の市にあった米軍の格納庫を移築転用したそうです。かまぼこ型で窓が多い建物でした。
 
 市民センターの前の歩道まで芝生空地が広がり、私が知った頃には、すでに赤ちょうちんを下げた屋台が歩道に列をなしていました。屋台用の電源や水道も用意されていたように思います。夜の市民センターは、催しがあれば明るいのですが、平常は暗く、赤ちょうちんが暖かく光っていました。赤ちょうちんの明かりは、屋台と歩道を照らすだけで、市民センターの軒下までは届きませんでした。軒下に娼婦が立つのも珍しくありませんでした。
 
 残業を終えて歩く私は空腹で、屋台のおでんを食べたかったのですが、屋台で酒を頼まぬ無礼を聞きかじっていましたので、屋台でおでんを食べる勇気がありませんでした。いつか屋台のおでんを食べるのが、気弱な私の望みでした。
 
 ある年の春、新入社員の女の子の中に、市民センター前で生まれ育った子がいました。それとなく赤ちょうちんの話を振ると、しょっちゅう食べに行っているそうでした。彼女の父上が娘とお酒を飲むことを喜び、迷惑なくらい誘うと、微笑みながら話しました。「お、一度行きたかった。一回付き合って」と声をかけると「ご馳走してください」との返事でした。「喜んで!!」
 
 赤ちょうちんのおでんは美味かったです。もちろんお酒は飲む真似だけ。女子はけっこういけそうで、「美味しい、美味しい」とお酒を飲んでました。
 
 おあいそで「酒が弱くって申し訳ない」と言うと「旦那さん飲めないんだろ、可愛い子が飲んでくれた。うちは酒なしでも良いよ、また来なよ」と言われたけど、一人ではどうしても行けなかった赤ちょうちんの思い出。おしまい。