田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

言葉の変化というよりも道具の変化 コピーの話

2015年10月16日 | 仕事
 言葉は日々変わっています。近頃は特に激しく、私など全く意味がわからない時もあります。一昔前は『知恵蔵』や『イミダス』が必要でした。それも今はありません。(2007年度版を最後に休刊)今はネットで調べられるから、超!便利です。ちなみに、超 チョーは1980年頃、少年少女から流行りだしたらしいです。当時流行した超合金の”超”からなのですかね。息子にせがまれた記憶が懐かしいです。
 
 では、勉強や遊び、仕事で使った「複写」「コピー」について思い出して書きます。私の実働40年間でも実に様変わりしています。

 トレーシングペーパー、写し紙
昔からありました『硫酸紙』は透けましたが、鉛筆が乗りませんでした。トレーシングペーパーが現れ、漫画本をなぞって写しました。それを裏返して、真っ白な紙に押し当て、スプーンの裏でこすって輪郭を転写しました。鏡絵になってしまいますが、返ってオリジナル風に見えました。近年まで、持ち出し禁止の法務局の絵図の写しに使いました。今は有料でコピーしてもらえます。写真撮ったら叱られるかな・・・・。
 
 謄写版、ああ懐かしい油の匂いと原紙の感覚
現在のシルク印刷やプリントゴッコの原型です。原紙の蝋をヤスリ板の上で鉄筆で削ぎ、インクの付いたローラーで印刷しました。私は小学校から高校まで使いました。鉄筆で描く時、ガリガリと音がするので、ガリ版印刷と呼ばれていました。写真は不可能でしたし、とにかく書かねばなりませんでしたので、コピーとは言えませんでした。インクで汚れた原稿は保管する気になれませんでした。
---------------------------------------------------------------

---------------------------------------------------------------
 トレース、トレーサー『写図工』
製図を間違いなく写し描く職人がいたそうです。私が学んだ大学においては、製図はケント紙(高級な画用紙)に墨で描くことを教わりました。時代遅れの写図工の修行でした。実社会ではそのようなことは、とうに行われていませんでした。
---------------------------------------------------------------

---------------------------------------------------------------
 青焼き
私が新人の頃、トレーシングペーパーや和紙に鉛筆で書いていました。紙が光さえ通せば、太陽光線を利用して印画紙に焼き付けることができました。青い下地に白い線でコピーされた、青焼きと言いました。すでに時代遅れでしたが、これを愛するワガママ者もいて、「青図で焼いて」という人もいました。もっとも私は発注するだけでしたが、コピー屋さんには嫌な顔されました。
---------------------------------------------------------------
---------------------------------------------------------------
 湿式コピー機
太陽光の代わりに蛍光管を使う機械が現れ、コピーが天候に左右されなくなりました。定着液の中を通るので湿って排出され、乾かさねばなりませんでした。忙しい時に定着液が無くなったり、メンテナンスは新人の仕事でした。徹夜仕事の時、修理を依頼されました。修理しただけなのに「君のおかげだありがとう」なんて重役に言われた嬉し思い出・・・。

 乾式コピー機
紙質は良く、輪郭もくっきりでしたが、機械は高く、コピー屋さんに外注でした。一枚8円とか、今から考えればとても高かったです。その後、機械が安くなり、企業も自社コピーの時代になりました。湿式も乾式も白地に青い線でコピーされました。特殊な蛍光管を使いますので、コピーができるまでの安定した光になるのには時間がかかりました。コピーを終えた時には大声で「コピー良いですか?」と声をかけてから電源を切るのでした。新人は大声を出すのが恥ずかしかった思い出が・・・・。
---------------------------------------------------------------

---------------------------------------------------------------
 本など不透明紙のコピー
いわゆる感熱紙(一昔前のFAX紙)を使うコピー機が現れました。主に本などをコピーしました。半透明な感熱紙もありましたので、図書館で借りた本をコピーして原稿を作り、湿式コピー機を使って社員一人一人に配布、なんとも恐ろしいことをしていました。手間と紙代を考えると本のほうが安価だったと思います。重役さん達が「おーい、リコピーしてくれ」と言ってました。

 普通紙のコピー
世にゼロックスがあふれました。ここから切り貼り文化が始まりました。過去資料は見るだけではなく利用できました。そして考える力が薄まり、仕事の周期が短くなり、私達は忙しさに追われ始めました。ゼロックス機に「リコピーして」なんて意味不明なこともありました。
---------------------------------------------------------------

---------------------------------------------------------------
 コピー時代が終わり印刷時代になりました。
書庫に積まれていた大量の印刷物は全てデータに置き換わりました。必要なときに検索し、必要ならば印刷します。ペーパーレスと言われていますが、個人的には紙の使用量は増えています。

 そして、コピーの意味が変わりました。
いま「コピーしてください」なんて言えば、右クリックで『貼り付け?』を思うはずです。では本当にコピーが必要な時は、やはりコピーと言います。パソコンに向かっている時、銀行口座を開こうとしている時、場面で判断します。安易に免許証のコピーを許していますが、マイナンバーカードの場合はどうなんでしょうね・・・・。