田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

ノーベル賞 大村先生や山中先生の話を聞いて

2015年10月08日 | 仕事
 日本人がノーベル賞を受賞されると、誇らしげで何度もテレビニュースを見てしまうオイラです。大村先生は「失敗をおそれるな」と、失敗をたくさんなさった話を聞かせてくださった。顎の絆創膏は階段でコケたそうです。数年前の山中先生は「最初の職場では手術が下手で、ジャマナカって言われてました」と語られました。皆さんとても控えめです。やはり『天才』は違います。
 
 こんなノーベル賞ですが、中国では一人の女医さんが受賞なさいました。国を挙げてのお祝いムードだそうです。でも、三人目の受賞なんです。
劉暁波氏 平和賞 2010年 人権活動や民主化運動に参加、度々投獄される。
莫言氏  文学賞 2012年 過去に受賞した高行健氏はフランスに亡命、ダライ・ラマ氏も含めると複雑な歴史を持つ中国ですので、しがらみがない今回の女医さんの受賞は、ことさらにおめでたいのでしょう。平和賞、文学賞には政治的な臭いが漂います。

 昔々、私が仕事で脂ぎっていた頃、お金よりも名誉を望みました。当時の私は、仕事を取り巻く環境に不満があり、ことあるごとに発言していました。しかし同調してくれる人は少なく、それも不満でした。
 
 いつしか私は、考えの正しさを自身で疑う不安を、不満を心に満たすことで帳消しにしていました。『有名にさえなれば、俺の言うことに耳を傾けるはず』と不遜な考えを持つようになりました。今から考えれば、年の功の人々からは当然のごとく見透かされていたと思います。
 
 歳を喰って、『世の中の仕組みは、コンプライアンスは踏み外さない緩さ、曖昧な範囲が必ず必要。刑務所のような規律は必要無し』遅まきながら解ってきました。たぶん青臭さが抜けたと思います。いつしか大声で叫ばなくなりました。叫ぶ必要も無くなりました。なぜならこの社会は思うほど悪く無いし、今まで反抗してきた体制も認められるような気がしてきました。
 
 自分の技術に関しては曲げることはしませんが、自分を取り巻く環境や国のあり方については、結果ありきの言論は謹んでいるオイラです。ノーベル賞受賞者の謙虚さを見せてもらい、恥ずかしく昔を思うオイラです。
 
 一芸が秀でた『芸能』の方々が、国会前でデモ隊の一員として個人意見を表明するのを否定はできませんが、『なぜ私の意見がテレビを通して国民に伝わるのだろうか?』と考えることも必要ではないかと、丸くなった六兎グッチがつぶやきました。