田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

蝉が朝から鳴いてますが・・・

2015年07月21日 | 日記
 団地にはペストコントロール(人間生活における有害・不快な生物の活動を、人の生活を害さないレベルまで制御すること)を業としている友人がいます。当然生物には詳しく、その彼が「アブラゼミがいなくなってクマゼミが増えている」と教えてくれたのが一昨年でした。
 
 昔々子供の頃、捉まえられるのはアブラゼミばかりで、羽根が透明なクマゼミが欲しくて、樹の下をウロウロしたものでした。見つけられても、タモが届かない上の方で、ずいぶん悔しい思いをしたのでした。そのクマゼミがアブラゼミと入れ替わって、近頃はアブラゼミが貴重なんだだそうです。

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 先日、台風(11号)が近づく少し前、日照りの中、蝉の幼虫が蠢いているのを発見しました。トンボの幼虫がヤゴと呼ばれるのに比べて、蝉の幼虫は全国で呼び方が色々あるそうですが、一般的には『蝉の幼虫』とだけしか名前がありません。水中とちがって見えないからかなぁ・・・。若干哀れ。
 
 田舎育ちの私も、蝉の幼虫が地中から出てくるのを見たことがありませんでした。地中から出てくるのは夜中の涼しい時、高い場所を探してたどり着き、明け方にかけ羽化し、朝日で体を乾かして軽量化すると聞いていました。お昼少し前のかんかん照りに地中から出てきたら、熱中症、鳥の餌、アリンコの攻撃と危険がいっぱい、おそらくマヌケなやつだったと思います。
 
 動画を撮影しながら、日影を作ってやりましたが石が登れず、仕方なく手を貸しました。午後3時ころ羽化が終わりましたが、夕方まで同じ場所にいました。帰宅した妻に「もっと高いところでダッピしなきゃダメでしょう」と説教されていました。なぜ高いところが良いのか、私は?です。



これ、何って名の花?

2015年07月20日 | 日記
 第三日曜日は団地の外掃除、近頃は妻にお任せです。私は仕事場で、もうすぐ終える仕事の残務整理をしています。
 
 ずいぶん昔は、妻と二人で掃除に参加していました。私は団地の中では若い部類でした。また仕事柄、団地の相談事を受けることもありましたので、団地の内情には詳しいほうでした。ある年度に団地の運営を託された時は、悩むこと無く引き受けました。どこの団地でも同じように、人材不足と高齢化が団地をスラム化させています。さらに世を拗ねたような老人パワーがくすぶっています。
 
 こんなご老人、決め事は全てに反対、自分に利がなければ引きこもり、陰口攻撃、投書の乱発です。団地住民の1%弱の人達が、資産価値を下げています。困った人達が、私に相談されるのですが、すぐにでもできる方法は、すべてルーチンワークにして、残してあるのです。
 
 読まずして、考えずに相談ってことは「お願いです。お尻を拭いてください」ってことですので、できるだけ外に顔を出さないようにしています。「皆さんごめんね」って。これが団地の実情、いや日本の実情でしょう。
 
 で、外から妻の大きな声「あら!こんな花見たこと無い」
掃除に来てくれる隣家の娘『珍しい花。旦那さん知らないの?』

近頃庭の草取りをしているオイラは、階上からガーデニストと思われ?
妻「知らんと思うけど聞いとくワ。ワイワイガヤガヤ」

 で妻の写真で検索、ヒットしませんでした。ならば言葉の検索『アジサイに似た葉 ブドウのような実』でヒット『ランタナだと思う』でランタナで検索したら正解でした。鳥が運んだのでしょうかねぇ?。


高層レストランでも・・・・

2015年07月19日 | 日記
 台湾の日本料理店「中国人出禁」の記事を読みました。外国人差別はいけませんが、どこかしこでも自国の習慣をあからさまにするのは謹んでいただきたいと思う私です。
 
 久しぶりに妻と昼食を食べることにしました。予約のいらない、少し高級な(昼食で軽い物 2,300円くらい)お店が並んでる某ビル高層階へ行きました。開店は11時、時間待ちのお客さんがたくさんいらっしゃいました。ところが、いたるところで騒々しい大声が響き渡ります。中国人の爆買い旅の途中なのか、大きな荷物に腰を降ろしてる人、荷物を広げる人、荷造りする人達がとにかく大声で喋ります。それに負けてはならぬと思ったのか、ひときわ大きな声で「○ンド料理専門店デェス。イラッチャイマチェ」
 
 喧騒につぐ喧騒、美味しさよりも、くつろいでの昼ご飯は諦めました。意気消沈でエレベータへホールへ向かいました。そんなオイラ達と同じお客さん達って見るだけで分かります。苦笑しながら「いつもは静かなんですが・・」「ここも喧しくなったね」ご夫婦連れが数組、お帰りになりました。もったいないです。
 
 で、空腹逃れにスタバのサンドイッチとコーヒー。でも、意外と美味く、静かなのに驚きました。聞くところによれば、スタバを仕事場にしている人もいるそうです。それはともかく、昼食は安く済んだし・・・嬉しくもあり、残念でもあった夏の午後でした。

美輪明宏氏と楯の会三島由紀夫氏

2015年07月18日 | 日記
 ヨイトマケの歌の頃の美輪さんは好きだった。その美輪さんが、近頃怪しげなスピリチュアルとかを言い出し、なるべく見ないようにしていた。あの黄色い髪はどうしても見たくないのだ。その美輪さんが「安全保障法案を認める人達は自ら、親族も含めてお手本を示せ」とばかりに「徴兵制になるならば、まずご自分が、年齢に関係なく、鉄砲を担いで、鉄兜をかぶって、まず第一線に出ていただく。それから、お子さんも、孫も、きょうだいも、それから娘さんのボーイフレンドも、全部一緒に連れ立って第一線に、まず最初に出ていただく。もちろん一兵卒でね」と厳しい意見を、小冊子熱風で書いていらっしゃると読んだ。極論だが、美輪さんの言うこと全部が間違っているのではないが、昔を知っているオイラには小首を傾げるところもあるのだ。
 
 美輪明宏氏と楯の会三島由紀夫氏、二人の出会いは昭和26年だそうだ。日本がまだまだ貧しかった時だ。その後三島は戯曲黒蜥蜴を書き、主役に三輪を抜擢した。三輪の言葉で、三島が肉体改造に行き着いたかは解らないが、三島の風貌と、三輪の容姿は対称で真逆に位置すると思う。
 
 三島は日本の美意識、特に武士道を復活せんと自衛隊の門をたたいたり、己の財力で私兵、楯の会を結成した。その頃の話を三輪は「今に日本はとんでもない時代になるよって、三島は言ってたんですね。親が子を殺し、子が親を殺し、行きずりの人を刺し殺してみたりとか、そういう時代になるよって、三十数年前に言ってたわけじゃないですか。その通りになりましたよね」と語っている。
 
 三島は「日本国憲法においては自衛隊とは軍隊ではありません」と言っていた。そのため三島は、この憲法がある限り、国を守るために自衛隊は十分機能しないと考え、そのためには自衛隊を動かして国会を占拠、憲法改正の発議をさせようとクーデターを決起し失敗、割腹自殺をした。介錯した一名も死亡した。私が大学生であった時の出来事だ。
 
 それを美輪さんは『なぜ三島さんなのかって、三島さんだけでなくてね、本物を求める時代になったんですよ。終戦後、66箇所も絨毯爆撃でやられて、とにかくみんな着る物も住む所も食べるものもない。そうしたらね、礼節とかね、教養とかね、知性とか、そんなこと言ってられなかった。みんなケダモノだったんですよ。そしてやっと戦後60年になって、やっと気がついてきた。大切なものを忘れてた。つまり、謙譲の美徳であるとか、礼儀作法とか、しつけとか、ロマンチシズムとか叙情性とか、そういったものがどこにも無かったわけですよ。文学やなにかも思いつきのね、いいかげんな、人を驚かしてやろうって卑しい魂胆で作られた文学、美術、音楽、そういうものばっかりになったでしょ。でも、一般大衆はそうじゃない。そんなものいらない、代用品はいらない。本物が欲しいのよ。で、振り返ってみたら日本に素晴らしいものがあるじゃないですか。「これなんだよ」って言ったら、ボツボツ始まってきたんですね。ですから、私は一生懸命…三島さんはご迷惑かもしれませんけれど…三島由紀夫、三島由紀夫って叫びつづけて参りましたけど、三島さんだけじゃない、寺山修司も…。そういう日本が世界に誇る本物。かつてジャポニズムっていって世界に尊敬されてた時代ですよね。明治・大正・昭和初期までのそれが日本にあるんですよ。それを、大衆のほうが先回りして欲しがってるんですよ。それがとりもなおさず、三島由紀夫であり、寺山修司であり、ずーっとブームになってきているんですよ』10年前の語である。だから今日の記事を見て少しばかり、『えっ??』ッて思うオイラなのだ。

手術無事終え、今日見舞いに行きました

2015年07月17日 | 日記
 孫の○っちゃんはお口に障害を持って生まれてきました。水曜日に手術を受けました。今日、妻と見舞いに行きました。『嫁子はしっかり食べているだろうか、孫は手術がトラウマになっていないだろうか』心配の種を貯めこみ、台風が抜け切らない朝から出発しました。
 
 途中の駅で軽い昼食、嫁子の見舞いにマカロン、万が一食べ損じているかもしれない嫁子の昼ご飯にウナギ、日持ちする夕食にと、フランスパン色々を買いました。妻は早朝から野菜サラダやフルーツを用意し、私のザックは満杯。
 
 さて病院、孫に医師と思われるといけないから、深緑色のポロシャツを着ていった効果があり、私を見て泣き叫ぶことはありませんでした。嫁子も孫も元気で、孫は鼻の下に絆創膏を張っているだけで、お乳も離乳食も元気で食べるそうです。すっかり安心出来ました。嫁子はウナギが大好物だそうで「お風呂に行きたいので、20分ほど○っちゃんお願いします。さっぱりしてからウナギがいただきたいです」オイラと妻で抱っこして廊下を散歩、良い子な○っちゃん、談話室で寝てしまいました。
 
 風呂あがり、とても美味しそうにウナギを食べる嫁子を見て、すっかり安心。台風の中、見舞いに行って本当に良かった。来週末には退院できるそうです。2回めの手術が秋、その後は6、7歳だそうです。ガンバレ○ッチャンと嫁子チャンです。