萩さんの話ネタ2

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火曜日・・・雑記

2017-09-26 01:00:00 | 日記
埋蔵金伝説・・・
やはり、ワクワクしますね。そこで、こんな記事がありましたのでご紹介します。
【夢とロマンで楽しい ニッポンの埋蔵金伝説】
 
記事(2017年9月24日 AERA dot.)によると
 
『日本には、1万カ所近い「埋蔵金伝説」があるという。でも、真実味があるのは1%程度。本当のお宝はどこに? 日本で唯一の“トレジャーハンター”に聞いた。
 
 全国津々浦々に埋蔵金伝説はあるものの、99%は「作り話」で、真実味があるのは1%程度だという。そこで、長年埋蔵金ひと筋に各地の埋蔵金伝説を追求してきたというトレジャーハンターの八重野充弘(みつひろ)さんに、その中でも特に信頼性の高いベストテンを挙げてもらった。
 
 1位は、知名度ではわが国ナンバーワンの埋蔵金伝説を誇る「徳川埋蔵金」だ。徳川埋蔵金が広く知られるようになったのは、90年代に始まり、今も断続的に続くTBSの発掘プロジェクトだ。「宝探し」というテーマにロマンをかきたてられ、お茶の間に徳川埋蔵金ブームを呼んだ。そのお宝とは、幕末に隠されたとされる徳川の軍用金360万両(時価にして数千億円)。場所は、赤城山麓だ。だが、八重野さんは、赤城山麓説は「信憑性は低い」と見る。
 
 「当初は赤城山麓が候補だったかもしれないが、実際はもっと北へ分散して埋めたのではないか。赤城以北の各地に、幕末に馬や牛でひそかに千両箱をのせ運んでいたという、複数の目撃談が残されています」
 
 では、江戸城のお宝はどこへ消えたのか。江戸城開城の時、蔵には小判一枚なかったといわれる。八重野さんは、その場所をピンポイントといえるくらい絞り込んでいる。赤城山の北西麓、今の群馬県昭和村長者久保だ。その山中に「大法馬金(だいほうまきん)」と呼ばれる重さ165キロの大金塊(金の地金として見た場合、時価約8億円。文化財としての価値はその数十倍)が眠っていると見る。天保年間(1830~44年)、老中・水野忠邦によって江戸城から持ち出されたとされる。
 
 八重野さんは何十回となく長者久保の山中の調査を行い、昨年末もテレビのバラエティー番組と組んで一帯を発掘したが大法馬金は出てこなかった。
 
 「本命地点はさらに絞られました。あとは自力で掘るのみです」
 
 2位の「結城家の黄金」は、徳川埋蔵金に比べて知名度こそ低いが、埋蔵金マニアの間では徳川埋蔵金に匹敵するくらい有名だ。そのお宝は、結城家の初代朝光(ともみつ)が源頼朝に従い奥州藤原氏を滅ぼした際、恩賞としてもらった平泉の黄金。場所は栃木県小山市。
 
 結城家の重臣が書き残した古文書が残っている。それによると、重さ約8キロの金の延べ棒が2万5千本、30キロの砂金入りの樽108個など、黄金の総重量は約380トン(時価約1兆8千億円)。八重野さんは「お宝があるとしたらこの場所しかない」とまで断言するポイントまで絞り込んでいるが、今は国指定の史跡になっていて掘り起こすことができない。
 
 3位が、「武田信玄の軍用金」。
 
 4位の「尾張徳川家の駿府御譲金(ごじょうきん)」は徳川尾張家に伝わるお宝だ。名古屋城から8キロほど南東にある興正寺(こうしょうじ/名古屋市)に、30万両(時価150億円)のお宝が眠るという。
 
 1615年の大坂夏の陣に勝利した徳川家康が大坂城にあった豊臣家の金銀を手に入れ、それを尾張、紀伊、水戸の御三家に配分した。これが「駿府御譲金」と言われるが、尾張家の御譲金の行方がわかっていない。
 
 「興正寺の紋所は徳川家と同じ葵の御紋で、お堂を建てたのは尾張徳川家2代藩主光友公。お寺と尾張藩とは深い関係にあります」(八重野さん)
 
 5位は同じく愛知県。「豪商・前野小平治(こへいじ)の隠し金」とは、江戸時代、今の南知多町で海運業に成功して莫大(ばくだい)な財産をつくった豪商・前野家のお宝だ。5代目小平治の時代、尾張藩にお家が取り潰されそうになると、小判数千枚(時価数十億円)の財宝を屋敷とその周辺に分散して隠した。明治になって8代目小平治が、蔵の中から5代目が埋めたとする目録を見つけている。
 
 「埋めたことは確実。いまだ発見されていない以上、今も埋蔵金の可能性は残されています」(同)
 
 6位の「帰雲城(かえりぐもじょう)の埋蔵金」は、大地震の地滑りで一夜にして埋没した「日本のポンペイ」といわれる、悲劇の城の埋蔵金だ。
 
 場所は世界遺産でも知られる白川郷。1586年に起きた大地震で帰雲山が崩れ、ふもとの帰雲城と城下町を一瞬にしてのみ込んだ。その時、莫大な金銀財宝も一緒に土中に埋まったとされる。金額は「推定時価数百億円」など諸説が飛び交う。
 
 埋蔵金の中でも、浮かんでは消え、消えては浮上するのが、7位の「旧日本軍の隠匿財宝」だ。
 
 「詳しい場所は明らかにできませんが……」
 
 と、言葉を濁す八重野さんによれば、お宝は福井県のある市の深い山中に眠る。それは旧日本軍が大陸から略奪して秘匿した美術工芸品と貴金属で、本土空襲で失われるのを避けようと1944年に隠されたのだとか。時価総額約3千億円。情報源は、財宝を隠したとされる日本軍将校なので信憑性は高い。八重野さんは予備調査も含め十数回発掘し、お宝を隠したと思われる石畳の地点まで掘り進めたが突破できず、資金面の問題などから発掘を中断している。
 
 「あと一歩のところまで来ています」(八重野さん)
 
 8位の「明智光秀の護法救民の宝」の場所は、光秀ゆかりの寺とされる京都市右京区の慈眼寺(じげんじ)だという。
 
 9位の「毛利家の埋蔵銀」は、戦国武将、毛利元就の隠した銀数万枚(時価数百億円)。隠し場所は、代々毛利家の子孫が住職を務める、音戸の瀬戸を見下ろす広島県呉市の法専寺(ほうせんじ)とみる。
 
 10位の「海賊キッドの宝」の隠し場所は、鹿児島県トカラ列島に浮かぶ、その名も「宝島」。キッドとは17世紀後半、大西洋やインド洋で悪名をとどろかせた海賊キャプテン・キッドのこと。その宝島に、金貨や宝石類1億ドル以上が隠されているという。
 
 「できすぎた話でまさかと思いますが、キッドは捕まる前に東シナ海近辺で海賊行為を働いていた形跡があり、キッドが残したという地図も宝島の地形にそっくり」(同)
 
 ところで、もし埋蔵金を見つけたら、お宝は誰のものに?
 
 「基本的には落とし物と同様、『遺失物法』の適用があります」
 
 とアディーレ法律事務所の篠田恵里香弁護士。埋蔵金も道で財布を拾ったのと同じく、発見者は警察に届けなければいけない。その後、6カ月以内に遺失者(持ち主の相続権者)が現れた場合は、落とし物と同様、発見者は「報労金」として5~20%を請求できる。現れなかった場合は、埋蔵金が出た土地の所有者と折半することになるという。こうした点について、八重野さんは異議を唱える。
 
 「長い時間と労力と費用をかけて掘り出した埋蔵金が、たまたま見つけた遺失物と同じ扱いなのはおかしい」
 
 発見者の取り分があまりに少ないので、見つけても警察に届けずネコババする例もあるという。八重野さんは、立法を願い出ようと考え草案を作り、所有者が判明した場合は発見者には50%、判明しなかった時は発見者が80%から95%もらえるようにするべきだとする。そうすれば、ネコババせず世間に発表してもいいという気持ちになると話す。
 
 「僕は見つけたら公表して世間をあっと驚かせたい。もちろんお金目当てもあります(笑)」
 
 夢とロマンと現実と──。謎を追い求める人は楽しそうだ。』
コメント (3)
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