<中山神社 なかやまじんじゃ>
現在、津山市の中山神社の呼称は
「なかやま」が一般的ですが、
その昔は「ちうさん」「ちゅうぜん」
「ちゅうざん」などと呼ばれていました。
何でも、中国の鉄に関する古書、
中山経(チュウサンキョウ)の影響を受け、
チウサンと音読みされるようになったのだとか……。
また、ご祭神に関しても、「吉備津彦命」
「金山彦命」「オオナムチ」「猿神」、
さらには吉備津彦が退治した「温羅」ではないかなど、
多様な説が取り沙汰され憶測を呼んでいます。
いずれにせよ、それらの伝承を拾っただけでも、
この神社がいかに古くから「人間の干渉」
を受けてきた場所であるかがわかるでしょう。
つまり、それほどまでにこの地は権力者たちにとって、
「魅力的な土地」だったということなのですね。
ちなみに、中山神社がもともと鎮座していたのは、
「真金吹く吉備の中山帯にせる細谷川の音のさやけさ」という、
『古今集』の神遊び歌に登場する「吉備の中山」でして、
美作国が備前国から分立した際に現在地に移ったのだそうです。
吉備津彦神社や吉備津神社との関連も含め、
中山神社がこの地に勧請された裏には、
一筋縄では行かない複雑な経緯があったのかもしれません。