治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

「治る」という言葉を使うかどうかの選択(議論板を受けて)

2017-08-16 10:05:26 | 日記
さて、ととさんからのコメントの一部を貼らせていただきます。

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Unknown (とと)
2017-08-14 19:12:48
治るが勝ち!読みました
私は「発達障害が治る」ということを断固として信じない人、発達障害が治るという話題にアレルギーがあって発狂する人達(当事者にも多いです)に気を使って「寛解する」みたいな言葉を使ってきたのですが、これからはもう「治る」って堂々ということにします
発狂する人に気を使うのやめます!

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発狂?する人はいますね。胎児性の愛着障害だか恐怖麻痺反射の残存だかの産物で、「治る=自分でなくなる」と誤解している人もいるし。「治る=自分でなくなる」という誤学習への反論は、私はきっちり「発達障害、治るが勝ち!」の中でしていますが、皆さんはそれを読まない人たちに「うちの子は治った」とか言っては発狂されることが今後も続くでしょう。

この本の第十章でも書きましたけど、こういう卑屈な人たちが私は長年理解できず、「人間脳を育てる」と「愛着障害は治りますか?」を経てやっと「システムとしての卑屈」を理解したわけです。そして出した結論がやはりととさんの言葉を借りれば

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発狂する人に気を使うのやめます!

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なのですよね。

なぜ卑屈な人たちが卑屈に受け取ると知りながらなお「治る」という言葉にこだわるか。その理由は最後の章、「なぜ治るという言葉を使い続けるか」の理由その2とその3です。わかりやすいでしょ?

2と3が対象とする相手は利益相反していますよね。それぞれ考えが違う人への対応策だから。そしてね、この二つのタイプの人たち、どっちにもいい顔をすることはできないんです。不可能なんです。もしそれをやろうとしているのなら、それは学校教育に植え付けられた誤学習の賜物で、誤解をおそれずに言えば我々頭脳労働者にとってはこの学校が植え付けた誤学習ってとても邪魔で、そしてたとえ職業的には頭脳労働に従事していない人でも子育てとか自分育ては究極の頭脳労働なんで、やはり「誰を励ますか」は主体的に選択しなければいけないのです。

そして「発狂する人に気を遣ってカンカイガー」をやるっていうことは、卑屈な人に屈した、ということなんです。その自覚が花風社クラスタの方たちでさえはっきり言ってない人が多いですね。

いや、屈した、という主観的な感覚はないかもしれないですね。むしろ保身かもしれない。

私ね、最近思い出すんですけど「改善するけど治りません」みたいな支援者の謎言葉、もう一つあったなと思うんです。それは「保護者はすべていい人たちとは限りません」ってやつ。多くの支援者がこれ言ってましたね。当時はわかんなかったです意味が。そんなの当たり前じゃんとしか思わなかった。人間なんだから当たり前でしょって。

でも猿烏賊騒動を経てわかったんです。これかあ、って。

猿烏賊という言葉は使っていませんが、猿烏賊についてはかなり書いてますよね、本文で。

どういう意味合いで書いているかと言うと、この本を読むと私が想定した「前向きな読者層」がママ友パパ友づきあいしていく中で親切なふりして「治らない路線」にとどまらせようとする「つきあいづらい保護者仲間への対応策はこうしよう」という意味で猿烏賊的な人々の発言や行動を登場させています。

そして立場上私ほどはっきり言えない人もいるだろうから、のらりくらりと逃げる作戦も提示していますね。本当に親切な本だな、これ。そう。のらりくらりでもいいんです。ただ「自分は治ったと思っている」ときに「カンカイガー」をやるのなら、それは支援者たちの言う「いい人たちとは限らない」保護者仲間のわずらわしさから身を守るための保身だという自覚を持っていてくださいね、ということです。そして自分のうちの方針とその保身を混ざらせないこと。

それよりも自覚的に「発狂する人に気を遣うのはやめた!」のならそれはもう、治したい支援者や治りたい人たち、そして花風社を応援することになりますよ、ということです。

私は最終章に書いてある第四の理由で「治る」という言葉を使い続けます。
そしてそう、
Kさんのコメント通りなんです。

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治りたくない人はそのままでいいと最近思うようになりました。

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最近、ではなくずっと思っていたんですけどね。ただ邪魔しないでほしいというだけ。そしてそのあとに変なコメントくっついていますが

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Unknown (Unknown)
2017-08-15 20:51:53
自作自演も極まれる。

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こうやって浅見の主張に賛同する人がいる、という現実がもう、理解不能な人が負け惜しみを言っています。これが多いんですよね。治さない系の支援者、当事者保護者。その多くの発言が負け惜しみです。「エビデンスガー」はその最たるものです。「みんなちがって、みんないい」にしてくれ、と世の中には涙目で訴えながら、「浅見に賛同する人がいるわけがない」と必死で「このすべてのコメントが浅見の自作自演なのだ」と自分に言い聞かせているわけです。言い聞かせるだけでは気が済まなくなってしまい、匿名でピンポンダッシュみたいな書き込みをしなければならないほど動揺しているわけです。

自我が育っていないんです。主体性が育っていないんです。だから揺さぶられるんです。この人たちのために、私はここまで書いておいたんですよ。本当に親切な本だわ、これ。

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 まあとにかく、こうした経験を通じ、私は「当事者保護者の連帯」ではなく「健全な分断」こそが社会に資すると確信を深めていった。違った考えの人たちは違った道を歩むのが健全だと考えるに至った。
 将来働ける大人になってほしいと願って子育てをするのか、完全に福祉の枠の中で生きていってほしいと子育てをするのか、それは個々の自由である。私としては働く人が増えてほしいから、前者を応援する本を出している。そして後者を選んだ人たちは、私の承認を必要としないので私に絡む必要はない。私がどう言おうと、将来働く大人に育てる気はないと決心しているのなら、「うちの子は絶対働かせないぞ」とその決心を貫けばいいのである。

(「発達障害、治るが勝ち!」本文より)

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