治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
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「やまゆり園事件の模倣犯ではなく」 理解されなかった動機 その4

2018-06-16 11:16:35 | 日記
さて、しばらく親孝行旅行や新刊発売やらで中断していたこの連載の続きです。
皆さん、先ほどのまとめサイトで記憶をリフレッシュしてこの記事を読んでください。

そもそもこの方から一番最初に来たメールにこういう記述がありました。

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私が体験した横浜自閉症支援センターは、腫れ物に触ると言うよりは、「腫れ物に毒薬を濡られるような場所」でした。

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私がギョーカイの妄想接待方面の当事者支援を「腫れ物に触る」と『発達障害、治るが勝ち!』の中で表現したのに対し、この方は、そんな甘いもんじゃない。腫れ物があればそこに毒薬を塗るのが支援センターだというのです。いったいどんなことをされたのだろう、と私は思いました。

皆さんもおわかりになるとおり、この方の文章は筋が通っています。てにをはも間違いがありません。栗本さんに見習ってほしいくらいです。けれどもコミュニケーションはそんなにスムーズではないです。私は何度もメールをやりとりして、ようやく情報がたまってきました。

まずこの方は一歳半で診断されたけれども、不登校や引きこもりの経験はなく九歳のときもう病院に来なくていいと言われています。一歳半での診断は、さすが先進地域です。そして、発達障害者支援法の二十年前後前の話です。つまり、医療が機能し、親御さんがその診断を参考にていねいに育て、大過なく学校時代を特別支援教育とは無縁の場所で過ごされ、そして週五日の仕事についたということです。

けれどもちょうど発達障害者支援法が施行され、元から横浜で幅を利かせていた老舗の社会福祉法人がその委託を受けてから1~2年後、「何か」が起きた。私の推測ではその「何か」とは、仕事関係ではないかと思います。おそらくなんらかの事情で仕事を離れたのがこの時期だったのでしょうか。

そして親御さんは解決を焦った。うっかり区役所に相談に行ってしまった。そうしたら当然この時代の流れの中で、発達障害者支援センターにつながるように言われる。それが後々の悲劇につながってしまったのです。

なぜなら彼ら老舗の社会福祉法人は、措置時代に重い人たちを介護してきた人たちで、本当は不登校も引きこもりも起こすことなく就活も勝ち抜き週五日働く日々を積み重ねてきた人に対するサポートする力などなかったからです。

ところが発達障害者支援法ができ、プレハブのように急ごしらえで発達障害者支援センターを作る必要があった。お上は措置という売り上げが自然に立つシステムを取り上げたかわりに、売り上げ減ってぶーぶー言っている老舗の社会福祉法人に高機能の人をあてがった。それで話がおかしくなってしまったのです。これは、横浜だけの話ではないと思いますね。

措置を取り上げられた福祉は血眼で売り上げ源を探しました。

こよりさんのお子さんは順調に企業で働き続けていますが、そこにも福祉が青田刈りに来るという唾棄すべき行為をしていることは以前も書いたと思います。福祉の頭の中には「いつか崩れるはず」がある。「企業就労なんて続きっこない」がある。だからめんどり路線から羽ばたいて抜け出して企業就労なんかしちゃった子の家にも定期的にセールスに行く。そして「企業就労なんて続きっこない」と呪う。こよりさんのご子息は就労しているからいいですけど「企業就労なんて続きっこない」と心の底で思っている人たちが「就労支援」をやっているのですよ。そんな人たちに支援されたなら、支援を受けたら最後、就職なんかできっこありません。彼らは離さないですから。藤家さんの就活記を読んだ皆さんはおわかりですね。だから「就労支援者が一番就労を邪魔する」みたいなバカなことが起きるのです。


話を戻しましょう。

何か問題があって支援センターを訪れた。そして捜査一課のような圧迫面接をされる。強行犯に対し怨恨のストーリーを最初から決めて刑事が自白を迫るようなそういう取り調べを支援者は自閉症者に対して行う。そう、二次障害です。かかってもいない二次障害にかかったんだろうと迫る。経験のない不登校や引きこもりを経験したと決めつける。そしてもうあなたは一般社会に戻れないのだ、療育手帳を取るしかない、と追い込んでいく。

それをこの方は「腫れ物に毒を塗られる」と表現したのですね。

企業就労していた人がくじけると、福祉は「ほら見たことか」と言う。同じように、就労がゴールではないと信じる親たちも「ほら見たことか」が大好物です。けれども企業就労にくじけるなんて別に障害の有無に関係なく起きること。またそこから立ち上がればいいだけです。そして覚えておかなくてはならない。たとえ挫折があったって、

・学齢期立派に学校に通い続けたこと
・皆勤賞も取ったこと
・就活に成功したこと
・週五日働いた日々を積み重ねたこと

は消えてなくなるわけではないのです。
それは一人の人間の歴史の中に確かな実績として残っている。
すべてこの人が自分で身を律してやり遂げたことなのです。

けれども「IQが正常域でも療育手帳がとれる」ことが売り物の「先進地域」では、めんどりにとどめるため、そうした人としての歴史に敬意を払わない。そして、今まで積み上げてきた自負心を踏みにじるような面接をして、それを「支援」と称して血税を相談事業費としてカウントし横浜市から受け取ってる。
こんなふざけたことがなんで起きるか?
それは本当は「介護」以外の手段を知らない社会福祉法人が各地で発達障害者支援センターを請け負ったから、という気がして仕方がないのです。
そしてこれはね、全国で起きていることなんです。
自分の県の発達障害者支援センターの母体がどこか、皆さん調べた方がいいですよ。そしてその母体がどういう事業所を持っているかもね。むやみやたらと手帳やらグループホームやらに誘導されるのは、意味があることかもしれません。彼らに。

続く(不定期)


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