治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
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「想像力の障害」は治さなくてはいけないものなのか その3・完

2021-03-20 07:14:03 | 日記
「想像力の障害」は治さなくてはいけないものなのか その3・完



治した方がいいのだろうか、想像力の障害。
ていうか、花風社周りのアプローチに取り組んでいたら治ってしまうのではないか?

少なくとも私の中で
「私がかわいいと思うから治さないで」というのは萌えでありセルフィッシュだと思うようになった。
だって想像力の障害で不便をしているのは本人たちである。
だから「かわいいから治ってほしくない」なんてこっちの自分勝手だし、いくら私がかわいいと思っていても、治るときは治ってしまうだろう。

ただし、想像力の障害は、治すべき標的症状ではない。
視覚優位と同じように、発達の一段階であり、未発達。視覚優位の段階を脱していない子には視覚支援が必要なように、想像力の障害があるうちは周囲の通訳が必要だ。

でも治る子の場合、その段階はやがて通り過ぎる。発達は経過だから。
そしてニキさんも書いているとおり、体調にも左右される。
この一年見てきたように、普通の人たちも想像力の障害スペクトラムの中を不安等があると行ったり来たりする。


私がどうしても理解できなかったニキさんの特性? 思い込み? あるいは事実?
それはニキさんが親御さんとの葛藤を抱えていると自己申告していたこと。
なぜ理解できなかったか。
私にはどうしてもニキさんがかわいがられて育った人に見えるから。
会ったことのある人たちも賛同してくれる。
どう見てもかわいがられて育った人に見える。

でもご本人は葛藤を抱えているらしい。
自分がスペクトラムの人間だと親御さんに言いたくないらしい。
だから自分がニキ・リンコだという事実を親御さんに隠し通したいという強い思いを持っていた。
だからペンネームを使った。
そのペンネームを剥ぎ取ろうとしたのが「彼」だった。執拗に身元を照会しようとした。

それが裁判を起こした理由でもあった。ペンネームを使う権利はニキさんにある。それを「自分が知りたい」というだけで要求してくる自閉脳。他人の権利を侵害して恥じない自閉脳。これは成敗しなくてはいけない。
世の中の人は自分の疑問にすべて答えてくれるわけではない。
いくら知りたくても知る権利のないことはあるのだ。
それがわからない自閉症者は時としている。そして実に不愉快な存在だ。


ところが、ニキさんの個人情報をペラペラ敵方をなだめるためにしゃべってしまうダメダメギョーカイ人がいた。
例のブロック大先生だ。
ブロック大先生は、気がつかなかったらしい。ニキさんの情報を、彼女が隠したがっている情報をペラペラしゃべるのは彼女に対する人権侵害だと。
私が指摘したら、びっくりしていた。

思うにブロック大先生は、画面分割に失敗したんだな。
・ニキさんの権利
そして
・彼をなだめること
その二つに画面を分割できなかったのだ。支援者にも「想像力の障害」はある。
かなり強く、ある。
彼をなだめる方に注意が行き、ニキさんの権利を大先生は踏みにじった。

「発達障害と少年犯罪」を読んでわかったこと。
いかにギョーカイが虐待を警戒しているか。
逆に言うと支援者は保護者に対し「性悪説」を取っている。
親の人格を信用していないからこそ
親心を徹底的に去勢し
強く強く「障害受容」なるものを押しつけるのである。
不安に駆られた保護者たちが「治ってほしい」と思うのはたしかに危ういだろう。
ところがギョーカイが考えるよりずっと健全な親、不安の弱い保護者もいるのだ。
不安の弱い保護者の存在がギョーカイは見えていない。
一律に不安があると思っている。一律に虐待の危険があると思っている。

でも考えてみてほしい。
この一年、コロナを怖れていた花風社クラスタの人を見たことがあるだろうか?
他人が自粛していないこと、マスクしていないこと、をきーきーとがめ立てた花風社クラスタの人を見たことがあるだろうか?

不安がより強い方に合わせる それが私の言う「甘やかし」である。
この場合、「彼」はニキ・リンコが面白くなかった。
ニキ・リンコに加害者は(それに比べると)どうでもいい存在。
明らかに彼の片思いであった。
こういう場合騒ぎ立てる方のごり押しを聴く。それがギョーカイ。
とにかく「低きに合わせる」。それがギョーカイ。
そしてそのギョーカイが勝手に心配している「虐待の可能性」を、そんな可能性のない親たちにも押しつけて「ありのままを認めろ」とか言っているだけの話なのである。

虐待気味の親が「治そう」とするのはたしかに危険だろう。
だからそっちに忖度するのだろう。
だが私はあえて不安の強い人には忖度しない。
そのほうが健全な人々の健全さを守れるから。
不安の強い人々に私は興味がない。ギョーカイが対応していればいい。私は健全な人々の健全なリソースを引き出すことに興味がある。

新型コロナだって、実は曝露されていても自分の身体でやっつけてしまった人が多いだろう。
そういう個別の人体の力を計算に入れない数理モデルははずれっぱなし。人の中に備わっている力を信じていないし計算に入れていないから。
ギョーカイがやっているのはそれと同じ。
健全な親の持っている懐の深さ、たくましさが見えていない。

この一年見ていて、花風社クラスタで過剰防衛過剰自粛している人はほぼほぼ見られなかった。
自粛を自粛しまくっていた私に文句を言ってくる人はいなかった。
というか夏はみんな感染予防しながら海に山に遊んだね。
子どもの発達はつねに緊急事態。○歳の夏は一度しか来ない。親子で遊ぶことはとても大切だ。
学びの場でも他人の子のノーマスクをとがめる人などいなかった。
どちらかというと過剰な感染防止対策が子どもの発達に悪影響を及ぼすことを心配する人の方が多かった。

ギョーカイよ、見るがいい。
あなた方が想定していたのと違う客筋が確実にあるのだ。
その人たちは治したいのだ。なぜなら治ればあなた方のような想像力の障害がある支援者に一生つきまとわれずにすむから。


今の花風社は不安が比較的弱い人の集まり。
健全な人の集まり。

だから不安の強いニキさんとは路線が違い始めたのかもしれない。

でもニキさんの本を必要としている人には読んでほしい。
何より上手だし。語り口が。
異文化としての自閉がよくわかる。
読むと目の前の我が子が「かわいい」と思えるようになるのがニキさんの本。
とくに「俺ルール」と「自閉っ子におけるモンダイな想像力」が超お勧め。

今子育てに悩んでいても、ニキさんの本を読むと、色々謎が解けて、自閉っ子がかわいくなる。

いつか治るにしても、今、かわいく思える方がいいと思いませんか?
「治ってほしい」と「かわいいな」はもちろん両立しますからね。




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