治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

吉川徹についてみんなが忘れていること

2018-04-30 06:55:06 | 日記
さて、先日函館で読者の方たちとお話したこと。

「吉川徹についてみんなが忘れていることがあるみたいなんですよね」と私は言いました。先日の番組については「半分、青い」のあとぱちんと消して知らなかったのだけれど、当ブログの吉川関連記事がやけにアクセス多いなと思ったらテレビに出てたらしい。そして多くの人がツイッター上のafcp医師=吉川徹 だと知っていたわけですが

それって私のおかげじゃん

と思うわけです。でしょ?

だって神田橋先生の本出したとき、それまで「診断」と「薬」と「社会の理解ガー」だけやっていれば治さなくても医者でございと威張っていられる発達障害医療の世界に「医者なら治せんといかんわな」の神田橋先生を連れてきてしまったばっかりにこっちが攻撃される羽目になり、その先頭に立って「名乗る気はない。訴訟とか怖いから。でも匿名で医師免許持っているということだけかざしてパワハラするの」という気満々でちょっかいかけてきたのがafcpなのだから。

そして「へ~い、こっちがどんだけ攻撃しても君僕の正体わからないでしょ」とどや顔だったのにこっちが突き止めて「名大病院(当時)の吉川徹」と知って指摘した途端にぴたっと攻撃やめたんだからね。病院等への働きかけは一切していません。ただ「あんた吉川徹でしょ」と言っただけでやめた。つまり、本名かけてまでする気のない程度の攻撃だったのでしょう。

あのときは「匿名でネット活動している人の実名を指摘してけしからん!」とずいぶん非難されたもんだ私。でもさ、今みんなが「あ! afcp先生がテレビに出てる!」って気づくことのできる最大の功労者は私ですよ。

そして愛知県の自立支援セミナーに行った読者の方が「吉川医師は発達障害者の生き方として家事のできるひきこもりを勧めている」ときに、それがイコールafcp医師だとわかったのも私のおかげですよ。

でもみんな、あのとき「実名ばらすなんてひどい」って言った割に忘れているみたいだよね、っていう話。そして函館で爆笑しました。

もうひとつ。

佐々木先生は亡くなり、これから杉山医師や内山医師も引退の時期を迎えるのでしょう。そのあと私は発達障害医療ギョーカイの第一人者になってほしいの吉川に、っていう話をしたのです。

なんで? ってきかれましたよ。読者の方たちに。そうか。かなり濃いクラスタでも疑問に思うのだな、と思いました。

なんでかっていうと、吉川センセと私の心は一つだからです。
どっちも言っていることは実は一点に収斂する。「医療のできることには限界がある」ということです。
私も吉川センセの講演聴きにいきました。わざわざ新幹線のグリーン車を奮発して。そしてわかったのは、彼が本当に医療の限界を必死に訴えているんだな、っていうこと。それくらい逆に言うと、医療をみんな当てにしすぎなんです。でもだいたいの場合医療は役に立たない。そのわりにみんなの期待が大きすぎてきっと医療側も重荷になっているんですよ。

私はあの講演の内容、本になってもらいたいと思いました。まあ吉川センセは文章力あるようでカタログ的な書き方しかできない人だから、編集者苦労すると思うけど。できれば大手出版社で、手軽に読みやすい新書のかたちかなんかになってほしい。それが出ればうちが進めていることもぐっと広まるでしょう。

花風社が進めているのは何かというと「発達援助の非医療化」です。医療じゃやれることに限界がある。でも自分でできることがこんなにあるんだよ、っていうことを訴えているからです。吉川はじめギョーカイがおそれおののいて迎えた神田橋先生も

1 自分でできて
2 金がかからなくて
3 できたら身体の中に何も入れない

方法で人々を治しているじゃないですか。

先日南雲さんがテレビに出たとき隣にいたおっさんもまたテレビに出るみたいですね。吉川と二人そろって胴元二人。このギョーカイのおっさんたちは治さないわりに自分が胴元になっているビジネスの宣伝には熱心です。南雲さんと一緒に出たときも、隣のおっさんは一生懸命特別支援教育士を売り込んでいた。ニキさんが北海道からの交通費も払われずに講師として引っ張り出されたり、コストかけないけど免許で大金とってかなり集金マシーンと化している謎の民間資格ですね。

そして先日吉川が出たときもしっかりペアレントメンターの誘導があったようです。ツイッター上の批判的なつぶやきで知りました。

今日もまた胴元二人は一生懸命自分が胴元になっているビジネスに誘導するでしょう。みんなしっかり見といてくださいね。治す気もなく、非常識な振る舞いをする当事者たちをひたすらちやほやし、彼らを受け入れない社会を糾弾し、当事者にはなんの努力も強いることなく社会側の努力だけを訴え、そして自分は胴元としてビジネスを展開する醜い支援者の姿を楽しみにしておいてください。

私は見逃すかもしれません。皆さんはGWを楽しんでいるかもしれませんが、私の三日間は『感覚過敏は治りますか?』の送り出しです。書店発売は5月16日の予定ですが、直販の方にはすでに発送が始まっています。

治った人はたくさんいます。
でも治せる医者はめったにいない――
ここにヒントがありますね!


という本です。

サービスを受けるには医療を通らなければいけない仕組みになっている。
でもサービスから遠ざかればそれだけ治るし
サービスが不要になれば医療はいらなくなりますよ

ということを私たちは伝えています。





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1 コメント

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医療の限界 (taimyumachine)
2018-04-30 19:54:27
「医療をみんな当てにしすぎ」に反応しました。
 わが家は、医療を当てにしませんでした。というか、当てにできる医療の資源もなかった。
 医療なんて、仮に資源があったとしても、診断して、せいぜい薬を出すだけでしょう。
 うちは薬を当てにするほどの問題行動にならなかったということもあるかもしれません。
 ただ、一般論として、普通の病気で診察を受けに行っても、「この症状を治してください」と自分の体をまるごとまな板の上に乗せる受診のしかたをする人は多いような気はしています。でも、本来は、医師が治すものではなく、自力で治そうとしても限界があるから医者の所見を参考にするものなんですよね。本人に治す意思がないと「ちゃんと薬飲みましたか?」と聞かれて言い訳するような場面になる。あるいは、「ちゃんと飲みました」とウソついて、症状に合わない薬を処方されるようなことになる。
 それはともかく、自閉症児の療育も、まるごと誰かになんとかしてもらおうとしても、けっしてよくなるものではないだろうと思います。親の子育てにアドバイスを受ける、というつもりでいないと、その子の成長について誰も主体性を持たないことになってしまうのではないか。
 つまり、医師がなんとかしてくれる、薬でなんとかなる、支援者や教師がなんとかしてくれる、と思っているうちは何も変わらないのではないか。基本は、子育てをいかにやっていくかということなのではないかと思うわけです。仮に薬で問題行動がなくなったとして、それがゴールではないはず。
 問題行動があってもなくても、その子の将来をイメージして導けるのは、その子の親しかいないでしょうから。
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