治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

汚部屋自慢は恥ずかしいでしょ

2018-04-28 18:01:39 | 日記


「またNHKで汚部屋自慢が出るそうです。うんざり。片づけられないこと、片づかない部屋に人を入れることを恥ずかしいと思わないのか。これは片づけられない人たちを賞賛してきた人たちにも責任があります」というご意見がありました。

私はもうあの手の発達障害啓発番組見ないのですけれど(何度も何度も期待してはがっかりするの繰り返しなので)見た人(非発達障害の世界)から「よくあのおうちの家族我慢しているわねえ」という電話がきたこともあるし、時々番宣の動画とかで汚部屋が出ると「まだ汚部屋自慢は続いているんだな」と思うわけです。そしてご指摘のとおり、支援者たちが汚部屋に萌えるんでしょうね。そうすると汚部屋は解消されないどころかますます強化される。


という私も、実は「片づけられない女」の概念を世の中に送り出した側なんですよね。っていうわけであのとき私が汚部屋の人たちにどういう未来を思い描いていたか改めて考え直しました。

かくいう私もリッパに片づけられない女だったのですが、引っ越しの際に自分にも整理整頓できるように体制を整えて大分マシになりました。それから二回ほど大模様替えをやり、どんどんマシになりました。たった今は新刊時でしかも北海道から帰ってから衣替えをしようと思っていたので割合ごった返していますが、それでもかつての家よりマシ。この連休中に衣替えの際また小規模に模様替えをする予定です。掃除にも人手を借りたこともありましたが、その頻度はどんどん減っていって、今は私がお掃除の一軍です。

『片づけられない女たち』が出た当時、私は「そうか、片づけられないのは脳の特性なのか」とは思いました。きっと私の片づけベタもなんかあるんだろうな、と思いました。でもじゃああの本を読んで「私ってADHDだ」と思った人たちにどういう未来を思い描いていたかというと、ずっと汚部屋に暮らす未来は思い描いていませんでした。なんらかの手段を持って片づいた部屋に暮らす未来を手に入れると考えていました。

たとえば他人にヘルプを求める。福祉方面もあるでしょう。でも福祉のリソースには限りがあるから、能力がある人なら自分の得意なことをして稼いで他人に家事をアウトソーシングする。クリーニングサービスもあるし、外食だって家事のアウトソーシングです。そう。ADHDに関するギョーカイの大本営発表は「才能がある」だったので、じゃあその才能を見つけそれを伸ばして稼ぐ力をつけることによって解決できる未来を私は思い描いていました。断じて片づけられない女に一生そのままでいてほしいとは思わなかったのです。これが送り手側としての率直な意見です。

最近読者の方が「帳尻を合わせる」という言葉を使っていらっしゃってそれはいい言葉だなと思いました。そう、帳尻を合わせるのです。自分ができないところを助けてもらう代わりにやってくれる人に何かをしてあげる。料金を払うのもそうでしょう。別に外に行って稼ぐ才能だけではなく、片づけはできないけど料理はできるとか、そういう家内の能力交換でもいいと思います。だから、不得意なところがあればあるほど得意を磨いて帳尻を合わせる。そういう未来を思い描いていました。

「片づけられないまま支援者側に回っている人もいる。そういう現実をどう思うのか」とご意見の続きがありました。そうですね。何が支援かという考えが、汚部屋自慢のまま支援者側になった人とたちと私たちとではまったく違うのでしょう。自分の汚部屋をさらし、障害のせいだと訴え、さらなる理解と支援を求めるのが支援者としての役割だという考えもあるのかもしれません。でも私たちの考える支援とはそういうものではない。片づけられない脳の特性があったとしても、家族ともども片づいた部屋に住めること。そこに持って行くことこそ私があの本が出た当時送り出した側の一人だった私が描いた未来でした。

そして私自身、片づけられないところからお掃除の一軍になる程度には成長しました。その間SNS等を通じてお掃除の師匠もできましたし、スチームクリーナー等の文明の利器も利用するようになりました。だから私は自信を持って言うのですが、片づけられない女に萌える変態支援者などには見切りを付けて片づけられるようになった方が人生広がりますし、健全な人脈ができますよ。

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