治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

知的障害者は生きてていいのか

2016-08-09 09:51:33 | 日記



ってきかれたらこう答えましょうみたいな想定問答ブログがありました。FBで私は、フユカイだから厳密な福祉クラスタあまりフォローしていないんだけど、定点観測のために数人そういう人取っといて、たまにはフユカイなブログも回ってくる。その一つ。

書いた人はたぶん福祉ギョーカイの有名な人もしくはえらい人もしくはそれを兼ねている人。私は知らない人だけど、化外の民だから当たり前ね。

もし職場で知的障害の人に「生きてていいんでしょうか?」ってきかれたらこう答えましょう、みたいな提言のようで、それにたくさんの人が「いいね!」とか「シェアします!」とかしてたので私もじっくり読んでみました。長いんだけどね。

それで結論は、「くだらねえ」っていうこと。そして「もしかしてこの結論は、福祉で自分たちが食ってくためにはあなたたちの存在が必要だと言ってないか? もしかして本音が出ちゃった?」と仲間うちで呼びかけたらやはり「どうもそう読める」という声が。福祉の人からも。

知的障害のない発達障害の人にしてみれば、「生きてていいのか?」というシンプルな質問に支援者たる人がくどくど長いブログで答えられるだけでも反感覚えるわけですよ。わかんないのかなそれが障害当事者に無礼だって。

私が「生きてていいんですか?」って知的障害の人にきかれたら

「当たり前じゃん」の一言で済ませます。
だってそれだけでしょ。
生きてていいに決まってるじゃん。生まれたんだから。

ついでに

「当たり前じゃん。それより一緒に遊ぼうよ」って言うかもね。
そして足を使う遊びとか肩甲骨を弛める遊びとか提案してみるかも。
「自分は生きてていいのか?」なんて考えるのは脳みそぐるぐるしていることだから。そういう身体の状態だっていうことだから。だったら脳みその無駄遣いをしないで済む身体の状態を作り出したいですね。

昨日のNHKの番組見てても
「自分は発達障害で統合失調症なんだけど生きててはいけないような気がする」みたいな意見を大真面目に取り上げていたけど

本気でそう思えるのならそれが症状です。
大丈夫、治りますよ。

としか言いようがないですね。

そういえば昔うちの著者のところにも取材に来た記者さんは、障害のある我が子が「自分やきょうだいの分も障害を背負って生まれてきてくれた」とか書いた話も出回っていましたが、それが感動的な話だっていうことになっているみたいですが

あの人は藤家さんに向かって「自分がアスペじゃないのはあなたがアスペだからだねありがとう」とかいう気持ちで取材していたのかよ。もしそうだったら本当に無礼な話。

それと同じことわが子に言ってるんだよ。気づけよ本人もそれに感動なんかしちゃっている人たちも。

そして福祉ギョーカイのえらい人や有名な人が相模原と全然別方向の大学に集まって「障害者も生きている権利があるんだ」と言わずもがなのことを確かめる集会開いたりして

謎ですわ。
なんで暑い中そんなことやる必要があるんだろ。

別にやるなと言っていませんよ。
大学で集会開くというテレビを見ていたら「自分たちも死ねと言われているように感じる」といい大人がまじめに言っているのを見て

「どこをどう悪意に解釈したらそういう結論が出るのか」

と心底不思議に思っただけの話なんです。

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