治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

神田橋杉山対談レポ@鹿児島 その5

2015-08-05 18:07:40 | 日記




その「事件」が起きたとき、私がすぐにしたツイートです。
それをまたすぐに南雲さんがリツイートしてくれました。

そうだよね。
南雲さんもきっと、専門家のこのような態度と戦ってきたんだね。
そしてこれからも戦っていくんだね。
その戦いの仲間を増やすために、「治ってますか? 発達障害」を出したんだよね、私たち。



じゃあなぜ戦うの?

じゃないと発達障害の人は、支援者が跋扈する囲い込みの社会から離れ
実際の社会の中で生きられないからです。
支援者の都合のいい「障害者の優等生」で居続ける限り
リアルな社会の中で生きられないからです。

最初に言っておいた方がよいと思いますが
あれはあきらかに講師陣から一参加者への越権行為であり、私のとった行動は実は素早かったのです。



講演後、任意ですがアンケートを提出しますよね。
こんどのアンケートは事細かなものでした。一セッション一セッション感想を求められていました。
私は講演全体には満足していましたので、かなりこまかく意見を書き、企画に謝意を表し、そしてまた企画されたらぜひ参加したい旨書きました。
ただし最後の質疑応答の藤家寛子さんの扱いについては無礼だと思います、と書き添えました。
そして無記名のアンケートでしたけど
「花風社 浅見淳子」と署名しました。
講師陣は学のある先生ばかり。その日のうちに数百人分のアンケートに目を通すことに難がないのは想定していました。

そして夜、横浜に戻ってさつま揚げをつまみに晩酌する前に、ぐぐりました。
大学人のメアドを探すのは簡単です。
そして本日藤家さんを壇上から無理やり名乗らせた先生のメアドを見つけ、あの場での藤家さんとのやりとりは一切どこにも転載しないでくださいというお願いをしました。

事の次第がちゅん平さんから見てどうだったのか
ちゅん平さん自身がブログにつづってくれています。
そうか。あれは一種の闘争行為だったのかもしれませんが
なぜか彼女はそのあと、ご家族の情報を開示することになり、その個人情報をもどこかへの転載から守る必要があったからです。もちろん藤家さんとのやりとりも、決してどこにも転載してほしくありません。彼女の意図とは関係なく、無理やりやられたことなのですから。

ちゅん平は正しい戦い方をしたのが、彼女のブログを読むとわかります。
私が反発した一番大きな理由。それは
「藤家寛子と名乗る名乗らないをあの場で決める権利は一人藤家寛子さんだけに属するものであり、講師の人に勝手に呼び出されるいわれはない」
ということです。
当該の先生からはすぐにご理解と謝意のメールをいただき、私はそれをちゅん平さんに転送しました。
誠意ある対応をいただきました。
だから本来は、チャラです。

ただなぜダメ押しのようにここでぶり返すかというと、決して傷口に塩を塗るためではなく

いくら相手が偉いお医者さんであろうと大学教授であろうとその双方を兼ね備えた人であろうと

そしていくら相手が神田橋先生のお弟子筋であろうと

障害のある人に対する不当な振る舞いには、断固として「ノー」と言うべきだということ

そして今の私たちには「ノー」と言う手段があること

を皆さんに改めて知っていただきたいからです。

実際にあのやりとりに関して、幾人かの参加者の方がツイートで速攻疑義をさしはさまれていました。


突然だったのか。
打ち合わせはなかったのか。

発達障害の世界では有名な支援者の方からも、そういうツイートがありました。
当然「自閉脳には予告が大事」という特性配慮もあるでしょう。

でも私が憤ったのはそこではないのです。
あくまで「藤家寛子と名乗るも名乗らないも本人が決めること」であり
障害特性があるからそれをいきなり檀上から名指しされて名乗らされたことが、本人の主体性を無視した侮辱だと受け取って憤ったのです。

これが私が言う
「支援者は有名当事者に欲情する」という現象です。
支援者は有名当事者がいると嬉しくてたまらない。そして欲情しておかしなことをするのです。常軌を逸した振る舞いをするのです。私は有名当事者をいわば量産してきてしまったので、何度も何度もそういう場面を視ました。非常に露悪的かつ刺激的かつ挑発的な言い方をすれば、強姦の現場を何度も何度も目撃させられたような感じ。そしてそれが私のギョーカイトラウマの一つだったのです。

私は自分のギョーカイへのトラウマを、主として裁判由来だと思っていました。杉山先生へのトラウマも、偽アスペルガー論争から来るものだと思っていました。でもあのときのちゅん平の扱われ方を見て、私のトラウマの蓋が開いてしまったのです。私のギョーカイトラウマは、実はもっともっと複雑性のものでした。

ちゅん平さんはこの講演の企画を知った時から、大好きな神田橋先生の話を聞くために、申し込みをし、会費を納め、新幹線の切符を買い、宿を取り、出かけてきました。
自分で汗水たらして働いたお金で、楽しみにやってきたのです。

そして質疑応答を聴講していたところ、突然「参加者が先生たちに質問する時間」のその時間に、なぜか急に呼び出され、無理やり名乗らされ、なぜか急に自分だけ、答えようもないつまらない質問を振られたのです。講師が逆に、一参加者に質問を投げかけたのです。


ちゅん平さんが書いているように、答えは一つしかないのでそう答えます。そうすると質問を振った先生は「やはりそうでしたか。あなたにきいてよかった」としれっとおっしゃったのです。南雲さんが言う「障害者の優等生を演じさせられた」瞬間です。

「あれが藤家寛子さん?」みたいな感じでざわつく人たち。ゲスいですね。この人たちも共犯です。強姦の共犯です。


はっきり言いますが、私はあなたたちが大嫌いです。なんのために神田橋先生に学びにきたのですか? あなたたちに邪気は見えないかもしれない。神業のような薬物処方は一生できないかもしれない。神田橋先生の話法は、声の出し方は、一生身に着けられないかもしれない。そういうのは、努力だけじゃなく才能もものを言いますから。
でもね、学びやすいところから学べばいいじゃないですか。あなたたちがたった一つ、今このときからできる先生の真似があります。それはね、障害当事者を一人の人間扱いすることです。こそこそ振り返って珍獣のような目で藤家さんを見たおバカさんたちは、その最小の精進さえ怠っていたダメダメ支援者の群れです。


繰り返します。

私は、浅見淳子は、あなたたちが大嫌いです。そしてあなたたちのような支援者が、この世界から駆逐されることに全力を挙げます。それはあなたたちが職場を奪われるという意味ではありません。私はあなたたちのような支援者が役立たずであることを世の中に訴えます。そして、訴えられる著者に発言の場を与えます。そうやって言葉を通じて、当事者を人間扱いできるよう、自分で自分を律する支援者を増やしていくようにもっていきます。


人間扱いされていないのに声を上げることもしない人たちに、声をあげていいんだよ、と呼びかけます。今や声を上げる手段はたくさんできたのですからね。

そしてちゅん平。
そのあとなぜ急に質問したのか不可解だったのですが、正しい行動でした。
ケチでミーハーなところが強みのちゅん平さん。
ちゃんとケチでミーハーなリベンジでした。

だってみんなと同じように12000円払ったのです。
なのにギャラの出る講師陣から逆につまらない質問をされ、ノーギャラで優等生的な答えをさせられて(だって他にいいようがないくらい愚問だったのです。愚問の中の愚問)飛び道具にされ、ただじゃ帰れませんよね。
身近な問題を質問しました。そしてそれに神田橋先生はまっすぐな答えをくださいました。神田橋先生はちゅん平を「アスペルガー障害のある藤家寛子さん」としてではなく、知り合いとしてでもなく、身近に悩みを抱える一人の参加者として遇してくださいました。

ここで最初に私が尊敬するある方からいただいたメールをもう一度貼りましょう。

=====


今回の会で得るものは多かったですが、神田橋先生の後を継ぐお医者さんが育っていける土壌づくりがままならない現実を再認識した感じです。
神田橋先生を尊敬している精神科医であっても、浅見さんのご指摘のように、当事者の身になる想像力が欠けている方もいるわけです。

=====

そう。
身になる想像力があまりにないのです、支援者側に。
今回の先生は、それでも誠実で素早い対応をしてくださいました。そういう意味ではさすが神田橋先生の側近、なのかもしれません。
純粋なギョーカイは、もっと無礼です。

それを私は思い出したのでしょう。
発達障害に携わって十五年分の悲しみが、私を襲ったのです。
そして
ゆっくり、ゆっくりと崩れていったのです。




ちゅん平ブログを見た画伯ツイート。
要するに医療福祉の外からの率直な意見です。


そして自閉っ子ママ。



保護者もね、それぞれギョーカイトラウマを抱えているみたいですよ。

そしてちゅん平。



神田橋杉山対談レポ@鹿児島 その4

2015-08-05 07:22:45 | 日記
次の朝は9時からK先生による講演。
題は「脳を視る神田橋先生」。
テーマがあまり面白そうなので、私ももちろん張り切って受付の始まる八時半には会場にいましたし
多くの方が集まってきました。

今回の企画者が杉山先生であることを考えると
杉山先生は優れた企画者なのかもしれない、と思いました。
とにかく「はずれ」がない。

K先生は、「通常の学会なら朝一のセッションはがら空き」みたいなことをおっしゃっていましたが、そうですよね。
でも無視するにはあまりに面白そうな議題。
実際「脳科学meets神田橋先生」はとっても面白かったです。
脳科学でいろいろなことが解明されていけばいくほど、「非科学の極み」とご自分でおっしゃる神田橋先生がやっていらっしゃることの正しさが逆に証明されていってしまうのではないのかな。

その次は最後の対談。
K先生の進行で、杉山先生と神田橋先生。
テーマは少量処方とかトラウマ処理とか。
ここで初めて、杉山先生がリラックスしてお話されていました。ああこんな面白い先生なんだ、と思いました。進行があまりお得意ではないだけかもしれませんね。

杉山先生は地域の基幹病院で仕事をされ、ご著書からもわかるように、虐待例などもたくさんみて
中には世代間連鎖が断ち切れず治療の難しい例などにもあって、でも治したくて、それで神田橋先生にたどりついたんだろうなあと思います。そしてあっけにとられているんだと思います。
そして繰り返しますが、今後このお二人がどのように結びつくかが、日本全体で治っていく人の数を決めると思います。

セッションの最後は、花風社の話題でした。
「ドヤ顔」が発達の契機になるという。
光栄な話です。
言わずと知れた、この本の話題です。




そしてこういうファンの存在も、うれしいことです。





こういうファン層に花風社は支えられているのです。

そして昼食休憩。

杉山先生がフロアに降りていらっしゃり、何人かの方と挨拶していました。
私はちゅん平に「ご挨拶に行って来れば?」と言いました。
実はちゅん平、かつて杉山先生に呼ばれて、対談相手のお仕事をしたことがあったのです。
杉山先生が解離のことをさかんに書いていらしたとき、解離性障害の経験者であるということに興味を抱かれたのでしょう。
そうやってお顔を間近に見たことがあったので、相貌失認のちゅん平でも「お内裏様のお顔だなあ」とわかりやすかったのでしょう。

そして杉山先生にご挨拶したあとのちゅん平ついーと。
若干ブラックです。
ていうか、南雲さんと仕事をして気づいたんですけど、ブラックな子は治りますね。



そうでしょうそうでしょう。
ちゅん平が杉山先生に呼ばれたころはまだ、名古屋まで一人で旅をすることなどできませんでした。支援団体がつけたトラベルサポーターが全旅程つきそい世話をし、それでも一回講演すると帰ってきて数週間寝込んでいたころです。今はバラ色のつやつやほっぺには(昨日の私に首根っこつかまれてる写真参照)、えぐれてクレーターみたいなのができてました。目の下にはいつもクマがありました。その頃しか知らない人は見違えると思います。

そして「まいったか!」なのです。
これは杉山先生に対してだけではありません。
「発達障害は治りません」と言い切るすべての支援者に対し
発達障害が治ってしまうと都合が悪いような振る舞いをするすべての支援者に対し「まいったか!」なのです。
この「まいったか!」を思える子は治ります。
ブラックな子は治ります。
ブラックも生きる力ですから。

(私が成人に対して「子」という言葉を使うのは、相撲脳由来だとご承知おきください)

ともかく「ドラッグストアで働いています」というちゅん平の言葉に、杉山先生驚愕していらっしゃったそうです。
そりゃそうです。
あのころのちゅん平を知る者からは考えられない。

そして支援者って、いつまでも弱い時のままで時が止まってしまうのが、結果的に無礼な振る舞いになっちゃうんですけどね。
支援者は有名当事者に欲情するんです。
文字通り欲情するんです。
今なら「萌え」って言うんでしょうか。
そしてパニックを起こしたようになり、おかしな振る舞いをするんですよ。

ち「対談のとき、杉山先生が私に解離って上等な手段だと思いますか? とかきくんですよ」
あ「何それ。なんでそんなこと質問するの」
ち「私にきくことじゃないですよね~」
あ「専門家が研究することだよね~」
ち「しょせん他人事って感じですよね~」

まったく。
それにね、この質問は残酷なんです。
ちゅん平の脳は生きていくために解離を選ばざるを得なかった脳なんだから。
包丁一本しか持っていなくて、それでなんとか奮闘して食事作って食べてる人に対して
「その包丁やっぱり使える?」みたいにきくのって無礼でしょ。
そういう無礼か無礼じゃないかの人としての基準を、支援者って有名当事者の前にいると興奮のあまり失うんです。

愛甲さんがいくら「杉山先生は治す先生だ」と言ったところで、ちゅん平や私が「へ? そうなの?」と疑問を感じてしまうのはそこなんです。
ある読者の方の杉山評。
まあわりと標準的なんじゃないでしょうか。





そこの人間的なレベルが、神田橋先生の場合段違いなんです。
間違っても解離した当人に「解離ってやっぱりいい手段?」なんてきかない。
当事者に対する視線はあくまで優しい。
そして当事者を取り巻く実社会にもあくまで優しいんです。
でも凡百のギョーカイメジャーは社会に敵対的です。私から見ると、杉山先生もそうです。私がなぜそう感じるのか、それは次回以降に書きます。
そして社会から当事者を守るという意識は強いんです。なのに自分が当事者の人権を侵害することにはとても鈍感で、そういう馬鹿な質問をするんです。有名当事者に。南雲さんが逃げてきたのもたぶん、そういう対応。そこから逃げられる子は治るんです。
杉山先生はニキさんの名前を出して自説を展開されていましたが、もう何年もニキさんにはお会いになっていないはずです。ニキさんが杉山先生になついていたのは、ほんの短期間のはずです。当たり前です。逃げ足の速い子は逃げます。支援者からは。

そういう点でのちゅん平や私の信頼度は、神田橋先生と杉山先生では段違いだし
さらに言えば杉山先生より愛甲さんの方をずっと信頼しています。
だから「杉山先生が治す? へ? そうなの? まあ、愛甲さんがおっしゃるのならそうなんでしょうね」っていう感じなのです。



ランチも終わり、あと残すところ二時間余りの質疑応答。
「よかった~」で終わりそうな流れでした。

そこまではね。

けれども私は、そのあとの二時間に起きた出来事で、ある意味生まれて初めてくらいの大きなメンタルブレイクダウンを起こすことになったのです。

その場では平気でしたよ。
翌日ね。
私は史上最大の大崩れをしたのです。

それくらい、私のギョーカイトラウマの根本をさらけ出す事件だったのです。
何が起きたか、見ていた方も多いでしょう。
あの事件の何に私が揺さぶられ崩れることになったのか
それは次回以降にご説明していきましょう。

ていうかブログアクセスすごいですね。
やっぱりあの対談への興味は大きいのでしょうね。
っていうことで国技館の満員御礼写真です。

レポートは続きます。
あくまでも先生方の著作権は侵害しません。
「起きたことに対して私がどう思ったか」を書いていきます。
お楽しみに。