治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

神田橋杉山対談レポ@鹿児島 その2

2015-08-03 19:30:21 | 日記
杉山先生を目にすることによるギョーカイトラウマを心配していた私ですが
それは会が始まったとたん、あっという間に解消されました。
きっかけはビジュアルです。

「わはははは、演歌歌手みたい」
というのが第一印象でした。失礼なやつですみません。
なんというか、そういう感じのお召し物だったのです。杉山先生。
ちゅん平が「お内裏様」と形容するその端正なお顔立ちもあって、本当に演歌歌手みたいだったのです。

神田橋先生は白いお洋服。いつも割合派手なお召し物の印象があったのですが、今回は二日とも白でした。
ちなみに杉山ファッションのとりこになった私は、二日目の「お色直し」を期待していったのですが、前日と同じでした。そうですよね。荷物になりますものね。
夏の盛りのせいか、参加者もカジュアル。もちろん私も。そして先生方もクールビズな感じです。
それだけに杉山ファッションが目立ってしまったのかもしれません。

「先生方」の内訳をご説明。
企画者の杉山先生。
主役の神田橋先生。
そして発達障害の分野から、若手の私と同県人、H先生。
ターミナルケアをやっていらっしゃるM先生。
神田橋先生の後輩のK先生。
こういう布陣でした。
そして一講座目は杉山先生の進行で杉山先生、神田橋先生、H先生の組み合わせでした。

杉山先生滑っていました。
でもかわいらしかったです(上から目線)。
端正なお顔立ちにおしゃれな装束なのに、そして大先生なのに、憧れの先輩と同じ席につけて飛び跳ねたいほどうれしい中学生男子みたいな感じでした。
当然進行は飛び跳ねてしまい、あっちこっちに飛びます。自称ADHDの杉山先生、面目躍如の収拾のつかなさ。
そこをさらっと鋭い言葉であるときは切込み、あるときはいなす神田橋先生、さすがです。
神田橋節は(進行の下手さにもかかわらず)じゅうぶん楽しめました。何度も大声で笑いました。
そして杉山先生の衣装のとっぴさにだいぶ助けられた私のトラウマ、ますます解けていきました。
この講座が終わったときの暴言ツイート(当社比)を貼っておきますね。




神田橋先生と杉山先生は二人とも大先生なんですが、レベルが違うんだなと思ってのツイートです。

続いてH先生のミニ講演会。
題して「神田橋先生の発達障害論」。
H先生自ら「二人の大先生を休憩させるための時間」みたいにおっしゃっていたし、正直私もそれほど期待していなかったのですが(H先生、すみません)
期待以上にまとまったわかりやすい講演でよかったです。
花風社の読者にはおなじみのフレーズもたくさん。
これだけの内容をこれだけの時間にまとめるなんて
H先生は地頭のいい方なんだなと思いました。
最近なんかご著書を出されたと思うので、読んでみようかな。

さて、私は今回お会いするのを楽しみにしていた方がいました。
ちゅん平の主治医、肥前療養所の瀬口先生です。
「30歳からの社会人デビュー」にインタビューを載せさせていただきました。そのときはスカイプだったのでお会いしていないんですよね。
ちゅん平はいつも「すごくすてきな先生です。平井堅似のイケメンです!」と自慢していましたので、「ちゅん平をここまで回復に持ってきた名医」としても、イケメンとしても期待していたのですがお会いしてみると

たしかにイケメンではあるけれども平井堅とは似ても似つかない、さわやか系のイケメン先生でした。「いろいろ治ったけどちゅん平の相貌失認まだまだ治ってないな」と確認した次第です。でもまあいいよね、治しやすいところから治れば。
ご挨拶できてうれしかったです。
初対面でも、ちゅん平の回復ぶりを共有できる仲間ですから。

というわけで相貌失認健在のちゅん平の杉山先生評は「細川たかしみたい」。

瀬口先生の平井堅よりは、あたっていると思います。
とにかく演歌歌手っぽかった。

続く

神田橋杉山対談レポ@鹿児島 その1

2015-08-03 09:26:26 | 日記




さて、帰ってきました。
色々な意味で実りの多い会でした。
内容だけではなく、旧交を温めたり、新しいお知り合いができたり。
何度かに渡って、先生方の著作権に触れないかたちで(つまり私の感想を中心に)レポートしようと思います。

たぶんこれはまとまったら、なんらかのかたちで、印刷して神田橋先生にお送りします。
だから神田橋先生に読まれて困ることは書きません。
これは神田橋先生が不快になるようなことは遠慮して書かない、という意味ではありません。
神田橋先生の心は神田橋先生のものなので、不快に思うかどうかはあくまで神田橋先生の命の働きによるものです。私ごときがそれを推し量るのは僭越というもの。
私にわかるのは、「私は別に読まれても困らない」というこちら側の心の動きだけです。

とくどくど書いていること自体が
私がこの会から得たものをなんとか身につけようとしているプロセスかもしれません。
そう。
支援者ではない私にとっては思考プロセスとその表出のうまさ(言葉の巧みさ、口のうまさ、いやみ、あてこすりなど価値中立的に色々なものを含む)がとても勉強になったからです。

もちろん発達障害の治療が変わっていくなあ、というのは感じましたし、そこにおおいに期待するものではあります。

具体的に言うと

これからトラウマ治療が発達障害治療の核の一つになっていくのだと思います。
そしてそこに真剣に取り組まれているのが杉山先生。
そして神田橋先生に出会い、その手法に感嘆しつつもあっけにとられ、グラグラときている、という感じでした。
杉山先生と神田橋先生のコラボレーションがこの後どのように発展するか。
それが今後「治る人がどれくらい増えるか?」のカギを握っているような気がしました。
そして神田橋先生を発達障害の世界に知らせた役割を果たせた花風社は、いい仕事をさせてもらったなあ、と思いました。

これに賛同してくださる方も多かったのでしょう。
会場のあちこちで私もお声掛けいただきました。読者の皆様から感謝の言葉をいただきました。神田橋先生も、二度も花風社のやっている仕事の画期的なことに言及してくださいました。はっきり言って、異例の待遇の良さでした。花風社が追求している路線のエールと受け取りました。

でも一方で、「私の尊敬するある方」が送ってくださったこの感想が鋭いなあとも思うのです。


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今回の会で得るものは多かったですが、神田橋先生の後を継ぐお医者さんが育っていける土壌づくりがままならない現実を再認識した感じです。
神田橋先生を尊敬している精神科医であっても、浅見さんのご指摘のように、当事者の身になる想像力が欠けている方もいるわけです。

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そう。実りある二日間、ぎっしりお勉強し、ギョーカイトラウマから解き放たれたかと思った瞬間、それは起きました。
そして私はまたトラウマを喚起されることになりました。
いったん浄化されたトラウマが、別のかたちで呼び戻されてから帰途をたどることになりました。
そしてそれは悪いことではないのだと思います。
これが私の次の仕事につながると思うから。

ただ、神田橋先生のお話を聞いたあとだったので、「なぜ私にはこの種の出来事がトラウマになるのだろう」と帰りの飛行機の中で考えました。
会の最後に最後、その事件が起きたとき、私がとっさに感じたのは「怒り」でした。
なぜ怒りを感じるのか、自分で考えてみました。
そしてその底に、悲しみがあることに気づいたのです。

あくまでpatronizingな態度の支援者。
ときには当事者を飛び道具にしても平気で許されると思っている。
私はこのような状況が心底悲しいのでした。
みんなは悲しくないのかもしれません。でも私は悲しいのです。
そんなの本物の社会じゃないからです。
そして私のギョーカイトラウマの一つは
こういうやりとりを方々で目にしてきたことなのだと気づきました。
私が直接受けた被害以外にも、こういうやり取りを目にしてきたことが私の傷になっていることに初めて気づきました。
つまり誰かが誰かにpatronizingな態度をとることが
よほど私の本性に反することなのだと思います。

そしてそういうところに悲しみを感じるのが私の命だからこそ
そういう支援から抜けていける子
支援者のその態度にノーと言える子
を増やしていきたいと考えるのかもしれません。
「治ってますか? 発達障害」を作ったのもだからかもしれません。



それでは密度の濃い二日間@鹿児島のご報告を次回から始めましょう。