発達障害当事者は100%生きづらいべきなのかどうか。
生きづらくないよ、っていう人は当たり前だがいるもんだし、いてもいいのである。
ただ支援ギョーカイが飛び道具で使いたがっているのは生きづらがる当事者であるので
そういう人が目立つところに引っ張り出されることが多くなる。
そうすると「発達障害者は生きづらいもんだ」っていう固定観念が広がっていき
時には絶望の再生産がエンドレスに続く。
当事者の生きづらさを温存し飛び道具として使うような支援者とは
用が済んだらさっさと別れるべきである。
「幸せになる力」を発動させたいのならね。
と思うと、今この本を読むのは意味があるかな、と思います。
「自閉っ子的心身安定生活!」
死にそうなところまで行ったちゅん平さんが、作業所に週五日通い始めたのに驚いて作った本。
発達や意識の高まりに応じて、どのように支援を乗り換えていったかがわかります。
最初は「自閉症に関する専門性」にこだわった支援を受けた。それはすごくよかった。
でもある程度まで行くと、そこを乗り越えなきゃいけないんですよね。
支援者を選ぶ、という意識に目覚めた方は
今からでも読んでみてください。
生きづらくないよ、っていう人は当たり前だがいるもんだし、いてもいいのである。
ただ支援ギョーカイが飛び道具で使いたがっているのは生きづらがる当事者であるので
そういう人が目立つところに引っ張り出されることが多くなる。
そうすると「発達障害者は生きづらいもんだ」っていう固定観念が広がっていき
時には絶望の再生産がエンドレスに続く。
当事者の生きづらさを温存し飛び道具として使うような支援者とは
用が済んだらさっさと別れるべきである。
「幸せになる力」を発動させたいのならね。
と思うと、今この本を読むのは意味があるかな、と思います。
「自閉っ子的心身安定生活!」
死にそうなところまで行ったちゅん平さんが、作業所に週五日通い始めたのに驚いて作った本。
発達や意識の高まりに応じて、どのように支援を乗り換えていったかがわかります。
最初は「自閉症に関する専門性」にこだわった支援を受けた。それはすごくよかった。
でもある程度まで行くと、そこを乗り越えなきゃいけないんですよね。
支援者を選ぶ、という意識に目覚めた方は
今からでも読んでみてください。