治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

格闘技二種

2010-01-21 19:10:22 | 日記
またまた一日二回めの更新です。
本場所終わったら元に戻ります。

☆☆☆☆☆☆☆

一日中大大大博士の本に取り組み、
「平常心を保つ練習」をしようと16時にテレビをつけたら
NHK地上波は国会中継。
自民党が民主党の政治と金の問題を追及するというシュールな展開に思わずしばらく見入る。
自民党はいつから検察と仲良くなったのか。敵の敵は味方?
民主党松原議員はなんで熊みたいに歩き回っているのか。

BSに変えると中入り後が始まっている。

しばらくリモコンを握って国会中継と大相撲を交互に見る。

どっちが格闘技かわからない。

中入りの後半が始まり
「いいんだ、いいんだ。これを見たら私は仕事に戻るんだ」と自分に言い聞かせながら稀勢の里の取組を見る。

なんとか七勝目。
稀勢の里ファンの醍醐味は、上位相手でも「やってくれるかも」という期待を持てる反面、下位相手でも気が抜けないことだ。
今日も辛く勝った。
向正面の親方、やっぱり苦言を呈する。
横綱になるのさえまだ期待しているのに、と。
そういう日本人がまだいたのか。私以外に。

明日は勝ち越しをかける。でも相手は頭がいいぞ。

勝ったのを見届けてコンピュータに戻り、大大大博士の原稿チェック。

「EBMと代替療法の線引きはどこにあるのですか?」という私のシロートっぽい疑問を
大大大博士、ワンフレーズで回答してくださる。

大納得できた。

大納得してからまたテレビに戻る。

白鵬vs日馬富士。
日馬富士、勝つ!

と思ったらケータイが鳴る。
大地君だ!

日馬富士が横綱を下したことに大興奮している!
そのまま二人で電話で話しながら、朝青龍の勝利を見届ける。

しばらくお相撲話をして、ママに代わってもらって、おしゃべりした。
「明日大地君はぐじゅぐじゅ言うかもしれません。でもそれは、今日日馬富士が勝ってあまりにうれしかったせいかも」

うれしいことがあったあとに悲しくなる人たちなんだよね。
不思議な脳みそだ。でもだんだん付き合い方がわかってきた。
ニキさんの言うように
「不思議な行動には、話せば長いが浅いワケがある」と承知しておくことができるとお互いにいいよね。

発達って、何? その2

2010-01-21 08:33:37 | 日記
浅見→読者の方

メールをありがとうございます。
またブログや本をお読みいただきありがとうございます。

発達=定型脳 なのか、わかりませんね。
今度大大大博士にお会いする機会があったら聞いておきます。
藤家さんはたしかに、驚くほど変わりました。
でもまだ自閉的なところはあるし、変えなくてもいい部分もあります。
ただただ、生きやすくなるといいなあ、と姉のような気持ちで見守っています。

○○さんはどうして変わられたのでしょうね?

また、とてもすてきなメールなので、「読者からいただいたメール」としてブログでご紹介してもいいですか?

お返事お待ちいたします。
これからもよろしくお願いいたします。

浅見淳子

読者の方→浅見

お返事ありがとうございます!
失礼なメールだったらどうしよう、と思っていたので、
お返事が来てとてもびっくりしています。うれしいです。

メールの紹介ですが、とてもうれしいです、お願いします。ありがとうございます。
また、先走っているかもしれませんが、発達=定型脳、について、
大大大博士がどうお答えになるかということはぜひ知りたいです。

私はどうして変わったかということですが、
それを考えるとまずは、どうしてなのだろう、と思います。
なぜなら、私は自閉的見え方が好きだったので、それが変わっていくことは、
自分の能力がなくなっていくことに思えて、嫌でした。
定型的見え方だと、人間の脳の都合による優先度を勝手につけて、
全体としてみてしまうので、見えなくなるもの、感じなくなるものがあるように
思います。そういう感覚は(私からすると)乱暴だと思っていたので、
変わりたくないと思っていました。
でも、変わるのを止めることはできないようです。
なので、定型脳に近づいていくようになっているのが人間の脳、
なのかと思ってしまいます(私は、動物に近いほうの人間が自閉症の人なのかと
考えています。差別的に聞こえそうでこわいですが、そういう意味ではありません。
別々のものに共通項を見出して「同じ」ととらえて処理するのが定型脳で、
別々のものは別々のものとしてとらえて「同じ」としにくいのが自閉脳だからです。
そしてこれが様々な特性の基本にあるように思います)。
その変化は毎日続いているように思います。

外から何かで変化を加えたわけでないので、知ったり考えたりするといった
知的な変化だけで、変わっているのだろうと思います。それが視覚にもいくし、
思考も言葉の扱いも、変わっていくようです。
自閉関連の本は、水を飲むように必死で読みました。前のメールに書きましたが、
やはり「知ること」が、まずはなにより重要です。知ると、やっぱり「世界が変わ
る」のです。私にとって(おそらくほかのASDの人にとっても)、知ることは、世界

構造化するようなことなのです。だから、根本的な枠組みを教えてほしいのです。

私が変わったのは、わかりませんがもしかしたら、脳みそが若かったからということ
あるのかもしれません。早期介入や療育を受けた方は、どう見えているのだろうかと
思います。

また、私は親や兄弟との関係に、トラウマというのか問題を感じていたので、
それと格闘する過程で変わっていったこともあるかもしれません。
傷とかかなしさとか、執着しているものがあると、次の段階へ行きにくいような
気がします。おそらくですが。

私も、顔が見えるようになっても、自閉的特質がなくなっているわけではないです。
年末年始に帰省したのですが
蛍光灯やテレビの音、一日中誰かといっしょにいることなどはやはりつらくてダウン
しました。
それに、関係性のわからない(文脈を共有していない)相手とのやりとりや、
3人以上の会話はいまだむずかしいです。

こういうところも、これから変わっていくのかどうかはわかりません(大大大博士は
ご存知なのでしょうか)。
ただ私はまわりに定型発達の人が多いところでやっていかなくてはならないだろうと
思うので、定型発達の人のことも自閉症のことも、定型発達の人に説明できるかたち
で知っていないといけないと思っています。

読んでくださってありがとうございます!

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このやりとり、相当inspiringでした。
ふしぎなことに、こういうメールは見落とさないんですよね~定型脳。
大事なのものとそうじゃないものをより分けるのが早いのだ。
それは便利だと思います。