治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

不登校のインフォームド・コンセントはどうなってる?

2010-01-17 09:27:25 | 日記
外は雪。
こういう中を大地君は毎日学校に通っているんだなあ。

考えてみたら、今日これからお会いするお二方を含めて
自由業の立場とかで私とかかわりのあるASDの人たちの中で
義務教育時代に不登校をしていた人はいない。

大人になってフルタイムの仕事が難しかった人でも
ちゃんと学校には行っていた。

みんな傷つき体験はあったけど
それでも学校へは行っていた。

とにかく学校に通うことで
「いやでもやるべきことをやる」という体験と
「どこかに通う」という習慣づけと
とりあえず持って生まれたありったけの社会性を養っていたわけだから
登校し続けたことは無駄ではなかったわけだ。

じゃあ今不登校を許されている子はどうなるんだろう。
とくに知的障害のない子たちは。
福祉をあてにできるならいい。でもこの状況であてにできると思う?

「二次障害のないニートになるんじゃないか」って言ってた先生いたなあ。
それが目標なのか? 特別支援教育の?
ていうか
通うべき学校に通えなかったことで、二次障害負いそうなもんだが。

大地君は普通学級でのお勉強はつらい子だ。
でも彼くらいのIQの子は
支援級に措置してもらうだけでも大変な苦労をする。
だって支援級の先生だって生活あるもんね。給料いるもんね。
限られたリソースを、ふさわしい子にまわせるように慎重に検討するのは、血税を預かっている行政として当然だろう。

せめて景気がよくならなければ福祉や特別支援教育に財源は回らなくなる。
そのためには働ける人が
一人一人が生まれ持った能力を生かさなくては。

ってしごくまっとうな考え方に思えるんですけど。
私のような福祉業界の外の人間としては。

「通学するのは小学生のお仕事」
「学校に通うのは将来仕事をするためのトレーニング」

栗林先生と白くま母さんは毅然とその方針を大地君に示している。
だから大地君は頑張って登校する。
つらくても、登校が将来につながることをきちんと教えてもらっている。
登校すること自体を、別にほめられない。
小学生のお仕事として、当たり前のことにすぎないから。
ママがご飯を作ってくれるように
浅見さんが本を作るように
日馬富士関がお相撲をとるように
大地君は学校に行くのがお仕事。

私はそういう教育方針を伝えたいと思いました。
なぜって?
なぜかレアだから。
そして、私は非・福祉、非・教育である自閉っ子周囲の人間としてその教育方針を「あたりまえ」だと思っているから。
そしてたくさんの「将来できれば自立してほしい」親御さんや
「できれば働きたい」当事者の人を知っているから。
福祉が発展したらいいな、と願いつつ。

大地君は知的障害がない。
知的障害がない子には、それなりに世の中で果たす義務がある。

私は頑健である。それは私がえらいのではない。こういう風に生まれただけだ。
おまけに健康維持には結構投資している。
私が持って生まれた健康を保つことで、医療費が助かって、その分私が毎月払っている医療保険の財源が、他の人に回るでしょ?

大地君の支援級のお友だちの中には、重い障害の子もいる。
大地君は頭に管がついているお友だち、車椅子のお友だちに手を貸しながら通級している。
その子たちは、支援級を卒業すると親から離れて寮に入るんだって。
広い北海道では中学からもう寮生活。
そしてそのまま卒業し、施設に入り、一生親とは一緒に暮らせない。

こういう人生を数年後に生きる子どもたちと、大地君は机を並べて勉強している。

大地君は、その子たちを助けられる大人になりたいと願っている。
そしてその願いをかなえる第一歩は、学校に通いつづけることだと教わっている。

きちんと教えてもらって、幸せな子だ。