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治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

副作用より攻撃性 花風社が薬物療法じゃない療法に振れたきっかけ

2025-01-07 09:44:50 | 日記
副作用より攻撃性 花風社が薬物療法じゃない療法に振れたきっかけ

さて、海老名事件(不登校&癇癪のお子さんを持ったお母さんによる無理心中未遂。お子さん三人は犠牲になりました)をきっかけに、強度行動障害の話をどっとこむでしています。

この記事とか。



この記事とか。



その中で薬害の話が出たのだけど、花風社はどっちかというと、薬反対派みたいに思われているかもしれない。でも昔はそうじゃなかったです。どっちかというと、薬に対してはニュートラルでした。

発達障害の本を出しはじめた当初は、私もギョーカイの人たちと仲良くしようとしていた時期でした。支援職の人とも仲良くしたけど、当事者と個人的に付き合うことも多かった。その多くが精神科に行っていたし、薬出されていたし、それで助けられているみたいな感じだったので、そこで薬のむなよ、とか言ったことはないです。

いや、むしろ「飲んで」と思った瞬間はあったなあ。これはきっと、強度行動障害のお子さんを持つお母さんとかと同じ気持ちなんだと思いますが、目の前で暴れていたらやっぱりのんで、と思ってしまう。不登校をきっかけに小学生の子にリスパダール出してもらったお母さんが「これのめば学校に行ってくれると思ったのに言ってくれなかった」みたいなことを言っていたけど、まあそれはあまりに薬リテラシーがないと思うけど、とにかく目の前の問題に大して聞くのなら一刻も早くのんで! という気持ちはわかる。なぜなら自分も同じ体験をしたから。

大人同士として当事者と付き合うと、別に不登校に悩んでいる親御さんのような切迫性はないわけだけど、ときどき起きるわけです、パニックが。パニックというより、実態は「狐憑き」みたいなの。

すごく怖いわけですね。で、それが薬切れとかだと説明される。今思うと、そもそも薬が入っていなかったら切れて狐憑きにならなかったかもしれないけど(これは本当に不明)まあ、目の当たりにするとかなり怖いわけです。「薬でこれ治るのならのんで」と思ってしまう。

だからのませたい親御さんの気持ちもわかるわけですね。

おまけに私は生まれてこの方持病による継続的な服薬というのを経験していないわけです。薬なんてせいぜい親知らず抜いたときにもらった痛み止めとか(結局のますにすんだ)咳が止まらないときに最終手段として出かけた耳鼻科でもらった薬とか、一週間で終わるようなものしか経験がないわけ。

だから薬の功罪そのものにうとかった。だから当事者の人たちが精神科通って薬もらってそれで狐憑きを回避できるのなら、別に薬に反対する気持ちはありませんでした。

それが変わったのはやはり2010年、神田橋先生の本『発達障害は治りますか?』を出した時だと思います。

そのころ私は裁判を抱えていて、全く面識のない自閉症者からのゆえなき攻撃にさらされていた。だから、「この迷惑性が自閉症由来なら、自閉症というものは治ってほしい」と考えるのは当たり前だった。



でもギョーカイ人は治せないとか、治すと考えること自体差別とか言っていた。社会との懸け橋になるとうたいながら、全然その役目を果たそうとしないギョーカイの仕組みが今はわかっているけど当時はわかっていなかったので、ただひたすら腹が立ち絶望していた。

そのときに出会った神田橋先生なんだけど、変わった先生だった。ウコンとか漢方とかは有名だけど、たとえば人によっては処方が「ちゃらんぽらんに生きる」だったり「貧乏ゆすり」だったりする。

今思うと、神田橋先生がギョーカイからはみ出たところは、問題点を解決するための手法を、医薬業界にお金を落とさない手段まで包括して考えていたことだと思う。だから業界では浮いていたんだけど、ちょっと変わっているけど治す先生としての地位を確立してしまって、誰も何も言えなくなっていたわけですね。

神田橋先生も薬を出すし、薬を出せば医薬業界の実入りになる。でも薬より貧乏ゆすりが効くと思ったらそっちを勧める。そして多くの医者は自分の住んでいる生態系である医薬エコチェンを優先して患者にあたるから、薬ばっかり出す。

でも人によっては薬剤に過敏性があったり、発達障害児者にはとくにその傾向があったり、薬より貧乏ゆすりの方がメンタル安定させたりがあって(後に金魚体操があれほど効果があったことを考えると当たり前なんだけど)、処方が「貧乏ゆすり」になったりする。そうすると薬業界には一銭も入らないわけですよ。

本来はけしからんと思われるだろうし、だから薬で解決したい人にはけしからんと思われていたわけだけど、圧倒的な実績をみせることでぬらぬらやっていたのが神田橋先生ですね。

でも私は違うわけ。
私はほぼ、薬なんてのんだことのない一般人だった。

そして当時、名医と呼ばれた主治医がついているというふれこみの自閉症者により犯罪行為をされていた。

主としてネット上の迷惑行為だったけど、相手が男性でありこちらが女性だけに、物理的な攻撃を心配(期待?)してくれる人もたくさんいた。

私はあまりこの点恐怖が無かった。それはまあ、女性としては割と腕っぷしが強い方だという自覚があったのと、相手が薬害でへろへろになっていて手足の使い方もなっていない、という情報が入ってきていたから。

で、薬害でそうなっちゃうってあるんだな、と思った。

ところが神田橋先生&周辺の話をきいていると、薬って実際に身体を弱くする副作用だけではなく

むしろ攻撃性を増す、っていう話をきいた。

つまりね
元々持っている衝動性が社会生活を困難にし、それを薬で抑えつける。
でももともと持っている衝動性は消えない。
だから生体としては抵抗する。激しく抵抗する。
そうすると他害行為はどんどんひどくなる。


そういう薬害もあるんだと。
他害を抑えたくて、一生懸命精神科行って薬もらっても一時的に収まってもよけいひどくなるケースってないですか?
だとしたらその他害が、薬害であるかもしれないわけですよ。

つまり、私が受けていた迷惑行為も、薬害だった可能性もあるわけ。

私は当時、医者って治すのが仕事だと思っていたし、だからこそこれだけの迷惑行為を治せない名医()を憎んだし、神田橋先生も発達凡医をだめがっていた。

そして私は、コロナ前でもあり、医療の世界がいかに全体主義で、エコチェンで、一般市民の利益より自分たちの利権を優先させるかを知らなかった。

利権、っていうのは金銭面もあるけど、金そのものではなく「いかに仕事をしないで実利を得るか」の画策も含まれる。コロナで発熱患者みなかった病院はたくさんあったでしょう。今もあるらしいね。

で、この仕組みに私は気づいていなかったし、医療従事者たちが自分たちは人の上に作られた人だと自認していたのも知らなかったので、とっても屈託なく、薬害を訴えましたね。主として神田橋先生&その周辺の教えがあり、自分が体験した一次情報としては、薬漬けで手足の使い方もままならない面識のない自閉症者にネット上で攻撃されていた、っていうのがあった。考えてみたら手足も使えないと、よけいネット上とかの攻撃に集中するかもしれない。

そして今度は薬大事派からのネットリンチにあいました。最近飯山あかりちゃんねるを見ていて思い出すのは2019年のハッタツ大戦というよりその前、2010年の『発達障害は治りますか?』を出した前後の大騒ぎだな。あのとき私が受けたネットリンチはすごかった。

あの騒動で、神田橋先生は無傷だった。その他の周辺の人たちも無傷だった。叩かれたのは私だけ。っていうか、神田橋先生はもともとエコチェンに風穴を開ける存在だったわけだけど、みんな手出しができなかったわけ。えらすぎて。その周囲の腰ぎんちゃくも、しょせん全体主義エコチェンの住民。権威のもとでしれっとしていたわけ。ところがその存在を発達障害の世界に連れてきて、それを扇動しているのがど素人なわけ。だからみんな、神田橋先生やその周辺を叩きたくても我慢していた分だけ私を叩いたね。

それもこれも、当時は認識していなかったけど、「とにかく薬だしてやってます感と実利を得る」という医療の全体主義に実に屈託なく疑問を投げかけたからだった。屈託ないに決まってるじゃん。私は医療職でも支援職でもなく、もっと言えば患者経験すらほぼない。ただの社保加入者だ。

まあよく、私はあんな大胆なことをしたね。そしてよく生き残ったね。

神田橋先生とその周辺にはそれ以降も大変お世話になったけど、でももしかしたら、私が一身に攻撃受けることは織り込み済みだったかもしれない。

と考えています。
だから私は、もう誰とも仲良くしない。
支援職は、誰も信じない。
知見は信用する。
でも人としては信用しない。
人が人を助けられる、なんて幻想だ。
だから読者の皆さんが、自分で自分を助けられるためのヒントになる本は出す。
でもその知見を提供する人を個人崇拝することはない。
私もしない。
皆さんもしなくていい。

まあともかく、私が薬害に目覚めたのは、副作用で本人がだるくなったりする、という面だけではなく

薬害によって、攻撃性が増す。

ということもあるんだなと知ってからですわ。
不登校児や他害のある人に安易に薬を出そうとする人は、そういう説を唱えている治す先生もいるのだと知っておいてほしいし

薬なしにどうにかする手段を持っている人もいるんだと知っておいてほしいですね。
そしてそういう人たちにお金を落とすより、医薬にお金を落としてほしい全体主義が医療業界にはあって、それを「トンデモ」とかにすりかえるんだけど

実はみみっちい儲け根性を科学に見せかけているだけだと、その仕組みは知っておくと便利です。とにかく医薬はね、別業界に金を使ってほしくないんですよ。ケチなんです。本当はスポーツや推し活の方が効果あるのに。


2024年大晦日に 「癒し」について思うこと

2024-12-31 07:56:47 | 日記
大晦日になりました。
最後にケガはしてしまったけど、なんだかんだ楽しいことがいっぱいあった年でした。自転車もたくさん乗った。旅行もした。とくに春、母と小笠原へ船旅をしたのはレアな体験でした。それと旅行より珍しい体験として、生涯一度のライブ体験。夏に藤井風日産スタジアムライブのチケットが当たって出かけた。

というわけでにわか藤井風ファンになったつもりだったのだけど、とりあえずファンは引退。というか、とてもいい歌手の方なんだけど、やはりどうも私は「音楽を趣味にする」ということが合わなかった。とくに推し活が。

あの方は歌詞が深いし、歌も楽器もできてビジュアルも優れていて、それはそれはほめるところがいっぱいあるのは確かなんだろうけど、一ミリ単位でほめるファンの人にはついていけなかった。それと老若男女に人気のある人なので、自分と同年代のおばさまファンも多いみたいだけど、その人たちが人生の師みたいにあがめるのもよくわからなかった。彼のやっているのはビッグビジネスで、たくさんの人が絡んで、だから大がかりなプロジェクトに心血を注ぐ様子が垣間見られ、それをまた可視化してセールスはしているけど、職業に貴賤はなく、どんな小さな仕事でも人は見えないところで努力をしてこつこつやっている。そういう体験を積んできた身にとっては、彼のやっていることがすごく特別だとは思えない。それを自分の同年代の人が偉業のようにほめそやすのにも違和感を覚えました。ろくすっぽ仕事したことがないんじゃないの疑惑。

で、とにかく一ミリ単位でほめているファンの人たちをみていると、皆何か癒しを求めている。音楽に癒しを求める人もいれば、整体師とか東洋医学系とか、そういう人に癒しを求めている人もいる。不登校の人たちもひとかたまりあるし、妊活の人、婚活の人、皆何かに疲れる時はあって、癒しを求めて誰か個人にすがりつく。

っていうのがすげえ気持ち悪いんですね私。
だからこれからも音楽はきくと思うけど、ファンはやめました。円盤も買わなかった。

でも振り返ってみると音楽界に限らず世の中この

癒されたい人←→癒したい人

の共依存であふれているわけです。で、みんな本当に心がきれいなのかどうかわからんけど、わりと当たり障りのないこと言って、作り笑顔で集合写真とって、なんか(少なくとも表面上は)仲良しだ、みたいな。

とくに発達障害の世界なんてこういうのであふれているでしょう。ところが私、四半世紀ここにいても、やはり嫌いみたいなんですねこれが。

コーチングとかの文字もよくSNSで踊っているけど、どんなもんか調べたこともない。やってる連中が胡散臭いしね。

自分がセラピーを受けて、癒されて、じゃあ自分もセラピストになりましょう、なんていう人も多いけど、それよりイオンでレジ打てる人、ほっともっとで唐揚げあげている人、冷凍のおせちの配達で街中を駆け回っているクロネコの人、の方を尊敬するわ、私。セラピストになりたいとかろくなもんじゃないと思う。ごく一部の人を除けば虚業でしょう。

不登校児が将来真っ暗だとは思わない。っていうか、学校に行かないでどう将来を切り開いていくかおばさんには想像もつかないので、是非切り開いていく姿を見せてほしい。それを一巡くらいみれば、「ああ、学校は行かなくても大丈夫なんだ」って納得すると思う。でも今のところの四半世紀をみると、ずっと不登校でどうにかなった人はいないので、やはり学校は行くべきだと思うし第一

なんで学校ごときでそれほど苦労するのかわからない。別に進級試験があるわけじゃなし。行ってにこにこして座っていて給食食べていれば卒業できるのが小学校じゃなかったっけ。先生たちも最近は優しいみたいだし、クラスメートだって意地悪な子だけじゃないでしょう。

あと自らHSPとか名乗る人の気持ちもわからない。助けを求めているのか自慢しているのかわからない。敏感な自分が誇りだったら癒される必要もないわけで。

SNSを開くと目につく「各種癒し商売」の人のきれいごとにもうんざり。それに群がる癒されたい人の群れにもうんざり。

で、皆さんに思い出してほしいのは、私は発達障害ギョーカイに四半世紀いるわけで、その間ずっと癒したい人癒されたい人の間に生きてきたわけで、それでも揺るぐことなく、癒しの世界が嫌いなわけ。だから「癒しの世界が嫌い」というのが私の本質だと思う。

自分が癒しが必要じゃないかっていうと当然必要なときはあるけど、そのときは有酸素運動とか綺麗な景色とか深呼吸とか家族と遊ぶとか、そういうのがインチキセラピストよりアーシングマットや発達する眼鏡やなんかよりずっと有効だと思うわけ。

2024年の最後にこれを宣言しておこうと思います。
ああ、すっきりした。
今まで隠してきたつもりはないけど、不登校児やなんかについてははっきり言わなかったと思う。まあ登校原理主義だとは言っていたけど。私は「学校行かない子はダメな子」と思っているというより「学校程度行っとけばいいじゃん。別に魂売らなきゃいけないわけじゃないんだし。数時間我慢して帰ってきて遊べばいいんだよ」と思っている。

社会に適応できない人に関してもそう思っている。てきとーにつきあうぶぶんだけつきあっとけばいいじゃん、って。自分だって嫌いな人だらけのこのギョーカイでなんとかやってきたし。学校だって、社会だって、敵ばかりだって、その中で生きていけばいいんだ。

まあ、そういうわけで今後発達障害にかかわる資格もないような気がするんだけど、もしかかわることができるとすれば

ベスリ理論の治療ボックスの最後のところ
あれ的な(言論)活動はできるかなと思いました。
具体的な構想は何一つありませんが。


一年間、大変お世話になりました。
皆様良いお年をお迎えくださいませ。
それと紅白の「満ちていく」。
風船ワークにおすすめの曲ですよ。

飯山あかりちゃんねるを見続けて発達障害ギョーカイについて今更わかったこと

2024-12-30 06:53:18 | 日記
さて、衆議院選挙の前から始まったイスラム学者飯山陽氏による日本保守党批判on YouTube。
結局2か月付き合ってしまいました(笑)。
その間に九州場所があり、旅行行ったり、事故にあったり、色々あって、厳密にはコンプリートはしていないかもしれませんが、まあ追ってきたと思います。
先日の沖縄旅行で数回見逃し、内容のマンネリ化もあって、まあもう無理に追わなくてもいいかなとやっと思うようになりました。
知るべきことは知ったように思います。

私はイスラム学者としての飯山陽氏を信頼していました。
なぜなら彼女以前に読んだ日本のイスラム御用学者(あっちの味方をしてしまう人たち)の説くイスラム像では、世界で起きている事象をよく説明できなかったからです。
911はなぜ起きたのか。なぜ紛争が絶えないのか。なぜ欧州は移民問題に悩まされているのか。
「イスラム教は平和の宗教」という説明では納得できないことばかり。
でも飯山氏が解説してくれるイスラムの実態を知ると、すべて説明がつくのです。

ということで私にとって飯山氏は「とても優秀な学者さん」なので、百田新党とかいうところから補選に立候補するときいたとき「イスラム学者飯山陽氏の無駄遣いだ」としか思えませんでした。
政治家百田尚樹、というのが私にはまるでぴんと来ていませんでした。「ストーリーテリングの上手なテレビ出身のベストセラー作家で、どっちかというと下ネタとか連発する下品なおじさん」という認識でした。政治家にふさわしいとは全く考えていなかった。ちなみに有本香さんという人は認識していませんでした。なんかニコイチになっている女性がいる、程度の認識。

でも私の知らないところで、百田氏はネット番組等を通じて一定の支持層を形成していたのですね。どうもその人たちは、昔でいうネトウヨ層みたいな感じ。日本人であることだけにやけに優位性を感じているような、そういう、まああまり頭のよくない人たちです。

そして補選で破れ、そのあとなんか色々あったらしく(この間はどっちの動きも興味がなくて追っていない)自民党総裁選では飯山氏はやけに高市氏の応援をしたりしているのを横目で見ていたりして、そして日本保守党の衆議院選挙の候補者が公開され、飯山氏との決別が明るみに。それから飯山氏の「公益を目指した」日本保守党批判が始まります。

いやいやその手法はすばらしかった。
一次資料を読み込んで論理を展開する人文系の誠実な学者の手法とはこういうものなのだと関心しました。これはたしかに、百田有本氏にはとうてい太刀打ちできません。
アカデミシャンの強さを感じ、私は毎日見るようになりました。論理の展開の仕方が、とても勉強になりました。

そして強力な飯山アンチ層ができあがってくると、さらに興味深い現象が起きました。
そっくりなんです。
何に? っていうかというと、私がハッタツギョーカイで受けてきた数々のアンチ活動に、とにかくそっくり。

最初は「恩になったのだから歯向かうな~」ってやつ。

2005年に発達障害者支援法が施行され、啓発の予算やなんかも下りて、著者や私への講演依頼、多方面からの書籍の買い入れ、など、たしかに花風社も恩恵を被りました。
私は単純に信じていたわけです。
「未発見の発達障害者は不登校になったりニートになったりする。それを発見し介入することによってこの人たちを社会に送り出そう」というきれいごとスローガンをね。
だから純粋に信じて、一生懸命活動していたわけです。ギョーカイと仲良し時代です。

ところがギョーカイ側からみると、「小さい新興出版社に甘い汁を分けてやった」だったわけです。
そしてギョーカイの目的は「いかに予算を自分たちの利権化していくか」だったわけだから、最初からニートとか不登校を防ぐつもりなんかないわけ。
その証拠に、発達障害の認知が広まれば広まるほど、不登校は増え、でもスクールカウンセラーは機能せず、ニートは増え、でも就労支援はアリバイに過ぎず、みたいなのが明らかになってきたでしょう。
ていうわけで2008年ごろから私は方向性をシフトしていったわけです。やばいなと思った。

ちょうど裁判を抱えたころ。裁判を抱えたのも、ギョーカイが迷惑自閉症者一人教育することができなかったから。このギョーカイに見切りをつけて、そして2010年に『発達障害は治りますか?』を出したわけですよ。で、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

そしてね、今度日本保守党の頭の悪い支持層が飯山氏に向けた攻撃と私が受けた攻撃はそっくりだったんです。
まず「恩人に逆らうな!」。
頭の悪い元ネトウヨたちはイスラム学者の本なんか読まないので、飯山氏は百有が世に出したと思っているわけ。私は有本さんなんか知らないうちから飯山氏の本は読んでいたのだけど。
それにさ~もし百歩譲って百有氏が飯山氏を世に出したとして
その恩があるからって、真実に口をつぐんでいたらそっちの方がずっと不誠実じゃないですか。
これは、学者として、とかじゃないですよ。
人として不誠実です。
だから飯山氏が声を上げ続けたことを私は全面的に支持しています。
私が「私もギョーカイと仲良しだった時代があったから」と彼らに逆らわず「生まれつきの脳機能障害で一生治らないから生涯にわたる支援を」とかやっていたら、それ以降の本は出なかったわけです。治った自慢もなかったわけですよ。
その方がギョーカイにはよかったかもしれない。でも社会にとっては損失です。治る人が減るから。ギョーカイより社会を優先させるのが正義なんです。
だから仲間大事、っていう人は裏からみると、あんまり正義感がないわけ。


「恩人なんだからけなすな」
村人の論理ですな。
たぶん頭の悪いネトウヨたちは、義理で固められた狭いコミュニティに住んでいる人たちだと思う。だからそれが許せないのね。
飯山氏にありとあらゆる攻撃をしかけてました。
ありとあらゆるっていったって、みたことあるものばっかりですよ。
Amazonのレビュー☆一個攻撃とかさ(笑)。
不買運動とかさ(笑)。
お互いのリポストとかさ(笑)。
見たことあるものばっかりでしょ。

私はふと考えたんです。
私は「発達障害は治した方がいいから治そう」と言い出した。
「治るのなら治った方がいいな」と思った人たちが本を読んだ。
その中から花風社路線の支持者も出てきた。
そうするとその支持者たちも攻撃された。

本当にそっくりなんです。
そんなのそれぞれの道を行けばいいだけなのに、世の中それが許せない人たちがいる。考えの違う他人を許容できない人たちがいる。

自分が攻撃の対象になったとき
私はこの
「それぞれの道を行く人が許せない」偏狭性を、発達由来だと思っていたんですね。
花風社攻撃には支援者も参加したし(不買運動する大学教員とか心理士とか)、よその子が治るのが許せない保護者も参加したし、なにより当事者のき〇がいっぷりがすごかった。はっきり言いますが、私は自閉症者が大嫌いになりました。これはやはり社会参加無理だわ、って感じた。私は他人が違う道を行くのを許せない人たち=発達特性のある人たちだと思ったわけ。

ところが日本保守党の支持者たちが同じことを飯山氏にしているわけ。
それをみて、共通点は何かと考えました。
そして「洗脳」だなと思いました。

神田橋先生の本が出た当時は、みんな洗脳されていたわけ。
「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」
それが発達医療の総意だった。
それは「ひたすら自粛してワクチンで解決」みたいに、政治的な取り決めにすぎなかったのだけど、コロナ禍前の私たちにはそれが見えなかった。科学だと思っていた。本当は政治だったんだけどね。

「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」も完全に政治なわけ。
これを信じてもらえば、医療福祉連合は当事者の人生を一ミリもよくすることなく一生養分に出来るわけ。
だから「自粛してワクチンを待つ」と真夏に必死にマスクをしたように
みんな治りたいという気持ちを押し殺して、我慢して「社会の理解ガー」に参加したわけ。

多くの人がこの洗脳に引っかかった。
私も引っかかったかもしれない。
ただ私は、養分にする連合にいなかったので、医療福祉ではなく出版社だったので、「どうもこの支援ってやつそのものが役立たずだわ」と気づき「治った方がよくないですかね? 誰か治せるひとおらんの?」とか探し始めたわけですわ。
そして神田橋先生とか小田原の大先生とか原始反射とか、そっちと出会い始めた。どんどん本にする。皆さんがどんどん実践する。どんどん治る。そのうち海外で発達障害が神経発達症になったわけですね。やっぱりこっちが当たっていたんじゃん。

という感じなんだけど
つまり

「洗脳されている人間は、洗脳ワールドにヒビを入れそうな存在が出てくるとあの手この手をつかってひきずりおろそうとする」

わけで、そのやり方って大してオリジナリティはないのね(笑)。
まずはAmazonの☆一個から(笑)。

飯山陽さんと日本保守党の騒動で私がわかったのはこういうことでした。

だからあの当時の「花風社アンチ」っていうのは「治りたくない派」ではなく。ましてやエビデンス重視派であるはずもなく(だって彼らの信じた道にエビデンスはなかったし)。

ただただ洗脳に弱かっただけ。

「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」という洗脳をやすやすと受け入れ、自分のいくばくかの安心と引き換えに、医療福祉の養分として自分の子の生涯をささげた人たちにすぎなかった

というわけですね。

まだ洗脳されている人たちはいるでしょう。
すでに治った人たちは、その洗脳された人たちをかわいそうだと思う。それも自然な気持ち。

でも一人一人、自分で気づかないとどうしようもない。
ずっと発信しつづけることだけがこちらにできること。


日本保守党のスローガンは「日本を豊かに、強く」らしい。
それに対し飯山さんはまず、そもそも日本保守党の宣伝番組の収益自体が党ではなく百田氏有本氏の懐に入っている事から指摘した。

それと同じなんですよ。
「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」が誰の懐を潤しているか?
治らないことにしておくと都合のいい産業とその従事者がいるでしょう。

それを思うとやはり『発達障害、治るが勝ち!』は大事な本だったなあ。

そして当たり前だけど
医療福祉あてにならないよ の代わりに
じゃあこれやってみようよ、というオファーがなければなりませんね。

そういう仕事を今年もやりました。
あとは脳機能スクリーニング&トレーニングだけはやっていくつもり。
あれは伝える価値のある情報ですわ。

スパルタン気味の沖縄リハビリ旅ご報告

2024-12-27 09:34:59 | 日記
12月23日、まだ暗い中をブロンプトンで駅へ。
そこから羽田へ輪行。
日の出は羽田で見ます。
7:45初の那覇便はほぼ満席。
後ろに座っていた若い女性は初沖縄だったようで、初めて見たサンゴ礁の海に感動の声を上げていました。

本当は那覇空港を下りたら、ロードを組み上げて、颯爽と走りだすつもりでした。
が、11月末に事故にあい、ようやく前々日にブロンプトンで10キロ走っただけ。しかも慣れている道。
知らない街の道を走るのはきついと思われました。

ということでイムアの山城氏にお迎えをお願いしました。
空港から北谷町まで来たあたりでお昼時。早速の沖縄そば。肉がたくさん入ったなかなかボリューミーなおそばでした。

山城氏は最近、スパルタン?とかいうレースに出たそうです。
SASUKEみたいな障害物競争とランを組み合わせたレースらしい。
よくやりますわ。
最年長? ときいたら、たぶん、ということでした。

それから、事業所が沖縄市から北谷町に移ってから、初めての訪問です。
海や陸でのアクティビティをふんだんに取り入れた放課後等デイ。
相変わらずたくさんの自転車とか、サーフボードとか、SUPとかがありました。
子ども達の安全を守るため
スタッフは日々身体を鍛えています。みんなでウォーターロックラグビーやったり、富士山に上ったりしている変態ちっくな事業所です(ほめてます)。

https://www.youtube.com/watch?v=GjWnLYCZy60

これからどうする? ときかれたのですが
基本ブロンプトンで走りたいのだけど
あまり坂の多いところとかは無理そう。
というわけでどっかちょろっと走れるところに放置してくれたら、ということで、よくテレビに出てくるおしゃれな街、美浜アメリカンビレッジのあたりで下ろしてもらいました。
四キロくらいの海岸線があります。
そこを行ったり来たりしたら楽しそう。
「終わったら迎えに来ますから」という山城氏に対し、夫が「大丈夫です。基本的にはこのまま宿まで行くつもりですから」とか言っています。
美浜から宿のある恩納村まで、距離は20キロくらいだそうです。
いつもなら平気な距離ですが、私はケガのあと。そして知らない道。
「え? 自転車でチェックインするの?」と不安がる私を見て、山城氏が「途中何かあったら電話してください」と言ってくれました。

そして海沿いを気分よく走り、
宿のある恩納村に向かって走りだします。
途中に嘉手納基地。まだまだ上り坂でスピードが出せず、車道だと迷惑をかけるので誰も歩いていない歩道に避難すると、あまりに人が歩かないせいか、草ぼうぼうです。ハブが出たらどうしよう。
まるでマウンテンバイクで森の中を走っているみたいな気分でした。
さすがに疲れました。
夫は時々「休むか?」ときいてくれるのですが、口だけです(笑)。
だって休もうとしたって、あるのは歩道だけ。椅子ひとつないし。ただ脚を止めるか、というだけ。
何週間もロングライドをしていない脚はとても疲れました。

やっとの思いで宿に着きます。
ロードバイクをもって入れる部屋を取っていたので、やたら広い。
私たちの小さなバイクを見て「それを本土から持ってきたのですか?」ときかれたのですが
いやいやこれ、小さくてもすごく走るんですよ。平時にはね。

それからお風呂に入り、松金とか栗金とかして脚を休めました。
そして仕事終わりの山城氏にお迎えにきていただき、居酒屋へ。
泡盛、ちゃんぷるーなどをいただきながら、バカ話をたくさんしました。

次の日は沖縄の冬にありがちな雲の厚い日でした。
徒歩圏に真栄田岬というところがあるそうなので、サトウキビ畑と沖縄独特のあのおうちみたいなお墓が並ぶ中を歩いて行きます。
韓国人の若者一行に呼び止められ、レンタルバイクとともに写真をとってくれと言われましたのでとってあげます。すごいかっこつけたポーズをとっていて微笑ましかったです。
テレビやネットで見る韓国人はスターだったり整形だったりしますが、普通に素朴な若者たちが日本を旅しています。
最近YouTubeで見た情報によると、韓国の若者は借金があまり怖くないそうです。だから借金してでもバンバン旅をするそうです。そのへん、ずいぶん違いますね。

真栄田岬は勇壮な景色でした。なんか桜島を思い出しました。
ここでもアジア系のカップルが、フォトセッションをやっていました。女の子がお姫様みたいなかっこをして、花束を手にポーズ。男の子が撮影係。
でも、風景としては勇壮なので、あまりお姫様ルックには合っていないような気がします。

それからいくつか隠れ浜みたいなところに下りました。
砂袋で作った階段っぽい何かをたどりながらえっちらおっちら下りていく。ケガした人間にとってはなかなかの修行です。
でも隠れ浜の景色は素晴らしかった。
ダイビングとかシュノーケリングのチームもたくさんありました。色々な国の人がそれぞれチームを組んで、ガイドが率いていた。

一つの浜には米軍のWARNINGが英語で出ていました。米兵に対する警告です。
ここの海は危険である。海流も予測がつきにくい。できればここではないビーチで遊ぶことを勧める。それでも遊ぶのなら、万全の注意をもって行動するように
というWARNING。
で、たくさんのアメリカ人たちが読んでいるのかどうかも知りませんが、ダイビングに出かけていきました。なんだかおさかながたくさん見られるスポットのようです。軍から警告は出ていても、あくまで自己責任。

たくさん歩いたのでガーミンが満足そうでした。
そういえば私は事故後2週間、ガーミンを装着しなかったので、ガーミンは志を低くして、最初一日4000歩くらいしか要求しなかったのですが、最近歩き始めたら図に乗っています。毎日毎日要求を上げてきます。
そしてそのガーミンが大喜びするくらいよく歩きました。

ただ、前の日のスパルタンライド、そして午前中の長い散歩で疲れてしまい、午後のライドはあまり行く気になれませんでした。
そこで近場でサトウキビ畑ライド。
保育所から子ども達が手を振ってくれます。
そのあと「もういいや」という私を置いて、夫は残波岬というところまで行ったそうです。汗びっしょりになって帰ってきました。
その日も山城氏と三人で居酒屋。
私は閉じこもっていたのでよくわかりませんが、今年は街の中のクリスマス濃度が低かったそうですが、我々はクリスマスイブ、アラカンの三人でちゃんぷるーとかてびちとかを食べていましたわ。

ところで午後、従兄からLINEが。
28日、法事なのでその打ち合わせです。
そのとき私は「今沖縄にいるくらいだからまあ大した事ないんだが、実はケガをした。多少足元がもたつくかもしれないけど気にしないで」と言いました。というのはそこのおうちのお寺は結構山の上にあるのです。
階段が90段だそうです。従兄は心配になったようでした。
ただ、文明的な階段なので、手すりも完備です。隠れ浜に下りていく階段よりは安全そうです。
ということで帰ったら二日間は、お寺の階段に備えて養生しようと決めました。

そして25日。
朝山城さんがロードバイクで現れます。これから夫と二人、事業所まで自転車通勤。
沖縄の冬にはめずらしい雲一つない青空。気温も高く、気持ちよさそうです。
でも私は疲労が蓄積し、走り切る自信がなかったので、お迎えをお願いしました。
二人はライドを楽しんだようです。
山城さんはブロンプトンが走ることにびっくりしていました。

先に事業所に着いたので、ストレッチのスペースをお借りしてストレッチしていました。
すると事業所に電話がかかってきて、すぐ近くまで来たときにパンクしたそうでした。迎えに行くとスタッフの方が出ていきました。
どっちがパンクしたのかな、と思ったら夫の方でした。
いきなり、凄い音がして空気が抜けたそうです。
ケガがなくて何よりでした。
一応ロードの店に持って行ったのですが、ミニベロの対応はしていないので、横浜に持って帰ってディーラーに行けばいいねということになりました。

そして沖縄そば。
空港に送っていただきます。大変お世話になりました。
山城さんは意外なことに、県外で走ったことがないそうです。沖縄も景色良くて楽しいけど、走った後温泉に入れる本土のライドもなかなかいいもんですよと言ったら、ぜひ一度行ってみたいと言っていました。

空港に着いたら、さっさと全日空に自転車を預け、モノレールで那覇観光をしました。
那覇は大都会ですね。
ビルがいっぱい。

早めに空港に戻ります。
那覇空港の全日空ラウンジはとても広く、そして綺麗になっていました。
機内に入ると、隣には四人お子さんを連れたお母さんが乗っていて、大変だなと思いました。みんなおどろくほどおりこうさんでした。
赤ちゃんがじっとこっちを見ているので笑いかけると、ミラーニューロン全開で満面の笑みを返してくれる、という遊びを20回くらいするうちに羽田に着きました。

羽田のゲートからはきりっとした寒気が流れてきて、関東に戻ってきたなあ、と思いました。
リムジンバスに乗り駅に着き、夫はパンクした自転車をコインロッカーに預けます。明日朝一でディーラーに持って行くということ。
そして私のブロンプトンに乗って帰りました。
私はゆっくりゆっくり買い物しながら徒歩で帰ります。
ガーミンが大騒ぎしています。
今日は目標の二倍歩いたそうです。
そして家に着く直前、マメが破れました。
たくさん歩いてしまったな。

でも次の日。26日。つまりインド洋大津波から20年目の朝。
脚の疲労はかなり取れていました。
まだ凝りはあるけど、だんだん元に戻ってきました。
とはいっても、この夏たくさんお稽古して、自分史上、最高の走りができていたと思うので(当社比)、あの筋肉が落ちてしまったのは残念ではありますが、また夏にかけてお稽古していけばいいです。
今回、沖縄であれだけ動けたのは、「あたたかい」っていうことが大きかったと思います。あたたかいというのは凄いことです。

養生の一日のつもりでしたが、掃除はしました。
今年は割り切って大掃除はプロに頼みましたが、細かいところです。
たとえばはいつくばって綿棒でお風呂のドアのレールを磨く、みたいなことがちょっと前まできつかった。そういうはいつくばり系家事ができるようになりました。

愛甲さんから立派なお肉が届きました。
お歳暮もいただきっぱなしになってしまっている件があり
これからどんどんお返ししていきます。
新年になってしまうかもしれません。
すみません。

ということで
やや強引なリハビリ旅でしたが
無事に帰ってきました。
あたたかくなるまでは無理せずに
でもあまり休み過ぎずに、リハビリしていくつもりです。


今年はQEEG元年となりました。夏祭り・秋祭りは冬休みの間もご覧になれます

2024-12-21 09:07:52 | 日記
お世話になっております。花風社の浅見です。
少し早いですが、年末のご挨拶です。
今年も本当にお世話になりました。
花風社は今年、7月に『療育整体で「こころ」を育む』を世に出し、「なぜ東洋医学がこれほど発達障害に有効なのか」の一端を解き明かすことができました。
全国的な療育整体の広がりは、本当に素晴らしい、そして喜ばしいことです。シンプルな手法で、多くの方たちがラクになっています。

そして夏には夏祭り、秋には秋祭りを行い
世界標準治療となっている最先端の「脳機能スクリーニング&トレーニング」を花風社読者の皆様にいち早くお知らせすることができました。
その結果、たくさんの方が実際にQEEGで脳波測定され
すでにトレーニングを始め、成果のご報告もいただいております。
最先端技術を駆使してこそ可能になった新時代の治療。
それが日本でも始まりました。
ベスリの田中伸明先生からは「花風社のおかげで発達障害治療のQEEG元年となった」というお言葉をいただいております。

新しい治療法、ニューロモジュレーションについて知ることのできる夏祭り・秋祭りは1月15日まで視聴可能です。
冬休みでの視聴に向けて、お申込みをお考えの方はどうぞお急ぎください。
概要は以下のとおりです。

====夏祭り&秋祭り概要

花風社夏祭り

第一部 「治った人たちの選んだ道」浅見淳子
第二部 「世界の標準治療を学ぼう」
1 「脳機能スクリーニングについて」中川朋先生
2 発達障害の病態解明と治療法 田中伸明先生

4400円

花風社秋祭り

よその国では治ってる? 世界標準の治療を学ぼう!

1 脳機能スクリーニングからバイオフィードバック、ニューロフィードバックへ&智くんの事例に学ぶ(奇跡的発達) 中川朋先生

2 発達障害の病態と治療&脳機能スクリーニングは何を測定しニューロフィードバック、バイオフィードバックは何を治すか 田中伸明先生

3520円

=====

お申込みの方は、zoom☆kafusha.com(☆を@にかえてください)あてにご連絡ください。
追って返信いたします。

今年も大変お世話になりました。
来年はニューロモジュレーションをさらにご紹介していくつもりです。
来年も花風社をよろしくお願いいたします。


花風社 浅見淳子


自分のリハビリで思い出した『発達障害治療革命!』のすごさ

2024-12-17 08:35:27 | 日記
昨日(12月16日)で事故から三週間でした。先週半ばにママチャリに復帰、週末にミニベロ(ブロンプトン)に復帰、そして昨日はジムに復帰しました。凡整形外科医にでも行っていたら、なんとなく一か月休養とか言われたと思います。で、その一か月に大して意味はない。医者に言われたからって後生大事に守っているお馬鹿さんも世の中多いみたいですが。

運動して、お風呂入って、気持ちよかったです。それで思い出したのは、緊急事態宣言のあと再開されたジムに行って運動してお風呂入ったとき、こんなに気持ちいいことを禁じる医者はやはり信用してはいけないと、あのとき生涯医者は信用しない、と決心したことでした。

歩くのはゆっくりではありますが、誰にも何も言われないところをみると、とくに脚を引きずったりはしていないのだと思います。

ただ、疲れます。運動していないだけではなく、二週間ほぼ歩かない生活をしていたので、筋肉が落ちてしまったようです。というわけで、これからの課題は筋力を取り戻すことです。そのために歩いたり自転車乗ったりジムに行ったりして過ごそうと思います。

すごいと思うのは、一日も後戻りがなく、毎日よくなっていることです。

患部は右脚でした。そして歩くようになると、なぜか両脚が凝りました。それまで痛んでいなかった左脚が凝ったのが筋力が落ちているんだというヒントになりました。そこで歩行訓練していたら、なぜか右脚が最初に強くなりました。これはきき足でもあるからかもしれないし、右が私にとって縦だからかもしれません。ともかく治ってくると、右脚はきき足であることを主張するのでした。

それとやたら肉が食べたくなり、毎日毎日焼肉に出かけていました。時々魚の日もありましたが、とにかく身体が肉を欲しました。焼き肉屋に行きたいという強烈なモチベーションに基づいた歩行訓練になるので、遠慮なく焼肉を食べまくっていました。焼き肉屋さんで毎日従業員の人たちのハングル語を聴いているうちに、今までほとんど興味のなかった韓国に興味がわいてきて、ちょうど藤井風ツアーで韓国に行っている人たちの飯テロとかをみて、いつかソウルに美味しいもの食べに行く日もくるかもなあ、とか思いました。

静養中田中伸明先生の『ポリヴェーガル理論による「うつ病」治療革命』を読み、うちの『発達障害治療革命!』にも登場した、ベスリの「治療ボックス」という発想を思い出しました。これがあったから私も自分の養生に「治療ボックス」という発想を取り入れたのかもしれません。たとえば脚漕ぎペダル→ママチャリ→ミニベロ→ロード

みたいに。

その途上でわかったのは、使っていない筋肉は落ちるということ。なので肉を食べたり歩行訓練をしたりするわけですが、それで思ったのは

一回不登校とか引きこもりになってしまうと立ち直るのは数倍のパワーを要するだろう

ということです。
日常的に外に出たり学校に行ったりしていたら、いい意味での惰性で生活は続いていきます。けれどもいったん外との接触がはがれると、そこに戻るのは大変だろうと思います。

田中先生率いるベスリクリニックでは、「職場適応のためには、以前より強い状態になって復職すること」を目指していらっしゃいます。
そしてリワークプログラムを組んでいます。ここがすごいと思います。以前の自分では対応できなかった。だからより強くなって復職しよう、に持って行くというところが。

不登校や引きこもりの克服もそうじゃないですかね。

それってとても力の必要なことだから

やはり不登校とか引きこもりとかは、「予防」が一番大事だと思いましたね。とにかく学校に行き続ける。それが一番コスパがよさそうです。

ともかく

交通事故にあっても、医者に行かなくていいことがわかりました。ケガしたことがなかったからケガは怖かったけど、治ることがわかりました。
そして自分なりに治療ボックスを作ることって大事だと思いました。

そしてお医者さんに頼らなくても治療ボックスは作れることがわかりました。そしてお医者さんに作ってもらったものじゃないからこそ、その日の状況(お、右太ももに力が戻ってきた、等)に合わせて作り変えられることを知りました。

『発達障害治療革命!』の治療ボックスという概念、皆さんご活用くださいね。

情けは人のためならず 生まれて初めての交通事故ご報告 その6・完

2024-12-06 09:06:11 | 日記
我が家のベランダは結構広い。バルコニーと呼ぶほど大きくはないが広い。おまけに富士山&みなとみらいビュー。

そこをえっちらおっちら歩いて歩行訓練する。
真っ白な富士山。
回復が順調なのはありがたいけど、ケガしなかったら連日富士見ライドできたのになあ。

でも南関東の冬の晴天も、富士山も、なくなりはしない。
私がこの世を去ったあとでも、南関東の冬の空は連日青く、富士山はそこにあるだろう。
だから焦ることはない。

歩行距離を日々伸ばしていく。ランチを外食にしようかな、と思ったけど考えてみたらまだ食欲が戻らず、一人前を一気に食べられないかもしれない。というわけで社畜弁当の豪華なのを買いに行ったりした。これなら残してもあとで食べられる。

なぜか、脚以外の体調は普段よりいいくらいだ。
おそらく、慢性的な飲みすぎ食べ過ぎが解消されているから(笑)。
このまま根付けばいいんだけど、きっと元通り動くようになったら元に戻っちゃうんだろうな。

歩くと脚が凝る。グーグル先生にきいてみると、血流が悪いのではないかということ。普段より動かしていないのだからそれもそうだろう。ということで、椅子に座ったまま膝を交互にあげる練習をした。そしてふと、脚だけのペダルみたいなのがないかとAmazonを検索してみるとあったので買った。医者に行かずにAmazonでリハビリしたその時期が、ブラックフライデーでどんぴしゃりであった(笑)。

そして今こそ療育整体の出番だ。
血流上げるための方法は書いてある。それを実践してみればいい。

あと、ブラックフライデーなのでこの先必要になりそうなものも買っておいた。
ロードバイクを再開したときには、荷物を軽くする。
そのための小さなリュックとかウエストポーチ。

夫もバイクの荷台と接触したことはあったそうだ。なんとか立て直して転倒せずに済んだと言うこと。
要するに私はどんくさかったわけだ。
そのどんくささを勘案して、環境づくりをすればよい。
というわけで小さめの荷物で移動する。
大きな買い物をしたいときはママチャリで行けばいいのだ。
Uberで稼いでいる若者とは身体能力が違うことを自覚しよう。

あのあと何度も脳内でシミュレーションしてみた。
右から煽られて
左から急にバイクが出て来た場合どうすればいいか。

私はあのとき、知らず知らずのうちに急に出てきたバイクを追い越すつもりだったと思う。それは自転車で走っていて、より遅い自転車の右を抜かしていく感覚だった。
でも似たようなかたちをしていても、バイクは動力がついている。
どう考えてもあっちの方が速いから、今度からバイクをみたら減速しようというあたりまえのことに気づいた(笑)。

脚がよちよちの歩行者として歩いていると、歩道の自転車はとても怖い。だからやはり自転車は、車道が大原則だろう。
よほど歩道が広かったり、人がいなかったり、路駐がひどかったら歩道に避難する。っていうか路駐ひどすぎ。とくに都内の路駐は目に余る。

まあその環境で乗っていくしかない。
車の来ない道がある場合は、多少距離が長くてもそっちを選ぼう。
事故当日目指していた地点も、車の来ない道を選べた。私が省エネして選ばなかっただけだ。
今後は、車のこない道をなるべく選ぼう。

というわけで、病院に行かず、ちょうどブラックフライデーに当たった私のAmazon療法、結構効果ありました。
通院に時間を取られないだけでも、その分休養やリハビリに充てられて、よかったです。
基本買い物は自分or家族がしていました。
ネットスーパーも一度使いました。
母が持ってきてくれた魚と果物で、何が食べたいかわかったのもよかったです。

ところで

最近発達関係では炎上しませんが、この間にどうやら私はプチ炎上していたようで
それはXで「看護学生へのワクチン強制は不当」と主張する人々に対し「看護学生はワクチンを打つべき。っていうか打たれても正当。打ちたくないのなら別の職業につけばいい」と言ったことで(普段は仲間であるはずの)反枠の人たちから非難されていたようでした。基本、フォローしていない相手のレスは届かないように設定しているので、ずいぶんあとに気づいたのですが。

これは私が「世の中数多職業がある中でわざわざ医療従事者を選ぶ人たち」に基本的な好意を持っていないことに由来する思考の結実でもあります。

もともと民間人が増えてほしい私。
安定志向の若者がかわいくないと思っている私。
その中で看護師志望とか、本当にかわいくない。だけどわざわざそれを選ぶのならそれに伴うカルチャーは受け入れるべきでしょう、ということ。そして医療なんて全体主義の権化で、その底辺から始める以上、ワクチン打たないと実習させてもらえないのなら打つしかないでしょう。それがいやなら他の仕事につけばいいだけです。

どんな職業もそれなりのカルチャーがあり、それなりのリスクがあり。それを受け入れてその職業につく。医療従事者を志望するということは全体主義を志望するということなのだから、ワクチンくらいに文句言っててどうすんのよやる気あんの? っていう感じ。

つまりこれは「それくらい私には医療従事者になりたい人の気持ちがわからない」ということでもあります。世の中たくさん仕事があるのに、わざわざ病人相手の仕事を選ぶのか。それでいていつも威張りまくっている。威張れるから医療従事者になるのだろうか。

折しもOTやSTが余り過ぎてて給料が激減しているとかニュースに出ていましたが、明らかに過剰供給ならそれも仕方ない。

で、なんで過剰供給になってしまうかというと、本人や親の「病院勤めなら安心」というみみっちい安定志向の賜物。

安定志向が報われる社会は、私の理想とする社会ではないわけです。

普通の風邪が五類になったりする。これはつまり
医療従事者は人権を制限されるっていうこと。そして
組織人でないことがどんどん報われるようになる社会になるということ。

自由な市場の中で勝負する若者に増えてほしいわけです。

医療を必要としない人が増える社会になってほしいわけです。

私は今回、色々な人に「病院には行かないのですか?」ときかれましたが、はっきり言って打撲くらいで病院に行くのなんて日本人くらいのものじゃないでしょうか。

風邪や打撲くらいですぐ病院に駆け込む病院依存が、傲慢な医療業界と、社会保障費で苦しむ現役世代を生み出したわけです。だから、自助努力が大事。Amazonで買い物して治療とリハビリを済ませれば、他人の金は使わずに済みます。

自助努力が大事だからこそ、健康管理法は発展してきたわけです。
私がやりたいのは、そっちの方なわけ。
公金チューチューしない健康管理法。
それを発達障害の世界に持ってきたんですよ。

というわけで、量産型OTSTには世話にならず、自分で綿密なリハビリ計画を練っております。
この週末は歩行訓練と脚漕ぎ自転車。
そのあとママチャリ→ミニベロ→ロードと発達の段階をたどり直す予定。
冬でもあるので、焦りません。
ともかく来春は、もう一度霞ケ浦を走り切るつもり。

ここで予想されるのが
「病院行かないと後遺症ガ―」の人たちなんだけど

じゃあ、病院行くと後遺症治るの? って話。
ワクチン後遺症すら、相手にしないじゃないですか病院は。
いつまでも痛みが残る、とか病院に訴えても、安定剤出されるのがオチですよ。
ならば自分で痛みを取る自助努力を続けつつ
「いったん負傷した自分の身体」と対話を重ね、使っていくしかないわけです。
たぶん発達障害が治ったあとの成人当事者は、こういう使い方をしてると思うけど。自分の脳と身体の。
後遺症なんて、そんなもの、医者に頼るマターではありません。

ところで

真っ白な富士山を見ながら、突然気づいたのですが
私は命拾いしたのだな。

もし、転倒したときひかれていたら、有無を言わさず救急車を呼ばれていたでしょう。頭部に打撃があったら精密検査くらい受けたでしょう。

「あなたには何も要求しない」とバイクの若者にいったとき、私は彼に情けをかけたつもりだったけど、もうすでに情けをかけられた後だった。だって後続の車が私を避けて通ってくれたのだから。

情けは人のためならず。

おかげで私は今回も、ノー入院・ノー手術記録を61歳と半年にまで伸ばせましたし、「今度医療に世話になるのは死亡診断書のみ」という自分の大目標を先に持って行けることになった。

思えば命拾いしたのは20年ぶり。
15分違いでインド洋大津波に持って行かれないで済んで、ちょうど20年じゃないか。

2004年から今まで、どれだけたくさんの仕事をしてきたことだろう。
あのとき波にさらわれていたら、神田橋先生の本も、愛甲さんの本も、小田原の大先生の本も原始反射も療育整体もできていなかったんだ。

まあ
今回助かっちゃったから
なんかまだ、やらなきゃいけないことがあるかもしれないね。
来週はzoomでクローズドのお勉強会だ。楽しみ。
自閉症は日本の外ではどんどん、治っているそうです。




情けは人のためならず 生まれて初めての交通事故ご報告 その5

2024-12-04 09:10:23 | 日記
昨日で事故から一週間経ちました。
最初の三日、歩けなかったのが嘘のように、どんどん治ってきました。黄色本だけでなく、今まで見聞きした色々な人の話を思い出して工夫してみました。

事故直後、ちょっと右ひざが外を向いていた気がしたので、現場で手で戻しました。おかげで脚はまっすぐなまま。ただ、膝を損傷したことはたしかなので、歩いていてもふとした角度で痛むことがあります。私くらいの年になると膝を痛めている人は多く、サポーターの効果もきいていたので、Amazonでサポーターを買いました。で、昨日届いてたのでつけてみました。びっくりしました。これつけると、全く違和感なく歩けます。でもそれはまだ「治った」ではないと思います。事故前はサポーターつけずに歩いていたのですから。

昨日の夕飯は、我が家のフルメニューを久しぶりに用意しました。我が家の通常の夕飯は
・肉
・魚
・生野菜
・温野菜
・汁物
で成り立っています。事故直後は買ってきたお弁当に鍋物とか、夫に不自由な思いをさせていました。忘年会等も続き、手抜きの機会に恵まれましたが、いい加減メニューを戻すことにしました。ていうか、いつも以上だったかもしれません。魚がカツオのたたきと塩サバの二点だったからです。

夫は毎日生魚食べたい人ですが、私はとにかく焼き魚を身体が欲しています。だから二点になりました。そしてこれも当たっているようで、栄養に詳しい友人によると、オメガ3系が鈍痛を緩和し事故のPTSDの緩和にも効果があるそうです。そうか。PTSDか。それも生じてくるのだな。でもそのための方法もたくさん知っている。まずは焼酎風呂から始めようか。

これまで養生の方法をいっぱい学んでいたのでよかったです。

あと今度の事故でよかったのは、「ケガは治る」とわかったことでしょうか。
ケガがこれまで怖くて仕方なかったのは、治ることを知らなかったからです。ケガらしいケガはしてこない人生だったので。

それと、大嫌いな医療に世話にならなくても治ることがわかった
というか
貴重な学びの機会である今回の事故が、「医療要らずのものだった」ことがよかったです。

そして身体は色々知っているのがわかってよかったです。

最初に事故にあったあと、自転車を転がして帰ってきて、入浴して寝られたのはなぜか?

それは、どうしても帰ってこなければいけなかったから。
そしてあそこで入浴できたかどうかで、その後のQOLががらっと変わったから。
身体を清潔にしてから寝床につけたのは、よいことでした。

身体は、やるべきことはやるのです。

ではその後、歩行も困難になったのはなぜか?

休まなきゃいけないときだったからでしょう。

そして食欲もなくなり、お酒もカフェインもシャットダウン。四日目の朝、コーヒーを淹れている自分に気づきました。その夜はお酒ものみました。その後は飲んだり飲まなかったりです。

それと、食べ物の味が変わりました。
今は事故直後より食べ物がおいしいです。食べ物がおいしいということが、健康な証なのだと思います。だから慢性的に不健康な人が食が進まないのも当たり前なのかもしれません。
でも今は、事故前と同じように食べ物がおいしいです。活動量が低い分、量は減っていますが。

一時期、普段はほとんど興味のない乳酸菌飲料系やヨーグルトを欲しました。
すぐにそのブームは去りました。
たぶんなんか、一瞬必要だったのだと思います。
今はとにかく魚です。

歩行練習して、休んで。寝るたびに治っていきます。
寝る子は治る、です。
診療報酬のかからない歩行訓練をして、疲れたらマッサージして寝る。
安定志向のために公金チューチュー職を選んだ頭の悪い量産型PT、OTは不要。

発達障害を治さないどころか治らないと開き直る医療クラスタに腹を立ててきました。
『発達障害は治りますか?』を出した時はさんざんさんざんいじめられました。
「医者でもないくせい治すなんて言うな」とか。
医者が治していたら、こっちはそんなこと言い出さなかったよ。
医者のくせに治さない凡医ばかりだったから、治るといいな、と思って色々情報を集めたんじゃないか。
それをなんだ。治るといいなと赤心で仕事している私をいじめてばかりいて。

国民皆保険のもとで先に金取っていきながら、「治らない」と言い張り、当事者の人生を塩漬けにして利権をむさぼる医療福祉連合が人として許せませんでした。

コロナ禍において、医療が他の産業を不要不急と呼び、医療崩壊を防ぐためと言い訳して他の産業を痛めつけ、一方では発熱患者もみないという蛮行に走る医療が許せませんでした。

そしてそういう私を見て彼らはせせら笑った。
「いざというときは世話になるくせに」

命を楯に他者をせせら笑って自分たちの優位性を誇る。
医療従事者は、そういうクズ人間そろいです。

そんな奴らに自分の身体をどうにかしてほしくない。
どうせ藪のくせに。

だから私は、たとえ事故にあっても、医療の世話になるわけにいかなかったのです。

でも、医療なしに治っています。
その間助けになってくれたのは
現場にいた人々、家族、これまで身体に関する知恵を教えてくださった著者の皆さん、そして

Amazonとそこに出店してくれているベンダーの皆さん。
ちなみに当然花風社も、Amazonのベンダーです。

発達障害児者の皆さんが、医者に行っても木で鼻をくくったような対応をされる。
でも花風社の本を読んで治る。
それと同じです。

医療は不要不急の産業です。
必要なのは医療じゃないもの。
サバを取ってくれて、加工してくれて、売ってくれる人とか。
そういう人たちがいれば、医療は要らないんです。

それを「医療なしでは治らない」と思いこませ
国民皆保険のもと、こっちに飼われている身でありながら
命を楯に一般人を管理し、威張りまくる。
それが私の目に映っている医療従事者です。
ごく少数の例外はあると思いますが。

残虐で底意地の悪い医療従事者たちよ。
国民皆保険のもと、こっちがスポンサーだというのに、そういう社会知もなく
治さない医療、国民を締め付けて自分たちだけ儲ける医療に対し歯向かう私を
「いざというときは世話になるくせに」とせせら笑った、性格の悪い、おごり高ぶった医療従事者たちよ

残念でした。
いざというときがきても
私には医療は要らなかったよ。
必要なのは人の情け、Amazon、そしてそこに出品してくれるベンダーの人たちだった。
花風社のように。

あんたたちは要らなかった。
あんたたちは不要不急だ。



続く


情けは人のためならず 生まれて初めての交通事故ご報告 その4

2024-12-02 07:58:16 | 日記
夫の会議が終わったあと、食材を無駄にしないために、共同作業で鍋を作りました。私がおつゆを調合し、夫がそこに具を入れていきます。牡蠣も入ったなかなか美味しい鍋になりました。買ってきたお弁当という夫の味気ない夕食にも、ちょっとはぬくもりが添えられたと思います。

私は相変わらず食欲がなく、鍋をお椀に半分くらいと、おにぎりを半分くらい食べたらお腹いっぱいになりました。さて寝ようかと思った頃、母から電話がかかってきました。今から行くというのです。あちゃー。

これを予測していたから、知らせるのがいやだったのです。もう暗くなっているし、タクシーで来るというけどたぶん捕まらないだろうし。

夫に言いました。「来るって」「なにしに?」
全くの謎です。
でも予想がついたことです。大騒ぎになるのは。

親に愛されなかった系の体験は私にはありません。むしろ、「なんでこの人たち(両親)は私のことがこんなに好きなのだ」と不思議に思う人生を送ってきました。何かと助けたがりますが、大人になってからはあまり助けられるところもありません。だから、こっちの弱みに母はすごく大張り切りするのです。それが見えていたから知らせたくなかった。お誕生日会のことがなければ一週間くらいすっとぼけていたかもしれません。

やがて玄関側の廊下から大騒ぎが聴こえました。

やはりタクシーは拾えなかった。母は途中までバス(敬老パス)、そして途中から歩いてきた。大雨だったらしい。気がせいで気がせいて、脚が止まらなくなるという現象があったらしい(どういうものかは不明)。それで転んでしまって、顔を打って、目の周りが青くなって、メガネが割れて、という惨状で、近くにいた男女(お互い知らない人同士)がオートロックを越えて玄関前まで送ってくださったそうです。

事故後の展開を考えても、日本人やはり親切な人が多いと思う。
この二日間、どれだけ見も知らぬ人たちにお世話になったことか。

でも

あ~二次被害出してどうするんだ、と私は頭を抱えました。
今はとにかく、私なしで無事にいてくれることが一番大事なのに。

リンゴをむいて持ってきてくれました。これは食欲のない私にヒット。あとグレープフルーツとラフランス。ラフランスはその場でむいてくれました。
あと何食べたいかききます。
私も逆の立場だと、何食べたいかきいてしまうので、お気持ちはありがたいのですが、あまり食欲がないわけです。

結局、大騒ぎして帰りました。
都会で頻繁にバスの出る場所だから来られたわけですが
だからこそ明日から通勤してくる恐れがあります。

そしてその恐れは当たりました。
母はうちのオートロックとか二重鍵を開けるのがあまりうまくない。もはやペットボトルを開けるのに器具を使っているくらい腕の力が弱っているのでたぶん難しいんだと思います。
それをがちゃがちゃする音が玄関からするので、私が動かない脚でえっちらおっちら行くと、母が奮闘しています。で、開けてあげます。
来なくていいのに、というのが本音でした。

それでも持ってきてくれたものはありがたかったです。
鮭カマ。
夜焼いてみたら、猛然と食欲がわいてきました。
事故後、欲したのは、果物と魚でした。身体が欲しいのがこの二つのようでした。

水曜日。思えばこの日が、歩けない最後の日だった気がします。
母がいる間にAmazonがやってきて、大きな荷物と小さな荷物を置いていきました。
大きな荷物は、夫が注文した歩行器でした。母が箱から出してくれて、組み立ては夜帰ってくる夫にまかせることに。
小さな荷物はマグバームでした。これは、同い年の友だちが初めて骨折したとき鈍痛が取れると教えてくれて、筋肉痛のときに愛用していたのです。その後母が骨折したときあっちに持って行ったのですが、どうせ持ってこいといっても覚えていないと思ったので、新たに購入したわけです。

そして母は帰っていきました。

夜夫が帰ってきて、歩行器を組み立ててくれました。
正直、移動はアーロンチェアーの方が楽でしたが、歩行器で「右、左、右、左」を思い出せたのはいいことでした。
次の日一日は、歩行器でのリハビリをしていました。
病院で診療報酬取られることもないし、好きな時にできて、疲れたら休んでマグバームを塗ればいい。
私はそもそもこの夏色々運動しすぎて、脚がオーバーワークだったことを思い出しました。働くだけ働かせてマッサージとかしていなかった。
なんとなく疲れがたまっていたかもしれません。
もっと脚を大切にしよう、と思いました。

そして母が通勤してきました。
母は何度も「病院は行かないの?」ときいていたのですが、私は頑として病院には行かないと言っていました。
母は私がきかない子だとわかっていて半ばあきらめていましたが
どうもおともだちにけしかけられたらしい。母は同年代、ほぼ遊ぶ能力が残っている人がいないので(大学の同級生に一人だけ)近所のおともだちといえば団塊ばっかです。で、そいつらがつまんねえ他責論を持ち出して吹きこんだらしい。

母「あのね、今から病院行っても、みてくれるらしいわよ。その事故証明みたいなのを持って行けば」
私「事故証明があろうとなかろうと、みてもらえるのが日本の医療システム。そんなことは知っている。知った上で行かないという選択をした。医療費もかかるし。こんなもの、医療費かけるほどのケガではない」

ここで私が言う「医療費」とは、全体のことです。つまり、十割。整形外科でも行ったら嬉々としてレントゲンとられて、下手すると二回くらいとられて(母の場合には骨折を発見するのに二回必要だった)湿布でも出されるんだろうけど、その全体の医療費のことです。それで治ったあとも、リハビリ通えだのなんだの勧誘され、情弱ジジババはそれに引っかかる。

医療費はみんなが納めた金。私が負担するのは三割でも、あとの七割は満員電車で出勤している会社員たちの世話になる。

それはできない、というのが私の判断。たかがこんな打ち身くらいで、勤労者が必死に納めた金を使うわけにはいかない。ところがどうも、こういう公共心をたいていの日本人とは共有できないみたいなんだけど。折しも普通の風邪の五類化が話題になっていますが、そもそもたかが風邪で病院に行く人たちが謎でした。

でも母のおともだちの団塊ジジババにはそういう公共心はそもそもない。やつらはたかり世代。そして私がバイクの彼に一切の保障を求めないのがおかしいみたいなことを無責任におしゃべりしているらしい。そして母は年取ってハイパーりちぎに拍車がかかったので、そういわれると「病院行って、診断書もらって、相手に請求してみれば」みたいな気分になってしまうようなのでした。ま、それも一時的なんですけどね。たんなる一時的な洗脳だから。

私「医療費使いたくないというのは自己負担分だけではない。医療費全体の話。そして私は彼には請求しない。私はお金にも時間にも困っていない。彼は免許を糧に労働している若者。そんな若者に遊びでスポーツ自転車乗っているだけのアラカンおばさんが請求するのは道義上許されないことだ」と。

この理屈が夫にはすっと通じる。後から選んだ家族は、価値観が似ているわけです。でも生まれ落ちた家族とは、価値観が違うことがある。当たり前。

あと一つ、病院に行ってほしいというのは母の本音だったと思います。結局私の身体だから、外から見るとわかんないわけです。だから本当に折れていないのかとか、実感ができない。それは夫も同様なんだけど、夫は経過をみられる人。経過をみて、「これは治りが早い」と判断し、病院行けと言わなくなった。母は経過をみられない。だからお医者さんのお墨付きが欲しいわけです。自分の安心のために。

結局、検査とか診断とか、そういうのって自分じゃない人のためなんですよね。PCRだってそうでしょう。組織人は今だって、発熱したら検査しなきゃいけない感じでしょ。そしてコロナではないとかインフルエンザではないと証明しなきゃいけない。そして保育園に通う子たちも。結局組織の一員になってしまうと、自分の実感として大丈夫だから、が通じない。自分では寝れば治ると思っても、組織の論理でつらい身体に鞭打って病院行って検査受けないといけない。その結果回復がかえって遅くなるかもしれない。

ただ、それは組織人であることを選んだからであって、自己責任でもあるわけです。組織に守られていることは安心なことなんだから。その安心を選んで組織人となった。自分の選択なんです。安心な身分だから、熱が出たら検査を受けなければいけない。

私はその安心と引き換えに組織の外にいますが、それにはリスクという代償を払っているわけです。いわば自分で勝ち取った自由なわけなので、団塊世代の無責任なおしゃべりに母が一時的に洗脳されたくらいで病院なんて行くわけにいかないわけですよ。

組織人ではなかったから、コロナ禍でもあれほど自由に過ごせた。そして最後に立ちはだかる組織っぽい何かは、生みの親なわけですよ。生みの親自体はさほど悪質ではない。ただ洗脳する人たちがめんどくさいわけです。

お若い皆さんは老害の解像度が低くて、どの年代もまとめてとらえていると思いますが、高齢者になったとき、団塊よりバブル世代はたぶん質がいいです。とてもいい若い時代をエンジョイしたので、団塊より若い世代を大事にすると思う。

「病院病院いうのなら帰って。私は行かないから」と私は言いました。そして母は帰っていきました。そのあと来ないので激おこなのかと思ったら昨日日曜日の夕方に電話がかかってきて、音楽会(公民館の)とかに誘われて忙しかったようです。
地域の誰かがおつきあいしてくれているようでよかったです。

水曜日の夜歩行器を組み立ててもらって、木曜日はそれで遊びました。脚の使い方を色々思い出した。これは、身体アプローチ系のデイサービスを自分で自分にやった感じ。
と同時に仕事にちょこっと復帰。夜ごはんも食べた。冷蔵庫にあったスパークリングワインが美味しそうにみえたので、開けてもらいました。断酒は三日で終わり。

そして金曜日は仕事本格復帰。その成果として投函物まで生まれてしまいました。夕方、ポストまで投函しに行ってみようかと思いましたが、玄関を開けたら寒いのでやっぱりやめて夫に任せることに。

そして土曜日。ゆっくりだけど二本の脚で歩いて、お買い物に出かけました。久々のアウトドア。こんなに外に出なかったのは、コロナ禍でももちろんありませんでした。

続く

情けは人のためならず 生まれて初めての交通事故ご報告 その3

2024-12-01 11:16:58 | 日記
事故翌日の朝、目覚めてみると脳がこう話しかけてきました。
「おはようございます。ぐっすり眠れましたね。膝の可動域がマシになって、自然に寝返り打てたのが勝因ですね。さて、立ち上がりましょう。昨日より右脚は回復していますよ。ただ、まだ軸足としては当てにしないでください」

そしてすっくと立ち上がると、夫が「おや」という顔をしました。昨日との違いを感じ取ったようです。つまり、まだ歩けないけど、回復しているのは見て取ったのですね。これ以降、病院行くかとは言わなくなりました。

私は昨日のやりとりから、車いすになるものが家の中にないか考えておりました。そして思いつきました。仕事部屋で使っているアーロンチェアー。あれはまさに車いすではないか。夫に頼んで、動線を確保してもらいました。具体的に言うと、室内保管していたロードバイクはしばらくリビングに避難。そうすると、アーロンチェアーで寝室から仕事場に出勤できるようになりました。

これでトイレに行くのも楽になったし、歯磨きもできるし、日中この椅子の上で着替えと清拭も行いました。いいものを発見しました。

起きたけど相変わらず食欲はなかったので、本能に従って食べずに歯を磨いたら寝床に戻ります。昨日と違うのは、ベッドに横になったとたんに右脚をイルカに自然に乗っけられるところです。これも回復のしるし。最初はイルカの上に右脚の態勢で眠り、今度は右を下にして眠りました。右を下にするとたぶんラクチン、というのは黄色本こと『自閉っ子の心身をラクにしよう!』から借りてきた知恵です。

そして私は、「養生する」という意味に気づきました。養生する養生すると皆さんおっしゃいますが、本当にどういうことか具体的に考えたことがありませんでした。自分にはそういう機会がなかったので。社会人になって以来、ほぼ病欠も取らず突っ走ってきたものですから。

私がそのときに理解した「養生する」というのはとても具体的に、「ラクチンな姿勢で休む」ということでした。私でいうならば右脚イルカ態勢もしくは右を下にした横寝態勢。その態勢で身体をあっためる。そうすると患部がどんどん治っていくのがわかるのです。そして思いました。発達援助の前には養生があるのだろう。苦しみを持っているお子たちをラクにしなきゃいけない段階が。そのときに犬の曲芸とかトランポリン30回とか言われてもやる気はそりゃあ出ないだろう。ところがここで必死になって、色々情報を仕入れ、あれもこれもやらせたいやってくれないキーっとなっている親御さんも多い。ある段階では、その子がラクをすることこそ発達援助の入り口かもしれないのに。まずはラクな姿勢で休む。それから訓練。私は今日、それを身をもって学んだ。まさに身をもって。

そして病院なんて行かないに限る。病院に行くとしたら、たとえば今日動くとして、車待って、手続きして、ぎちぎちの待合室で口枷したジジババに混ざって長い時間待って、やっと医者に会って、レントゲンに回され~みたいなうんざりした時間の使い方をしなければならない。その間横になって休むこともできない。たかが風邪くらいで病院に行く人のことを私は心から不思議に思っていたけど、それはあんな待合室に行くより家で寝ていた方が治りが早いのは目に見えているから。そして打撲も同じなんである。狭い椅子に座ってわざわざ待合室の不快な長時間を耐え忍ぶより、今ここでラクチンにお布団に寝ていた方がいい。眠くなったら眠る。起きたくなったら紙の本とか電子書籍とか読んだり、音楽きいたりする。枕元には水筒。トイレに行きたくなったらアーロンチェアー。そのとき身体が欲するままに動くのが一番の養生。

飽きないのかって? 飽きますわ。やがて飽きます。そういうときはアーロンチェアーでキッチンに移動して、左右につかまりながら「左右の足を交互に前に出す」という私がハイハイからタッチして以来ずっとやってきた動作を思い出していました。休みたいときに休む。動きたいときは動く。そんなこと入院生活で可能でしょうか。何もかも管理された生活でしょう、入院生活って。したことないから知らんけど。そんな生活だと余計に治癒は長引くのではないかな?

こうやって養生と自主トレを繰り返しているうちに、十五時半ころ夫が帰ってきました。おそらく気を使ったのでしょうけど、会議を二本リモートにしてくれたようです。後問題は、母。明日のお祝いは中止。それを伝えないといけないと同時に事故のことを伝えないといけません。きっとものすごい大騒ぎになるでしょう。それを思うとうんざりします。午前中は電話する気がせず、午後になって何度かしたのですがいません。ただ、明日のお誕生日に知らせるのはくらなんでもかわいそうなので、今日中に伝えておく必要があります。

そこで私は、夫が二本目の会議に入ったころ、もう一度電話をしました。今度はつかまりました。明日は中止を告げました。なんでかを告げました。

そしてそれから大騒ぎになりました。

続く