副作用より攻撃性 花風社が薬物療法じゃない療法に振れたきっかけ
さて、海老名事件(不登校&癇癪のお子さんを持ったお母さんによる無理心中未遂。お子さん三人は犠牲になりました)をきっかけに、強度行動障害の話をどっとこむでしています。
この記事とか。
この記事とか。
その中で薬害の話が出たのだけど、花風社はどっちかというと、薬反対派みたいに思われているかもしれない。でも昔はそうじゃなかったです。どっちかというと、薬に対してはニュートラルでした。
発達障害の本を出しはじめた当初は、私もギョーカイの人たちと仲良くしようとしていた時期でした。支援職の人とも仲良くしたけど、当事者と個人的に付き合うことも多かった。その多くが精神科に行っていたし、薬出されていたし、それで助けられているみたいな感じだったので、そこで薬のむなよ、とか言ったことはないです。
いや、むしろ「飲んで」と思った瞬間はあったなあ。これはきっと、強度行動障害のお子さんを持つお母さんとかと同じ気持ちなんだと思いますが、目の前で暴れていたらやっぱりのんで、と思ってしまう。不登校をきっかけに小学生の子にリスパダール出してもらったお母さんが「これのめば学校に行ってくれると思ったのに言ってくれなかった」みたいなことを言っていたけど、まあそれはあまりに薬リテラシーがないと思うけど、とにかく目の前の問題に大して聞くのなら一刻も早くのんで! という気持ちはわかる。なぜなら自分も同じ体験をしたから。
大人同士として当事者と付き合うと、別に不登校に悩んでいる親御さんのような切迫性はないわけだけど、ときどき起きるわけです、パニックが。パニックというより、実態は「狐憑き」みたいなの。
すごく怖いわけですね。で、それが薬切れとかだと説明される。今思うと、そもそも薬が入っていなかったら切れて狐憑きにならなかったかもしれないけど(これは本当に不明)まあ、目の当たりにするとかなり怖いわけです。「薬でこれ治るのならのんで」と思ってしまう。
だからのませたい親御さんの気持ちもわかるわけですね。
おまけに私は生まれてこの方持病による継続的な服薬というのを経験していないわけです。薬なんてせいぜい親知らず抜いたときにもらった痛み止めとか(結局のますにすんだ)咳が止まらないときに最終手段として出かけた耳鼻科でもらった薬とか、一週間で終わるようなものしか経験がないわけ。
だから薬の功罪そのものにうとかった。だから当事者の人たちが精神科通って薬もらってそれで狐憑きを回避できるのなら、別に薬に反対する気持ちはありませんでした。
それが変わったのはやはり2010年、神田橋先生の本『発達障害は治りますか?』を出した時だと思います。
そのころ私は裁判を抱えていて、全く面識のない自閉症者からのゆえなき攻撃にさらされていた。だから、「この迷惑性が自閉症由来なら、自閉症というものは治ってほしい」と考えるのは当たり前だった。

でもギョーカイ人は治せないとか、治すと考えること自体差別とか言っていた。社会との懸け橋になるとうたいながら、全然その役目を果たそうとしないギョーカイの仕組みが今はわかっているけど当時はわかっていなかったので、ただひたすら腹が立ち絶望していた。
そのときに出会った神田橋先生なんだけど、変わった先生だった。ウコンとか漢方とかは有名だけど、たとえば人によっては処方が「ちゃらんぽらんに生きる」だったり「貧乏ゆすり」だったりする。
今思うと、神田橋先生がギョーカイからはみ出たところは、問題点を解決するための手法を、医薬業界にお金を落とさない手段まで包括して考えていたことだと思う。だから業界では浮いていたんだけど、ちょっと変わっているけど治す先生としての地位を確立してしまって、誰も何も言えなくなっていたわけですね。
神田橋先生も薬を出すし、薬を出せば医薬業界の実入りになる。でも薬より貧乏ゆすりが効くと思ったらそっちを勧める。そして多くの医者は自分の住んでいる生態系である医薬エコチェンを優先して患者にあたるから、薬ばっかり出す。
でも人によっては薬剤に過敏性があったり、発達障害児者にはとくにその傾向があったり、薬より貧乏ゆすりの方がメンタル安定させたりがあって(後に金魚体操があれほど効果があったことを考えると当たり前なんだけど)、処方が「貧乏ゆすり」になったりする。そうすると薬業界には一銭も入らないわけですよ。
本来はけしからんと思われるだろうし、だから薬で解決したい人にはけしからんと思われていたわけだけど、圧倒的な実績をみせることでぬらぬらやっていたのが神田橋先生ですね。
でも私は違うわけ。
私はほぼ、薬なんてのんだことのない一般人だった。
そして当時、名医と呼ばれた主治医がついているというふれこみの自閉症者により犯罪行為をされていた。
主としてネット上の迷惑行為だったけど、相手が男性でありこちらが女性だけに、物理的な攻撃を心配(期待?)してくれる人もたくさんいた。
私はあまりこの点恐怖が無かった。それはまあ、女性としては割と腕っぷしが強い方だという自覚があったのと、相手が薬害でへろへろになっていて手足の使い方もなっていない、という情報が入ってきていたから。
で、薬害でそうなっちゃうってあるんだな、と思った。
ところが神田橋先生&周辺の話をきいていると、薬って実際に身体を弱くする副作用だけではなく
むしろ攻撃性を増す、っていう話をきいた。
つまりね
元々持っている衝動性が社会生活を困難にし、それを薬で抑えつける。
でももともと持っている衝動性は消えない。
だから生体としては抵抗する。激しく抵抗する。
そうすると他害行為はどんどんひどくなる。
そういう薬害もあるんだと。
他害を抑えたくて、一生懸命精神科行って薬もらっても一時的に収まってもよけいひどくなるケースってないですか?
だとしたらその他害が、薬害であるかもしれないわけですよ。
つまり、私が受けていた迷惑行為も、薬害だった可能性もあるわけ。
私は当時、医者って治すのが仕事だと思っていたし、だからこそこれだけの迷惑行為を治せない名医()を憎んだし、神田橋先生も発達凡医をだめがっていた。
そして私は、コロナ前でもあり、医療の世界がいかに全体主義で、エコチェンで、一般市民の利益より自分たちの利権を優先させるかを知らなかった。
利権、っていうのは金銭面もあるけど、金そのものではなく「いかに仕事をしないで実利を得るか」の画策も含まれる。コロナで発熱患者みなかった病院はたくさんあったでしょう。今もあるらしいね。
で、この仕組みに私は気づいていなかったし、医療従事者たちが自分たちは人の上に作られた人だと自認していたのも知らなかったので、とっても屈託なく、薬害を訴えましたね。主として神田橋先生&その周辺の教えがあり、自分が体験した一次情報としては、薬漬けで手足の使い方もままならない面識のない自閉症者にネット上で攻撃されていた、っていうのがあった。考えてみたら手足も使えないと、よけいネット上とかの攻撃に集中するかもしれない。
そして今度は薬大事派からのネットリンチにあいました。最近飯山あかりちゃんねるを見ていて思い出すのは2019年のハッタツ大戦というよりその前、2010年の『発達障害は治りますか?』を出した前後の大騒ぎだな。あのとき私が受けたネットリンチはすごかった。
あの騒動で、神田橋先生は無傷だった。その他の周辺の人たちも無傷だった。叩かれたのは私だけ。っていうか、神田橋先生はもともとエコチェンに風穴を開ける存在だったわけだけど、みんな手出しができなかったわけ。えらすぎて。その周囲の腰ぎんちゃくも、しょせん全体主義エコチェンの住民。権威のもとでしれっとしていたわけ。ところがその存在を発達障害の世界に連れてきて、それを扇動しているのがど素人なわけ。だからみんな、神田橋先生やその周辺を叩きたくても我慢していた分だけ私を叩いたね。
それもこれも、当時は認識していなかったけど、「とにかく薬だしてやってます感と実利を得る」という医療の全体主義に実に屈託なく疑問を投げかけたからだった。屈託ないに決まってるじゃん。私は医療職でも支援職でもなく、もっと言えば患者経験すらほぼない。ただの社保加入者だ。
まあよく、私はあんな大胆なことをしたね。そしてよく生き残ったね。
神田橋先生とその周辺にはそれ以降も大変お世話になったけど、でももしかしたら、私が一身に攻撃受けることは織り込み済みだったかもしれない。
と考えています。
だから私は、もう誰とも仲良くしない。
支援職は、誰も信じない。
知見は信用する。
でも人としては信用しない。
人が人を助けられる、なんて幻想だ。
だから読者の皆さんが、自分で自分を助けられるためのヒントになる本は出す。
でもその知見を提供する人を個人崇拝することはない。
私もしない。
皆さんもしなくていい。
まあともかく、私が薬害に目覚めたのは、副作用で本人がだるくなったりする、という面だけではなく
薬害によって、攻撃性が増す。
ということもあるんだなと知ってからですわ。
不登校児や他害のある人に安易に薬を出そうとする人は、そういう説を唱えている治す先生もいるのだと知っておいてほしいし
薬なしにどうにかする手段を持っている人もいるんだと知っておいてほしいですね。
そしてそういう人たちにお金を落とすより、医薬にお金を落としてほしい全体主義が医療業界にはあって、それを「トンデモ」とかにすりかえるんだけど
実はみみっちい儲け根性を科学に見せかけているだけだと、その仕組みは知っておくと便利です。とにかく医薬はね、別業界に金を使ってほしくないんですよ。ケチなんです。本当はスポーツや推し活の方が効果あるのに。

さて、海老名事件(不登校&癇癪のお子さんを持ったお母さんによる無理心中未遂。お子さん三人は犠牲になりました)をきっかけに、強度行動障害の話をどっとこむでしています。
この記事とか。
この記事とか。
その中で薬害の話が出たのだけど、花風社はどっちかというと、薬反対派みたいに思われているかもしれない。でも昔はそうじゃなかったです。どっちかというと、薬に対してはニュートラルでした。
発達障害の本を出しはじめた当初は、私もギョーカイの人たちと仲良くしようとしていた時期でした。支援職の人とも仲良くしたけど、当事者と個人的に付き合うことも多かった。その多くが精神科に行っていたし、薬出されていたし、それで助けられているみたいな感じだったので、そこで薬のむなよ、とか言ったことはないです。
いや、むしろ「飲んで」と思った瞬間はあったなあ。これはきっと、強度行動障害のお子さんを持つお母さんとかと同じ気持ちなんだと思いますが、目の前で暴れていたらやっぱりのんで、と思ってしまう。不登校をきっかけに小学生の子にリスパダール出してもらったお母さんが「これのめば学校に行ってくれると思ったのに言ってくれなかった」みたいなことを言っていたけど、まあそれはあまりに薬リテラシーがないと思うけど、とにかく目の前の問題に大して聞くのなら一刻も早くのんで! という気持ちはわかる。なぜなら自分も同じ体験をしたから。
大人同士として当事者と付き合うと、別に不登校に悩んでいる親御さんのような切迫性はないわけだけど、ときどき起きるわけです、パニックが。パニックというより、実態は「狐憑き」みたいなの。
すごく怖いわけですね。で、それが薬切れとかだと説明される。今思うと、そもそも薬が入っていなかったら切れて狐憑きにならなかったかもしれないけど(これは本当に不明)まあ、目の当たりにするとかなり怖いわけです。「薬でこれ治るのならのんで」と思ってしまう。
だからのませたい親御さんの気持ちもわかるわけですね。
おまけに私は生まれてこの方持病による継続的な服薬というのを経験していないわけです。薬なんてせいぜい親知らず抜いたときにもらった痛み止めとか(結局のますにすんだ)咳が止まらないときに最終手段として出かけた耳鼻科でもらった薬とか、一週間で終わるようなものしか経験がないわけ。
だから薬の功罪そのものにうとかった。だから当事者の人たちが精神科通って薬もらってそれで狐憑きを回避できるのなら、別に薬に反対する気持ちはありませんでした。
それが変わったのはやはり2010年、神田橋先生の本『発達障害は治りますか?』を出した時だと思います。
そのころ私は裁判を抱えていて、全く面識のない自閉症者からのゆえなき攻撃にさらされていた。だから、「この迷惑性が自閉症由来なら、自閉症というものは治ってほしい」と考えるのは当たり前だった。

でもギョーカイ人は治せないとか、治すと考えること自体差別とか言っていた。社会との懸け橋になるとうたいながら、全然その役目を果たそうとしないギョーカイの仕組みが今はわかっているけど当時はわかっていなかったので、ただひたすら腹が立ち絶望していた。
そのときに出会った神田橋先生なんだけど、変わった先生だった。ウコンとか漢方とかは有名だけど、たとえば人によっては処方が「ちゃらんぽらんに生きる」だったり「貧乏ゆすり」だったりする。
今思うと、神田橋先生がギョーカイからはみ出たところは、問題点を解決するための手法を、医薬業界にお金を落とさない手段まで包括して考えていたことだと思う。だから業界では浮いていたんだけど、ちょっと変わっているけど治す先生としての地位を確立してしまって、誰も何も言えなくなっていたわけですね。
神田橋先生も薬を出すし、薬を出せば医薬業界の実入りになる。でも薬より貧乏ゆすりが効くと思ったらそっちを勧める。そして多くの医者は自分の住んでいる生態系である医薬エコチェンを優先して患者にあたるから、薬ばっかり出す。
でも人によっては薬剤に過敏性があったり、発達障害児者にはとくにその傾向があったり、薬より貧乏ゆすりの方がメンタル安定させたりがあって(後に金魚体操があれほど効果があったことを考えると当たり前なんだけど)、処方が「貧乏ゆすり」になったりする。そうすると薬業界には一銭も入らないわけですよ。
本来はけしからんと思われるだろうし、だから薬で解決したい人にはけしからんと思われていたわけだけど、圧倒的な実績をみせることでぬらぬらやっていたのが神田橋先生ですね。
でも私は違うわけ。
私はほぼ、薬なんてのんだことのない一般人だった。
そして当時、名医と呼ばれた主治医がついているというふれこみの自閉症者により犯罪行為をされていた。
主としてネット上の迷惑行為だったけど、相手が男性でありこちらが女性だけに、物理的な攻撃を心配(期待?)してくれる人もたくさんいた。
私はあまりこの点恐怖が無かった。それはまあ、女性としては割と腕っぷしが強い方だという自覚があったのと、相手が薬害でへろへろになっていて手足の使い方もなっていない、という情報が入ってきていたから。
で、薬害でそうなっちゃうってあるんだな、と思った。
ところが神田橋先生&周辺の話をきいていると、薬って実際に身体を弱くする副作用だけではなく
むしろ攻撃性を増す、っていう話をきいた。
つまりね
元々持っている衝動性が社会生活を困難にし、それを薬で抑えつける。
でももともと持っている衝動性は消えない。
だから生体としては抵抗する。激しく抵抗する。
そうすると他害行為はどんどんひどくなる。
そういう薬害もあるんだと。
他害を抑えたくて、一生懸命精神科行って薬もらっても一時的に収まってもよけいひどくなるケースってないですか?
だとしたらその他害が、薬害であるかもしれないわけですよ。
つまり、私が受けていた迷惑行為も、薬害だった可能性もあるわけ。
私は当時、医者って治すのが仕事だと思っていたし、だからこそこれだけの迷惑行為を治せない名医()を憎んだし、神田橋先生も発達凡医をだめがっていた。
そして私は、コロナ前でもあり、医療の世界がいかに全体主義で、エコチェンで、一般市民の利益より自分たちの利権を優先させるかを知らなかった。
利権、っていうのは金銭面もあるけど、金そのものではなく「いかに仕事をしないで実利を得るか」の画策も含まれる。コロナで発熱患者みなかった病院はたくさんあったでしょう。今もあるらしいね。
で、この仕組みに私は気づいていなかったし、医療従事者たちが自分たちは人の上に作られた人だと自認していたのも知らなかったので、とっても屈託なく、薬害を訴えましたね。主として神田橋先生&その周辺の教えがあり、自分が体験した一次情報としては、薬漬けで手足の使い方もままならない面識のない自閉症者にネット上で攻撃されていた、っていうのがあった。考えてみたら手足も使えないと、よけいネット上とかの攻撃に集中するかもしれない。
そして今度は薬大事派からのネットリンチにあいました。最近飯山あかりちゃんねるを見ていて思い出すのは2019年のハッタツ大戦というよりその前、2010年の『発達障害は治りますか?』を出した前後の大騒ぎだな。あのとき私が受けたネットリンチはすごかった。
あの騒動で、神田橋先生は無傷だった。その他の周辺の人たちも無傷だった。叩かれたのは私だけ。っていうか、神田橋先生はもともとエコチェンに風穴を開ける存在だったわけだけど、みんな手出しができなかったわけ。えらすぎて。その周囲の腰ぎんちゃくも、しょせん全体主義エコチェンの住民。権威のもとでしれっとしていたわけ。ところがその存在を発達障害の世界に連れてきて、それを扇動しているのがど素人なわけ。だからみんな、神田橋先生やその周辺を叩きたくても我慢していた分だけ私を叩いたね。
それもこれも、当時は認識していなかったけど、「とにかく薬だしてやってます感と実利を得る」という医療の全体主義に実に屈託なく疑問を投げかけたからだった。屈託ないに決まってるじゃん。私は医療職でも支援職でもなく、もっと言えば患者経験すらほぼない。ただの社保加入者だ。
まあよく、私はあんな大胆なことをしたね。そしてよく生き残ったね。
神田橋先生とその周辺にはそれ以降も大変お世話になったけど、でももしかしたら、私が一身に攻撃受けることは織り込み済みだったかもしれない。
と考えています。
だから私は、もう誰とも仲良くしない。
支援職は、誰も信じない。
知見は信用する。
でも人としては信用しない。
人が人を助けられる、なんて幻想だ。
だから読者の皆さんが、自分で自分を助けられるためのヒントになる本は出す。
でもその知見を提供する人を個人崇拝することはない。
私もしない。
皆さんもしなくていい。
まあともかく、私が薬害に目覚めたのは、副作用で本人がだるくなったりする、という面だけではなく
薬害によって、攻撃性が増す。
ということもあるんだなと知ってからですわ。
不登校児や他害のある人に安易に薬を出そうとする人は、そういう説を唱えている治す先生もいるのだと知っておいてほしいし
薬なしにどうにかする手段を持っている人もいるんだと知っておいてほしいですね。
そしてそういう人たちにお金を落とすより、医薬にお金を落としてほしい全体主義が医療業界にはあって、それを「トンデモ」とかにすりかえるんだけど
実はみみっちい儲け根性を科学に見せかけているだけだと、その仕組みは知っておくと便利です。とにかく医薬はね、別業界に金を使ってほしくないんですよ。ケチなんです。本当はスポーツや推し活の方が効果あるのに。

