goo blog サービス終了のお知らせ 

治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

情けは人のためならず 生まれて初めての交通事故ご報告 その2

2024-11-30 07:11:51 | 日記
車道に投げ出された私に、わっとたくさんの人が寄ってきました。バイクの彼も含めて。
危ないから動きましょう、と言われて助け起こされるのですが、そのときは立ち上がれなかったのです。「ちょっと待って。立ち上がれないから」と私は言って、一息ついて、そしてやがて動けるようになって手を借りて立ち上がりました。
その間交通を止めていたのですから、大騒ぎになります。
こっちの主観としては「こっちは人命なのだから、ちょっと車はよけてくれる?」みたいな感じだし、正当な要求だったと思います。

バイクの彼は言いました。
「前見ていなかったでしょう」
いや、前は見ていましたけど。あなた横にいたでしょう。
と私は思いました。
彼の傍らには「私のせいで」とか言っている中年女性がいます。
「警察呼ばないと」としゅっとした紳士が言いました。
警察・・・すごくめんどくさそう・・・と私は思いました。

「身体大丈夫ですか?」とバイクの彼。
「大丈夫です。実質普通の落車ですから」と私。
「じゃ」と立ち去ろうとしていく彼。私は一応「ナンバープレートだけ撮影させてもらいますね」とスマホで撮りました。そこで解散! としようとしたところ、紳士がかなりきつい調子で「警察呼ばないとだめだ。後遺症だってあるかもしれないから、記録を取ってもらわないと」といいました。とにかくこういうときは、大事がなくても警察を呼ぶものらしいです。私は知りませんでした。初めてのことだったので。
私の逡巡は、「病院行って診断書取れとか言われたらめんどくさいな」でした。何より大嫌いな病院。警察は、病院行けとか言わないだろうか。でも紳士がついに「僕が110番しましょうか」とスマホを取り出すのをみて、自分で110番しました。警察は「相手のバイクのドライバーはいますか?」でした。えっと、と思ったら、彼は周りの人たち含紳士に「ここにいなきゃだめだ」と諭されて、邪魔にならないところにバイクを停め、こっちにやってくるところでした。ちなみに私のクロスバイクは、親切な誰かの手によって歩道に確保されていました。

「ドライバーの方、今ここにいらっしゃいます」と私は警察に言いました。警「どんな人ですか?」私「若い男性です」警「どれくらいの?」

う~ん。若い男性の区別がつきませんが、まあ20代か30代、と答えました。ぶるぶる震えています。警察はともかく二人そろってそこで待っていてくれということでした。

電話を切ると彼がきいていました。「仕事とか間に合うんですか」。仕事ねえ。大丈夫。っていうかいわば、悠々自適のアラカンです。そして彼は、何かをどこかに何時までかに届けなければいけないデリバリーのお仕事ということ。私「引き留めて申し訳ない。ケガもこのとおり、たいしたことないから」と私は言いました。彼「免許とか点数引かれると、職場でうるさいんです」

その時に決心したのは、この子は守ろう、全て自分がかぶろう、ということでした。私には失うものはない。一か月療養したって暮らしていける。仕事しようと思えばベッドの上でもできる。でもこの若者にとって免許は生活の手段なのだから、点数を減らされるだけで勤務先にいやな顔されるんだから。
私は言いました。「これはただの落車だし、あなたに何か要求することはありません。自転車も私も保険に入っていますし。そこは安心してもらっていい」。
彼はほっとした顔をしました。

そこで私は、夫が20年ほど前に私たち二人のためにかなり立派な終身医療保険に入ったのを思い出しました。当時は、これほどケガも病気もしない人生になるとは思わなかったのです。その後私は医療が大嫌いになり、死亡診断書までは世話にならないつもりなので、全くのムダ金。毎年確定申告の時期だけ、保険に入っていることを思い出します。それで腹が立ってきます。
でもその日初めて医療保険に入っていてよかったと思いました。

そして神奈川県警から優秀なお巡りさんが四名到着。
彼と私が別々に事情聴取を受けます。私は「気が付いたら左にいて、目測の誤りでよけきれなくてハンドルと荷台がぶつかって転倒して投げ出された、とそのままです。そのときに先ほどの中年女性がやってきました。どうも彼女を避けるためにバイクはイレギュラーな動きをしたようで、彼女はそのことを証言しに戻ってきたのでした。

結論としては双方おとがめなし、でした。でも念のため連絡先は交換してくれ、と言われ、私たちは交換しました。何か連絡取りあうことがあるのか? と警察にきいたら、今後なんの問題も起こらなければ取らないでいい、とのこと。こっちから連絡を取ることはないので、金輪際でしょう。
あとは私の怪我。っていったって事故から事情聴取が済むまで30分、私は立ちっぱなしなんですけど。「病院行きますか?」ときかれて「行きません」と断言する私。事件番号みたいなのが書いた紙を渡され、解散となりました。私は、乗っても大丈夫だと思ったのですが、念のため自転車を転がして帰ることにしました。一キロくらいだったでしょうか。

痛む足を引きずりながら、自転車を転がします。順調です。ところが、高架下を渡る本の数段の階段とスロープを押し上げようと思ったとき、全然自転車を動かせなくなりました。やはり普通の状態ではない。

奮闘している私を見て、工事現場のおじさんが助けてくれました。自転車を引き上げ、道の向こうまで持って行ってくれました。私はお礼を言って、なんとか自分の身体だけは動かしました。それから家にたどりつき、駐輪場に駐輪して、お風呂を沸かしました。今日はもう、入浴して寝てしまおうと思ったのです。

強打した右脚には、内出血も見られませんでした。痛みをなんとか避けながら体を動かして身体を洗い、浴槽につかりました。あとで知ったのですが直後は冷やす方がいいらしく、ここであっためたのはいけなかったのかもしれません。それでもお風呂は気持よく、シャンプー&ドライヤーまで済ませると、ベッドにたどり着きました。なんとなく患部の脚を上にあげたほうがいいと思ったので、大昔に八景島シーパラダイスで買ったイルカ枕を足元に置きました。そこに右脚をあげるためには、腕の力を借りないといけませんでした。右脚に自分でイルカに上がる能力はなかったようでした。

それから、寝ました。って言ってもあまり眠れません。痛くない体制で寝ているので痛みで寝られないのではなく、寝返りのたびに起こされるのです。誰に? 脳に。

皆さんは寝返りできるできないが発達の指標であるのは当たり前の世代でしょうか。昔は知られていませんでした。それを一般に知らせたのも花風社の功績の一つだと思います。成人ASDの人は寝返りが自然にできないと証言していました。そして感覚統合の大先生は、わが子の寝返りができない様子を見て新生児のときから発達障害を疑ったということでした。小田原の大先生によると寝返りで人は疲れを取るそうです。極端に寝返りしない状況だと褥瘡等の問題もありますが、そこまで極端ではなくても、寝ている間の寝返りは疲労を取るわけです。

そして小田原の大先生によると「健康な身体とは疲れない身体ではなく寝たら疲れの取れる身体」。私の身体はまさにそうです。だから寝返りをしようとするのですが、いつものとおり自然に寝返っていたら患部が痛みます。そこで脳が(おそらく大脳皮質が)いちいち呼びかけてくるのでした。大脳「あの~。そろそろ寝返りした方がいいと思うんですけど、あなた今右脚痛めているじゃないですか。だから痛むと思うんですよね。いったん起きて、運動企画してから動いた方がいいです」。

こうやって寝返りのたびに起こされ、寝返りしてはまた眠る、の繰返しでした。そのうち、右脚がかゆいのに気づきました。痛いのではなくかゆい。「打ち身 かゆい」でぐぐってみると、炎症の修復のためヒスタミンが出ているそうです。ナイアシンフラッシュみたいなもんか。そうかこれが炎症か。じゃあ今後悲観的な思いが浮かんだとしても、それはミクログリアのせいかもしれないから、気にしないでおこう。



と思いつつまた眠りにつきます。

夫には、すぐに食べられるものを買ってきてほしいと言ってありました。自分はまったく食欲がありませんでした。野生動物は傷つくと食べずに動かないで治すそうですが、私も以前、東横線の渋谷駅がまだ高架上にあったころ酔っぱらって階段を落ちて朝気が付くと捻挫していたことがあり、そのときも全く食欲がないまま寝ていたら治りました。だから食欲がないのは自然なことですきっと。

現場から自宅まで自転車を転がして戻り、お風呂に入ってシャンプードライヤーまで済ませた私の身体能力は、なぜか完全にダメになっていました。トイレに行くのが一苦労でした。二足歩行というものは左右の足を交互に前に出す動きですが、それができないのですから。できないというより、ここもストップがかけられるのです。誰に? 脳に。一生懸命左右を交互に動かそうとしても、脳がこうとめるのです。脳「あの~、あなたの右脚今痛んでいるじゃないですか。軸足として当てにならないです。右足の前に左足を出すのは、やめたほうがいいですよ」私は右足を出し、なるべく体重をかけないように手で壁をつかみながら左足をすり足して動くことしかできませんでした。だから、移動にものすごく時間がかかります。トイレにたどり着くのが霞ケ浦一周くらいの達成感です。

やがて夫、帰宅。自転車を転がして帰ってきた、とか、お風呂に入った、と報告していたので、もっと動けると思ったらしくあまりに動けなくなっている私を見てびっくりしていました。彼も相当な医者嫌いではありますが「やはり病院行った方がいい?」とかいいます。「一緒に行ってあげる」と。

私は言いました。「救急車マターではない。そして普通のタクシーなら無理。この脚では下まで行けないから。介護タクシーしかないけど、左に寄せてきたのが介護タクシーだったから頼みたくない」夫「折れてる感じはないの?」私「ない(断言・骨折したことないけど)。それより寝るわ。寝る子は治る」

寝る子は治る。

これも花風社が繰返し言ってきたこと。
睡眠の大切さ。

ちなみに、この間母には一切連絡していませんでした。
大騒ぎになることを思うと、うんざりしました。
それともう一つ、こういうのって案外二日目の方が悪くなったりするので、二日目の朝を見極めてから様子を知らせようと思いました。

そして二日目の朝目覚めた私は
はっきりと治ってきているのを知りました。
なぜなら一晩中、脳に起こされることなく、眠り続けたから。
つまり、自然に寝返りができるところまで、右脚は回復していました。

続く

情けは人のためならず 生まれて初めての交通事故ご報告 その1

2024-11-29 15:40:15 | 日記
さて、人の不幸は密の味。
まだ花風社アンチが存在しているかどうかはわかりませんが
この連載のアクセスがそれなりに多かったら
まだ連中は存在しているのだと判断しようと思います。

医療の悪口を言い続けている私に対し
「そんなこと言ってもいざというときは世話になるくせに」
と言っていたあの連中。
いざというとき、世話になるのは当たり前です。
私は国民皆保険という、健康で病気をしないように自費で努力している真面目な人々に対する酷い搾取体制のもと
毎月毎月保険料を納め(させられ)ているのですから、いわばスポンサー。
もし「いつかは世話になるのだから医療の悪口をやめろ」というのなら、それは医療側による、命を人質に取った脅しであります。

かつては「再分配機能」として納得していたこの国民皆保険という名の収奪システムですが
発達障害ギョーカイの連中が、金取っておきながら治らないと言い張り、それだけではなく治したいと願う親たちを罵倒し治す知見を伝えようとする私に集団リンチを仕掛けてきたことに呆れていた矢先、コロナ禍が起きました。
国民皆保険というかたちで先に金取っておきながら発熱患者も見捨て、医療崩壊を防ぐという名目のもとに政府にタカリ、マスク強制出産という他の国では見ない残虐な医療行為をし、あげくの果てに世界でビリ。
日本の医療は世界最低。
そんな医療に世話になるのは、死亡診断書だけで結構。
それは「花風社 夏祭り 第一部」で宣言した通りです。
もちろん事故はあるでしょう。でも事故も身体アプローチでかなり防げるはず、という信念のもとにやってきました。

今年の夏、実母が転んで腕を骨折しました。
そのときの整形外科医体験で、余計医療が嫌いになりました
自分はケガのない人生でした。スポーツ系の自転車を余生の趣味にはしたいけど、怪我のないように、とても気を付けていました。
自転車界隈でケガの報告はしょっちゅうです。
怪我してもケガしても乗る人たちです。
でも私は怪我を乗り切る自信がありませんでした。
理由はただ一つ。したことがないからです。手術とか、入院とか、したことのない人には恐怖でした。だから私は、ケガしたらそこで人生が終わると思いこんでいました。
けれども今回のケガで、人生は終わりませんでした。
まだ、続くようです。

遡ること11月25日午前中
私は翌々日に迫った実母89歳のお誕生日のため
自宅から1・5キロ、母の家から500メートルくらいのところにある和食屋に席を取りました。
それを母に知らせ
そして大荷物を背負ってクロスバイクで所用へお出かけ。
ビジネス街であるわが町がにぎわうお昼時でした。

車道の一番左を走るのがお約束。
ただ、都会の道は路駐が多く
それが自転車乗りには厄介です。
路駐しているトラック等を避けながら
右に通る車に気をつけながら走ります。
たいていは車の方も気を使ってくれるのですが
その日はぴったりと車に寄せられました。
どういう車か。
「介護タクシー」と書いてあります。
私の大嫌いな、医療福祉業界、そして介護業界。
公金チューチュー国民の敵。
タクシー業者まで根性腐っているのか、と思いました。

赤信号で待ちます。
隣にはぴたりと介護タクシー。
青信号になったのでダッシュ。
とそのとき
ふいに横道からバイクが現れたのです。

あとできいた夫は「それはありえないだろう。直進優先だ。自転車の左隣にバイクがいるのはありえない」といいました。
考えてみるとたしかにそのとおりで、私もとっさによけようとしたのでしょう。
ただ、右にはその介護タクシーがぴったりいます。右には寄れません。
これもあとできいた夫は「当たり前だ! 右に寄ったらだめだ」といいました。
きっと私もその判断をして、だから右に寄り過ぎずに
ぎりぎりのところでバイクをよけようとしました。
ただ、夫も経験があるそうですが、バイクってライダー部分より荷物部分が出っ張っているのです。
ライダー部分を避けられても、荷物部分に引っかかる。
そのでっぱりにクロスバイクのハンドルが押されるかたちになり
私の自転車は転倒し、荷物を背負った私ごと、昼休みでにぎわうオフィス街の車道の上に投げ出されたのでした。

それが月曜日の話。
で、今この記事を書いているのは金曜日。
皆さんの安心のために書いておくと、私は今自宅にいて、普通に歩いております。月曜日と火曜日は歩けませんでした。アーロンチェアーを車いす代わりにして家の中を動きました。水曜日は伝わり歩きができるようになりました。水曜日の夜、夫が歩行器を組み立ててくれました。木曜日にその歩行器で歩くことを覚え、歩行器をリハビリに使いました。そして金曜日の今日は、歩行器なしで歩いています。脚に凝りはありますので、まだ静養していた方がいいとは思いますが、全く歩かないのもよくないので、自主リハビリしております。

この五日間は色々なことがわかりました。

まずわかったのは

・脳ってやっぱり司令塔。身体全体を見ていて指令を下す。

っていうこと。治っていく過程で、よ~くわかりました。それと

・ケガをするのはやはり身体がどんくさいから

っていうこと。それと

・ケガは人生の終わりだと思ってたけど、そうでもない

ていうこと。そして

・交通事故にあったからって別に病院行かなくてもいい。

ていうこと。ていうか、率直に言って、病院行かない方が治りが早いと思う。こういうこというと「後遺症ガー」の連中が湧いてくると思いますが、それも含めて連載していきますのでちょっと待って。

そして

・自分の脳と身体のつながりをみて、発達援助にさらなるヒントが

です。
身体って本当に、治ろうとすごいシステムが備わっています。

ともかく、
無事です。
そこはご安心ください。私を応援してくださる方々は。
アンチはちょこっとがっかりするかもしれないけど。

そしてそして何よりわかったことは、タイトルにあるとおり

・情けは人のためならず

っていうことです。そのことを実感した出来事でした。

続く

(ちなみに黄色本こと『自閉っ子の心身をラクにしよう!』はとても役立ちました。あの本を出していてよかったです。小田原の大先生、きっと読んでないでしょうけど、ありがとう)

損得って何? 霞ケ浦四周目の旅ご報告

2024-11-18 08:48:55 | 日記
考えてみれば去年も11月に霞ケ浦に行ったのです。
どうも夫的には、自分のお誕生日ライドみたいな感じらしい。
去年は結構雨の中走ったなあ、という記憶があります。

で、今年も予定の日が近づいてきて天気予報を見ると、少なくとも一日は雨予報。
リスケしようよ~と言ってしまったのは私です。夫はあっさりとリスケしてくれました。

ところが本来の旅行の予定だった日は、突如晴れた。
私はここで気づきました。
夏からのお天気運の良さ。藤井風ライブ、奄美旅行、サイクルイベント、そしてしまなみ海道旅行。
あんなにお天気の神様は恵みをもたらしてくださったのに、それを信じ切れてなかったし感謝が足りなかったなあ、と。
なんにも画策せずにそのまま旅行に出かけていたら、晴天の中を走れたはずなのに。

おまけにリスケした日の予報には雨マークが増えていきます。
どうしよう。
夫はもう、リスケする気はないようです。
「大丈夫大丈夫」とか言っています。
割と判断が当たる人なので、身を任せることにしました。

前日、中川先生とのミーティングが終わると
「明日、朝駅までは雨の中を走ると思う。でも土浦着いたらやんでいる」とのこと。
朝は結構な雨でしたが、小雨になった隙を狙って駅へ。
そして土浦に我々が到着するのを待ったかのように、雨は上がっていました。
鉛色の空ですが、降ってはいない。
私たちは湖畔を走り始めました。

不思議なことに、他のサイクリストがいない。
さっきまで降っていたから? いやいや
もっと荒天の時でもいたのに、全然いないのです。
だからガチ勢に追い越されることもなく、二人だけの湖畔。
思い切り漕げて気持ちよかったです!

そして私は「霞ヶ浦」の本当の意味を知りました。
曇天の中、湖面の霞が本当にきれいなのです。
きっとネス湖ってこんな感じなんだろう。行ったことないけど。
そしてその湖面に浮かんでいるのはネッシーではなく水鳥たち。
鳥ズ、何が嬉しいのか、いつもより張り切っているのです。

釣り人もいない、湖畔に人の姿も私たちだけ、という静かな中で、鳥たちはなぜかいつもよりのびのびと元気で、集団で湖面ダッシュしたり、大運動会しているのでした。
躍動感のある眺めでした。

そして以前、霞の中を二人で歩いたときのことを思い出しました。
それは2020年5月、箱根仙石原でした。
はい。第一回緊急事態宣言のさなかです。
あの不自由な中でも私のお誕生日を祝うため、めずらしくフル営業していた旅館に行きました。
あのとき、仙石原のすすきの中を歩きました。すごい霧でしたね。そして、他に人はいませんでした。
今この季節に行ったらきっと、仙石原はきっと人がいっぱいでしょう。
でも2020年5月には、見渡す限り人はいませんでした。

水鳥の運動会を眺めながら、自転車を漕ぎ続けます。
このままだと一滴も濡れずに潮来につけるかも。
と思った私たちは公園でなけなしのサンドイッチを食べることにしました。荷物スペースが限られていて、今回の補食はこれだけです。
ところが、そのとたん、雨が。
たちまち乾いたベンチがなくなり、雨の中を先に進むしかなくなりました。
かなり強い雨で曇ってしまい、アイウエアをとりました。

でも雨は数分でやみ、私たちは濡れた身体を乾かしながら先に進みました。身体を動かしていないと冷えてしまう。
やがて以前泊まった旅館の前に着きました。いい宿なのですが、今回は満室でとれなかった。
ふとみると、ランチの看板が出ています。
お料理のおいしい旅館です。
渡りに船と飛び込んで、思いがけず豪華なランチを食べることになりました。
あたたかな個室に通され、お茶をいただき、ゆったりとした時間が持てました。
公園のベンチでサンドイッチかじるよりずっと豪勢な昼食となりました。
雨が降るのがあのタイミングでよかったです(笑)。

すっかりあったかくなり、お腹も満ちて外に出ると、道は乾いていました。
今夜の宿まであと7キロ。川沿いを走りました。

宿泊は潮来駅のそばでしたが、町全体がさびれているのにびっくりしました。
かつてこの水郷の地は観光地として有名で、遊覧船に乗るのに長蛇の列だったそうです。今は船は繋がれたまま。
喫茶店は何店かありましたが、全部閉じています。コロナのせいかどうか、わかりません。でもコロナで観光地が打撃を受けたこと、多くの関連業者が働く気をなくしたことはたしかです。

ホテルは昭和そのものという感じでした。
いや、違いますね。
昭和にはもっとぴかぴかしていただろうし、活気があったはずです。
設備は目に見えるところだけ補修されていましたが、部屋とかは古いままでした。
やたら広いけど
暖房の作動も怪しげでした。

ただ、大きなコインランドリーが近くにあったのはよかったです。
最近はコインランドリーが増えて、旅先であまり苦労しません。土地を持っている人にとっては、利潤をもたらすビジネスのようです。人と人が語らう喫茶店が閉じ、機械だけを相手にするコインランドリーが増える。街からどんどん、人と人が触れ合う気配がなくなっていきます。
誰かがこういう世界を望んだのでしょうか。

これが地方の現状なのかもしれません。
いつから衰退がはじまったのだろう。
じわりじわりと人がいなくなり、そしてコロナが最後の大打撃を与えたっていう気がします。

翌朝、私たちはさっさと発ちました。
いいお天気です。すいすいと進みます。
今日はローディもたくさんいて、ガチ勢にはばんばん抜かされます。
釣り人もたくさん。
そして鳥たちは、昨日張り切っていたのが嘘のように、しれっとしています。
彼らも結構空気を読むんだと思います。ニンゲンが多いと、気配を消すみたいな感じです。大運動会は、霞がある時だけ限定なのかもしれません。

お昼時になり、途中の道の駅のキッチンカーで「トムヤムヌードル」を注文しました。
タイ人のお姉さんが「自転車で来たの?」ときいてきました。そうよ、と答えると「すごーい。私は買い物行くのだって自転車だとしんどい」とか笑っていました。マンゴソーダとトムヤムヌードルを渡してくれてコップンカー(ありがとう)と言われました。タイに行かなくなって5年。久々のコップンカーでした。

食べ終わって化粧室で歯磨きしていたら、地元の人らしき女性が「自転車で来たんですか」ときいてきました。
答えたかったのですが、こっちは歯磨き中です(笑)。「(もぐもぐ)しょうでしゅ」と答えたら「すごいですね! どこから?」とか色々きかれたのですが、繰り返しますがこっちは歯磨き中です(笑)。結構会話に苦労しました。

そしてまた走ります。
大都会土浦が見えました。
潮来よりかなり栄えています。
どこがどう違うのだろう。

結果的に楽しい旅でした。
ただ、事前に天気が悪いからリスケ、とか画策しなかった方が全体的によい天気で走れたでしょう。
私らしいと思いました。
私の場合に限ってかもしれませんが、
あまり損得を細かく考えないで身を任せた方が結果いいかもしれないみたいなのです。

折しもパートの厚生年金とかの問題が持ち上がっていますが
私は「扶養家族でいるために働き控える」とかそういう計算ってめんどくさくないのかなと思います。
っていうかそういう細かな損得を考える中で、失っているものがあるような気がしてならないのです。

私は皆さんご存じのとおり次々いい企画に出会いますが
これは私がじっとしていても出会いと別れが勝手に来るからで
結構ラクに企画を拾っています。
なんでこんなめぐり合わせがいいかというと
目先の損得を考えないからかもしれないと思うことがあります。

誰かのご機嫌を損ねたら売り上げが減るかも、とかあまり考えないです。
自由に思ったこと、信じたことを発言しています。
そうするとそれに賛同する人たちが集まってきてくれて、新たな動きが生まれます。

どうも女の人たちは、っていうか男の人も
目先の利益に過敏すぎるような気がしています。

年金の問題にしても

今の時代家庭の主婦でも
全く厚生年金の加入期間がない人はあまりいないと思います。
パートに厚生年金がかけられるようになると
手取りが減ると思うかもしれません。
でもその分加入期間が増えるのは確かです。
なのに払いたくない人がいっぱいいて、署名運動まで起きています。

私のように年金をもらえる時期が近づいてくると
厚生年金があるかないか、この違いは大きいのがわかります。
うちの母は一年半だけ厚生年金に入っていて、ちゃんとその分加算をもらっています。

女性が厚生年金を持つと言うことは、自由を持つと言うことです。
それもこの年になるとわかります。
なぜかというとそれなりに熟年離婚など耳にすることもあり
年金分割とかの交渉が生じてくるからです。
けっこうめんどくさそうです。
わずかばかりでも自分の年金があるだけで
強気に生きられます。

逆に言うと、年金は夫婦を一単位で考えて構築されたところがあるので
安定した老後のためには、離婚しないことが一番得かもしれません。
かと言って不幸な結婚を続けるのも不幸なのですが
仕事であれ結婚であれ、「続ける」という努力はそれなりに実るなあと思います。
年収の壁まであと何万だから12月は働けない
とか細かい計算をするより
とりあえず相手のいる人は、夫婦を続ける努力を優先させた方が、結果的に老後は安定するのではないでしょうか。

一方で現代には、男女を分断する言論が溢れています。
そういう言論を仕掛けてくる人には気をつけたいと思います。

来月は沖縄に走りに行きます。
寒い時期に備え、バーゲンで早くから安い切符を手に入れていました。
そのため、お天気はどうなるかまったくわかりませんが
どんなお天気でも楽しんでくるつもりです。



花風社秋祭りのご案内。発達障害の脳はどこが違い、どういうセラピーが可能なのか?

2024-10-15 08:17:13 | 日記
お世話になっております。花風社の浅見です。

さて、コミュニティサイト「治そう! 発達障害どっとこむ」等でもお知らせしておりますとおり、花風社では夏祭りに続いて秋祭りを行うことになりました。

夏祭り第二部では外国では実践されている「脳機能スクリーニング&トレーニング」について田中伸明先生、中川朋先生たちにご紹介いただきました。そしてすでに何名もの方が脳機能スクリーニングとそれに続くセラピーを受けられています。

そこで秋祭りでは
「発達障害の脳はどこが違い、どういうセラピーが可能なのか?」を教えていただこうと思います。

題して
「発達障害脳の特性がみられる19箇所を把握する 最先端脳機能スクリーニング&トレーニングについて」


19箇所の説明については、中川朋先生にお願いいたします。それに続き、中川先生の方で提供しているセラピーについてもご説明いただきます。

そして田中伸明先生にもゲストスピーカーとして、日本の外にはほかにどういう治療法があるかもご説明いただきます。

日時は10月26日18時半よりzoomにて。
アーカイブも配信いたします。

料金は3200円+税で合計3520円です。

お申込みの方はzoom☆kafusha.com(☆を@にかえてください)に

秋祭り視聴希望 とお書き添えいただき
1 お名前
2 配信先アドレス(gmail不推奨)

をお送りの上、下記のいずれかの講座に3520円をお振込ください。

(お問い合わせください)

お振込いただいた方に、10月20日ごろから当日URLをお送りいたします。

夏祭りでは、「ベスリ理論の中にどのように脳機能スクリーニング&トレーニングを取り込んでいるか」を田中先生にお話いただきました。

もし夏祭りを受けていない方がいらしたら、10月末まで視聴可能ですので、この際受けていただけたらと思います。第一部(「治った人たちの選んだ道 講師:浅見淳子)と第二部(田中先生、中川先生)合わせて4400円となります。

夏祭り概要はこちら。


花風社としては、脳機能スクリーニング&トレーニングの導入は画期的だと注目しております。
けれども良いアプローチがあっても日本の医療が俊敏に対応できないのは、四半世紀にわたる発達医療とのつきあいとコロナ禍でいやというほどわかりました。
だからこそ、手ごろなコストで脳機能スクリーニング&トレーニングが可能になったことをできるだけ多くの方にお伝えしたいと思っております。
そのために夏祭り&秋祭りを行うことといたしました。

多くの皆様のご参加をお待ちしております。

花風社 浅見淳子

*しばらくこのお知らせはトップに貼っておきます。日々の更新は下記をご覧くださいませ。

島の数だけ橋がある しまなみ海道ライド旅行のご報告

2024-10-14 10:31:36 | 日記
今年の夏は、藤井風ライブ、奄美大島旅行、とお天気になってほしいときにお天気に恵まれましたが、どうやら秋のライド旅行も当たりのようでした。
全国的に晴れの10月11日、早朝6時新横浜発広島行きひかり号に輪行袋に入れた自転車とシウマイ弁当を持って乗り込みます。

早朝新横浜始発で広島行きとか、まるで我が家がしまなみ海道に行くための列車みたいです。
10時前には尾道の駅に着き自転車を組み立てておりました。
そしてすぐ渡船。
各国からライダーが来ています。
向島へ着きます。
80キロのライド旅の始まりです。

夏中お稽古をしていたおかげで、少しはスピードが出せるようになっていました。
ひゅんひゅん進みます。
たくさん島の見える瀬戸内海がきれいです。
その景色の中を走ります。
島から島へとわたるしまなみ海道ですが
橋は当然、上空にあります。海の上なんですから当たり前。
そこに上っていくのが、まあ脚的にはいちばんきついところです。
島をたくさん渡るのは面白いけど
島の数だけ橋があるのです。
向こう側の島に行くには
橋を上らなくてはなりません。

桜島をライドしたときには
「カーブの向こうはまた上り坂であるかもしれない。それが人生だ」と学んだ私ですが
しまなみ海道から学んだのは
「島の数だけ橋がある」ということでした。
あっち側にわたるためには
えっちらおっちら坂を上らなくてはなりません。


先に行ってるからゆっくりでいいからね、と夫が駆け上っていきます。
そして私が一生懸命上っていく姿を盗撮していました(笑)。



橋の上は最高です。
右も左も多島美の瀬戸内海。
青い空と青い海。そして濃い緑の島々。

今日は小さいお宿に泊まるそうです。サイクリスト専門宿みたいな感じ。
室内保管もしてくれるし、メンテ等も相談に乗ってくれるそうです。
定員は最大6名。みんなで食事の時間とかを合わせるので、5時までには絶対入ってくださいね、ということでした。
終わりの時間が決まっているので、向島→因島(因島大橋)を一生懸命走りました。
お稽古の成果が出た気がします。

そしてまた橋(生口橋)。
本日泊まる生口島に入ります。
この時点で時間的余裕があることがわかりましたので、ちょっとふらふらと観光します。
そしてジェラートを食べました。
伯方の塩と瀬戸田レモンのダブル。

アイスクリーム屋さんで、外国人が軒並み戸外のテラスを好むのを見て、海外に行っていたころを思い出しました。
私たちは涼しい室内が好きなんだけど、彼らは戸外が好き。
こういう感覚の違いが、感覚過敏の理解に役立ったところがあります。最初に発達障害の人たちの五感の違いに気づいたのは、実は海外旅行で色々な感覚を持つ人がいると観察した経験のたまものだったのです。

瀬戸田って、レモンと一緒に聴くことの多い地名ですが、私たちが今日泊まるのが瀬戸田なのでした。

宿は海の前にありました。
着いてすぐ、お風呂をどうぞ、と言われました。今日はあと一組二名やってくる。先に入ったのが私たちなので、お風呂を早く済ませてくれると助かる、ということ。
私たちはかわりばんこにお風呂に入りました。サイクルウエアの洗濯もやってくださるそうです。親切です。
そして夕暮れの海を前に、ビールを飲みました。なんか魚がはねています。お宿のホスト犬トイプードルがソファにアテンドしてくれます。至福のひとときでした。
ロードガチ勢は一日でわたるしまなみ海道ですが、アラカンなんだし、海の上一泊で十分じゃないかしら。こんなゆったりした時間も過ごせるし。

もう一組も到着し、マダム心づくしの夕食の時間。
とても美味しかったです。

東向きの宿だったので、朝日がきれいだときいていましたが、天候的にも恵まれて、本当にきれいな朝日をみることができました。




朝日をみながら散歩をし、帰ってくるとコーヒーが淹れてありました。美味しくいただきました。
そしてまた美味しい朝ごはん。
のあと宿の皆様に別れを告げ、出発です。

しばらく走ってまた橋(多々良大橋)。えっちらおっちら上ります。
大三島へ。
ここを走ってまた橋(大三島橋)。
伯方島へ。
この辺で時間的余裕ができたのに気づき、念願だった伯方の塩ソフトクリームを食べました。
たくさん走ったけどたくさん食べた旅でした(笑)。

そして大三島橋を渡り、最後の大島へ。
ここにはかつて、今治側から来たことがあります。
ここでランチ。「タイラーメン」が美味しいんだ、と夫は言うのです。実は夫、大学院のゼミ合宿で私より一足先にしまなみ海道を全部走ったことがあり、そのときに院生の皆さんと「タイラーメン」を食べたそうです。
私は「タイラーメン」ということなので、トムヤムっぽい何かかと思ったのですが、「鯛ラーメン」でした。瀬戸内海ですもんね。お出汁も鯛でとっていて、とてもさっぱりと美味しかったです。

パワーチャージして来島海峡大橋を渡る前にサイクル姿の愛媛県ゆるキャラみきゃんと記念撮影。
またもやえっちらおっちら上り、上空へ。
橋にしてはずっと続くなあ、と思ったのですが4キロあったのですね。
海の上を4キロ走ったわけです。

そして今治へ。
今治では80キロ走った記念写真を撮りました。
お宿は今治国際ホテル。古き良きランドマークホテルといった趣の立派なホテルですが、なんとロードバイクを部屋に持ち込みOKなのです。いかにこの地域が🚴観光に力を入れているかよくわかります。



立派なホテルすぎて、コインランドリーはありませんでした。
が、徒歩三分くらいのところにコインランドリーがあり、そこで洗濯をしてから、今治の名物だという焼き鳥を食べに行きました。とても美味しかったです←こればっか。
ギリギリ予約できたようで、ひっきりなしに人が来ていました。
カウンターで隣り合った人は、登山に来たそうです。
楽しみ方は違うのですが、なぜ私たちに話しかけてきたかというと、モンベルを着ていたからでした(笑)。持ち運び便利なモンベルは多くの人が着ていますからね。

明けて朝。
朝食後、桟橋に行って自転車をたたみます。
そして福山行きのバスへ。自転車で渡ってきたしまなみ海道を今度はバスで本州に戻ります。
福山に着き、あなご弁当を買ってのぞみに乗り込みます。
このまま乗っていると新横浜に着くのが不思議でしたが、もちろんきちんと着きました。

今回の旅で思い出したのは、日本は土木大国でもあったということでした。
あの瀬戸内海の多数の島々に、橋をかけちゃおうという発想がまずすごい。それを実現しちゃったのがすごいです。
そして交通網。最初に東海道新幹線ができたのが昭和39年の東京オリンピックの時。オリンピックの始まる直前にギリギリで開通したそうですね。今私たちは他国がオリンピックのために突貫工事でやっと間に合わせていたりすると笑いますが、昭和30年代は日本もそんな感じだったようです。
その新幹線が今、函館から鹿児島中央までのび、日本海側にものび、日本国は実はそんなに狭くない国土をつなげてきたんだなあと思います。
しまなみ海道はその土木の精粋を、ぎゅっと凝縮したような土地でした。

こうやって日本が作り上げてきたインフラのおかげで、今日本の人も、そして世界中の人が旅をしています。
よくXでは「遊んでいるのは外国人だけ」みたいな自虐的なポストがありますが、私の実感はそうではありません。
京都とか行ったら違うのかな、と思いました。たしかに京都駅からはたくさん外国人が乗り込んできました。でも日本人もたくさん遊んでいます。琵琶湖に行くのか、ロードバイクを抱えた人たちもいました。
旅行者の圧倒的多数は、まだ日本人です。

「遊んでいるのは外国人だけ」と言われると私が思い浮かぶのは、私たちがいっていたころのタイみたいに、本当にホテルには外国人しか泊まっていなくて、みたいな状態です。
内外価格差が行くところまで行くと、そうなります。
でも今の日本はまだそうではないです。
ただ、タイの人が日本に遊びに来るようになったようです。
この国の効率とか清潔さとかインフラ整備を知ってくれるといいなと思います。
それは日本人が代々守ってきたものなのです。

海外からいっぱい人が来るようになったのに、日本人が外国旅行をしなくなったという話がXで出ていました。
私などはコロナ前まで、30年以上連続で必ず海外に出ていましたが、たしかに、2019年を最後に行っていません。最初はPCRがめんどくさくて行かなかったのすが、制限が外された今も、「そろそろ行こうか」という話にもなりません。
なんでかな、と考えてみたのですが、理由はいくつかありました。

1 行けない間に日本の良さに目覚めてしまったこと。
たとえば韓国人は今、日本人より海外旅行しているそうですが、韓国は土地が限られています。奄美とか沖縄は韓国にはありません。よく知りませんが、地図を見る限り瀬戸内海みたいなところもなさそうです。日本は国土が南北に伸びていて、地形にバラエティがあり、列島内で十分に色々な風土が楽しめます。交通網も発達しています。


2 🚴旅行に目覚めた。
 一日走ったあとに欲しいのはお風呂とおさかな。ということは日本最高です。よその国は食べ物が違ったり、お風呂が乏しかったり、熱いお湯が出なかったりします。

3 為替。
 昔のレートを知っていると、今がいかに不利かわかって行く気がしない。インバウンドの人たちはこの逆で日本にやってくるようになりました。

それに加え、今回思い出したのですが
そうだ、あのコロナ禍で、「今後しばらくは日本にお金を使おう」、と思ったのでした。

医療が傲慢にも観光や飲食などの産業を「不要不急」と決めつけたとき、腹が立って腹が立って仕方なかった。なぜなら私に言わせれば、医療こそ不要不急で、自分の健康維持に役立っているのはむしろ観光や飲食や一次産業だからです。
医療は不要不急なくせに毎月保険料取っていって、しかもいざとなると発熱患者すらみないのです。要するに、不要不急というより反社会的組織に近いのが現代日本の、国民皆保険下での医療の実体です。
今回の旅でも、ケガしないように、ケガさせないように、それを祈りながら走りました。もちろんケガはうっとうしいですが、それ以上に、医療に世話になるのがいやだったからです。弱ったときに威張られながら治療されるのとかいやだし、しかも不調になると7割も他人のお金を使うのが国民皆保険です。ケガや病気は、他人に申し訳ない。仕方ないときは仕方ないけど、できるだけ他人にはたかりたくない。だから、無事に帰ってこられて本当によかったです。医療の要らない日々に感謝です。

今般解散総選挙を迎え、社会保険料が大きなイシューになると思います。個人的には今回は、社会保険料の削減以外はどうでもいいです。ワンイシューです。裏金とかなんとか関係なく、今度は若者の手取りを増やす=社会保険料を抑える方針の政党に投票するつもりです。

選挙はたまにしかないけど、他にも社会保険料を使わない方法はあります。それは、医療なしに暮らすことを覚えることです。
逆から発想すれば、「健康維持のためのお金を医療ではなく他に使う」ということかもしれません。
今は逆に、不健康になるためにお金を使い、弱ると最後は他人負担の医療に健康観を丸投げしている人が多いように思います。

社会保険料を食わずに努力をしている高齢者もいます。
スポーツジムも高齢者がいっぱいいます。
川沿いも高齢者が一生懸命ウォーキングしています。
医療依存ではない高齢者はたくさんいます。
自分はその一人になりたいと思います。

一方で若くてもすぐ医者のところに駆け込む人はいます。
この国の問題は老人ではなく国民皆保険が可能にしてしまった医療依存です。

そのためにも安全に気をつけながら、また自転車を練習し、分相応などこかに走りに行って、美しい景色、美味しい食べ物、親切な人たちにこそお金を使いたいと思いました。
そして自分は国内を楽しんでいるから勝手なのだけど、できれば若者には外を見てもらいたいという気持ちもあります。
なぜなら違う文化に触れることは、本当に勉強になるからです。
私が自閉文化を学ぶことができたのは、若い頃に異文化に触れてきた経験があるからです。
円が安くなって、海外の大学生くらいの若者の集団が来るようになりました。
それくらいの体験を日本の若者が積めるような国であるために、やはり健康観を底上げして社会保険料を削減しないといけないと改めて思った旅でした。

読者のたんぽぽさんのお子さんは、元発達障害児でしたが、奨学金を取って海外留学。今は就活されているそうです。
そういう若者が出てきたことも、花風社をやっていてよかったと思うことの一つです。

今回体力だけではなくお金も結構使いましたが

交通費も宿代もその他遊興費も100パーセント自腹です。
医療に頼らず、自腹で健康維持できる大人が増えるといいですね。
金は天下の回りもの。
回す一人になることが社会人になるということ。
そして治るということかもしれません。
生涯医療と縁が切れないとしても
できるだけ医療に自由を売り渡さずに済む。
そういう若者を増やすためにまた仕事していきます。


ご褒美先取り 夏の終わり、奄美大島旅行のご報告

2024-09-10 09:14:09 | 日記
今年の七月と八月は夫婦ともども忙しかった。
ので、方々のきれいな景色の写真をSNS等で楽しみながら二つのビッグイベント
・藤井風日産スタジアムライブ
・奄美大島への海水浴旅行

を楽しみにしておりました。

どっちも「お天気悪ければ仕方ないけど、いい方がいいなあ」というイベントです。
ライブの方は、無事に乗り切った。
近くのラーメン博物館が豪雨に見舞われたのに、スタジアムは無事だったと後で知りました。
よく、濡れながら使い捨てレインコートで帰るライブのお客さんもたくさんみているので(ミスチルとかサザンとかの人が濡れていた)、珍しく自分が参加するライブで雨に濡れずに済んだのは本当にラッキーでした。

そして、奄美大島ですよ。
計画したのは5月だけど、夏の奄美大島なんて、はっきり言ってばくちです。台風で飛行機が飛ばないこともありうる。実際、一週間前はそうだった。「例をみない大きさの」というふれこみだった台風10号は屋久島で勢いを落としたと言っていますが(真偽のほどは不明)奄美大島にいたときは一人前の台風だったのです。そのさなかにホテルからコンファメーションが来たので「飛行機が飛ぶ限り行きますよ」とお返事したのですね。

ところがそのあとも11号発生!
大陸の方に逸れてくれた。風速80kmとかのすごい大きなのになったようです。
ほっとしたのも束の間、12号発生。
太平洋を北進し、やっぱり逸れてくれました。
ということで台風がよけてくれた道をモーゼのように奄美大島に降り立ちました。

そして三日間、予報はよくなかったのに、どんどん晴れて、海で遊びまくりました。
星も見たけど、ほぼ夜は起きられないほど遊びきり、海水浴の回数券を立派に使って帰ってきました。

この夏のメインイベント二つ、天候に恵まれたことを、ご褒美の先取りと私は解釈しました。
また仕事しなきゃいけないなあ。
治る人が増える仕事しなきゃいけないなあ。
と今は思っています。

秋もよろしくお願いいたします!





理系暴走してないか? 疑惑

2024-09-01 08:05:24 | 日記
昨日はたぶん自転車で出かけて大丈夫だと思ったのですが
一歩外に出て、やっぱりバスにしよう、と決めました。
なぜなら空気がやはりただものではなかったからです。
この空気は熱帯だわ。
っていうことは台風が消えていないとしても、ゲリラ豪雨ありうるわ。
たとえば外で遊んでいてゲリラ豪雨は構わないのです。それくらいで風邪なんか引かないからね。でも自転車は濡らしたくない。いや、旅先でどうしても濡れる時は仕方ないけど、なるべく濡らしたくない。

というわけでバスでお稽古に出かけ
帰りにバス停に並ぼうとすると、前にいたのがなんと実母だった(笑)。
もう三角巾も吊っていない。
ていうかケガしていない方の手に、ものすごく大きな荷物を持っています。
持ってあげたら重い。
果物をたくさん買ったそうです(笑)。
ほしいなら言ってくれれば買っていくのに
っていうかネットスーパーのアプリもダウンロードしてあげたのに
なんでわざわざ88歳の骨折治療中の老婆がリアル店舗に大量の果物を買いに来るのか意味不明ですわ。
西洋医学凡医と代替療法の先生を併用していましたが、そろそろ凡医の方は切るそうです。

そのころになると空が暗くなってきました。
私は母の家についていかず、母のバス停がきたら荷物を渡して(そこから徒歩一分)
地元のドラッグストアで買い物しながら家に戻りました。
結局一滴の雨にもあいませんでした。自転車で行ってもよかったな。でもバスで出かけたから偶然母にも会えたんですけど。
そのあとバターを買い忘れたことに気づき買い物に出ました
雨は0.5ミリあるかないか、っていう実感。当然傘はささない。

静岡や小田原あたりまで大雨なのはわかる。
だから新幹線止めるんだ、と言われたらなるほどと思います。
でも最近、地元の天候実感と、アプリとかニュースとかで提示される情報が違いすぎるんじゃないかということ。
もちろん天気予報は昔から当たるとは限りませんでしたが
不思議なことに「晴れるって言ったのに降った」ってことってあまりなくて、むしろ悪天候の警告の方にバイアスがかかっている。脅かして脅かして行動制限を必死に呼びかける気象庁。南海トラフ脳も爆誕させた。そして熱中症に対するおせっかいも本当にうるさかったこの夏です。

一滴の雨にもふられていなかった時間帯、太陽が照り蝉が鳴いていた午後、アプリ上では28ミリの雨が降っていることになっていました。
なんなんだこれ。
皆さんも興味があったら、ネット上の情報と現実を比べてみてください。そりゃあ、晴れ女だけどさ私、でも私の周辺だけ降ってないとかはありえないので。

理系暴走してませんかね。

これって「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」とか「ワクチン打たないと後遺症が~」とか、「自前の三角巾じゃだめ。スリング買わないと手術になる」とか(整形凡医が母に言ったこと)、そういう理系側が知識の非対称性をいいことにちょっと「盛って」脅かして民を管理しているように見えないでもありません。ノー枠ノーマスクで一向に罹患していない身としては、脅かして脅かしてなんとか無力化しようとする理系の専門家ってやつが嘘つきにみえて仕方ない。
あいつらの言う通り、ワクチン打ってマスクして減塩して家に閉じこもって暑いからとお日様にも当たらず地震を恐れて海水浴も自粛していたら、それこそものすごい弱い人間ができあがるのではないか。
これが陰謀論だとは思いません。
ただ理系が勝手に危機に萌えてちょっと盛って要らないアドバイスしてくるのが割と一般的な現象になったジャパン、だと思います。

というわけで朝起きたら、雨は一滴も降っていなかった。でも一時間後に0.5ミリ降るとアプリは言う。
じゃあすぐ帰ってくればいいわ、と私はママチャリライドすることにしました。なぜなら、窓を開けたときの空気の匂いがプーケットみたいで、なつかしかったからです。沖縄よりも南の匂い。もう5年行っていない。なつかしいなつかしい匂い。それが風に乗って確かにこのあたりまで来ているようです。

そして日産スタジアムの周りを走ってきました。
階段は下りてはいけないことになっている。この下のフィールドには貯水池の役目がある。



スケボー広場。泥が入り込んでいる。このあたりまで川が来たのかな。泥をよけないと、滑れませんね。



一応朝陽も出ている。おはようございます。今日もがっつり降るらしいですが(棒)。

そして一週間前、カレー会場だったところ。風氏プロデュースのカレーとジュースが売ってたところです。椅子とか、風氏と写真撮れる昭和っぽい顔切り抜きとか、色々置いてあった。



藤井風運営がすごいなと思ったのは、こういう時間をつぶす場所を作ったところ。とにかく何かとお客を人間扱いしているからでしょう。

コロナのときさすがのジャニオタも「人間扱いされていない」と腹を立てていたのをツイッターで見ましたけど、彼女たちはマスクだけではなく金魚鉢(フェイスシールドだっけ)も強要されたらしい。完全なばい菌扱い。そのジャニオタは「自分がこんなかっこさせられて推しが素顔で歌って踊っているのをみるとみじめになるからもう行かない」と言っていましたが、すごいまっとうな人権意識だと思いますね。
ファンに対して人権侵害をやる運営とやらない運営がある。丁寧に扱われた風民は規律正しく行動したし、ジャニオタはみっともなく地べたに座り込み、Kpopファンは難民キャンプを形成する。

人間を管理すべき対象、とみなすのではなく、相手の肉体も大事にする人たち。仕事の面でも娯楽の面でも、できればそういう人たちとのかかわりに限定したいです。こっちの人権を重んじない相手は、はねつけてよい。

そう思うと、知識をいいことにあれこれ「盛って」制限をかけてくる最近の理系はうざい。

でも

今般、花風社夏祭りにおいて、8月30日までに無料脳機能スクリーニングを希望する17歳以下の全員に無料を適応

という神対応を田中伸明先生率いるチームベスリがしてくれました。
本当にうれしいです。

たまには人間を人間扱いしてくれる人も
理系にはいるんだろうなと思います。

当該の皆さん
本当におめでとうございます。
合言葉をお教えしますので
花風社にメールくださいね。


冥途の土産 藤井風ライブを体験してきた

2024-08-25 10:28:17 | 日記
ほぼ音楽に興味がない私がひょんなことから藤井風をYouTubeで知って、日産スタジアムでライブがあると知り、「どうせ当たりっこないから」と申し込んでみたのは4月だっけ5月だっけ。
ともかくコアな風Tuberの人とかでも落ちている中、なぜか一次抽選で当たってしまいました。そして即日引き落としがありました。行くしかない状況になりました。

ので、楽しみに8月24日を待つことにしました。
とはいっても音楽というものにほぼ無関心なワタクシ、大規模なLIVEは誰かに誘われると行くだけ。それもたぶん、30年ぶりくらいで、屋外ライブなど初めてです。しかも真夏。体力もつのかな~と心配しておりました。

これは各種イベントで来場する方には大変失礼なことなんですけど、ぶっちゃけ日産スタジアムや横浜アリーナの地元民の私にとって、イベント来訪者はノイズでしかありません。
とくにいやなのは女子トイレという女子トイレを埋め尽くすジャニオタの皆さんと、使用済みおむつとか捨てて帰るサザンファンの皆さん。風船飛ばすのは参加者としてはスカッとするかもしれませんが、翌日は植え込みの中ににしなびた風船が落ちているわけで。

というわけでジャニーズ(今の呼び名は知らない)とサザンは要注意、なのですが、それ以外のイベントのたびに客層をみているのは結構楽しいです。
矢沢永吉のときにはきばった高齢者がたくさん。
韓流のときも年齢層の高い時と若い人が多い時とあったり。韓流にもいろいろあるんだな、と思います。
先日韓国のグループが来たときは、日本が誇る半導体メーカーの本社ビルの前に難民キャンプみたいなの作っていたファンたちに、やれやれと思いました。
アーティスト名などほとんど知りませんが、誰かがくると検索したりして「ほお」とか言っている地元民です。

昨日は街がすごい人出だとわかっていたので、そしてとても暑かったので、そしてライブを乗り切れるかという不安があったので、体力温存のために午前中からトドになる作戦をとっていました。
夫はちょっと出てくると出かけていき、人が多いとびっくりして帰ってきました。客層は不明だということ。まあきっと、若い人も年取った人もそれなりに好きになる藤井風さんです。
とうていランチに出かけることはできなそうなので、カレーをテイクアウトしてきてくれました。というわけでトドのままカレーを食べ、一日ゴロゴロしていることに少しくらい罪の意識を感じて、水回りの掃除をしました。
夫は夕食をスシローでテイクアウトするということで、サラダだけでも作ってあげようと思って作っておきました。
体力的に不安だと夫に言うと「ブロンプトンで桜島を一周した人が何を」とか言われたのですが、未知なものはアセスメントが難しいですね。

事前に、YouTubeでは様々な注意事項をファンの人たちがアップしていました。
新横浜駅からの行き方とか。
ゆるい上り坂。この暑さの中では会場にたどり着くまでに汗だくになりそうです。
地元に宿を取れた人はいいけど、離れたところに泊まる人は待ち時間が辛そうだなあと思いました。
だから日陰があると難民キャンプができるのでしょう。
まあ昨今の暑さでは仕方ないこともあります。
でもイベンターの人は、トイレの件にせよ難民キャンプの件にせよ、地元に、時には私企業に、負担をかけていることをどこまでわかっているのかな。

大相撲は九州まで見に行く私ですが、わざわざ音楽のために遠征することは考えられない。
近いから行く気になったんであり、徒歩圏の日産スタジアムか横浜アリーナじゃなければLIVEなど行く気にはなれないけど、そういう大きいところでやるアーティストはだいたいファンクラブで囲っているので無縁でした。
今度はその制限がなかったから応募する気になりました。そして一次抽選で当たり、チケットをダウンロードしてみたら「アリーナ、ブロッコリー」ということでした。
ブロッコリー?
どうも藤井風さんはベジタリアンらしく、席の名前がお野菜らしいです。
すごい前の方だと知ったのは、会場についてからです。

16時から開場、ということなので、16時前に家を出ました。
自宅から1キロ未満、1700歩で入り口に着きました。
多くの人がなんかの配布に並んでいて、入場口はそんなに人が多くなく(って言っても多かったですけど)わりとあっさりと入場できました。まだ会場内に人はあまりいません。
もうそんなに暑くなくて、ここで1時間半文庫本を読みながら待つことにしました。
なぜ文庫本かというと、スマホ電源は節約したかったので、紙の本を持ってきたのです。

アリーナという意味を行ってから初めて知ったのですが、要するにピッチに座るわけですね。
アリーナは化粧室がない、とか、水しかもって入れない、とか言われていたのですが、行ってみてわかりました。ピッチに座るんですものね。

たくさんの人たちが色々な警告をしていました。
帽子、サングラスは必携(持ってきた)。
携帯充電器(持ってきた)。
アリーナに持って入れるのは水だけ。少なくとも四本は必要(三本持ってきた)。
ゲリラ豪雨に備えてレインポンチョも(持ってきた)。
トイレは長蛇の列を覚悟。これは各種イベントとか、旅行先とか、いつでもありうる事態ですね。私は自宅を出て帰るまでを5時間と計算し、体調の急変がない限り大丈夫だと見積もりました。変に水分制限しない方が乗り切れます。
それとアリーナのパイプ椅子はお尻が痛くなる(ライダーパンツをはいていった)。

結果的に、全部不要でした。
携帯はほとんど撮らなかった。プロの中継があったし、きっとそのうち有料でもなんか出るだろうから、当選のお礼の意味もかねてそれを買えばいい。リアルタイムでは撮影よりその場を楽しんだ方がいい。
水は一本しか飲まなかった。飲む暇がそもそもなかった。
雨は降らなかった。
椅子はほぼ座らなかったのでお尻は痛くならなかった。

備えあって憂いなし、なんですけど、
すごく備えが好きな人が多いJapanなんだな、とよくわかりました。


コンサートの準備くらいなら行き過ぎた準備も別に害もないけど、人生の選択が「もしものときの準備」ばかりだと本当に無駄が多い。
と私には思える人生を歩んできました。
安定のために大して儲からない国家資格とったり、感染予防でワクチン打ったり、不安に駆られて無駄な行動をとる人も多いJapan。私なぞは、とうとうなんの資格もなく、還暦過ぎまで一回も失職せず仕事を続けてきたし、ワクチン打たずマスクせず結局11波も乗り切ったし、みんななんでそんな余計な心配をするのか不思議なんですけど、心配しない人が非難されたりするんですよねこの国では。結果的に迷惑かけてないのにさ。

まあともかく、ライブはとっても楽しかった!
ずーっと踊っていました。
あの方は、超絶歌がうまいのですね。会場が大きいとよくわかります。
それと、いつも動画を見ていて、ダンサーの人たちが面白いなあと思っていたのですが、ライブ会場だと、踊っている人が全部見られて楽しかったです。
いつも同じ人が出ているのか知らないけど、男性ダンサーが多いですよね。
あと大きな会場でやるからこそコスパをクリアしてあんな大がかりな設営ができるわけであり
となるとできる会場が限られているから遠くからも人が来る。
新幹線にも飛行機にもアクセスいいのがこの街の魅力なんだけど
だから全国から人が来る。
という仕組みがわかってちょっと腹が立たなくなりました。
そしてライブが楽しいことを知り
なんでみんなわざわざ音楽のために全国から(外国からも)来るのかよくわかりました。

私の最大の収穫はそれだと思います。
一回だけでも自分がスタジアムライブを楽しんだことで
これからイベントのために街にやってくる皆さんを冷たい目で見なくてよくなったと思います。
ああ、あの大がかりなライブを楽しみにわざわざやってきて
時間潰す場所がないから地べたに座ったり難民キャンプを作るんだな、とその仕組みがわかったので
これまでほどライブ民をうざく思わないと思います。
私も楽しかったんだよ~とあたたかな気持ちで思い出すかもしれません。
みんなも楽しんでね~というやさしい気持ちになるかもしれません。
(でもゴミは散らかさないでね。住んでいる人もいるんだからね。)
あとジャニーズ(を継いだどっかの会社)には、ぜひジャニオタ専用女子トイレビルを建てていただきたい。相当な負担を地元民と地元企業にかけてますよ!

藤井風ライブ、今日もう一日あります。
街はまたいっぱいになるでしょう。
うざいので(笑)私たちは自転車で抜け出します(笑)。スタジアムは避けた道を通って。それでも人も車も多くて通行はスムーズではないでしょう。
それでも自分も楽しんだ分、これまでほどいやじゃないと思います。
この街が好きで、どこに引っ越す気もなく、おそらく終の棲家になる私にとって、イベントに来る側の気持ちをたった一日でも体験できたのはいいことでした。
きっとそれが最大の収穫です。

でもきっと私はもう、ライブには行かないと思います。
そもそも今回、一生分のライブ運を使い果たしたと思います。
どんなものかわかったので、よかったです。
奇跡のように神席に当たったことは
「もう十分よくしてやったのだから、お前のようなにわかはもう来るな」
という音楽ギョーカイからのメッセージと受け取りました。

コロナ禍における音楽ギョーカイはヘタレだったので嫌いでしたが
音楽ギョーカイは音楽ギョーカイで頑張っているのがわかってよかったです。顧客にマスクさせたのはやむにやまれぬ事情があったのでしょう。
でも私は、客にマスクさせるようなプロモーターにやすやすと従うほどロイヤリティのある人ではないのです。
だから音楽ファンにはなれません。

というわけで昨日の楽しさは一回きり。
冥途の土産にしようと思います。

帰り道は、誘導の結果別方向に出たので、3300歩で自宅に戻りました。
5000歩の旅でした。
私のたった一生一度の屋外ライブ、終わり。
生涯たった一度の屋外ライブを、藤井風さんという最上のコンテンツで楽しめていい思い出になりました。

脳機能スクリーニングご希望の方にご案内

2024-08-21 08:19:38 | 日記
花風社夏祭り2024の特典として
五名限定で無料脳機能スクリーニングを募集していますが
すでに自費で受けられた方々もいます。
診断の有無
大人、子ども、関係なく受けられます。

ご担当はチームベスリの心理士の方です。
田中伸明先生が理事長をしていらっしゃるNPO法人にて受けられる体制が整えられました。
認知症の長谷川スケールで有名な故長谷川先生から田中先生が引き継がれたNPO法人です。
つまり、発達障害だけではなく、認知症予防や自己理解のためにも、スクリーニング検査が使えます。
御案内を貼っておきます。
ご興味のある方はアクセスしてみてください。





世界標準の発達障害治療はここまでいってるよ!

2024-07-21 05:30:17 | 日記
2024年7月20日、私はきっつい自転車のお稽古を終え、家に帰ってきました。相撲やっていました。ビールが飲みたいところですがそうはいきません。18時半から、チームベスリのみなさんとボリンゴさんと「花風社夏祭り第二部」の録画撮りをするのです。

医療従事者って、なんだかんだ忙しいですよね。田中先生も、とてもハードワーキングな方だと思います。半年に一冊本を作るだけの私とは大違い。だからこちらが時間を合わせます。

そして、ミーティングの内容は。

いやあ、もう感動の嵐でしたわ。
「世界、ここまでいってるのか」っていう感じ。

脳のどこに、あるいはどことどこのネットワークに不具合があると
・ADHD
の様相を見せるか、どころか
・ASD
・言葉が出ない
という現象になるのか、もう部位やネットワークは特定されているそうです。19箇所(←具体的でしょ)。アメリカではそれが普通に、共通の常識として治療のはじまりになっている。



そもそも、びっくりしたのは

身体アプローチの人たちがよく「定型に発達するといついつから車酔いが始まる」とか「スキャモンの発育曲線」とか出すみたいに

「定型に発達すると何歳ごろの前頭葉ではなんとか波(四種類の脳波)のどれが優位なはず」とかがわかっていて、そこから逸脱していると、じゃあケアをしようか、ということになるそうです。

そしてそこから始まるNeurofeedbackは、FDAによっても治療の第一選択肢になっている(薬物より上)。

でも全然日本に入ってこないでしょ。

私がNeurofeedbackのことを最初に聞いたのは2000年代初頭です。そしてそのころ、扁桃体の話もよくきいた。そのころ、たぶん発達障害者支援法の始まりで予算もついたんだと思うのですが、よく支援者たちはアメリカに行っていた。そして扁桃体やなんかの話を仕入れてきたけど、結局それが20年後のためにユーザーのために活かされてはいない。

っていうか、発達障害医療ってつまり、ほぼ20年間変わっていないわけです。

日経平均が30数年かけてやっと元に戻った間に、S&Pとかは何十倍、らしいけど、これだけ新しいものを発展させる気があるかないかで、経済力なんて違ってきてしまって当たり前だと思いました。

Neurofeedbackと扁桃体症候群という概念。
その両方とも、日本には入ってこない。
とにかく日本の医療は新しいもの入れないみたい。


昔はそれでも、お金持ちだったジャパンだから、押し売りもきたかもしれない。
でも今は日本も貧乏になり、ジャパンパッシングなので、向こうから持ってきてくれなくなったそうです。明治時代と同じように、情報取りにいかないといけない。

で、中川先生は、あちらで臨床をしていた方なので、それを持ってきてくださったというわけです。

もちろんこれが保険診療になるのをじっと待つ、という人もいるだろうけど

私はハッタツとコロナ、二つみて、「ああ日本の医療一般は本当に人間を雑に扱うし、国民からチューチューお金吸ってなんの罪の意識もないんだな」ってわかったから、それは期待しません。

それより自費で安くやってくれるところが出てきたのだから、そのご紹介をしたい。いつか保険診療になるならそれを止めはもちろんしないしその力もないけど。

田中先生曰く「自費っていうのは高くもできるけど安くもできるんだ」

本当にそうです。
たとえば今、放課後等デイとか、就労支援とか、単価高すぎると思うけど、あれを純粋に民間でやったらもっと単価下げられるだろうし。

今回の夏祭り第二部では、そういう最先端(っていうかアメリカではすでに常識の)発達障害治療についてきけるし、希望があればスクリーニングのチャンスもある。

そして最先端のトレーニングが、全国どこにいても、受けられる

かもしれないし

受けなくてもいい

ことがわかるかもしれないし

さらにさらに

「ここを伸ばすといい」

ところもわかるらしい。

人を資源と見る国では、こういう治療が発展するんでしょう。

国民皆保険の国では、人を家畜とみなしているけどな。
だから分娩時の妊婦にマスクさせるし、発達においては20年間治療方法を変えないんですよ。

今、そこに風穴があくかもしれない。

最後にボリンゴさんに感想をききました。
親御さんとしての意見をききたかったのです。
もう、びっくりだということ。

発達障害の新しい治療
自信をもってお勧めします。
今からでも花風社の夏祭りには申し込んだ方がいいです!

これがうまくいけば
20年にわたる発達ギョーカイとのやりとりとクソコロナ騒動で強固になった私の強度医療嫌いが治るかもしれませんわ。