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治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

情けは人のためならず 生まれて初めての交通事故ご報告 その4

2024-12-02 07:58:16 | 日記
夫の会議が終わったあと、食材を無駄にしないために、共同作業で鍋を作りました。私がおつゆを調合し、夫がそこに具を入れていきます。牡蠣も入ったなかなか美味しい鍋になりました。買ってきたお弁当という夫の味気ない夕食にも、ちょっとはぬくもりが添えられたと思います。

私は相変わらず食欲がなく、鍋をお椀に半分くらいと、おにぎりを半分くらい食べたらお腹いっぱいになりました。さて寝ようかと思った頃、母から電話がかかってきました。今から行くというのです。あちゃー。

これを予測していたから、知らせるのがいやだったのです。もう暗くなっているし、タクシーで来るというけどたぶん捕まらないだろうし。

夫に言いました。「来るって」「なにしに?」
全くの謎です。
でも予想がついたことです。大騒ぎになるのは。

親に愛されなかった系の体験は私にはありません。むしろ、「なんでこの人たち(両親)は私のことがこんなに好きなのだ」と不思議に思う人生を送ってきました。何かと助けたがりますが、大人になってからはあまり助けられるところもありません。だから、こっちの弱みに母はすごく大張り切りするのです。それが見えていたから知らせたくなかった。お誕生日会のことがなければ一週間くらいすっとぼけていたかもしれません。

やがて玄関側の廊下から大騒ぎが聴こえました。

やはりタクシーは拾えなかった。母は途中までバス(敬老パス)、そして途中から歩いてきた。大雨だったらしい。気がせいで気がせいて、脚が止まらなくなるという現象があったらしい(どういうものかは不明)。それで転んでしまって、顔を打って、目の周りが青くなって、メガネが割れて、という惨状で、近くにいた男女(お互い知らない人同士)がオートロックを越えて玄関前まで送ってくださったそうです。

事故後の展開を考えても、日本人やはり親切な人が多いと思う。
この二日間、どれだけ見も知らぬ人たちにお世話になったことか。

でも

あ~二次被害出してどうするんだ、と私は頭を抱えました。
今はとにかく、私なしで無事にいてくれることが一番大事なのに。

リンゴをむいて持ってきてくれました。これは食欲のない私にヒット。あとグレープフルーツとラフランス。ラフランスはその場でむいてくれました。
あと何食べたいかききます。
私も逆の立場だと、何食べたいかきいてしまうので、お気持ちはありがたいのですが、あまり食欲がないわけです。

結局、大騒ぎして帰りました。
都会で頻繁にバスの出る場所だから来られたわけですが
だからこそ明日から通勤してくる恐れがあります。

そしてその恐れは当たりました。
母はうちのオートロックとか二重鍵を開けるのがあまりうまくない。もはやペットボトルを開けるのに器具を使っているくらい腕の力が弱っているのでたぶん難しいんだと思います。
それをがちゃがちゃする音が玄関からするので、私が動かない脚でえっちらおっちら行くと、母が奮闘しています。で、開けてあげます。
来なくていいのに、というのが本音でした。

それでも持ってきてくれたものはありがたかったです。
鮭カマ。
夜焼いてみたら、猛然と食欲がわいてきました。
事故後、欲したのは、果物と魚でした。身体が欲しいのがこの二つのようでした。

水曜日。思えばこの日が、歩けない最後の日だった気がします。
母がいる間にAmazonがやってきて、大きな荷物と小さな荷物を置いていきました。
大きな荷物は、夫が注文した歩行器でした。母が箱から出してくれて、組み立ては夜帰ってくる夫にまかせることに。
小さな荷物はマグバームでした。これは、同い年の友だちが初めて骨折したとき鈍痛が取れると教えてくれて、筋肉痛のときに愛用していたのです。その後母が骨折したときあっちに持って行ったのですが、どうせ持ってこいといっても覚えていないと思ったので、新たに購入したわけです。

そして母は帰っていきました。

夜夫が帰ってきて、歩行器を組み立ててくれました。
正直、移動はアーロンチェアーの方が楽でしたが、歩行器で「右、左、右、左」を思い出せたのはいいことでした。
次の日一日は、歩行器でのリハビリをしていました。
病院で診療報酬取られることもないし、好きな時にできて、疲れたら休んでマグバームを塗ればいい。
私はそもそもこの夏色々運動しすぎて、脚がオーバーワークだったことを思い出しました。働くだけ働かせてマッサージとかしていなかった。
なんとなく疲れがたまっていたかもしれません。
もっと脚を大切にしよう、と思いました。

そして母が通勤してきました。
母は何度も「病院は行かないの?」ときいていたのですが、私は頑として病院には行かないと言っていました。
母は私がきかない子だとわかっていて半ばあきらめていましたが
どうもおともだちにけしかけられたらしい。母は同年代、ほぼ遊ぶ能力が残っている人がいないので(大学の同級生に一人だけ)近所のおともだちといえば団塊ばっかです。で、そいつらがつまんねえ他責論を持ち出して吹きこんだらしい。

母「あのね、今から病院行っても、みてくれるらしいわよ。その事故証明みたいなのを持って行けば」
私「事故証明があろうとなかろうと、みてもらえるのが日本の医療システム。そんなことは知っている。知った上で行かないという選択をした。医療費もかかるし。こんなもの、医療費かけるほどのケガではない」

ここで私が言う「医療費」とは、全体のことです。つまり、十割。整形外科でも行ったら嬉々としてレントゲンとられて、下手すると二回くらいとられて(母の場合には骨折を発見するのに二回必要だった)湿布でも出されるんだろうけど、その全体の医療費のことです。それで治ったあとも、リハビリ通えだのなんだの勧誘され、情弱ジジババはそれに引っかかる。

医療費はみんなが納めた金。私が負担するのは三割でも、あとの七割は満員電車で出勤している会社員たちの世話になる。

それはできない、というのが私の判断。たかがこんな打ち身くらいで、勤労者が必死に納めた金を使うわけにはいかない。ところがどうも、こういう公共心をたいていの日本人とは共有できないみたいなんだけど。折しも普通の風邪の五類化が話題になっていますが、そもそもたかが風邪で病院に行く人たちが謎でした。

でも母のおともだちの団塊ジジババにはそういう公共心はそもそもない。やつらはたかり世代。そして私がバイクの彼に一切の保障を求めないのがおかしいみたいなことを無責任におしゃべりしているらしい。そして母は年取ってハイパーりちぎに拍車がかかったので、そういわれると「病院行って、診断書もらって、相手に請求してみれば」みたいな気分になってしまうようなのでした。ま、それも一時的なんですけどね。たんなる一時的な洗脳だから。

私「医療費使いたくないというのは自己負担分だけではない。医療費全体の話。そして私は彼には請求しない。私はお金にも時間にも困っていない。彼は免許を糧に労働している若者。そんな若者に遊びでスポーツ自転車乗っているだけのアラカンおばさんが請求するのは道義上許されないことだ」と。

この理屈が夫にはすっと通じる。後から選んだ家族は、価値観が似ているわけです。でも生まれ落ちた家族とは、価値観が違うことがある。当たり前。

あと一つ、病院に行ってほしいというのは母の本音だったと思います。結局私の身体だから、外から見るとわかんないわけです。だから本当に折れていないのかとか、実感ができない。それは夫も同様なんだけど、夫は経過をみられる人。経過をみて、「これは治りが早い」と判断し、病院行けと言わなくなった。母は経過をみられない。だからお医者さんのお墨付きが欲しいわけです。自分の安心のために。

結局、検査とか診断とか、そういうのって自分じゃない人のためなんですよね。PCRだってそうでしょう。組織人は今だって、発熱したら検査しなきゃいけない感じでしょ。そしてコロナではないとかインフルエンザではないと証明しなきゃいけない。そして保育園に通う子たちも。結局組織の一員になってしまうと、自分の実感として大丈夫だから、が通じない。自分では寝れば治ると思っても、組織の論理でつらい身体に鞭打って病院行って検査受けないといけない。その結果回復がかえって遅くなるかもしれない。

ただ、それは組織人であることを選んだからであって、自己責任でもあるわけです。組織に守られていることは安心なことなんだから。その安心を選んで組織人となった。自分の選択なんです。安心な身分だから、熱が出たら検査を受けなければいけない。

私はその安心と引き換えに組織の外にいますが、それにはリスクという代償を払っているわけです。いわば自分で勝ち取った自由なわけなので、団塊世代の無責任なおしゃべりに母が一時的に洗脳されたくらいで病院なんて行くわけにいかないわけですよ。

組織人ではなかったから、コロナ禍でもあれほど自由に過ごせた。そして最後に立ちはだかる組織っぽい何かは、生みの親なわけですよ。生みの親自体はさほど悪質ではない。ただ洗脳する人たちがめんどくさいわけです。

お若い皆さんは老害の解像度が低くて、どの年代もまとめてとらえていると思いますが、高齢者になったとき、団塊よりバブル世代はたぶん質がいいです。とてもいい若い時代をエンジョイしたので、団塊より若い世代を大事にすると思う。

「病院病院いうのなら帰って。私は行かないから」と私は言いました。そして母は帰っていきました。そのあと来ないので激おこなのかと思ったら昨日日曜日の夕方に電話がかかってきて、音楽会(公民館の)とかに誘われて忙しかったようです。
地域の誰かがおつきあいしてくれているようでよかったです。

水曜日の夜歩行器を組み立ててもらって、木曜日はそれで遊びました。脚の使い方を色々思い出した。これは、身体アプローチ系のデイサービスを自分で自分にやった感じ。
と同時に仕事にちょこっと復帰。夜ごはんも食べた。冷蔵庫にあったスパークリングワインが美味しそうにみえたので、開けてもらいました。断酒は三日で終わり。

そして金曜日は仕事本格復帰。その成果として投函物まで生まれてしまいました。夕方、ポストまで投函しに行ってみようかと思いましたが、玄関を開けたら寒いのでやっぱりやめて夫に任せることに。

そして土曜日。ゆっくりだけど二本の脚で歩いて、お買い物に出かけました。久々のアウトドア。こんなに外に出なかったのは、コロナ禍でももちろんありませんでした。

続く

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