今月中旬から体調を崩し2週間ぶりの投稿になりました、5月
は四季のなかで一番好きな季節だっただけに、病院通いで不本
意な日々を送る毎日に健康であることの大切さを改めて痛感し
てます。
気力、集中力が減退し毎日のルーテインだったブログを離れて
ましたが体調の回復とともにブログを再開します、更新してな
いにもかかわらず、毎日千人以上の方が訪問、さらにブログラ
ンキングのバナーを押して応援してくれたかたには感謝します。
今月中旬から体調を崩し2週間ぶりの投稿になりました、5月
は四季のなかで一番好きな季節だっただけに、病院通いで不本
意な日々を送る毎日に健康であることの大切さを改めて痛感し
てます。
気力、集中力が減退し毎日のルーテインだったブログを離れて
ましたが体調の回復とともにブログを再開します、更新してな
いにもかかわらず、毎日千人以上の方が訪問、さらにブログラ
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人は心に問題を抱えて苦しいとき、悩んだりしてるとき、他人
に対して優しい気持ちにはなれないもの、逆に心が満たされて
いると優しくなれるもの、それはきっと気持ちに余裕があるか
らかもしれない。
優しさは人を癒すし優しさは相手に安心感を与えることは確かで
ある、ちょっとした優しい励ましや情愛の言葉で勇気づけられ心
が救われることだってある、しかし人はそれぞれ違う、優しさの
捉え方が違う場合がある、だから同じ行為がすべての人にとって
優しいというわけではない、それでも優しさは生きていくうえで
大切なことである。
私が思う本当の優しさとは自分が辛く苦しいときであっても人に
対し思いやりの心を持ち真摯に向き合うことだと思っている、難
しいけれどそんな気持ちを忘れないで生きていきたい。
顔立ちと顔つきは違う、顔だちは生まれつきのもの、顔つきは
後天的なもので自分で作っていくとも言われている、齢を重ね
て経験の重みや他人を受容する気持ちなど自分に対する確信が
顔に現れてくるのかもしれない、精神的に充実して張りのある
日々を送っている人は生き生きとして魅力的なものである。
齢を重ねて髪が薄くなり、しわやしみが目につく、明らかに若
い時より見た目は劣化していく 、それでも姿勢だけでもしっか
り保ち、精神の自由さと老年の豊かさを求めるかぎり、ちがっ
た味が出せるような気がする、それが顔つきに現れるものと私
は信じたい。
悩みというものがこの人生から消えてなくなってくれたら、ど
んなにいいだろう、そう思っている人が大半であるはず、仕事、
病気、結婚や恋愛、子育て、家族、自分自身の生き方、挙げれ
ばキリがない。
人間は傲慢な生き物で何事もなく過ごしていれば何にも気づくこ
ともなく、何からも学ばず、成長もないまま日々をやり過ごすだ
ろう、しかし悩みが降りかかってくれば、そうはいかない、多く
の人は様々な悩みに直面した時はじめて、そこから何かを学ぼう
とする、悩みにどう向き合いどうかかわっていくか、本人の姿勢
いかんにかかっている。
だから私はどんな痛い目にあっても、あの時の苦しさ、つらさに
比較すればどうということはないと思うようにしている、そして
どんな悲しみやつらさもプラスに転化しようとする意欲がある限
り必ずなんらかの形でその人の糧になるはずである、なぜ悩みは
つきないだろうか?と思うこともあるけど悩みがあるのが生きて
る証しだと思って生きることこそ大切なことかもしれない。
みんなで作りあげてきたこの大切なブログをタマが生きてる間
に1位にしてあげたいという夫やママの願いはかなわなかった
という余命宣告ブログは終了してた思ったら、いつのまにか再
開してブログ村のシニア部門にランクインしてるのに気づいた
のは数日前だった。
今回は1位を目指してはいないものの内容は3ヵ月たっても同
じで余命わずかという言葉が頻繁にでてくる、しかし上位にラ
ンクインしないのは、さすがに読者もお騒がせブログというか
創作ブログには食傷気味でアクセスが伸びてない。
小学生の子供がいるタマちゃん、闘病ブログに参加しないでシ
ニアブログに参戦、狙いはアクセス?自己満足?広告収入?謎
である。
65歳主婦の投稿記事に注目した、現在70歳の夫と二人暮ら
し、女性はスポーツジムに行くと仲間やインストラクターと話
すが外出しなければ話し相手は夫だけ、夫が仕事で不在だと日
中、誰とも話さない、だから自分で積極的に話す機会を作りた
いという内容だった。
最近病院では医師が患者に「今日何人と話しましたか?」と問
いかけるという、それは老人性のうつ病や認知症を懸念してか
と思うが、やはり歳を重ねるにつれ話す相手が少なるのは仕方
がないかもしれない。
高齢の夫婦の日常は投稿者のようにそんなものかもしれない、
私自身普段会話するのは妻だけがほとんどである、この女性の
ように積極的に話す機会を求めるのも一つだし、現状を受け入
れ一人になったときに孤独に耐える覚悟も必要だと思っている。
脳梗塞で右半身不随、さらに病気のデパートように次から次へ
モグラたたきゲームのように回復不可能な病気が現れる、73
才男性「苦しみが教えてくれたこと」という記事の一節である。
入院するたびに病気は重くなる、苦しみはすでに日常のものと
なっているから黙ってつきあうしかない、落ち込むこともある
がくよくよしても何の役にもたたない、ただ病気という抵抗を
もっているからその抵抗に打ち勝ったときの幸福感は格別のも
のがある、病という抵抗のお蔭で何かを達成したときの喜び、
歩けたとき、食べれたときはたとえようのないものであるとい
う。
そうやってささいなことに泣き笑いしていると昔健康で無意識
に暮らしていた頃と比べて今のほうがもっと生きてるという実
感を持っていることに気づくと前向きな言葉で結んでる、それ
から3年後76才で永眠したがまさに「苦しみが教えてくれた
こと」から私自身学ぶものがある内容だった。
「ブログを書くと頭がよくなる」これは日本一のニートと呼ば
れてる京大卒45歳のブロガーphaさんが著書のなかで書かれ
てる言葉である、ブログ歴15年、ブログを書くことで人生は
大きく変わったという。
京大を卒業してサラリーマンになったが28歳で退職、その後
無職になったが暇つぶしに書いてた趣味のブログが出版社の目
にとまり著書「しないことリスト」が多くの読者から支持され
文章を書く仕事をするようになった。
著書のなかで彼は人間は忘れてしまう、文字にしてしまうと読
み返し前に考えたときの見方や知識をよみがえらせることがで
きる、また他人が読むかもしれないと思うから何度も推敲して
わかりやすく書くことを心掛ける、当然頭を使うから頭がよく
なるのでは?というのがphaさんの持論だが、私自身ブログを
書くことはある意味頭の体操だと思ってるので同感である。
一家団欒という言葉から浮かんでくるのは家族そろって食事をと
る、家族そろって同じテレビ番組を見る、家族そろってお茶やお
やつを楽しむ、家族水いらずの会話を楽しむなどのような気がす
る。
私が子供のころは炬燵を囲んでみかんを食べながら、一日あった
ことを両親、弟と話したり、テレビがないころはラジオを聴いた
りしたものだ、なにしろ自分の部屋もなかったから茶の間にいる
時間が多かった、今思えば貧しく不自由な時代だったかもしれな
いがそれが当たり前だった。
首都圏在住および中学生の子供をもつ主婦600名を対象に「一
家団欒に関する意識と実態」の調査結果によると一家団欒が週7
回も行われてる家庭が27%もいるというのは意外だった、現在
は昔と違い自分の部屋もあり、テレビもそれぞれの部屋にあり、
スマホも各自持ってる、一家団欒の機会が少ないと思ってただけ
に意外だった。
振り返ってみると子供のころは自分の毎日を両親に委ねてる、一
家団欒のなかで親はこどもの成長を確認し、それが生きがいだっ
たかもしれない、親にとって一家団欒がいつまでも続くわけでは
ない、子供はいずれ家を出ていく、人生のほんのひと時のような
気がする。
人は生きてくうえで心の中に葛藤、不安、とまどい、自己嫌悪
を抱えている、日常は楽しいことばかりでなく誰もが難題を抱
えながら今日を明日へつないで生きている。
人間はひとりひとり違う、それぞれ別の人生を歩んでる、似て
るようで育ちも環境も違う、同じことをしても楽しいという人
もいればつまらないという人もいる、いわゆる価値観は似てる
ようで違う、だから人に誤解されても褒められてもけなされて
も、私はあまり一喜一憂しないようにしてる、そもそも人に正
確に理解されることなど、なかなかないと思っている。
人に対して期待しすぎない、他人をあてにしない、他人を変え
ようとしない、人から受けた恩は忘れない、そして自分がされ
ていやなことは人にしない、人間関係で私が気をつけてること
である。