団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

人間だけが長生きする生物だ

2022年04月30日 | 寿命

小林武彦氏の著書「生物はなぜ死ぬのか」のなかで生物の平均

寿命が書かれてる、人間は80歳、アフリカゾウは70年、ツ

ルは40年、アヒルは20年、犬猫は15年、ネズミは2~3年

、昆虫は1~7年である。

 

人間の平均寿命を辿ってみると平安時代は31歳、当時の人口

は700万人、江戸時代は社会情勢も安定して38歳まで延び

た、ちなみに徳川家康は長生きで73歳まで生きた、明治大正

時代になると女性は44歳、男性は41歳、しかし戦争中は3

1歳、戦後は順調にのび最近100年で寿命が2倍に延びた生

物は人間以外いない。

 

戦後日本人の平均寿命が延びた大きな理由のひとつは乳幼児の

死亡率が低下したこと、栄養状態がよくなったこと、子どもの

免疫力を高め病気になりにくくなったことと言われてる、そし

て医療の発達も長生きの要因かと思われる、実際死亡率が上昇

するのは85歳からと言われてるだけに人間だけが長生きする

生物であることは間違いない。


自分のための人生を生きるには

2022年04月29日 | 生き方

誰でも人には嫌われたくないから気づくと誰にでもいい顔をし

てしまいがち、ついついいい人を演じてしまい、自分を苦しめ

しまうことはよくあることである、本当は人は自分が思うほ

ど自分のことを気にかけてくれないもので、それが普通なのだ。

 

他人に気に入られる自分より、自分が好きな自分になること、

人のための人生でない自分のための人生を生きること、確か

人間関係は大切、でも人間の最大のストレスは人間関係であ

る、そのことに異論を唱える人はいないような気がする。

 

人生はひとりで楽しい、みんなで楽しいの両方が必要でどちら

が欠けても人生は楽しくないと、漫画家の小池一夫氏はエッセ

イで述べてたがそれは現役世代に向けたメッセージだと思って

る、老後の生き方の基本は孤独である、誰にも邪魔されず、人

に気を遣わずに済む自分だけの時間、それだけで人づきあい

ストレスは激減するはずである、人生の後半期は自分のために

生きる、大切なことだと思っている。

 


老いが幸せを奪うというシニア女性の不安の声

2022年04月28日 | シニア女性の悩み

人生の幸せは後半の生き方で決まると言われてる、前半の幸せ

が目標に向かってまっすぐ進むことから生まれるのに対して後

半の幸せな道は定められてないから自分で考えてうまく進まな

いとその実現は難しい。

 

何をもって幸せとするかの価値観は人それぞれ、それでもいつ

の時代も幸福度を左右するのは健康であること、経済的な不安

のないこと、そして人と繋がっていることが挙げられる、その

なかで健康、老いが幸せを奪うというシニア女性の不安の声を

集めてみた。

 

■耳、歯,眼、膝など体中のあらゆるところが不調、この先1

00歳まで生きたらどうなるだろうか(80歳)

 

■コロナ禍で外出を控えたら足腰が弱くなってしまった、好き

だった旅行をいまさら再開できるだろうか(77歳)

 

■変形性膝関節症、脊柱管狭窄症による痹れがある、足腰が弱

いと買い物も不自由(89歳)

 

■両目が緑内障に、失明が不安(67歳)

 

■3S(しみ、しわ、白髪)が増えて鏡を見るのがいやになる

(82歳)

 

■高血圧、脂質異常症で肥満、ダイエットも続かず膝も痛い

(63歳)

 

■耳が遠くなり友達との会食に参加してもマスクやパーテー

ョンによって会話が聞き取れない(67歳)


みんな仲良くという幻想は捨てたほうがいい

2022年04月27日 | 人間関係

多くの人は身近な人との親しいつながりが大事だと思っている、

だから友人や同僚との関係を壊さないように神経が磨り減るく

らい人づきあいに気を使う、その結果大事なはずの相手との関

係を重苦しく感じるという矛盾した意識が生まれる。

 

これは社会学者の菅野仁氏(1960~2016)の著書「友

だち幻想」のなかの言葉である、いわゆる同調圧力である、そ

の原点が小学校に上がる頃に誰もが耳にした「一年生になった

ら友だち百人できるかな」という歌で、友だちをたくさんつく

ることが望ましいと刷り込まれた人は多いはず、学校はみんな

仲良く、みんなでひとつだという友だち幻想が強調される場所

になってる。

 

しかし菅野氏が指摘するようにみんな仲良くの重圧から解放さ

れない限り、60代、70代の高齢者になっても人付き合いの

悩みは続くものである、そう考えると友人や同僚に誘われても

気がすすまなければ断る勇気も必要だし、みんな仲良くという

幻想は捨てたほうがいい。

 


老化を受け入れて生きるしかない

2022年04月26日 | 老後の生き方

今は元気で安定していても明日のことは誰にもわからない、最

後までわからないと思って生きるしかない、齢を重ねると不安

材料を探したらキリがない、知能も体力も落ちるのは仕方がな

いことだ。

 

どうしてもあちこちの具合が悪くなってくる、ひとつ治らない

うちにまた別のところが悪くなるとといった感じで心身の衰え

はいやでも進行してくる、そして老いへの不安の先にあるもの

は死への恐怖、死は常に思いがけない形で襲いかかってくる、

いつどんな形でやってくるかわかったものではない。

 

だから今は短いスパーンで今日は体調がいい、晴れて気分がい

い、一瞬でも一日でも楽しかったと思えることがあればそれで

十分、老いは変化であって退化ではないという人もいるけれど、

そんなことはない、やっぱり退化だと思う、どんな強者も年を

とると弱者になる、それは間違いない、やっぱり老化を受け入

れ今の体力で生きることに集中するしかない。

 


夢を実現することだけが人生の目的ではない

2022年04月25日 | 生き方

人は誰も幸せな人生を送りたいと願い、こうありたい、明日は

そうなれるかもしれないと夢を追いかけていく、だからこそ頑

張れるのだ、もしかしたら実現しないかもしれない、それでも

夢を追いかけていく、いつのまにかそれが生きがいになってい

く、若い時は誰もがそんなときがあったはずだ。

 

そんな夢がかなわなかったとしても、夢を実現することだけが

人生の目的ではない、夢に向かって一歩ずつ進もうとするその

力が尊いのだ、たとえあきらめを積み重ねて齢をとったとして

も加齢が人に知恵を与えてくれ悲しみは人を深くしてくれるこ

とは間違いない。

 

老いた人間に必要なことは今もやることがあるということで、

できることをすればいい、それが若い時に描いた夢でなくて

もいい、老年期にに入ってからの時間、したいことがなんで

できる自由が待っている、それは人それぞれ違うかもしれ

ないが、いる場所で楽しんで生きることが大切だと思ってい

る。


家事が孤独に耐える訓練だった57歳女性

2022年04月24日 | 夫婦

コピーライターの野田敦子さん、3年半前にご主人が脳内出血

で倒れ植物状態になった、大学2年でご主人と知り合い卒業後

すぐ結婚したため一人暮らしの経験がなかった、ご主人が倒れ

た直後ぼんやりと立ち寄った書店で老後をひとりで生きるため

のノウハウ本を手にしたのも不安だったからだ。

 

それでも生活は崩れなかった、食事はしっかり作りあと片付け

も手早くこれまで以上に規則正しく暮らした、そして案外ずっ

と一人だったかもしれないと思った、家事を繰り返すなかで一

人に慣れ少々の事では崩れない自分を作った、数十年に及ぶ

事というルーテインワークは孤独に耐える訓練だった。

 

これは「献身と保身のはざまで」というタイトルで全国24紙

連載された野田敦子さんのコラムの一節である、当時57歳、

ご主人が倒れ入院、そして植物状態という宣告、失意のどん底

のなかで自分を奮い立たせようとする強い覚悟が感じられる

容、だからこそ介護に悩む多くの人からの反響があったこと

頷ける。


人間関係で腹が立ったとき

2022年04月23日 | 人間関係

人間というのはかっとなると何をするかわからない動物である、

法律で禁じられてもその場ではなんの抑制にもならない場合が

ある、最近の犯罪行為を起こした人間をTVや新聞で見ると反省

の色など微塵も感じられないケースが多々ある、中には死んで

もよいから相手を倒したいと向かっていく。

 

ふだんの人間関係でトラブルになり人間関係がこじれるのはよ

くあることで仕事関係、学校、家庭、友人間、普通はトラブル

になるえに距離を置き、冷静になるのが普通だが相手に対す

る感情簡単には消えないものだ。

 

理不尽な言動で誰かに腹を立てるのは長い人生で誰もが経験す

ることで、ゆずれない部分で対立して険悪になることもある、

衝突してすっきりすればいいけど、そう簡単にはいかない、

んなときは自分を落ち着かせる、自分を抑えることが自分の

になると言い聞かせる、そして対話で解決できない相手だと思

ったら、とにかく関わらないで離れることだ、74歳の実感と

してそう思う

 


死について恐怖感はないけれど

2022年04月22日 | 老後の生き方

人間いつかは死ぬだろうけど、いつどんな死に方をするかはわ

からない、病気で苦しむかもしれない、災害にあうかもしれな

い、だから齢をとっても死をぼんやりとイメージできるが真剣

に考えることは正直少ない。

 

畳の上で死にたい、家族に見守られて死にたい、苦しまず眠る

ように死にたいという声をよく聞くが私の両親の場合、いずれ

にもあてはまらなかった、二人とも病院でひっそりと亡くなっ

た、せめて臨終に立ち会って一言声をかけることができたらと

悔やまれる。

 

私自身死について恐怖感はないけれどそれよりも死ぬ手前の期

間、認知症になったら、介護状態になったら、高齢者施設の

居の手配、延命治療等自分が身体的に思いどうりにいかなくな

った時のことが一番気がかりだ。


この先何があるかわからないけれど

2022年04月21日 | 老後の生き方

つらいことや悲しいことがあった時人は自分をどのようにして

支えているのだろうか、それは人それぞれ違うかもしれないが

私は好きなことをしたこと、楽しかったことが今の私を助けて

くれたことは間違いない。

 

例えば音楽というのは人が毎日生きていく力のひとつになると

思っている、好きなアーテイストがいて好きな曲を聴くと胸が

じーんしてその頃にタイムスリップ、当時の懐かしい景色と人

間模様が映画のワンシーンのように蘇ってくることがある、そ

んなささやかな陶酔感といったものが人が生きていく支えに

ると思っている。

 

人生は長いようで短い、短いようで長い、この矛盾した気持ち

を抱きながらここまで生きて来たし、これからも生きていくだ

ろう、この先何があるかわからない明日が見えない時代、それ

でも一瞬でも一日でも、ああ楽しかったと思えることがあった

それでよしという思いで生きている。