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団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

いざという時のために

2022年06月28日 | 生き方

人生のなかで不幸や辛いことは突発的にやってくる、人間は人

生の悲しみやつらさから誰も逃れられないけれど不幸に直面し

た時、自分の心をどうコントロールするかが大切である。

 

いざというとき精神的ダメージをいかに少なくするか、ふだん

から養っておくこと、そして不幸や苦しみは自分ひとりに起こ

ってるのではないと認識することが大切、私の場合、両親の認

知症、介護の問題、闘病生活、延命治療、そして両親の死と、

晩年の親との10年が自分も年老いただけにある意味、私の心

に重くのしかかった。

 

苦しみや不幸があるから私たちは生活でなく人生を考えるので、

もし健康で満ち足りているならば生活のほうばかりに気をとら

れ生きていることの意味や人生について考えないかもしれない、

だからいざという時のために最悪の事態を想定して自分をコン

トロールすることが大切だと思っている

 


老いてこその青春とは

2022年06月25日 | 老後の生き方

認知症と友だちになったという作家の森村誠一氏が「同世代の皆

さまへ」というエッセイのなかで齢を重ねると老いには少しの勇

気が必要だということがわかったと述懐している。

 

老いると思いがけない病気にもなるし、私生活のことで悩んだり

もする、そんな予想外の出来事の危機に立ち向かう勇気が必要だ

という、そしてもうひとつ夢を抱く勇気、人生とは夢をもつこと、

幾つになっても夢はもてるし、小さな夢でも生きがいにつながる、

認知症になったからこその新しい発見かもしれない。

 

生きがいが孫の成長だったり、庭木に咲いた花や散歩の途中で、

出会った変化だったり、カラオケや飲み会だったり、音楽や写真

だったり、人それぞれ違うかもしれないが、小さな生きがいが老

いの希望につながる、それこそ氏が実感してる老いてこその青春

のような気がする。


自分の年齢と向き合いながら

2022年06月24日 | 老後の生き方

先日会社員時代の後輩かが電話で「もう67歳になりました、も

う年です」と言ったけど私から見ると60代はまだ若い、私が定

年退職したときは64歳、今思えばまだ若かった。

 

現在74歳、今では新聞の社会面の訃報に目を通す習慣がついた、

自分と同世代の訃報は気になるもので、そんな時思うのは自分は

いつまでいきるのだろうか?正直そんなに長くなくていい、さほ

ど執着はない、かといって投げやりというわけでもない、自然に

淡々と自分の寿命を生きることができればいいと思っている。

 

齢をとるというのは多くの過去を持つことである、自分の年齢と

向き合うと、そう実感する、老後の不安は誰もがもっているもの

で自分だけではない、健康やお金、家族の問題、あげればいくら

でもある、それでもいつかは死んでいく、間違いなく死んでいく、

そう思うから人は生きていけるものかもしれない


過去をふりかえってみると

2022年06月22日 | 老後の生き方

過去を振り返ってみるとと嫌気がする自分に気づいたり、誇り

をもった自分に再会することがある、当時の行動が本来の自分

とは違ってたと思う後悔の念、逆にあの時の自分は最善を尽く

してやっぱり正しかったんだと改めて評価できる自分、色んな

ことが思い出される。

 

いいことも悪いことも元に戻ることなどできないし、過去のこ

とを分析しても同じ未来がくるとは限らない、だから過去にと

らわれないためには過去とは変えられないことを知ることだ、

それよりも今をどう生きるかを考えることが大切なことだ、そ

れは齢を重ねたからこそ気づいたことかもしれない。


75歳以上が自ら生死を選べたら

2022年06月21日 | 

先日カンヌ映画祭で早川監督の「PLAN 75」が特別表彰をう

けた、少子高齢化が進み、75歳以上が自ら生死を選べる制度

が導入された内容である、そして近未来の日本が舞台で主演の

倍賞千恵子さん(80歳)が制度を利用すべきか悩む78歳の

女性を演じている。

 

私たち高齢者にとっては関心のある話題であるが、5年前今は

亡き脚本家の橋田壽賀子さんが著書「安楽死で死なせて下さい

」のなかで、治療しなければ罪という文化の見直しを、日本中

の家族の負担だらけになる前に死に方を選ぶようにしておくべ

きですと提言している。

 

延命措置を行わないで自然に死を迎える尊厳死、人間を苦痛か

ら解放してあげるために薬物療法などにより死に至らせる安楽

死、いずれも日本の法律では認められてない、しかし他人に面

倒をかけたくない、そうなる前に死に方とその時期の選択ぐら

い自分で選択できないものかと思うのは私だけではないような

気がする、そう意味で話題を呼んでる今回の「PLAN 75」

は興味深いものがある。


仕事と人間関係について思うこと

2022年06月20日 | 人間関係

仕事というのは生活の手段、そういうふうに割り切って考える人

もいるだろうし、仕事そのものが生きがいという人もいるだろう、

一度しかない人生だから、できるだけ自分にふさわしい仕事を選

びたいと誰もが思っている。

 

ただ企業の目標は利益の追求である、その目的のために十人十色

の人間が集まる集団、時間的に制約も多い、中には相性の悪い人

間もいる、そういう時は生活のためと割り切り付き合うしかない

場合もある。

 

それでも仕事の達成感が支えになるときがある、そして職場とい

うのは仕事だけでなく人間関係を学ぶ場所でもある、なぜかとい

うと職場での悩みの多くは私の経験では人間関係だと言ってもい

い、それだけ仕事のなかで人間関係は大切だと思っている。

 

 

 


ただ人がいる場所にいたいと思うとき

2022年06月18日 | 人間関係

齢を重ねるにしたがって人との関わりが増えていくものである、

そんな人の中に会うと元気になる、気分が上がる、無理に話そ

うとしなくても場がもつ、いわゆるウマがあう人がいる。

 

その人といると気がつかなかった自分の感情、願望が引き出さ

れる居心地のいい友人、それでも人との関係は流動的でいつの

まにか疎遠になってしまった、今はコロナ禍もあり、ほとんど

人と会うこともなくなった

 

それでも時々人とつながっていたいと思うときがある、魂にふ

れあいたい、誰かと話したいというわけではない、雑踏の中で

耳にする人々のさりげない会話をきくだけでもいい、ただ人が

る場所にいたい、そんなことを思う時がある。


諦めてできることに希望を

2022年06月15日 | 老後の生き方

自分の力で変えられること、自分の力で変えられないことがある、

変えられることは変える努力をすればいいし、どうにも変えられ

ないことは執着しないであきらめることも必要だと私は思ってい

る。

 

諦めるとは精一杯やったことを明らかに認め、諦めるというのが

語源といわれている、だから決してネガティブだとも思えない、

誰かを羨ましく思ってもその地位や名誉が自分の裁量でどうにか

できるわけでもない、自分の力でえられないものにはとらわれ

てはいけない、それが幸福への近道のような気がする。

 

私の場合大腸に持病を抱えてる、大好きな肉類を食べれない、

に数回の痛みを回避するには我慢するしかない、事や生活習

を変えることで、なんとか乗り切れてる、残念だが食べたいもの

諦めることで体調を維持することができてる、の中100%

自分の思いどうりになるなんてことはない、それ諦めてでき

ることがあるはず、そのめてできることに希望を見出したい。


報われる努力と報われない努力

2022年06月11日 | 生き方

運というものが人生を大きく左右することは間違いない、運よ

りも努力を信じて生きたいけれど人間の世界ではどんなに頑張

っても成就しないことがある。

 

結果がすべての社会に生きていると努力には報われる努力と報

われないがあることは確かである、そもそも努力は美徳とされ

ている、私たちは学校では努力することはいい事だと教えられ

てきた、例えばスポーツの世界でオリンピックで金メダルをと

ったアスリートの言葉として「努力したから夢が叶った」「こ

の日のために頑張ってきた、努力は裏切らなかった」金メダル

を取ったからこそ説得力もあり感動を与える、まさに報われる

努力である。

 

一方期待されながらもメダルに届かなかったアスリートの言葉

は聞こえてこない、本当はメダリストと同じ努力をしたのかも

しれないが努力と言う言葉は封印されてしまってる、努力すれ

ば必ず報われるものではないが運も味方しなかったかもしれな

い、でも報われなかった努力だけど無駄な努力ではなかったは

ずである、人生は長いこれからだとエールを送りたいものだ。


高齢男性はひとりの時空を楽しんでいる!?

2022年06月07日 | 老後の生き方

経済的に十分余裕のある高齢者でも何をしていいのか戸惑って

る人が実に多い、実際地元の図書館に行くと開館前から待って

いる60代から70代と思われる男性が8人、開館後の新聞コ

ーナーでは一つしかない経済新聞をめぐり、小競り合いを目撃

した。

 

これはある定年本に書かれてる一節であるが、本当だろうか?

私も図書館に行くことがあるがこんな光景など見たこともない、

さらにこんなことも書かれてる、大型のショッピングセンター

では、ゆったりとしたソファーにすわってるのは、ほとんど

齢の男性で、ひとりで新聞や週刊誌を読んでる人が多い、みん

ひとりぼっちで実に寂しい。

 

いずれも高齢男性は寂しい、居場所を失ってるという否定的

調とステレオタイプの高齢男性像を作りあげてる感じがしてな

らない、しかし実態は誰にも気兼ねなく、誰にも気を遣わず、

ひとりの時空を楽しんでいる男性高齢者が多いのではないかと

っている。