団塊シニアのひとりごと

定年退職して13年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

かつての人間関係に執着しない

2021-07-31 05:45:43 | 人間関係

10年前定年退職したとき、OB会の誘いがあった、正直迷った、

同調圧力みんな一緒主義を感じながらも結局入らなかった、しが

らみのない組織はないし、もう会社の延長戦にある人間関係から

解放されたかった。

 

若いときは考え方が違ってもつきあえるもの、ビジネスの社会で

当然のことだった、ただ退職すると基本的に考え方の違う人と

無理してまでつきあいたくはなかった、他人の評価にふりまわさ

れながら生きてきた現役時代、年齢とともにそれが希薄化してい

く、そして他者の存在も希薄化していく。

 

このコロナ禍で誰かと会って話すこともなくなった、特に会いた

いとも思わなくなった、もうかつての人間関係に執着しない、新

しい生き方を始めるのに遅いことはないと思っている今日この頃

である。


家族が後悔しない最期とは?

2021-07-30 05:41:30 | 

延命治療とかはしてくれるな頼むな」と言ったにもかかわ

らず亡くなるまでの2ヵ月間父はベッドの上で苦しんでいた、

医師の提示する治療を拒否するなんて考えもしなかった、こ

れは雑誌東洋経済「親を看取った600人の本音」のなかで

76歳の父親を亡くした息子さんの後悔の念が綴られた一節

である。

 

 

私の父も86才で亡くなって10年、亡くなる半年前に入院

してた病の医師から言われた言葉を思い出す「何もしない

と明日ま持ちません」延命治療の選択を迫られた、考える

時間を与えてくれない、治療をしないでいいと言えない雰囲

気である、もし治療中止を希望すれば見殺しにしたと後悔に

苛まれると思った、結局延命治療をお願いした。

 

気管切開して人口呼吸器につながれ、手にはミントがはめら

た状態である、痰がつまらないよう数時間ごとに痰を吸引、

最後に対面したときは苦悶の表情の父、さぞかし苦しかった

のではと思う、いまだに忘れられない、家族が後悔しない最

期とは?父が亡くなってからずっと思ってることである。

 


下り坂も新鮮で悪くない

2021-07-29 05:42:36 | 生き方

老いると体力も下り坂、若返ることもなく、元気になったり頭が

よくなったり上向きになることはほとんど期待できない、それが

老いるということ。

 

どんな強者も年をとれば弱者になる、そんなありのままを受け入

れることは老人にとってたやすいことではない、それでも絶望す

ることはない、老いることは退化でなく変化だと思えばいい、そ

して好奇心だけは失わないでいたい。

 

かつて味わったことがない経験、自分の新しい現実を受け入れる、

そう考えると下り坂も新鮮で悪くないと思っている。

 


「若く見えますね」という褒め言葉

2021-07-28 05:44:35 | 言葉

エッセイストの酒井順子氏が年齢のマナーのなかで年齢なんて関係

ないというフリをしつつも実は年齢にものすごくこだわっているの

が日本人であると語っている。

 

 

実際「いくつに見えます?」この台詞を言う人は大概、自分は実

年齢より若いと思っている、だから実年齢より若い数字を答えて

くれることを期待している、だから間違っても実年齢より上の年

齢を言おうものなら気まずい雰囲気になるのがわかるものである。

 

 

実際若ければ若いほどよいという風潮があることも確かである、

それが齢を重ねれば重ねるほど強くなるのが日本人なのかもしれ

ない、「若く見えますね」というフレーズが、何歳の人に対して

もこの上ない褒め言葉であることは間違いない。

 

 


人間の感情は今も昔も変わらない

2021-07-27 05:35:07 | 生き方

物質的に恵まれ便利な世の中になったけど、人間の感情は昔も

も変わらないような気がする、例えば相手のためにやったの

に、感謝の言葉がなく、毎回当然のように思われてるとしたら、

決していい気分ではないものである。

 

一方、褒められたり感謝されると人間やる気がでるもの、普通

たちが理解されたと思うのは褒められたり感謝されたときで

ある、人に褒められ、感謝されると自分を理解してくれた思い

やすいもの、自分を肯定てくれた人を認めたいのも人間の感情

である。

 

そう考えると時代や状況が異なっても、そこに生きる人たちの

びや悲しみや怒りなど、それほど変わらない、人間の感情は

昔も今も変わらないようというのは当然かもしれない。