人は好きなことがあれば自分を取り戻すというのは本当だと
思う、同じ景色を見て何も感じない人もいれば感動する人が
いるように人それぞれであるが、人生の後半、好きなことが
あることは生きる力になることは間違いない。
多くの人は身近な人との親しいつながりが大事だと思っている、
だから友人や同僚との関係を壊さないように神経が磨り減るく
らい人づきあいに気を使う、その結果大事なはずの相手との関
係を重苦しく感じるという矛盾した意識が生まれる。
これは9年前に56歳の若さで亡くなった社会学者の菅野仁氏
の著書「友だち幻想」のなかの言葉である、いわゆる同調圧力
である、その原点が小学校に上がる頃に誰もが耳にした「一年
生になったら友だち百人できるかな」という歌で、友だちをた
くさんつくることが望ましいと刷り込まれた人は多いはず、学
校はみんな仲良く、みんなでひとつだという友だち幻想が強調
される場所になってる。
しかし菅野氏が指摘するようにみんな仲良くの重圧から解放さ
れない限り、60代、70代の高齢者になっても人付き合いの
悩みは続くものである、そう考えると友人や同僚に誘われても
気がすすまなければ断る勇気も必要だし、みんな仲良くという
幻想は捨てたほうがいいというのが77歳の私の実感である。
何が幸福で何が不幸か、それを測るものさしというものが、あ
るのかどうか、あいまいで漠然としている、だから何を基準に
するかというと他人である、他人と比較して自分の幸、不幸を
決めやすいものだ。
本当は他人との比較ではなく幸せかどうかは、本人がそう思え
る気持ちの問題のような気がする、今をある程度、満足で幸せ
だと謙虚な気持ちで思える人はいくつになってもそう思えるは
ずである。
老後は特別でなく人生はつながっている、地味で単調で、なに
より忍耐が必要なのが人生の後半といわれる老後かもしれない、
それでも平凡な一瞬一瞬に幸せを感じることができれば恵まれ
た人生だと私は思っている。
今年喜寿を迎えた、70歳を超えられただけで幸せだと思う、
あとはおまけの人生、楽しくするのも、つまらなくするのも
自分次第、プラス思考で生きていきたいものだ。
もし病気になったらどうしよう、歩けなくなったらどうしよ
う、認知症になったらどうしようとマイナスの想像はいくら
でも出てくるけれどいい人生を送るにはマイナス思考は厳禁
だ、なぜならマイナスにとらえようがプラスにとらえようが、
それほど残された時間的余裕があるわけではない。
そう考えると人生は考え方一つで変わるものかもしれない、
人生はなるようにしかならないと腹を据えて自分が与えられ
た条件の中で精一杯生きることに大きな意味があると思って
いる。
現在高齢者(3623万人)の経済格差は2:8:2の3段階に
分かれると言われてる、最初の2割が富裕層で悠々自適で全く不
安なし、次の6割が中間層であるが不安を抱えてる、最後の2割
がボトムの困窮者で明日の生活も困る層である。
現在の高齢者は医療の進歩もあり元気で定年退職後をアクティブ
に行動する人が増えてるのも事実である、その分交際費もかかり
生活を圧迫している、一番恐いのは病気になることと浪費癖と言
われてる、さらに住宅ローンの返済を抱えてれば苦しいのは当然
である。
やはり収入が減るのであれば2割の富裕層以外は生活レベルの見
直しが必要だろう、そして経済格差が変わらないのであれば、せ
めて生き方は前向きに生きたいものだ、そして限られた条件のな
かで楽しみや幸福を感じる生活を見つけ出すことこそ老後の人生
で大切だと思っている。
人間関係は流動的で時間ととももに変わるものである、5年前
に気が合った人と今も合うとは限らない、果たして自分にとっ
て必要なつきあい、いわゆるつきあいたい人、つきあいたくな
い人とはどんな人だろうか?
私にとってつきあいたい人の基準は一緒にいて居心地がいいか
というのが基準になる、逆につきあたくない人は一緒にいて居
心地の悪い人である。
会うと元気になる、一緒にいると安心できる、くつろげる、癒
される、楽しい、勇気づけられる、そして大切なのは無理に話
そうとしなくても場がもつ、こんな人とは長くつきあいたいも
のだが、なかなかいないものである。
現在非正規雇用労働者が40%ということもありきょうだい間で
の収入格差の問題は深刻である、現実問題として35歳~44歳
でパラサイトシングルとして親が生活の面倒を見ている独身者が
100万人以上存在する。
また結婚しても「夫の稼ぎが悪いと嘆く娘にちょくちょく小遣い
を渡す」 「いずれ介護してあげるといった息子夫婦に二世帯住宅
建設の資金を渡す」など経済的に困っている子供や将来頼れそう
な子供に援助をしてやりたいと思うのが親心というもの、これが
一人っ子であれば問題ないがそうでない場合、ほかの子供と同じ
きょうだいなのになぜこんなに差があるかという反発や嫉妬を抱
いて格差が問題になってくる。
そして自分ばかり損をしてきたという恨みの気持ちも沸いてくる、
さらに問題を複雑にするのは配偶者の存在、親からの支援に差が
あった場合、本人は納得していても妻や夫が「あのとき不公平だ
った分相続では多く受け取る権利がある」と主張する例で相続人
の配偶者が口出しするとトラブルは長期化するといわれている。
かつては同じ家族であったきょうだいも今はそれぞれ別に家族が
いる、人生をともにする運命共同体はきょうだいではなくもはや
配偶者や子供だという悲しい現実があることも確かである。