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団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

会わないで終わる人間関係

2025年05月15日 | 人間関係

長い人生の中で自分の生き方に影響を与えてくれた人、成長させ

てくれた人を時々思い出すことがある、感謝の言葉もいえず疎遠

になってしまった人たち。

 

そんな大切な人たちに、その後連絡を取らないことに逡巡するこ

ともあった、しかし現実のつきあいはその時で終わったこと、そ

れよりも思い出に感謝し、相手が残してくれた心の宝をいつまで

も大切にすることこそ重要だと思っている。

 

会えば懐かしいかもしれないが、その当時の輝きが色褪せてしま

うことだってある、思い出の宝を大切にしたいなら、会わないで

終わる人間関係、再会にしがみつかない人間関係があってもいい

のではと思う今日この頃である。

 


人間関係で私が気をつけてること

2025年04月21日 | 人間関係

人は生きてくうえで心の中に葛藤、不安、とまどい、自己嫌悪を

抱えている、日常は楽しいことばかりでなく誰もが難題を抱えな

がら今日を明日へつないで生きている。

 

人間はひとりひとり違う、それぞれ別の人生を歩んでる、似てる

ようで育ちも環境も違う、同じことをしても楽しいという人もい

ればつまらないという人もいる、いわゆる価値観は似てるようで

違う、だから人に誤解されても褒められてもけなされても、私は

あまり一喜一憂しないようにしてる、そもそも人に正確に理解さ

れることなど、なかなかないと思っている。

 

人に対して期待しすぎない、他人をあてにしない、他人を変えよ

うとしない、人から受けた恩は忘れない、そして自分がされてい

やなことは人にしない、人間関係で私が気をつけてることである。


人との出会いで素敵なことは

2025年02月25日 | 人間関係

人生には何度も思いがけないことが起きる、事故や災害、病気

もそうだが人との偶然の出会いというものがある、家族もそう

だが誰かとの出会いなどはそうだ。

 

学生時代の仲間、社会人になって同じ場所で仕事をすることで

上司、同僚、部下社員、そして取引先から影響を受けることが

ある、というのは仕事の意欲は使命感もあるが他人から認めら

れ賞賛されることで一気に増すことがある、だから自尊心やプ

ライドというものは他人からの贈り物かもしれない。

 

そして人との出会いで私が素敵だなと思うのは、その人と話を

してると、なぜか自分の中の知らなかった自分を引き出してく

れる人、なぜか心地よいものだ、そういう人との出会いは間違

いなく生きる力になるものである、長い人生のなかでも数少な

いけど、そんな思いがけない出会いを楽しみに生きていけたら

と思っている。

 

 

 

 


定年後に友人と呼べる人は

2025年01月14日 | 人間関係

ある雑誌の「シニアの生活意識調査」によると友人の数の平均は

60代で15人、70代で18人、会社時代の同僚との付き合い

は激減したかわりに地域に友人ができたという声が多かった。

 

どれだけ実態を反映してるかは定かではないが、私からみると、

予想以上に数が多いのに驚いた、地域に友人ができたというけれ

ど、現実問題として簡単なことではない。

 

友人はいたほうがいい、かといっていなくても生きていける、心

理的負担になるような友人ならいらない、日々人間関係は変化す

るものだし永続的に保証された友人関係はないものだと私は思っ

ている。

 

さらに今はネットの時代、わからないことがあればネットで検索、

情報源にアプローチでき解決することが多い、逆にネットがなか

ったら、きっと友人を求めもっと濃密な交流ができたのかもしれ

ない。

 

確かにリアルな世界でのふれあいも大切であるが、今は便利な世

の中、ひとりで楽しめるものが多い、だからこそ煩わしい交流で

あれば友人にこだわる必要などないというのが、定年後もうすぐ

14年、私の偽らざる心境である。

 


いくつになっても人間関係は難しい

2024年12月27日 | 人間関係

言葉というのは人間同士がむすびつくための素晴らしい工夫だと

言われている、しかし言葉は本当に人間の中にある本音をそのま

ま表現してるかというとそうとは限らない。

 

家庭環境で作られた自我、学校で得た知識、友人や読書などで形

成された価値観、そして本能的なものが、自分を作ってるわけだ

が、そういう意味では本音とは本来の自分である。

 

しかし時には人間関係において見え透いたお世辞を言ったり、仕

事のうえで思ったことをいえなく心にもないことを言ったりする

ことがある、これがもう一人の自分である。

 

内心思ってることを正直にいえない、あるいは言わない、もしく

は全く心にもないことを言ったりすることは楽しいことではない、

しかし人間はこのような心の働きがあるからこそ、どうにか人間

関係を維持できてるともいえる、それだけ人間関係はいくつにな

っても難しいものである。


変わったのは相手でなく自分の見る目が変わった

2024年11月30日 | 人間関係

そばにいても疲れない空気のような存在、話さなくても間がも

てる人、私にとって大切な友人だった、思い出すのは断片的な

ことで映画のワンシーンのような、そこだけスローモーション

のように静止画になってる。

 

その当時の顔の表情や口にした言葉、他愛のない内容だったが

なぜかその場面だけ印象に残ってる、それから30年後再会し

たが話してると温度差を感じるようになった、お互いそう思っ

たのかもしれない、その後会うこともなく連絡は途絶えた。

 

人は変わらないし変われないもの、変わったのは相手でなく自

分の見る目が変わったのかもしれない、それは相手も私に対し

てそう思ったのかもしれない、それでも人は本質的に変わらな

いし、変われないものと思いたい。


いじめ問題について思うこと

2024年11月09日 | 人間関係

いじめは昔からあってなにも今に始まったことではない、ただい

じめの質がSNSの普及で変わってきたことは確かである、実際人

間社会にはさまざまな力関係が張り巡らせており、集団になると

必ず力関係が働き上下関係が生じる。

 

さらにどんな人間にも心の奥底には無意識のうちに無抵抗なもの

をいじめることに楽しさを感じる快楽本能があると言われてる、

子供だけではない、大人になってその本能を刺激する状況におか

れると噴出する、だからパワハラがあとを絶たない。

 

みんな仲良くという規範意識だけではいじめはなくならない、こ

の社会は苦しいこと、つらいことが多い、辛抱がいろんな場面で

要求される、だから自分を守るにはやはり耐える力をつけること

も必要かもしれない、そして相談できる人を見つけること、それ

でも耐えられないときは一度その群れから離れること、逃げるこ

とは決して恥ずかしいことではないと言いたい。


私が思う生涯つきあえる友人とは

2024年10月19日 | 人間関係

昔の友情が何十年も続くケースはなかなかないものだ、友達と

いうのは環境と状況によってできるもの、それが変われば別れ

たり離れたりするのは仕方のないこと、私の場合一生を通じて

友達づき合いするのは、せいぜい数人のような気がする。

 

 

 疎遠になる理由の一つは共通であった関心事が違ってくること

そして自分が何もしてないのに相手が離れる、逆に相手が何も

してないのに自分が離れる、そう考えると人間関係において自

分がどうにかできる範囲が50%、あとの50%は相手次第と

もいえる。

 

 

それでは私にとって生涯つきあえる友人とは相手の人生に過度

に立ち入らず、相手が言いたくなさそうなことは聞かない等、

節度と抑制の利いたほどよい関係、知っていても知らぬふり、

知らぬふりして相手を全力でねぎらう、友人であるならそんな

ことができる人間でいたい、その思いは昔も今も変わらない。


理屈ではない好き嫌いの感情

2024年10月05日 | 人間関係

好きな人、嫌いな人というのは第一印象はあまりあてにならな

い、生理的に嫌いというのもあるけれど人間の考え方や性格と

いうのは実際に話してみないとわからないものだ。

 

好きな人、嫌いな人との判定はなかなか難しい、ある視点から

えば嫌いだけど違う視点から見ると好きだとそういう面を人

は必ず持っている、一方で同じ行動をしても好きな人であれ

許せる、嫌いな人は許せない、極端な話が一度嫌われると本

はいくら努力しても好かれるということがないということが

る。

 

誰もが嫌われるよりは好かれたい、それは老若男女変わらない、

それが人の世の原理である、それでも誰にも嫌われない人など

一人もいないはず、全員に好かれようとしなければ気が楽なは

ずだ、実際人間にとって好き嫌いの感情は理屈ではないと私は

思っている。


老年期は一期一会のつもりで

2024年09月30日 | 人間関係

齢を重ねるとなぜか人に対しての懐かしさが希薄になる感じが

する、会えば懐かしいかもしれないがその当時の輝きが色褪せ

てしまうことだってある、かえって会わないで思い出の宝を大

切にしたほうがよかったと後悔することがあったからだ。

 

本当はコロナ禍であってもワクチンを接種して、マスクをして、

手洗い、うがいを励行して感染対策さえしっかりしたら問題は

なかったはずだ、それでも会おうとしなかったのは、そこまで

して会う気がお互いなかったからかもしれない。

 

疎遠になった理由はコロナ禍も一因であるが、環境が変わった

ことや長い間会ってなかったことや共通であった関心事が違っ

てきたことである、私自身人間は好きだけど嫌いでもある、そ

んな矛盾を抱えながら老年期を生きている、だから今は一期一

会のつもりで会った人とは今日が最期と思いその瞬間を大切に

するよう心掛けてる。