団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

続・母が壊れた日

2018年07月28日 | 

亡くなった父の時もお世話になったケアマネージャー、彼女がい

かったら正直この難局を乗り切ることできなかった、最初の

設は何とかお願いして10日間お世話になり、次のところに1

日間、その間認定調査を受け要支援2か要介護3に認定、そ

して最終的に入所する老人ホーを決定、現在そこで母はお世話

になってるところである。

 

その間、投薬による行動抑制もあり認知症の症状はどんどん進み、

現在は車椅子状態で会話もうまくできない状態、他人の世話にな

りたくないと頑なに自立を求めようとした母、母自身望まないこ

だったかもしれない、しかし私自身悩み抜いた末に反射的にす

るしかなかった選択や決断、どう考えても一人暮らしは危険な状

態だった、近所からの苦情がくるまえに対応したことは間違って

なかったと思いたい。

 

正直、息子として変わり果てた母親に傷ついてしまう、怒ったり、

いらだったり、実際上手に励ましたり行させたりということは

家族だからこそ抵抗があることを実感した、この齢になり、経験

しないとわからないことが、まだまだあことを思い知らされた。


母が壊れた日

2018年07月27日 | 

7年前に父が他界してから一人暮らしをしている母は94歳、介護

認定は要支援2であるが、なんとか今まで家事は一人でやってきた、

私の日課の一つは母へ朝の安否確認、父が亡くなってから7年間毎

日欠かさず続けてきた。

 

そんな母に異変を感じたのは6月初旬、電話で意味不明なことを言

い出した、「昨夜泥棒が入った」「〇〇さんがきて泊まっていった」

明らかにおかしいと感じ翌日母のもとに行き、父の時に世話になった

ケアマネジャーに連絡、さらに大学病院で診察を受け、実家に一泊

して翌日ケアマネジャーの計らいでなんとかショートステイに入所

することになった。

 

ところが入所する段にになって「私は行かないよ、行くぐらいなら

死んだほうがまし」と抵抗、なんとか説得して連れていったが、2

日後、施設から「職員に暴言を浴びせたり、帰ろうとして転倒した

りして責任持てないので引き取って欲しい」という連絡、悪いこと

重なるもので妻が難病で入退院を繰り返し、私自身身動きが取れ

ない、人生は常に無常で何が起こるかわからない、幸運はあてにで

きないけど不運は簡単にやってくるものだということを実感した日

々であった。