団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

半年前まで見たことなかった光景

2020年07月30日 | 新型コロナ

「散歩に行くと歩いてるおじさんが、咳をした、近くにいた人は

みんなあからさまに遠のいた、こんな光景、半年前まで見たこと

なかった」

 

先日読売新聞の朝刊の「こどもの詩」のコーナーに投稿した中学

一年生女子生徒の詩である、現在の世相をまさにとらえた素直

言葉、いま日本全国どこでも見かける光景かもしれない。

 

又マスクをしてると「風邪をひいたのですか」と以前は聞かれた

ものだが、今はマスクをしてることが自然、マスクをしてないと

白い眼で見られる、本当に半年前まで見たことなかった光景、さ

らに人と2メートル程度の距離を保てと叫ばれる、なんとも窮屈

な世の中だけど今は辛抱するしかない。


人生色々「人生案内」の悩み

2020年07月28日 | 生き方

「人生案内」は読売新聞の人生相談の記事で100年も続いてる

期連載の名物記事である、読者の悩み事で一番は恋愛、家族の

問題、対人関係、進路、病気等多種多様である、例えば「夫の暴

言50年」「人の幸せすぐねたむ人」「がん手術後朝から酒」

「夫婦の会話がない」等具体的な相談に各界署名人が丁寧に回答

ている。

 

 

私が印象に残ってる事例で50代主婦の相談《一部抜粋》「震災

で両親を亡く両親を捜索中に、小さな子供たちの遺体を見た、

両親の死による喪失感が大きく、子供たちの無念さを思うと、今

も心のバランスが崩れたまま心がボロボロです、ニュースで子供

を殺したり傷つけたりする鬼のような人を見ると憎らしい、こん

な悪魔のような人に制裁を加えたい」に対しライター最相葉月さ

んの回答が相談者の心に真摯に寄り添うアドバイスを送ってる。

 

 

「あなたの怒りはそんなものではない、無念の死を遂げた人の悲

をわが子として前身全霊で受け止めています、あなた自身、

どれほど深い悲しみを抱えてこられたことか、しかし誰もあなた

が報復することを望みません、それよりも亡くなった方の命の灯

火は消えぬよう、同じような経験をした人たちとともにいて、語

り合って欲しい、怒りのエネルギーをやさしさのエネルギーに変

えてほしい、それが両親の願いではありませんか、悲しみはその

人だけのもの、他者の悲しみを悲しむことはできません、でもき

っと分かち合うことはできる、あなたにはその力があると思えて

なりません」

 

 

 「人生案内」を拝読してると、世の中には色々な人がいて、悩み

々、そして解決の仕方も色々あることがわかる、また人間は

悩んだり行き詰まったりしたとき、人はそのつらさを聞いてもら

いたいと思うもの、聞いてもらうことで気持ちが落ち着くことが

あるはず、そして生きてる限り、たぶんすべての悩みから解放さ

れることはないのだろう、逆に悩みは生きてる証しなのかもしれ

ない。「人生案内」の悩みは人生色々で興味深い内容である、こ

れからも読み続けていきたい。


趣味としてのブログを楽しみたい

2020年07月19日 | ブログ

現在日本のブログ人口はどれぐらいだろうか?2008年の総務

省のデータでは約1700万人と言われてるが現在、はっきりと

たデータはないので不明である、しかし一説によると3000

万人とわれている。

 

現在GOOブログ登録者が294万人、ブログ村参加者が100万

だ毎日更新してる人となると5割もいないような気がする、

れでもあまりお金をかけないで長く楽しめる趣味としてのブロ

は魅力であることは確かである。

 

 

ブログを更新するには習慣づければいいという人もいる、又読者

いるから、お気に入り登録者がいるから、ブログ村での順位が

気になるから等、人それぞれ理由があるかもしれないが、一番は

「書きたいものがあるか、伝えたいものがあるか」だと思う。

 

 

その日の思いつきだけで毎日ブログを更新することは難しい、カ

ゴリーによっては料理、花、風景、鉄道、スケッチ、音楽など、

間と労力いわゆる情報収集というインプットが必要である、そ

して初めてアウトプットという書く作業に入ることができるのが

ブログの面白さかもしれない。

 

 

 そう考えると確かにブログを続けることは難しい、特に毎日更新

ることは難しいといえる、だからこそ「書きたいものがあるか、

えたいものがあるか」そんな思いを自分に問いかけながら日々

の生活を送ることこそ大切な気がする。


自分の価値観を信じて生きたい

2020年07月18日 | 生き方

いい人と思われたくて他人の目を気にする、人間関係を優先しよ

うとするため自分の気持ちに目をつぶってしまう、人間、誰もが

経験のあることである。

 

つながりを作ることが大切でも合わない人と連絡を取り、無理に

知り合いの数を増やそうとするのは無駄なこと、人間には一人で

いることで最高の安らぎを感じる人もいる。

 

また、二人でいることで安らぐ人もいる、大勢の中に身を置くこ

とで安らぎを覚える人もいるだろう、だから自分の価値観を信じ

て、自分の心の声に忠実に納得のいく生き方をするのが大切だと

思っている。


定年後に思う暇と退屈

2020年07月16日 | 定年後の生活

暇とは自由な時間があること、退屈とはすることがなくて時間をも

てあますこと、似てるようで違う、現在働いている人はきっと、ど

ちらにもあてはまらない、私の場合定年退職して9年、時間はたっ

ぷりある、あきらかに暇である、しかし退屈かというと意外とそう

でもない。

 

よく「毎日なにをしてるんですか?」と聞かれることはあるがこの

9年間退屈と思ったことはきわめて少ない、多分厭なことはしない、

人との関係も希薄になったけど決して退屈ではない、自分と向き合

う時間も多くなった。

 

朝夫婦で掃除、散歩、新聞を読み、ブログの更新、時々近くのコメ

ダ珈琲に、そしてスーパーで買い物、昼食(時々外食)、読書、音

楽、夕食の準備(妻と交代制で月の半分)時々ドライブ、なんとな

く穏やかな一日が流れる、ただこのパターンに慣れるまで結構な年

月が、かかったことは確かである。定年後の生活で一番困るのは暇

で退屈な状態かもしれない。


昔はみんな裕福ではなかったけれど

2020年07月10日 | 人間関係

子供の頃を思い出すと決して裕福な時代ではなかったし周囲も似

たような境遇だったような気がする、それでも近所付き合いには

濃いものがあり、助け合う人間関係や連帯感があった。

 

醤油が足りない、塩が足りないと隣の家に借りに行く、冠婚葬祭

があると地域をあげて手伝ってくれ、一緒に喜び悲しんでくれた、

そういう助け合いのなかで子供同士も自然に親しくなり一緒に

遊ぶようになった。

 

現在はどうだろう、若い人が困ったとき、家族や近所の人たち

どれだけ頼りになるだろうか? 昔と違い現在は職場だって

正社員、非正規社員と分けられ仲間意識が薄いような気がする。

 

物質的には現在のほうが、はるかに恵まれてるが昔のほうが人

関係が豊かであり助け合いの精神があり、今より多くの人が

救わていたと言える、ただそういう昔の人間関係が煩わしい

と思う人たちの気持ちも理解できないことはないだけに、どち

らがいいとは言い切れないことも確かである。


幸福は平凡すぎる日常の中にある

2020年07月07日 | 幸福

お金が欲しい、車が欲しい、洋服が欲しい、いま失いつつある若さ

が欲しい人間は、ないもの、まだもってないもの、そして失いつつ

あるものを欲しいと思う、欲が深いものだ。

 

 

例えばお金があればいい暮らしができるかもしれないが不幸な心で

生活しているお金持ち、もしくは幸福な心で生活している貧しい人

々がいることも確かである、条件がそろったから必ずしも幸福とは

限らない。

 

 

体の調子が良ければ気分がいい、好物の食べ物を食べれば満足、幸

福とはそんな程度のもの、日々の小さなことが大切、実際幸福の多

くは平凡すぎる日常のなかにあるもの、それなのに気がつかないで

過ごしている自分自身を時々反省する時がある。


それぞれの死生観

2020年07月06日 | 

雑誌週刊ダイヤモンドの「どう生きますか、逝きますか」という

特集記事のなかで日本人の死生観について1万人の大調査を行っ

た結果が掲載されていた。

 

その中で自分なりの生死についての考え、いわゆる死生観のある

人はわずか9%しかいない、しかし自分の死について考えたこと

がある人は64%と多い、どんな時かというと身近な人との死別

や身近な人の病気などである。

 

60代や70代では定年退職や齢をとったことなど、老いを感じ

させる体験が影響し、死生観を持つと言われてる、実際私の場合

も父親の死と定年退職が重なったこともあり、自分なりの死生観

を持つようになった。

 

人は必ず死ぬ、人生はいつ終わるかわからない、命あるだけあり

がたいという感謝の気持ちを持って今を生きる、そして終末期医

療については家族に伝える必要があると思っている。


親孝行について考える

2020年07月04日 | 

母が亡くなって3ヵ月、コロナ禍のなか家族だけの葬儀で見送

った、思えば9年前父が亡くなったのは東日本大震災の前月、

忘れて欲しくないという両親の思いを感じる今日この頃である。

 

父が亡くなってから母は実家でひとりぐらし、それからは毎朝

安否確認の電話、新幹線で月2回実家を訪問、緑内障の治療で

大学病院に付き添い、買い物、掃除、昼食、夕食の用意、2年

前に認知症で施設にお世話になるまで続けた。

 

周囲からは親孝行ですねと言われたけど、母は幸せだったんだ

ろうか?と時々思う、自分のことを気にかけてくれる、見守ら

れてるということが生きる力になることは確かであるが、一方

自分はもう必要とされてないのでは、息子になにかをしても

うことより本当はなにかをしてあげたい、ある意味親に世話を

かけることがケアになるとも言われてるだけに亡くなってか

親孝行について、ふと考えることがある。

 

 

 


いいことも悪いことも「一日一発見」

2020年07月02日 | 定年後の生活

現役時代は毎日繰り返される仕事という日課が一日の大半を占めて

いた、定年後は過去の習慣は通用しない、いわゆる未知の世界に突

入、だから忙しい合間にひねり出した休暇とリイヤしたあとの余生

は全く別物である。

 

そして定年後は自分で日々の行動を決めていかなければならない、

そこで30分散歩して1ヵ月続ければ習慣として定着する、定年後

も10年目に突入すると不思議と毎日の行動パターンが習慣化する

し優先順位もわかるだけに退屈と感じることはない。

 

今日一日プラスだったかマイナスだったか、それを考えることで見

えてくるものがある、何よりも生活にメリハリをつけることで精神

的に引き締まってくる。

 

いいことも悪いことも「一日一発見」近所に蕎麦屋さんができたこ

と、今日食べたパン屋さんのアンパンが美味しかったこと、やっと

プロ野球が開幕したこと等、探せばいくらでもあるものだ。

 

他人から見るとつまらない事と一笑に付すだろうけど私にとっては

昨日と違う一日である、どんな些細なことでも日々のなかで「一

日一発見」を心がけたい。