夢は誰もが見るが起きた後で忘れてしまうのが、ほとんどであ
る、しかし印象的な夢を見ると目が覚めても忘れないことがあ
る、そんな見た夢が未来の自分に何か関係があるかもしれない
と思い、そのことを「夢日記」としてメモを取ることを続けた
漫画家がいた。
たつき涼氏68歳「私が見た未来完全版」の作者で話題の本で
ある、なぜかというと26年前に出版した漫画本のなかで20
11年3月に大災害が起こると予言し、実際3月11日に東日
本大震災が発生したことから注目を集めることになった、当時
地震学者も予見できなかったことである。
そして今回2025年7月5日に大災害が起こることを予言し
ている、津波の高さは東日本大震災の3倍はあろうかという巨
大な津波である、夢に見たものが現実化する、たつみ氏の予言、
大災害が来ないことを願ってるが、この大津波のあとには、な
ぜか輝かしい未来が見えてるというが本当だろうか?
今年の3月16日は母の命日だった、翌日の墓参りの準備をし
てたとき地震が起きたが震度6強の揺れは強烈だった、11年
前の3.11の悪夢が蘇り眠れない時間を過ごした。
それから半年余り、地震保険に加入してる保険会社から突然文
書が送付されてきた、要約すると「本年3月16日に発生した
福島県沖地震における損害が認定されました、それに伴い、専
有部分につきましても、損害有無に関わらず、保険金の支払い
が可能となっております」とマンション共用部の一部損害が認
定されたことで地震保険金額(600万円)の5%、30万円
が支払われるという通知であった。
私たちが住んでる日本では地震、水害等自然災害と隣りあわせ
にいる、つねに安閑として生きられるわけではない、本当に自
然は人間の思いどうりになってくれないものだ、年金生活者に
とって30万円はありがたいけれど、それよりも地震の恐怖か
ら逃れたいものだ。
先日の地震は怖かった、震度6強、2度目の揺れが強烈だった、
棚から物が落ち食器は割れる、本棚やタンスは移動する、11年
前の3.11の悪夢が蘇った、あの時と同じだ、その後余震が小
刻みに続き、眠れない時間を過ごした。
3月16日は母の命日だった、翌日3回忌をお墓のある盛岡でや
る予定だったが、東北新幹線、在来線、高速道路すべて運行停止、
私が住んでる仙台から交通手段は無理と判断し延期することにし
た。
コロナも怖いけど自然災害も怖い、11年前も自然の前では人間
は無力だと痛感したが、今回もそうだ、本当に自然は人間の思い
どうりになってくれない、コロナ禍だからといって地震は手加減
してくれない、3日目になるがマンションのエレベーターが動い
てない、ショッピングセンターやスーパーの休業も11年前と同
じだ、コロナは怖い、しかし今は地震がもっと怖いというのが実
感である。
「まあよかったな」「うんおいしい」「おう」「いってらっしゃ
い」「また来週ね」これらは震災で亡くなった方の日常の言葉、
そして最後の言葉、私たちは明日何が起こるかを知ることができ
ない、だから今日3月11日、大切な人と話してください、「あ
りがとう」や「ごめんね」を伝えてください。
あの日、あなたが知ったように明日が来るのは当たり前ではない
あの日の後悔と悲しみを繰り返さないために3月11日を大切な
人を思い大切な人と話す日に。
これは岩手県盛岡市にある岩手日報社が一昨年3月11日に「大
切な人と今日、話そう」というタイトルで掲載した言葉である、
一面に大きい文字、そして心に響く言葉、ホームページに賛同の
声がかなり寄せられてるというのも納得できる。
確かに明日の保証を手にしている人など一人もいないし今日は元
気で安定していても明日のことは誰にもわからない、だから人の
一生は最後までわからないと思って生きるしかない、そして当た
り前のことに感謝し、大切な人に感謝の言葉を伝えることこそ大
切、今からでも遅くはない。
10年前のあの日、私は仙台市内の会社にいた、退職を月末に控え
ビルのなかで残務整理をしていた時、今まで感じたことのない大き
な揺れ、長く感じた揺れ、その時同じ県内の沿岸部に津波が押し寄
せ、よもや未曾有の大惨事になろうとは予想もしなかった。
死への恐怖を感じ、声を出す時間もなく波にのみこまれた人々、死
はだれにも平等にやってくる、しかし十分生きたと満足して旅立っ
た人はいなかったはず、本人も残された人も無念だったろう。
そして原発事故、今日の生活が明日も続き、今日も生きて明日も生
きていて当然のことだった、そして人は多くのものを失い生き残っ
たものは立ち尽くすしかなかった。
ふるさとをあきらめる苦渋の決断、見知らぬ土地での暮らし、仮住
まいの避難生活、自宅の再建に賠償は不十分、震災から10年経っ
たけれど真の復興を目指して今も、もがき続ける人の姿を私たちは
忘れてはならない。
今回の台風19号は今までとは違った、気象庁が早い段階で警戒
を呼び掛けていたものの54人死亡、17人行方不明、家屋の損
害を含めると台風19号の残した爪痕は大きい。
この記録的な豪雨が関東だけでなく東北まで押し寄せた、日中は
普通の雨が夕方から風雨とも強くなり、一夜明けたら私が住んで
る仙台市から車で約1時間半の丸森町が阿武隈川の氾濫で中心部
の町役場はじめ住宅が浸水、14日現在も、水が引けない状況で、
ヘリコプター、ゴムボートを使って住民の救助が続いてる。
停電、断水、トイレ、風呂、洗濯機も使えない、さらに泥だらけ
の家財、茫然と立ち尽くしてる人、悲しみに耐えてる人、水、食
料も不足、交通、宅配にも影響が出てる状況は8年前の東日本大
震災と重なり心が痛む。
自然の猛威に人間は無力である、数日前までは被災した人たちは、
まさか自分たちがと思ったとして不思議ではない、これからの日
本は温暖化のせいでスーパー台風なみの豪雨を覚悟しなければな
らないのだろうか?今は被災されたかたが一日も早く平穏な生活
を取り戻すことを願うばかりである。
私が住んでる仙台市の夏は青空を見ることがないほど毎日雨模様で
ある、梅雨明けしてから一日の日照時間が30分もないほど異常気
象、海水浴場は閑古鳥が鳴いている、逆にコインランドリーは例年
になく繁盛してる、最高気温25度を下回る毎日、ある意味涼しく
過ごしやすいが全く夏らしくない。
私達が住んでる地球環境のなかで特に日本では地震、水害等自然災
害と隣り合わせにいる、当たり前のことだが自然が人間に合わせて
くれてるわけではない、決して特権的な地位を与えられているわけ
でもなく、つねに安閑として生きられるわけでもない、常に生存の
危機にさらされているといえる。
病気も怖いけど自然災害は恐い、身近で起きた東日本大震災、つく
づく自然の前では人間は無力だと痛感する、本当に自然は人間の思
いどうりになってくれないものだ。
この7月の九州豪雨で福岡と大分は甚大な被害をうけ、大切な人を
失い、家や仕事を失い、それでも何とか立ち直ろうとしている、被
災生活が長期化しており復興への道のりはまだ遠い、それでも私た
ちひとりひとりが支援できることを考えていきたい。
ボランティア活動、義援金、ふるさと納税、福岡や大分等九州の特
産品を買う等被災地支援の方法はいくらでもある、東日本大震災の
ときの自分や家族や街の状況を重ね合わせた東北の人も多いはずで
ある。
福岡と大分に恩返しがしたい、そんな気持ちで自分のできることを
始めている人たち、ささやかなことであってもその思いは届くので
はないかと思っている。