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団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

つかず離れずの関係

2024年03月27日 | 老後の生き方

生きてるうえで難しいのは人間関係、学校、職場、近所、親戚、

友人関係すべてが常に良好な人間関係を保っことは正直簡単な

ことではない。

 

 それほど難しい人間関係、やはり適度な距離感が大切、その距

離感を見誤ってしまうとせっかく築いた人間関係も崩れる場合

がある、特に苦手だと思う人の場合、それを認めて相手の考え

方に影響を受けない、自分の考えも相手に押し付けないことが

必要だと実感している。

 

又相手の人生に過度に立ち入らず、相手が言いたくなさそうな

ことは聞かない、節度と抑制の利いたほどよい関係、そういう

距離を置いたつきあい、つかず離れずの関係こそ長続きする秘

訣かもしれない。

 


老いの途中76歳の実感

2024年03月23日 | 老後の生き方

人生には思うようにいかなかったこと、つらかったこと、悲しか

ったこと、羨ましく思ったこと、やり残したことなど数えあげた

らきりがないほどあるものだが、そういうことは誰にでもあるこ

とで人生とはそういうものかもしれない。

 

大切なのはたとえ失敗や悔しい思いがあったとしても自分なりに

精一杯やってきた、だからよかったことも悪かったことも、これ

が自分の人生なのだと納得すること、自分の運命を受け入れるこ

とだと思っている。

 

そして自分の過去を冷静に検証することで、これからの自分に何

が必要で何を支えにどう生きていけばいいかという現実が見えて

くるような気がする、そしてここまで生きて来た、これからも生

きていこう、この先何があるかわからないけれど、そんな気持ち

で老いを生きていきたいというのが76歳の実感である。

 


誰かに読んで欲しい、誰かに伝えたい

2024年03月18日 | ブログ

京都にある直指庵というお寺には悩みなどを自由に綴ってよい

ノートが置いてあって寺を訪れる多くの人がそこに文章を書い

て自分を見つめるそうです、これまで書かれたノートの冊数は

5千冊ほど。

 

誰が読むかわからないし、書いたからといってリアクションが

るわけでもない、それでも、それぞれの人が思いを言葉にし

て書いていく、書いた人には誰かに読んで欲しい、誰かに伝え

たいという気持ちもあるのだろうと思います。

 

これは作家の星野智幸氏が「言葉の力」と言うテーマで講演し

ときの内容である、私が共感できたのは私自身、自分の本心

を探りながらブログを通じて自分の人生観を伝える、それは誰

かに読んで欲しい、誰かに伝えたいという思いがあるからで、

お寺にあるノートに書く人と同じ気持ちで誰の心にもあるよう

な気がする。


群れずにつながる生き方も悪くはない

2024年03月16日 | 生き方

会社という組織を離れると群れから孤立しているように見える

もしれない、しかし本人は自分自身でいられるという意味で

は案外、孤独を感じることはないものである。

 

私自身、定年退職して13年今はどこにも属さないしコロナ禍

この4年は人に会うことも激減した、たまにに会う知人、友

人とは、つかず離れずの関係、ほどよい距離感を保って相手の

人生に過度に立ち入らず相手が言いたくなさそうなことは聞か

ない、この姿勢は会社にいた頃も今も変わらない。

 

群れの価値観よりも自分の価値観を信じ、群れずにつながる、

は自分に一番しっくりしてるし、こんな生き方も悪くはない

っている。

 


遺族年金の存在は大きかった

2024年03月08日 | 老後のお金

生きていくためにはお金は必要だし大切である、特に老後は若

い頃と違った出費も覚悟しなければならない、予期せぬ病気で

医療費の負担が増えたり、老親の問題、家のリフォーム等お金

の問題は重要である。

 

私の母が認知症になり要介護4の判定、私自身県外にいるだけ

に母を引取ることを提案したものの母は住み慣れた土地を離れ

たくない、結局遺族年金と貯金で介護付き有料老人ホームに入

居した。

 

もし遺族年金がなかったら、在宅介護で私が同居するしかなか

ったかもしれない、そう考えると遺族年金があったことに救わ

れたことは確かである、遺族年金だけでは十分ではなく持ち出

しはあったものの、父が遺してくれた遺族年金の存在は大きか

った。

 


夫が看取ると余命5年、妻が看取ると余命22年

2024年03月05日 | 老後の生き方

夫が看取ると余命5年、妻が看取ると余命22年といわれるが、

妻に先立たれた夫の寿命は少なくとも15年も縮まるという調

査結果が出ている、愛妻家で知られた経済小説開拓者である城

山三郎氏「毎日が日曜日」や「官僚たちの夏」のヒット作を遺

しているが奥様亡きあとの喪失感、本人でないと理解できない

心境だったと思われる。

 

城山三郎氏の奥様が亡くなったのは2000年、68歳のとき

である、そして城山氏が亡くなったのは2007年、79歳の

時である、この7年の辛い日々を著書「どうせあちらへは手ぶ

らで行く」に書かれてる、妻を失ったこと、ただそのことだけ

で後は何も考えたくない、それほどの妻だった、おかげで豊作

の人生だった。

 

さらに46年の結婚生活で積み上げてきたものが一挙に崩れて

消されてしまった思い、強烈な孤独感と不安感、目先のことし

考えぬようにしよう、目先のことだけ楽しんで生きようと自ら

を鼓舞しようとする決意が感じられたが、この翌年間質性肺炎

でこの世を去った、いかに愛妻家でありいかに奥様を愛し頼り

切ってたかが文面から伝わってきた、まさに冒頭の夫が看取る

と余命5年そんな生き方だった。


迷ったらいやなことはしない

2024年03月04日 | 生き方

今まで素晴らしいと思ってたことが色褪せてみえたり、これま

で大切だと思ってたことが、別にどうでもいいと思ったり、齢

を重ねると過去を見る自分の眼に変化が生まれることがある。

 

それは人であったり、物であったり過去の思い出だったりする

けど、ある意味冷静に自分を客観視できるのが老年期のような

気がする、他人の評価を気にしていた若い頃、必要以上によく

思われようと無理してた自分、本音の自分と違って少なからず

自己嫌悪に陥ったこともあったものだ。

 

今はそんな必要もなくなった、自分の心の声を聞き自分がどう

ありたいかで判断する、迷ったらいやなことはしない、そのこ

とが大切だと思っている。


父親の介護認定から亡くなるまで

2024年03月02日 | 介護

ピンピンころりがいいと思ってもそう上手くいかないのが現実、

長生きすれば誰でも介護を受ける側になる、私の父が介護認定

を受けたのが今から14年前、父が85歳の時だった、当時実

家で母と二人暮らしだったが「誰かが侵入してきた、預金通帳

がない」明らかに言動がおかしいと母から連絡があったが、そ

の時はそれほど深刻にとらえなかった。

 

翌日大学病院の精神科に行き検査の結果、レビー小体型認知症

と診断された、薬をもらいその足で市役所に行き介護認定の申

請、1週間後認定調査員が実家にきて父と面談、1ヵ月後要支

援2(日常生活の一部に手助けが必要)と判定された。

 

それから地域包括センターから連絡がありケアマネジャーのY

さんが担当となった、ディサービスにも通ったが認知症の症状

は日を追うごとに幻覚症状が悪化、母への暴言そして昼夜構わ

ず私のところに支離滅裂な内容の電話が頻繁にくるようになっ

た。

 

半年後には持病も悪化し体力も衰え呼吸も出来ない状態になり

老人病院に入院、人口呼吸器を装着した状態で5ヵ月、最期は

多臓器不全で亡くなった、結局父が望んでたピンピンコロリと

はいかなかった、ただこの時の経験で私自身介護認定の一連の

流れを理解できて8年後母が父同様認知症になり介護認定をう

ける時に生かされたと思っている。