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団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

老いた母の心の中は

2019年10月10日 | 

8年前に父が亡くなり一人暮らしだった母、認知症になり現在の

施設に入居してもうすぐ1年半、最近95歳の母の体調に変化が

き大腸がんと診断された。

 

年老いて死を迎えるということは少しずつ自由を奪われることな

のだろう、父と結婚し、私と弟を育て少しずつ獲得してきた自由

を今度は手放していかねばならない。

 

訪問してる施設に入居してる人たちを見てると気力を失ってる人

い、だから施設ではクイズを出したり、塗り絵をやったり、

歌わせたり、イベントをしたり工夫をしてる。

 

昔は家族がしてた介護の役割がお金さあれば今は施設がやって

れてることには感謝の気持ちしかない、ただ母はいまだに帰宅願

望があり、ここは自分の居場所ではないと思っている。

 

老いて弱くなっていく情けない自分と、人生の荒波を乗り越えて

生き抜いてきた誇り高い自分、そのなかで必死に闘ってるよう

見える母、長生きしたけれど認知症になり、がんの宣告、母は今

自分の人生について何を思ってるんだろうか?


認知症の母の心の中は

2019年08月05日 | 

今年95歳になった母が現在の介護老人ホームにお世話になって

1年、8年前に父が無くなってから一暮らしの母の否確認を

兼ねて毎朝電話するのが私の日課だった、しかし1年前元気だっ

た母が突然意味不明なことを言い出し会話が成立しくなった。

 


ひとり暮らしは危険な状態、近所から苦情が来る前に施設入居を

決断、母自身望まないことだったが悩み抜いた末の対応、それか

ら1年、何度も帰宅願望があり、やっと、諦めというか落ち着い

た。

 

 

ただ毎月訪問するたびに、病院と勘違いしてもうすぐ退院して家

に戻れるといったり、自分の置かれてる状況が理解できない、だ

から話が噛み合わない、きっと家には帰りたいが帰れない苦しみ、

明日がどうなるのかわからない苦しみ、心の中はそんな状態では

と思うようになった。

 

 

要介護3だけに、おむつをして車椅子状態、それでも、大正、昭

和、平成、そして令和と人生の荒波を乗り越えてきたというプラ

ドがある一方、老いて弱くなっていく情けない自分との不安と

葛藤のなかで生きている母は人生についてどう思っているんだろ

うか?そう思う今日この頃である。


親の本音をどう伝える

2019年01月10日 | 

婦人公論の特集記事「親の本音をどう伝える」の読者アンケート

内容がリアルで興味深いものであった、そのなかで親が子供に

気持ちを伝えたために起きたトラブル、親が子供に言いづらくて

言えないことの事例の一部を抜粋してみた。



《気持ちを伝えたために起きたトラブル》


■嫁が息子の名前を呼び捨てにしたので息子に、「それだけはや

させて」といったらしばらく気まずかった

(71歳パート、息子45歳)


■家業を継いでもらいたいと思い、以前に夫が伝えたら、「この

社に未来が見えない」と息子が言って喧嘩になった

(52歳会社員、息子29歳)



《言いづらくて言えないこと》


 ■長男が無職で自立していない、早く働いて家から出ていって欲

 しい

(60歳薬剤師、長男33歳)


■長男の嫁が片づけられない性格なのか家に行くたびに物があふれ

 ている、うるさがられて遠ざかるのではと思って言えない

(66歳主婦、長男38歳)



まさに言って後悔、言わずに悶々という親の心境が理解できる内容

である。


父の死を振り返る

2018年11月13日 | 

父が亡くなってもすぐ8年になる、亡くなる半年前に入院してた

病院で医師から言われた言葉を今でも思いだす「なにもしない

明日まで持ちません」と延命治療の選択を迫られた、考える

を与えてはくれない、母も弟も賛成である。

 

ましてや治療をいとは言えない雰囲気である、もし治療中止

を希望すれば見にしたと後悔に苛まれると思った、結局延命

治療をお願いした。

 

気管切開をして人口呼吸器につながれ、手にはミントがはめられ

た状態である、痰がつまらないよう数時間ごとに痰を吸引、最後

に対面したときは苦悶の表情の父、さぞかし苦しかったのでは、

と思う、家族が後悔しない最期とは?父が亡くなってからずっと

思ってることである。


親の死で喪失感を覚えた人は多い

2018年11月01日 | 

婦人公論の特集「親ロス」の読者アンケートで親の死で喪失感を

覚えた人は89%、何かのきっかけで抜け出せる人がいる一方、

22%の人がまだ立ち直れていないと回答している。

 

親ロスの実態事例

■病院から「今、お父様の呼吸が止まりました」との知らせ、あ

てて車を走らせたが間に合わなかった、病院に向かう車窓から

えた東京タワー、その時から私にとって東京タワーは悲しみの

徴となった。

(父70歳、私46歳の時/公務員62歳)

 

■先月亡くなったばかりなので、まだ実感がわかない、だが、携

電話に残された母の声を聞くと………。なんでも話せる母はも

いない。

(母78歳、私54歳の時/会社員54歳)

 

死別の悲しみに特効薬はないのかもしれない、人それぞれ違うも

のである、私も7年半前に亡くした父のことを思うと悲しみをな

くそうと無理をしないこと、やはり時間が傷を癒すような気がす

る。

 


親の認知症に直面したとき

2018年09月07日 | 

 7年前に父が亡くなり一人暮らしの母のところに毎月2回訪問、

 買い物、病院へ同行、食事の用意、また毎朝8時半に安否確認の

 電話、ついこの間まで元気だったそんな母が6月に突然意味不明

なことを言い出し会話が成立しなくなり認知症になったことはシ

ョッキングな出来事だった。

 

考えてみれば母は94歳である、大学病院の医師にもいわれたが

その年齢ではいつ認知症を発症してもおかしくない、認定調査で

要支援2から要介護3、介護施設を転々として今の人ホームに

入所して、もうすぐ3か月になる。

 

一人暮らしを無理と判断し、施設に行くことを親子で話しあって

解決しようとしても、行く、行かないの口論になり、最終的にケ

マネージャーの協力により解決したものの、今だに家に帰ろう

している母、親を思えばこそ対応したことだったが、これでよ

かったのだろうか?と思う時がある。

 


続・母が壊れた日

2018年07月28日 | 

亡くなった父の時もお世話になったケアマネージャー、彼女がい

かったら正直この難局を乗り切ることできなかった、最初の

設は何とかお願いして10日間お世話になり、次のところに1

日間、その間認定調査を受け要支援2か要介護3に認定、そ

して最終的に入所する老人ホーを決定、現在そこで母はお世話

になってるところである。

 

その間、投薬による行動抑制もあり認知症の症状はどんどん進み、

現在は車椅子状態で会話もうまくできない状態、他人の世話にな

りたくないと頑なに自立を求めようとした母、母自身望まないこ

だったかもしれない、しかし私自身悩み抜いた末に反射的にす

るしかなかった選択や決断、どう考えても一人暮らしは危険な状

態だった、近所からの苦情がくるまえに対応したことは間違って

なかったと思いたい。

 

正直、息子として変わり果てた母親に傷ついてしまう、怒ったり、

いらだったり、実際上手に励ましたり行させたりということは

家族だからこそ抵抗があることを実感した、この齢になり、経験

しないとわからないことが、まだまだあことを思い知らされた。


母が壊れた日

2018年07月27日 | 

7年前に父が他界してから一人暮らしをしている母は94歳、介護

認定は要支援2であるが、なんとか今まで家事は一人でやってきた、

私の日課の一つは母へ朝の安否確認、父が亡くなってから7年間毎

日欠かさず続けてきた。

 

そんな母に異変を感じたのは6月初旬、電話で意味不明なことを言

い出した、「昨夜泥棒が入った」「〇〇さんがきて泊まっていった」

明らかにおかしいと感じ翌日母のもとに行き、父の時に世話になった

ケアマネジャーに連絡、さらに大学病院で診察を受け、実家に一泊

して翌日ケアマネジャーの計らいでなんとかショートステイに入所

することになった。

 

ところが入所する段にになって「私は行かないよ、行くぐらいなら

死んだほうがまし」と抵抗、なんとか説得して連れていったが、2

日後、施設から「職員に暴言を浴びせたり、帰ろうとして転倒した

りして責任持てないので引き取って欲しい」という連絡、悪いこと

重なるもので妻が難病で入退院を繰り返し、私自身身動きが取れ

ない、人生は常に無常で何が起こるかわからない、幸運はあてにで

きないけど不運は簡単にやってくるものだということを実感した日

々であった。


老いた母親の一人暮らしに思うこと

2018年03月18日 | 

私の母は今月で満94歳、7年前に父が他界してから一人暮らし

介護認定は要支援2でデイサービスに週2回通い体操をしたりマ

サージを受けて半日を過ごしてる、心配であるがなんとか家事

一人でやっており買い物は生協の個人宅配を利用、また週1回

ーラスのサークル時代の友人が訪問してくれてることが楽しみ

ひとつになっている。

 

 

私の日課の一つは母へ朝の安否確認の電話、そしてこの7年間月

に2回から3回、新幹線で1時間の実家に行くことを続けてる、

この7年間でゆうに200回近くは往復してる、会社員時代は盆

と正月くらいしか帰省しなかった実家にこれほど定年後通うとは

全く予想しなかったことだ。

 

 

毎回朝いちばんの新幹線で行き、銀行に行って生活費を引き出し

スーパー、ドラックストアで必要なものを購入、昼食の準備、掃

除をして夕食の準備、そして大学病院の眼科に付き添い診察に立

ち会い会計そして調剤薬局と一日のスケジュールは結構タイトで

ある。

 

 

つくづく定年後料理を覚えてよかったと思ってる、昨年母が白内

障の手術で入院したときはしばらく滞在し、朝昼夕と三食の準備

に追われる毎日であった、なにしろ94歳と高齢である、緑内障

が重症のため視野が極端に狭く、おまけに足腰が弱ってるため歩

くのも杖なしでは歩くのもおぼつかない、さらに何度も聞いたこ

とを毎回言うけれどそれは黙って聞くようにしてる。

 

 

母親との同居も検討したが移ることによるストレス、高齢になっ

てからの転居は友人や近所、そして主治医との関係が途切れる、

みなれた景色や慣れ親しんだ味付け、生活スタイルの変化等理由

はあるが一番の決め手は母親の強い意志だった、結局私が定期的

に通うのがベストということになった、それでも時々母親は幸せ

だろうか?と思ったりするときがある。


ひとり暮らしの母の幸せは

2017年10月12日 | 

ひとり暮らしの母は93歳、父が亡くなってひとり暮らしになり

もうすぐ7年になる、父が生きてる時は同じ時間と空間にいたの

自分をさしおいても父の気分や都合を優先した生活イクルが

身に付いていた。

 

今はひとりで時間と空間をコントロールでき、何をするにも、誰

にも許可はいらないし、遠慮もいらない、このことは母にとって

大切な事だと思っている。

 

満足度の高いひとり暮らしの条件とは、自由勝手気ままに暮らせ

こと、信頼できる同世代の友人が2~3人いてたまに話ができ

ること、住み慣れた土地に住んでること、と言われてるがそうい

う意味ではこの条件に母の場合、合致している。

 

しかし健康面では93歳という年齢は身体のあちこちに不具合が

出てくる、以前は当たり前だった歩ける、眼が見える、耳が聞こ

えるが思いどうりに行かない、自由であるが身体がついていかな

い、それでも食欲があることが救いである、息子である私と弟が

交互に実家を定期的に訪問してるものの果たして母は幸せなんだ

ろうか?と思ったりする。