『 【夕張】医療法人財団「夕張希望の杜(もり)」(村上智彦理事長)が運営する夕張市立診療所が5月、自殺を図り心肺停止だった男性の救急搬送受け入れを断っていたことが明らかになり、夕張市の藤倉肇市長は1日、医師の村上理事長から事情を聴いた。男性は市内の別の診療所に運ばれ、死亡が確認された。 関係者によると、5月19日朝、同市内で首つり自殺で心肺停止となった患者がいると通報があり、救急隊は最も近い市立診療所に受け入れ要請を行ったが、村上医師は4月から常勤医師が1人となったことや、ほかに外来診療があることを理由に断ったという。 市立診療所は昨年9月にも、心肺停止の患者受け入れを断った経緯があり、市と協議した結果、心肺停止患者の原則受け入れを確認し、5月上旬の別のケースでは受け入れた。 藤倉市長は1日、夕張市役所で記者会見を開き、「昨年9月の事故を受け、二度とこのようなことがないようにと協議してきたので、今回のケースは誠に遺憾だ」と述べた。 村上医師は市に対し、「首つり自殺と聞いて緊急性が低い死亡確認のケースと判断した。常勤医が自分一人なので外来などに対応しなければならなかった」と話しているという。』06/02 07:40道内・北海道新聞
この北海道新聞の取材記事は正確と思います。医療法人財団「夕張希望の杜」村上智彦理事長が運営する夕張市立診療所は、常勤医が村上智彦先生一人なのは問題で、医師数の確保が必要です。無駄口症候群を主張したり医療現場を崩壊に導くつもりは有りませんが。人間生身の体いつ病気になり、どこで倒れるか分かりません。一時間後の事は神様にしか分かりません。人の生き、死には時と場所、季節を選びません。今自分は健康なので救急車で運ばれることは、自分は無いと思っているのは奢りです。一寸先は闇で、非凡な人間には予言出来ません。どこで人間は倒れ、救急車で運ばれるか分かりません。救急患者や家族、本人の身にもなって考えて欲しいと思います。健康で病気もしたことも無い高校の体育先生をされていた有名な落語家の奥さんが、突然癌で亡くなった話が以前新聞に載っていました。アップルの創始者ステーヴ・ジョヴス氏のスタンホード大學での卒業式の名スピーチの中で『誰も死を望むませんよね。天国に行きたいと言う人でさえ死を望まない。』と言われたのは、自ら膵臓癌を克服された体験を生かされた名言です。世界同時不況下の日本で、世の中が荒び自殺者多い今の日本の現実も見据える必要が有ります。医師として自殺した人間は、ほって置けでは困ります。誰がそのような状況に追い込まれないと言えますか。人生にも生き詰まり、切羽詰まっている人も今の日本には多いのです。勝ち組の論理ですか。救急患者として運び込まれて来るような急患は死んでも仕方が無いと言ったS会総合病院の若い内科医もいました。高齢者社会の今の日本です。高齢者を抱えている家族の人は、いつ健康状態が悪化し病気も急変するかも分からないのです。体験した者しか分からない日々の介護も疲れ本当に大変です。若い人も皆年を取ると言うことを忘れてはなりません。自分だけは、年を取っても病気にもならないと若いうちは誰もがそう思っているのです。大都市圏の開業医先生は、往診もしない先生が多く、木曜日の午後や土曜日の午後は休診、休日も休みが多い開業医の先生がほとんどです。休日開業医の先生方はゴルフや旅行を楽しみ、私達は開業医の診察を受けることも出来ません。医師は、日本では「特権階級」と言われ来た所以でしょう。開業医の先生の休診日に救急車を呼んでも、救急病院のたらい回しであの世行きです。まんが悪かったですね。本当に運悪かったですねで済まされる問題ですか。笑い事では済まされない人の命に関わる問題です。文明先進国、経済大国日本の救急医療制度の貧困さと不備を露見しているこの頃の出来事です。ODAに多額のお金を出し海外援助する前に日本の救急医療体制の確立、整備を実行すべきでは有りませんか。産婦人科医不足で、お産も出来ないのはおかしいことでは有りませんか。日本の少子化対策とともに取組まなければならない問題では有りませんか。一県一医大構想で出来た国立医科大學が、地域医療、僻地医療、無医村の解消にに貢献していないのが問題です。 厚生労働省と文部科学省は水野忠邦の天保改革1843年の時のように「在府農民の帰村令示」に習って帰医命示を出して地元の地域医療に携わる医師数を確保すべきかも分かりません。一県一医大構想の地域医療に貢献する目的が損なわれてしまっているのが現実です。地元に留まり地域医療に貢献しない卒業生の少ない一県一医大には、文部科学省の指導や運営費交付金削除ぐらいの厳しい措置を取らないと解決しない問題かも分かりません。無駄口症候群や医療現場の崩壊論者の方は、どうすれば夜間休日の救急患者の命を救えるか批判より建設的提言をすべきです。自分達は、健康過ぎて病気に苦しむ人達の苦しみや人の痛みが分からないのでは有りませんか。いつ貴方が、急病で倒れ、救急車で運ばれ病院をたらい回しになるか分かりません。「人の振り見て、わが振り直せ」です。人事と笑っていられない身近な現実問題です。新撰組血風録の主題歌新撰組の旗は行くの一節『明日はこの身が 散らば散れ!』の先行き不透明な日本の御時世です。一生健康な人はいませんし、いつどこで病気になり、倒れ交通事故で大怪我をするかも分かりません。他人の不幸は、「蜜の味」と笑ってはいられません。今度は、わが身かも分かりません。批判は誰でも出来ます。何でも反対と言われいた以前の旧日本社会党体質では、みんなの支持や幸せを得れません。どうすれば今の日本の医療現場で働く医師、看護師の医療事故に繋がる過重な勤務時間の改善や待遇の改革と人員の確保が確実に出来るかも真剣に考え、医療現場で働く医師や看護師に過労死が出ない様な救急医療体制の充実を目指す事が厚生労働省と国の責任では有りませんか。
そんな状況で、救急患者を受け入れろって時点で、思いっきり牟田口症候群でしょう。
「竹やりでB29を落とせ」並な根性論で医師を罵倒してどうするんですか?
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インパール作戦失敗後の7月10日、司令官であった牟田口は、自らが建立させた遥拝所に幹部将校たちを集め、泣きながら次のように訓示した。
「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…」
以下、訓示は1時間以上も続いたため、栄養失調で立っていることが出来ない幹部将校たちは次々と倒れた。
その事から目を逸らして、「竹槍でB29を落とせ」というような精神論ばかり言ってる愚民には、医療は必要ないんじゃないかと思います。
以前は「医療崩壊を防ぐために自分に出来ることはないか」と色々と考えてきましたが、最近は、牟田口症候群のあまりの多さに失望し、「全国のお医者さん逃げてー!」というスタンスに変わりつつあります(って、現時点で既にそうなってますけど)。
もしも自分や自分の家族が必要な医療を受けられずに命を落としたとしても、医療従事者を酷使し疲弊させ続けた愚民を恨みこそすれ、命を削って頑張ってきた医療従事者を恨むことはありません。
まして、暴言を吐いたり、暴力を振るったり、「医は仁術」「医療はサービス業」「お客様は神様です」という言葉にタダ乗りする傲慢な馬鹿親・馬鹿客・馬鹿患者などのために、自分の命を犠牲にするなんて馬鹿げています。
そんな民度の低い輩のいる職場からは急いで逃げるべき。
散々医療従事者を蔑ろにしておいて、いざその土地から医療が無くなると聞いた時点で慌てて「医者を守れ、看護師を守れ、病院を守れ」運動しても遅いと知るべき。
自分たちの街から医療が無くなって初めて、自分たちが壊した物の大切さを知るのか。
それとも、自分たちの街から医療が無くなってもなお、「それでも医者か!」「仁術はどこへ行った!」と医療従事者を罵り続けるのか。
…日本の未来はどっちでしょうかね?
「医者の進むべき道は患者の病気を完治する事にある」
「自分を犠牲にできない医者はいなくなるべき」
こんな事を言う牟田口症候群がワンサカいる日本の医療、一度派手に崩壊したほうがいいんじゃないか…と思えるようになってきました。
愛育や鳥取のように「労働基準法違反を改善なんて無理なので辞めます」「このままでは過労死してしまうので辞めます」「このまま続けていけば患者の安全にも関わるので辞めます」と、牟田口症候群が跋扈するような職場から去ってしまってもいいんじゃないかと思うようになってきました。
そういう事態になって、職場を去る医師に罵声を浴びせるような輩には「お前ら愚民の自業自得だバカヤロウ」と言ってやりたい気持ちです。