教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

大会に出した食パン「麦畑」を手に笑顔を見せる芳野健さん

2015年07月21日 18時44分15秒 | うんちく・小ネタ

西日本新聞経済電子版 7月21日(火)11時14分配信 九州経済 >ニュース >記事

パン職人日本一は元半導体営業マン 北九州市「木輪」の芳野さん

2015年07月21日 03時00分 更新

記者:中原岳

かつては半導体メーカーの営業マンという経歴のパン職人がいる。北九州市八幡西区八枝のパン製造・販売「木輪(きりん)」の芳野健さん(35)。一度は拒んだパン作りの道を歩んで8年。今年、全国のパン職人が腕を競った「第2回ベーカリー・ジャパンカップ」の食パン部門の頂点に立った。芳野さんは「父が創業した店を継ごうと思い、パン作りに自信を付けたかった。受賞を機にもっと成長したい」と話す。
 大会は全日本パン協同組合連合会などの主催。食パン部門の予選には約50人が挑み、2月に千葉市であった決勝に4人が進んだ。食パン部門の条件は「国産小麦を50%以上使用」など。九州産の小麦粉を主に使い、麦畑にいるような風味や香りを味わってほしいと願い「麦畑」と名付けた。審査員の反応は「香りが良い」と上々。栄冠に輝いた。
 木輪を創業した父、栄さん(63)の背中を見て育った。朝は午前3時から夜は午後8時半ごろまで働く姿を見て「パン職人の仕事はつらい」と感じていた。就職活動に励んでいた大学3年、栄さんから跡取りを打診されたが断った。半導体メーカーに就職。大手電機会社に毎日のように通いICチップやLEDライトなどを売り込んだ。
 入社して3年が過ぎ、ふと、将来の自分を考えた。上司の課長や部長の上にはさらに本部長がいて、社長もいる。売り込む商品は自分で作ったわけではない。大きな組織では自分が小さく見えた。一方、栄さんは店の看板を背負ってパンを焼き、「おいしかったよ」「また食べたい」というお客さんの声に接している。「父の人生の方が価値や夢があるものに思えた」
 しかし、今まで指導してくれた上司と、「店を継がない」と言ってしまった父への後ろめたさで、心は揺れた。そんな時だった。栄さんが体調を崩した。当時、結婚を前提に付き合っていた妻から「私も付いていくよ」と後押しされ、気持ちは固まった。
 27歳で退職。修業先を探した。「木輪には10年以上パンを焼くスタッフもいる。帰ってきて『何もできません』とは言えない」。千葉県松戸市のパン店に弟子入りし、木輪に戻るまで5年半の歳月が流れた。
 麦畑(1斤税込み324円)は木輪の売れ筋商品。農家の思いをもっと生地に込めようと6月、福岡県うきは市の小麦農家を訪ね、麦刈りも体験した。芳野さんは「麦畑は通過点。魅力あるパン作りに励み、来て楽しいと思えるパン店にしたい」と話した。』 
パン職人のお父さんの遺伝子を受け継いでいる芳野健さんです。
かえるの子供はかえるです。九州産の小麦粉の「地産地消」をモットーに美味しいパンを作り半導体メーカーの営業マンという経歴を生かしてお店の経営も発展させてください。人それぞれのいろんな道があります。若い人のシンボルと励みになると思います。

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