『「論語」を基本とした独自の道徳教育を一方的に取りやめたとして、江戸川学園取手中・高校(茨城県取手市)の生徒の父母が学校側に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷(甲斐中辰夫裁判長)は10日、学校側に計480万円の支払いを命じた二審判決を破棄、父母側の訴えを退けた。逆転敗訴が確定した。 一審東京地裁は、教育内容について「学校側に広範囲に委ねられている」として請求を棄却。一方、二審東京高裁は「事後的な教育内容の変更は、保護者の『学校選択の自由』を無意味にする」として、父母側の逆転勝訴を言い渡していた。』12月10日10時47分配信 時事通信
法律的に片をつけるので問題でもないと思います。父兄から論語」を基本とした独自の道徳教育を一方的に取りやめ無いで欲しいという要望が有れば、「論語」を基本とした道徳教育と言う方針に拘らないで、「論語」時間を設け、漢文の担当の先生に「論語」を分かりやすく教えて貰えば良いのでないか思います。
中高一貫校ですから、漢文の素養を身に付けることは、大學入試センターや難関国立大学の二次試験にも役立つと思います。
「論語読みの論語知らず。」にならないように「論語」を学べば、漢文の力や漢字力も身に付きます。論語を基本にした道徳教育が実施されなくても、「論語」の内容を生徒が学校で学べば良いのでは有りませんか。「論語」は、正しく読めるだけではなく、内容を理解して初めて身に付くものでは有りませんか。論語読みの論語知らずとは、書物の上で事を理解するばかりで、此れを実行しえない者を言いますが。どれだけ今の保護者の方々も論語を読み、十分理解出来るお力お持ちか居られるか分かりませんが。学校側も生徒や御父兄の皆さんに特設「論語講座」を専門の研究家を招いて開いたらどうでしょうか。保護者の方々の御要望として「論語」も勉強して貰えばと思います。孔子様も学校と争うよりも喜ばれるのではないでしょうか。孔子の教えを学校の先生も、生徒も保護者も共に学事が大切では有りませんか。論語を学び、論語を基本にした道徳を教えられなくても自主的に日常生活で生徒が、自ら実践するのが本来の道徳教育では有りませんか。
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