向田邦子さんの、「新装版 夜中の薔薇」を今日、読み終わった。
この本は、アマゾンの電子書籍として購入した。
文学類型で言えば、短編エッセイ集、といった趣である。
小さい頃の思い出。男性、特に俳優など、個人名で出して、ヨイショ、まではいかないが、向田さんなりに、応援していたり。
男性に向けて、今日読んだ下りでは、「男のやさしさ」は女側から語るべき、語りたい、語らせて欲しい、と言った風で、決して、男性自身、男性方からは、大上段に構えて、「男のやさしさ」などを語って欲しくはない、との話に、昭和の頃の本ではあるが、私も男としてうなずけて、襟を正して、身だしなみには気を付けよう、というような感覚がした。
そうして、これは、この間の三月末の、総本山富士大石寺へと行った帰りの際に、荷物にはなったが、アマゾンkindleの画面の白黒版、カラーじゃなく、読書に特化した小型タブレットを持ち込み、バスの車内で読んだのが、「手袋をさがす」という、これは、向田作品でも、一押しの、名作短編エッセイと言う感じの著作であった。
そこには、向田邦子さんの、独り身になってしまった孤独、失くした手袋にかこつけて、話しを進めてゆくのですが、若い頃の事、今になっての想い。
向田邦子さんは、余りに文学者として多忙で、婚期を逸してしまった。
今の時代に生きるならば、中高年独身女性など、こんな人生は、幾らでもあり得るが、この当時としては、向田さんがパイオニアであった。
後悔、自己反省、自己批判が淡々と…。けれど、それら自身の欠点には咎め立てはせず、堂々と人生を振り返る姿は、何か、この後に起こる、向田邦子さんの、台湾旅行途上での、飛行機事故を連想させる、ような気分にすらなってしまう。
それは、偶然のなせる業なのか。自分の死をイメージして、書いている気もするが。全ては、今となっては、歳月が人の記憶も曖昧にしてしまう。
向田さんの感性は、非常に研ぎ澄まされていて、何か、大理石の建築物でも作るかの如き、荘厳な文章仕立てであり、片一方では、何か庶民的女性でもあったり…。
私にとっては、この他にも、同時並行で、向田邦子さんの著作には手を伸ばして読んでいるが、この作品が、私にとって、私の人生初の向田作品の読了となった。
生きていれば、もう何歳になったであろうか。実に惜しい人を亡くしたと思う。
合掌。南無妙法蓮華経。
向田邦子さんの「手袋をさがす」をkindleタブレットにて読み終わり、ふと、マイクロバスの車窓から、目をやると、そこには富士山の雄姿が、いまだに私の脳裏に残る程、雄大さが一段と迫(せま)って見えた。
以上。よしなに。wainai